プロポーズを断るために無理難題を課したら、世界最強の英雄が爆誕しました
世界最高峰の英知が集う場所、シグルド魔法学園。 この学園の名を耳にして、畏敬の念を抱かない者はいなかった。なにせ、入学できるのは世界中から選抜された、とびきり優秀なエリート中のエリートだけだからだ。
そのシグルド学園のトップの座に入学時から君臨し続けているのが、ソフィア・ローウェルである。
「今月の実技総合評価、首席はいつもの通り、ソフィア・ローウェル。次点はレオン・アルスガルド」
毎月の全学年合同の成績発表。ソフィアの名前が呼ばれるたび、生徒たちの間にため息と羨望が渦巻く。理論魔法学、古代文字解読、実践魔力操作。彼女の成績は全てにおいて群を抜いていた。
だが、彼女の武器はその頭脳だけではない。
「ソフィア様は、今日もお美しい……」
彼女の姿を一目見れば、皆魅了されてしまう。 光を透過するようなプラチナブロンドの髪はシルクのように滑らかで、深いエメラルドの瞳は、まるで磨き上げられた宝石のように冷たく輝いている。
類稀な美貌と、その頭脳から「氷の才女」と呼ばれていた。
「ソフィア様、僕と付き合ってください!」
そんな中、今日もまた、名前も知らない男に告白された。同じクラスの人だろうか? 顔を真っ赤にして、熱っぽい視線をぶつける彼に、ソフィアは心底迷惑そうに顔を歪める。
「御断りするわ」
彼女は氷のように冷たく言い放った。
「で、ではっ……試しに、お友達からでも」
「何故私が。名前すら知らない人と、お付き合いしなければならないの?」
あまりに冷たい物言いに、周囲からざわめきと、批判的な声が飛んだ。
「あの言い方は無いんじゃないの? いくらなんでも公爵家のご子息に、失礼だわ」
「顔がよくて勉強ができるからって調子に乗っているのよ」
「愛人の子なんでしょ? やっぱりマナーがなってないわね」
だがソフィアは、そんな陰口にも一切耳をかさず、何事もなかったかのように無表情で足早に立ち去った。
部屋に戻り、一人になってから、ソフィアは大きくため息をつく。
「何も知らないくせに」
彼女の冷徹な拒絶の裏には、深い不信感と孤独があった。
美しいからと祭り上げられ、嫉妬から嫌がらせを受ける。物が無くなることなんて一度や二度のことではない。学園においてソフィアに友人は一人もいなかったが、それでもソフィアは構わなかった。
――信じられるものは、努力で勝ち取った成績だけ。
ソフィアの脳裏に焼き付いているのは、幼い日の光景だ。 類稀な美貌で貴族の寵愛を受けていた母親が、年齢を重ね美しさに翳りが見えた途端、あっけなく捨てられた。地位も力もなく、容姿しか取り柄がなかった母は、冷遇され、最後は物のように扱われた。
その光景は、ソフィアにとって呪いのような教訓となった。
男に依存せず、誰にも屈しない自立した女性になるためには、容姿などという時と共に衰えてしまうものではなく、揺るぎない実力が必要だ。
目標は、男女関係なく世界中から認められる確固たる地位。そのために、卒業試験首席、そして国が行う魔術師認定試験の首席という「ダブルクラウン」を、ソフィアは自分に課した。
達成者が数名しかいないという難関中の難関だからこそ、ソフィアは誰よりも努力した。遊ぶ時間などもちろんなく、睡眠時間を削ってまで魔導書を読み込み、魔力制御の訓練で指先から血を滲ませた。
――主席の座は、誰にも渡さない。
その「矜持」こそが、ソフィアの全てだった。
「ソフィア様、今度の週末、街の魔導具店に……」
「ごめんなさい。その時間は魔力の持続訓練に充てます」
「ソフィア、君の今日の魔術実技は本当にエレガントだったね」
「ありがとう。ですが、エレガントさで成績は上がりません」
「君ね、ちょっと成績と顔がいいからって、その態度はどうかなど思うよ」
擦り寄ってきた男の一人が、勝手に苛立ちだした。よくあることで、ソフィアは深くため息をついた。
