第36話:いざ、子爵家へ
話はポンポンと進んで行き、楓たちは馬車で移動を開始し、あっという間に子爵家の前までやってきていた。
「……ど、どどどど、どうしてこうなった?」
馬車の中で楓は、あまりの緊張に声がどもってしまう。
「落ち着いて大丈夫よ、カエデさん」
「そそそそ、そう言われましてもももも!」
「子爵様は貴族ではあるけれど、民との距離も近い、親しみの持てるお方よ」
セリシャがなんとか緊張を解こうとしているが、楓は無言で体をカタカタと震わせている。
「……ギギャ?(……帰る?)」
「帰れないから! ピース、帰れないのよ! 帰ったら打ち首だもの!」
「そんなことにはならないからね! カエデさん、目を覚ましてちょうだい!」
ピースの言葉に楓が即答したが、その内容があまりにもめちゃくちゃだったため、セリシャも大声で否定した。
「でででで、でもおおおおっ!?」
「本当に素晴らしいお人だから、私を信じてちょうだい」
「……うぅぅ~。分かりました~」
ここに至るまでに、楓は身支度も整えていた。
セリシャお抱えのメイドが商業ギルドに待機しており、彼女たちが手伝ってくれたのだ。
衣服も既に用意されていて、楓は日本でも来たことのない、高価そうなドレスを身に纏っている。
「……セリシャ様? これ、汚したら買取りですよね?」
「汚しても買取りなんてさせないし、私が持ってきた仕事なのだから、何かあっても私が責任を取るわ。だから安心してちょうだい」
セリシャの言葉を受けた楓は、何度も深呼吸を繰り返し、ようやく気持ちを落ち着けることができた。
このタイミングで馬車の扉が開かれ、セリシャが先に下りると、エスコートするため左手を差し出す。
「本当は男性の方がエスコートするべきなのだけれど、今回は我慢してちょうだいね?」
「男性の人からのエスコートなんて、無理ですから! あ、ありがとうございます、セリシャ様!」
慌てたように楓はそう口にすると、セリシャの手を取って馬車を下りた。
「……うわぁ~。すごいお屋敷ですね!」
すると楓は、馬車を下りてすぐ視界に飛び込んできた、煌びやかで大きな子爵家の屋敷を前に、驚きの声を上げた。
「バルフェムでは一番のお屋敷でしょうね」
「はぁー! やっぱりそうなんですね!」
先ほどまでの緊張はどこへ行ったのか、楓は目の前に広がるファンタジー全開の屋敷に目を奪われ、興奮していた。
その姿がセリシャにははしゃぐ子供のように見えており、思わず苦笑してしまう。
「それじゃあ、門番の方に声を掛けましょうか」
「は、はい!」
セリシャの言葉に再び緊張してきた楓だったが、馬車の中より強い緊張ではなかった。
腹をくくったらなんとかなるものなのだと、内心では自分でも驚いていた。
「商業ギルドのギルドマスター、セリシャです。本日は来訪の予定となっておりました」
「伺っております。では、そちらの方が?」
「か、楓です! 従魔具職人をしております!」
門番から楓に対しての確認が行われると、彼女はすぐに名乗った。
そのあとはすぐに門が開かれ、セリシャに続いて楓も敷地内へ足を踏み入れる。
屋敷までの長いアプローチを進んで行くと、扉の前では白髪でスーツ姿の男性が出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。セリシャ様、そして従魔具職人のカエデ様」
「え? あの、私のことをご存じなのですか?」
まさか自分の名前まで把握されているとは思わず、楓は驚きの声を漏らした。
「もちろんでございます。申し遅れましたが、私はアマニール子爵家で筆頭執事を勤めております、ドルグと申します。以後お見知りおきを」
しわの多い顔が柔和な笑みを刻み、ドルグは丁寧にお辞儀をしてくれた。
「中で子爵様がお待ちでございますので、ご案内させていただきます」
そう口にしながら、ドルグが扉を開いてくれる。
中に入ると、そこには豪華な装飾品が並べられ、飾られており、床には真っ赤な絨毯が敷かれている。
これぞまさしく貴族の屋敷だと主張しているようで、楓は粗相がないようにと慎重に歩いていく。
「大丈夫、カエデさん?」
あまりにびくびくしながら歩いていたからだろう、セリシャが心配そうに声を掛けてくれた。
「はっ! す、すみません! 大丈夫です! 気をつけます!」
「構いませんよ。子爵様は貴族ではございますが、物はいずれ壊れるものだと考えておられるお方ですから」
人の家の中をきょろきょろしていたことがマナー違反だと思い、楓はすぐに謝罪を口にする。
しかしドルグは笑いながら構わないと口にすると、アマニール子爵のことを語り始めた。
とはいえ、だからといって壊していいものではないだろうと思うと、慎重な足取りは変わらなかった。
「こちらで、子爵様がお待ちでございます」
屋敷のもっとも奥まった部屋の前に到着すると、ドルグからそう声が掛かった。
ドルグが扉をノックすると、中から声が返ってくる。
『――入れ』
「失礼いたします」
重みのある低い声がが聞こえると、ドルグが返事と共に扉を開く。
扉の先で待っていたのは、大柄で短い銀髪、冒険者のようなガタイを持つ壮年の男性だった。
「久しぶりだな、セリシャ殿。そして、初めまして、カエデ殿。俺はボルト・アマニール。アマニール家当主だ、よろしくな!」
ボルト・アマニールは豪快に笑いながら、楓に自己紹介をしてくれた。




