破滅した負けヒロイン(元)ですが、推しの地味貴族に拾われて極上生活が始まりました ~王子と婚約破棄して正解!~
土砂降りの雨の中、リリアナは王都の門の外に放り出されていた。
「二度とこの門をくぐると思うな! 公爵家の恥さらしめ!」
衛兵の罵声とともに、重厚な門が閉まる。
リリアナ・エル・ロンド。つい数時間前まで、この国の第一王子の婚約者であり、将来の王妃と目されていた女だ。
……けれど、今の彼女はただの「負けヒロイン」だった。
ゲームのシナリオ通り、聖女をいじめたという無実の罪を着せられ、家も身分も剥奪されたのだ。
「……はあ、やっと終わったぁ」
泥だらけの地面に座り込んだまま、リリアナは深いため息をついた。
その顔に悲壮感はない。むしろ、憑き物が落ちたようなスッキリとした表情だ。
(あー、疲れた! 王子の機嫌を取るのも、お局様みたいな取り巻きと戦うのも、もう限界だったんだよね。これからは……これからは、誰にも邪魔されずに、あの方のことだけを考えて生きていけるんだわ!)
リリアナには、この世界で唯一の、そして絶対的な「光」がいた。
それは攻略対象の王子ではない。
王宮の片隅で、いつも誰かの飲みかけのグラスを片付けたり、散らばった書類をまとめたりしていた、雑用係の貴族――シリル・ヴィンセントだ。
彼は一応男爵家の息子だが、家門が没落しかけているため、王宮では使用人同然の扱いを受けていた。
ゲーム内の人気投票ではいつも下位。けれど、彼が伏せた睫毛の美しさや、誰に褒められずとも黙々と仕事をこなす高潔さを、リリアナだけは知っていた。
「でも、お別れも言えなかったな……。せめて最後に、あの眼鏡の奥の綺麗な瞳を拝みたかった……」
ガックリと項垂れた、その時。
カツン、カツン、と、雨音に混じって足音が近づいてきた。
リリアナの視界に、泥を跳ね上げながら歩く、安物の、けれど手入れの行き届いた革靴が映る。
「……そんなところで座り込んでいると、風邪を引きますよ。リリアナ様」
聞き慣れた、少し低くて落ち着いた声。
リリアナが顔を上げると、そこには大きな傘を差し出したシリルが立っていた。
いつもの地味な灰色の服。少しズレた眼鏡。
けれど、その瞳はいつもより強く、真っ直ぐにリリアナを見つめている。
「シリル……様? どうして……」
「お迎えに上がりました。……もう、あんな窮屈な場所にいる必要はありません」
シリルはリリアナの泥だらけの手を、躊躇いもなく自分の温かい手で包み込んだ。
「僕の家は、お嬢様がいた公爵家とは比べものにならないほどボロくて、狭いところです。……それでも、僕と一緒に来ていただけますか?」
シリルに連れられてやってきたのは、街外れのさらに先、森の入り口に建つ小さな石造りの家だった。
「ボロい」と彼は謙遜していたが、中に入ると薪ストーブの火がパチパチと爆ぜ、使い込まれた木製の家具が温かな光を反射している。
「まずは、その濡れた服を脱いで。温かいお湯を用意しましたから」
シリルは手際よくリリアナを風呂場へ促すと、彼女の着替えとして、自分の予備だという大きなシャツと簡素なスカートを差し出した。
(ひ、ひぇぇ……推しの服を着る日が来るなんて……! 破滅してよかった。神様ありがとう!)
リリアナは内心で激しく荒ぶるオタク心を必死に抑え、お湯に浸かった。
風呂上がり、リリアナが少し恥ずかしそうにリビングへ戻ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
香ばしいバターの香りと、野菜を煮込む優しい匂い。
テーブルには、ふっくらと焼けたパンと、色鮮やかなポタージュが並んでいる。
「お口に合うかわかりませんが……今日はこれしかなくて。さあ、冷めないうちに」
シリルが眼鏡を少し直しながら、椅子を引いてくれる。
その指先、その所作。ゲームの端っこで見ていた時よりもずっと近くで感じる彼の存在に、リリアナの心臓は破裂しそうだ。
「美味しい……! シリル様、あなたこんなに料理が上手だったんですか?」
「王宮では、誰も僕の料理なんて食べませんでしたから。……リリアナ様、あなたがそんなに美味しそうに食べてくれるなら、僕はそれだけで救われます」
シリルは椅子に座らず、リリアナの傍らに膝をついた。
そして、彼女のまだ少し濡れている髪を、柔らかいタオルで丁寧に拭き始める。
「あ、あの! 自分でできますから……!」
「いいえ。あなたは今まで、ずっと独りで戦ってきた。これからは、僕があなたを甘やかす番です。何も考えず、ただ僕に委ねてください」
彼の低い声が耳元で響く。
王宮での彼は、いつも不器用で影の薄い「わき役」だった。けれど、今目の前にいる彼は、包容力に満ちた一人の魅力的な男性だった。
「シリル様……私、全部失くしたんですよ? 公爵令嬢っていう肩書きも、財産も、未来も」
「僕が欲しいのは、そんなものじゃありません」
シリルは手を止め、リリアナの目を見つめた。
眼鏡の奥にあるその瞳は、どの宝石よりも深く、優しく揺れている。
「僕は、あなたが欲しかった。……ただ、それだけです」
リリアナは悟った。
ゲームのシナリオでは、彼女は悪役令嬢として破滅する運命だった。けれど、この世界はもうシナリオ通りではない。
「……じゃあ、今日から私は『リリアナ様』じゃなくて、ただのリリアナでいいです。その代わり、シリル様も、私のことずっと隣で甘やかしてくださいね?」
リリアナが勇気を出してそう微笑むと、シリルは一瞬驚いたように目を見開き、それから今まで見たこともないような、とろけるような笑顔を見せた。
「……はい、喜んで。僕の愛しいリリアナ」
外はまだ雨が降っている。
けれど、この小さな家の中だけは、世界で一番甘くて温かいハッピーエンドに包まれていた。
(完)
最後まで読んでくださりありがとうございます!
良かったら☆やレビューなどしてくださると励みになります。アドバイスも書いてくださると嬉しいです