「そんな可愛げがなくては、結婚できないよ」
「少なくとも、貴方と結婚するつもりはないのでお構いなく」
そう冷たく突き放すと、屈辱に顔を歪ませながら、名前も知らない男は怒りだした。
「そんなに性格が悪いとは知らなかったよ! 噂通りだな!」
「でしょう? 嫌味な女なんです」
「娼婦の娘だから、マナーがなってないんですわ」
勝手に祭り上げられ、勝手に失望し、怒りをぶつけられるのももう慣れっこだ。
だがソフィアは一切の隙を見せず、いつものように無表情でその場を立ち去った。
そんなソフィアの鉄壁に、唯一、亀裂を生み出そうとしている男がいた。 それが、成績発表で次点に名前を呼ばれるレオン・アルスガルドだ。
「昔はそんなにいい成績じゃなかったのに……」
ソフィアは暗い声でぼそりと呟いた。最近ではすべての教科でソフィアの点数に追いついてきており、焦りを感じている。彼の名前を聞くだけで、心の奥に黒い澱のようなものが溜まっていくほどだ。
彼はソフィアとは対照的だった。深い栗色の髪に、優しげなタレ目。この国屈指の高位貴族でありながら全く偉ぶらず、笑えば陽だまりのような暖かさを振りまいている。男女構わず人に囲まれ、周囲には常に人だかりができていた。愛人の娘で孤立するソフィアとは正反対の存在だ。
――あの男はいつもヘラヘラと笑っていて、真剣さに欠けるわ。この学園に何をしに来ているのかしら。
レオンの実力は本物だ。ぼやぼやしていては主席の席を奪われてしまう。だが、いつも楽しそうにしている様子が、ソフィアの鬼気迫る真剣さと相容れない。
「……貴族の男なんて、努力しなくても認めて貰えるくせに」
ソフィアはぐっと力を込め、羽ペンを握り込む。自分はこれでしか自由を得られないのに、あの男は最初からすべてを持っていることが腹立たしく、悔しかった。
「いけないわ。勉強に集中しないと」
ソフィアは邪念を追い払うように首を振り、再び魔導書に向き直った。 自分の矜持を守るため、今日もソフィアは努力を惜しまなかった。
だが4年生になる直前、春の試験で事件は起きた。
先生の声が、ソフィアの頭を殴るような衝撃となって響いた。
「主席、レオン・アルスガルド、総合評価98点。次席、ソフィア・ローウェル、総合評価97点」
初めて、ソフィアの名前が次席に呼ばれたのだ。
「え? ソフィア様が2位!?」
「初めてじゃない? やっとね」
「調子に乗ってるからよ。ざまぁみろだわ」
「さすがレオン様」
周囲の容赦ない歓喜と嘲笑の声に、さあっと血の気が引いていく。激しい動悸に眩暈がし、ソフィアはたまらず、その場を飛び出した。
逃げ込んだのは校舎の裏庭、鶏小屋の近くの湖畔だ。実力主義の学園といえど、貴族が多いこの学園で、臭いが漂う鳥小屋の近くには誰も寄り付かない。
湖面を覗き込むと、醜い感情で表情を歪ませた自分と目が合った。
「あんな軽薄な男に、主席を簡単に明け渡してしまうなんて」
血反吐を吐くほど努力したつもりだったのに、足りなかったのだろうか。
――まだ卒業まで一年あるわ。もっと努力すれば、まだ巻き返せる。
そう考えていると、陽だまりのような声が、背後からかけられた。
「ソフィア」
それは今、一番聞きたくない人の声だった。
振り向くと、レオン・アルスガルドが、いつものように穏やかな笑みを浮かべて立っていた。ソフィアは全身を硬直させる。
「何かご用かしら、レオン・アルスガルド君。次席に落ちた私を、哀れんで慰めに来てくれたの?」
ソフィアは嫌味を込めて、氷のような瞳でレオンを睨みつけた。負けた相手からの同情など、受け入れられる気分ではなかった。
「そういうわけではないよ」
レオンは穏やかながら、どこか張り詰めた様子でそう言った。
「私はあなたのように、無駄な時間はないのだけれど」
冷たく突き放しても、レオンは少しも怯まない。彼はまっすぐソフィアのエメラルドの瞳を見つめ、告げた。
「ソフィア。僕と結婚を前提に、付き合ってくれないか?」
一瞬、何を言われたのかわからず、ソフィアの思考は停止した。だが、真っ直ぐに自分を見つめるレオンを見て、言葉を反芻し、やっと理解する。
「……は?」
その声は、彼女自身でも驚くほど、冷たく、怒りに満ちていた。
「今、何と言いました?」
ソフィアの周囲の空気が一瞬で凍りつく。湖畔の澄んだ風も、その熱を失って静止したかのようだ。それでもレオンは、いつもの穏やかな表情のまま、言葉を繰り返した。
「君が好きだ、ソフィア。僕と、付き合ってほしい」
「……っ!」
レオン・アルスガルドは、ソフィアが欲しい物全てを持っていた。他人に左右されない男という性別。裕福な貴族という地位。
それなのに、ソフィアの唯一の矜持である主席の地位まで奪われたばかりだ。この瞬間に告白されるくらいなら、まだ嘲られたほうがましだった。
「貴方は私の何が好きだというの? 何も知らないくせに。どうせ顔と体が好きだというのでしょう?」
ソフィアは吐き捨てるように鼻で笑った。瞳のエメラルドが、氷のように冷たく輝く。
「レオン・アルスガルド。あなたは私の何を理解しているの?」
「確かに顔も美しいと思っている。だがそれだけじゃない。ずっと君を見ていたからわかる。僕は君の努力を尊敬している。だから」
「笑わせないで!」
叫びにも似た強い口調に、さすがのレオンも一瞬たじろぐ。
「私はっ、私は……。男に頼らず、自分の力で立つと決めたの。そのために、この学園で誰にも負けない実力をつけることに、全てを捧げてきた。それをいとも簡単に奪っておいて、努力を尊敬しているですって? その程度しか努力できない、才能のない私をあざ笑っているの間違いでしょう?」
「そんなことはない。僕は君のことを真剣に」
「結構よ!」
ソフィアは彼の言葉を遮った。
「僕は真剣に君のことが好きだ。生半可な気持ちなんかじゃない。その証拠に結婚を前提とした婚約者として、付き合って欲しい」
レオンは本気さを伝えるためにそう言ったが、その言葉は、ソフィアの最も深いトラウマを抉った。美貌を愛されたが、容姿が衰え、いとも簡単に捨てられてしまった母の記憶が頭を過る。
――それを避ける為に、ここまで努力してきたのに。
ソフィアはぎゅっと下唇を噛んだ。
アルスガルド公爵家の申し出を公の場で断れば、公爵家の影響を恐れ、どこにも就職できなくなるだろう。レオンがどう考えていようとも、世間はそんなに甘くない。
――でも、今ならまだ誰もこのことを知らないわ。
ソフィアはあえて顔を歪め、傲慢に見えるように装った。
「いいでしょう。本当に真剣だというのなら、この私に釣り合う男であることを証明しなさい」
ソフィアは誰も成し得たことのない、文字通りの無理難題を突きつけることを決めた。
「レオン・アルスガルド。あなたに私と付き合うための課題を与えるわ。この課題が終わるまで、私に告白したことは誰にも言わないこと。いいわね?」
「ああ、わかった」
ソフィアは敢えて高圧的に言い放った。
「一つ。このシグルド魔法学園の卒業試験で、文句なしの首席を取ること。これは私と直接対決になるわ」
レオンは小さく頷いた。その目には、ソフィアに勝てる自信が覗いており、それがまたソフィアの自尊心を傷つけ、苛立たせた。
「二つ。卒業後、国が主催する難関中の難関、魔術師認定試験で、これも首席を取ること。これは学園の成績だけではどうにもならない、実戦能力の証明よ」
レオンの表情は変わらない。だが、その瞳の奥に、強い決意の光が灯ったように見えた。
「このダブルクラウンに加えて、そして、三つ目よ」
ソフィアは最後に、最大の嫌がらせを付け加えた。
「三つ目。あなたは魔法使いでしょう? なら、あえてその対極である王立騎士団の入団試験も受けて、それも首席で合格してみせなさい」
その言葉に、レオンの顔から一瞬、表情が消えた。 ソフィアの提示した条件は、三段階の地獄だった。魔法学校のトップ、国のエリート魔術師のトップ、そして、全く専門外の騎士団のトップ。
「これで、三冠、トリプルクラウンよ。この全てを達成できたなら、私はあなたの告白を受け入れてもいいわ」
ソフィアは確信していた。これは人類には不可能な課題だ。伝説の英雄の逸話に残るトリプルクラウンは、今では後世に後付けされた嘘だとされている。
レオンは、呆れて、あるいは怒って、この場から立ち去るだろう。
「さあ、どうする? レオン・アルスガルド」
レオンはしばらく、黙ってソフィアを見つめていた。その表情は、真剣さを通り越して、覚悟のようなものを滲ませていた。
そして、彼はゆっくりと、深く、息を吐いた。
「わかった」
ソフィアの耳には、その一言が、信じられないほど明瞭に響いた。
「え?」
「その条件、全て飲もう」
レオンは、まっすぐにソフィアを見つめ返した。その瞳に、迷いは一切ない。
「その三冠、必ず達成する。だから見ていてくれ」
彼はそう言い残すと、振り返りもせず、一直線に学園の中央棟へと歩き去った。まるで、今すぐその挑戦に取り掛かろうとしているかのように。
湖畔に残されたソフィアは、レオンの後ろ姿が小さくなるのを見つめながら、呆然と立ち尽くした。
「嘘……。本当にやるつもりだというの……?」
この瞬間から、ソフィアとレオンの、誰も想像しなかった三冠の賭けが始まった。
「絶対に無理に決まっている」
そう思うのに何故か胸騒ぎが収まらない。武勲を立てた貴族の生まれとはいえ、魔術学校の課題は膨大だ。騎士になるための訓練をする時間などない。騎士学校に通わず主席合格など、無謀を通り越して狂気の沙汰である。
「いいえ、無理よ。こんなことができるのは、もう伝説の中だけだわ」
だが、レオンの背中に宿った、あの絶対的な光を思い出すたび、ソフィアの心臓は、抗いようもなくざわめき続けていた。
レオンの挑戦が始まってからの一年。
ソフィアは、今まで以上に勉学と訓練に没頭した。しかし、それはもはや主席の座を奪い返すためというより、レオンという存在に引き離されてしまわないための、必死の追走劇になっていた。
「今まで以上に努力しているのに、何故追いつけないの?」
レオンは約束通り、卒業試験に向けての成績をキープしている。それは想像を絶する偉業だったが、彼の姿は時折、学園からふっと消えるようになった。
「レオン様、最近、座学の講義を休むことが多いな」
「実践訓練にも全然出ていないぞ。いくら優秀でも、首席はソフィア様に譲るんじゃないか?」
友人たちの噂話は、ソフィアの耳にも届く。
――当然だわ。騎士団の訓練なんて、片手間にできるものではない。きっと、魔法学園の成績は落ちて、卒業試験では私に負ける。
その考えが、卑怯な手を使って彼を引きずり落としているようで、ソフィアのちくりと胸が痛む。
「私が強制したわけではないもの。それが嫌なら、彼がやめればいいのよ」
だが、毎月発表される成績表を見るたびに、予想とは違った絶望を味わった。 レオンの成績は、一切落ちていないのだ。
座学の小テストは満点。出席できなかった分のレポートも、教授陣を唸らせるような深い考察を加えて提出されている。実技の評価は、たまに出席する訓練の場で、一発でソフィアと並ぶか、あるいは僅かに上回る驚異的な結果を叩き出していた。
「本当は外で、騎士の訓練なんかしてなくて、優秀な教師をつけて勉強をしているのかしら?」
そうとしか考えられないほどの成績だ。
だがもう一つ気がかりな噂を耳にしていた。レオンが、少し窶れてきているというのだ。
「向こうが勝手にやっていることだもの。どうなったって関係ないわ」
そう思っているのに、もやもやと胸のあたりが苦しく、気づけばレオンのことばかり考えてしまう。
――このままでは、私の勉強に集中できないわ!
ある日の講義後、ふらふらとどこかへ向かうレオンを見つけ、ソフィアは思い切って後をつけることにした。正体を隠す魔法を自身にかけ、密かに彼をつけていく。
彼が向かったのは、やはり学園から離れた王都の騎士団訓練場だった。
「本気だったのね」
そこでソフィアが目にしたのは、分厚い魔導書ではなく、傷だらけの剣を握り、泥だらけになって騎士候補生たちと訓練を重ねるレオンの姿だった。 その鍛え抜かれた肉体と、魔法使いとは思えないほどの剣の腕前は、ソフィアの想像を遥かに超えていた。手合わせしている騎士と謙遜ない実力だ。その美しい剣技に、ソフィアは目が離せなくなった。
「あ……」
学園ではわざと避けていたので、彼の様子をよく知らなかったのだが、今日久しぶりに彼の姿をじっと見て、ソフィアは彼がどんな状況にあるのか、やっと理解した。
噂通り、レオンの顔は以前と全く変わっていた。
「どうして」
頬はこけ、目の下には消えない隈ができている。以前は太陽のように輝いていた柔らかい栗色の髪も、水分を失い軋んでいるように見えた。
訓練中にできた生々しい傷は治る間もなく増え、疲労からか、時おりよろめいている。 魔法学校で主席という成績を保ちながら、騎士として厳しい訓練を積むということは、命を削るような努力が必要なことは明らかだ。
そこまでさせてしまっているという事実に、ソフィアの良心は酷く痛んだ。
訓練が終わるのを待って、ソフィアは彼の名を呼んだ。
「――ねえ、レオン」
「ああ、ソフィア」
レオンには驚いた様子がない。
「つけていることに、いつから気づいていたの?」
「学園を出たころからかな」
最初からずっとわかっていたようだ。本当に食えない男である。
「ねえ、何故そこまでするの?」
ソフィアの声は、自分でも驚くほど、小さく震えていた。
泥と汗にまみれたレオンは、そんなソフィアを見て、ふっと笑った。
「何故って? それはね」
彼はにこりと笑って、言葉を紡いだ。
「君のことが、好きだからだよ」
しかし、それは以前の穏やかな笑顔とは違っていた。目の下の隈は濃く、笑っているはずの口元には、かすかに血が滲んでいる。まるで、今にも壊れてしまいそうに見えて、ソフィアの胸はぎゅっと締め付けられた。
「……もういいわ」
ソフィアはぼそりと呟いた。
「もういいってどういうことだ?」
「もう、こんな茶番はやめましょう。わかっていたでしょう? トリプルクラウンなんて、英雄だってなしえなかった伝説よ。嫌がらせだってわかってたでしょう? それなのに、何故ここまでするの?」
自分の吐いた言葉を達成するために、一人の人間をボロボロにしてしまったという後悔に、ソフィアの声は震えていた。
「私が言ったのは、ただの嫌がらせよ。誰もできるわけがないことを言って、あなたを諦めさせるつもりだったのに、何故こんな」
「ねえ、ソフィア。僕はね」
やつれてはいるが、以前のように穏やかな瞳でレオンは微笑んで言った。
「僕はね、公爵家に生まれたけど、ずっと優秀な兄と比べられて落ちこぼれと言われていたんだ」
「あなたが落ちこぼれ……?」
こんな優秀な男が、信じられない。ソフィアがいぶかし気な表情をしていると、レオンは続けた。
「本当に勉強も魔法も、武術も何もできない、何もしない男だったんだよ。それが、ある日変わったんだ。どうしてだと思う?」
「………」
「一人の女性に恋したからだよ」
レオンはまっすぐにソフィアを見つめながら言った。そのあまりに真剣で透き通った瞳に、ソフィアの胸がどきりと音を立てる。
「その人は入学者代表として挨拶してたんだけどね、凛としたその様子に、その日から目が離せなくて。入学してからも誰にも惑わされず、直向きに努力を重ねる姿にどんどん惹かれて、憧れるようになったんだ」
「…………っ」
入学者代表は、もちろんその年の主席であるソフィアが務めた。
――そんな前から私のことを……
全く知らなかったが、入学式の日からレオンはソフィアを見ていたらしい。
「その子と仲良くなりたかった。でも、その人の目に僕は全く映ってなかったんだ。その子は前しか見ていない人だから。だからね、僕は優秀なその子の目に映る為に努力したんだ」
「あなたは、その為だけに」
シグルド魔法学園は世界中のエリートが集まる学校だ。そこでトップの成績、ましてや主席をとるのは生半可な覚悟と努力ではできない。彼が一切の遊びを捨て、勉学に励んだことは疑いようがない。
「うん。それでも三年かかっちゃったけど。優秀な君の目に止まる為には、僕は君の前を歩くしかなかったから」
そう言ってレオンははにかんだように笑った。その疲労の中に垣間見えた、純粋な笑顔に、ソフィアの胸は強く跳ねた。
「……馬鹿じゃないの」
「そうだね。でも僕は、君の為なら何でもできる。今回も絶対やり遂げてみせるから、見ていて」
そう言って笑うレオンの瞳から、ソフィアはもう目が離せなくなっていた。彼の狂気的な努力は、彼女の不信感をゆっくりと、しかし確実に溶かし始めていた。
月日は流れ、シグルド魔法学園の卒業式パーティーの日を迎えた。
例年ならダンスや進路、学生時代の思い出に浸り、盛り上がるはずのパーティーだが、今日、皆の話題はたった一つのことに注がれていた。
「レオン様、史上初のトリプルクラウンを達成したんですって」
「卒業試験首席、国家魔術試験首席、それに騎士の入団試験もトップって、本当伝説よね!」
「後にも先にもレオン様しか出ないだろうって言われているみたいね」
「もう王家からも、お呼びがかかったみたいよ」
レオンは結局、全ての課題を文句なしの首席でクリアし、トリプルクラウンを達成した。前代未聞の出来事は、この国のみならず、世界中で話題になっていた。
――完敗だわ。
ソフィアも一切手を抜かずに努力した。それどころか、レオンを意識してからの一年間は、血を吐くような追い込みをかけた。だが、彼はその遥か上をゆく。ここまで実力の差を見せつけられると、もはや悔しいという感情すら湧いてこない。
「私、レオン様にずっと憧れてたの」
「何を言ってるのよ。もう王女様との縁談もあがっているのでしょう? あなたなんかじゃ無理よ」
「いつ来られるのかしら。一言でいいからお話ししたいわ」
「稀代の天才と一緒の学年で、お話したこともあるって、末代まで自慢できるものね」
皆がレオンの登場を今か今かと待ち望んでいる。ソフィアは、その熱狂から逃れるように、そっとパーティー会場を抜け出した。
やってきたのは学園裏、いつもの鶏小屋の近くの湖畔だ。
「やあ、ソフィア」
背後からかけられたその声に、ソフィアの心が複雑に揺れた。
ソフィアはわかっていた。あの賭けをした湖畔で、彼が来ることを。
ゆっくりと振り返ると、去年よりもまた少し背が伸びたレオンが立っていた。正装に身を包んだレオンは、貴族らしい威厳を持ち、努力に裏打ちされた自信がその立ち姿に滲んでいる。まだやつれた印象は残るものの、それが返って彼を幼い少年から大人の男性へと変化させていた。
「パーティーの主役がこんなところにいていいの? 皆あなたのことを待っているわよ」
「今日のパーティーは、卒業生みんなのためのもので、僕が主役ではないよ」
レオンは微笑んだ。その瞳の輝きは、以前よりも強く、真っ直ぐになっていた。
「レオン。おめでとう。まさか本当にやり遂げるとは思っていなかったわ」
ソフィアが心からの賛辞を贈ると、レオンは昔と同じような、人懐っこい笑顔で笑った。
「ありがとう。君に言われるのが一番うれしいよ。ソフィアも次席だったんだよね。本当に凄いことだと思う」
「そうね、ありがとう」
その言葉を心から嬉しいと感じたことに、ソフィアは驚く。以前の自分なら文字通りに受け取ることができず、嫌味を返していただろう。
「約束、今でも覚えている?」
レオンの問いかけに、ソフィアははっと息を詰めた。
「ええ、私から言ったことだもの。覚えているわ。でもね、レオン。貴方、王女様から求婚されているんでしょう?」
「ああ、そうだね」
レオンの肯定の言葉に、ソフィアの胸がずきりと痛んだ。自分はただの賭けを口実にしたかっただけなのに、なぜこんなにも苦しいのだろうか。
「だったら、もうあの約束は無効ね。他の何かで償うわ」
あの約束は、トリプルクラウンを達成すれば結婚を前提としたお付き合いをする、というものだった。
だがこの国の王女は妖精姫と言われるほど、美しく可憐だ。その王女がレオンに一目ぼれし、王家は二人の婚姻を進めているという噂は、学園中を駆け巡っている。美しい王女と結婚すれば、王族になれるのだ。断る男なんかいるはずがない。
しかし、レオンは静かにソフィアの前に片膝をついた。
「ソフィア・ローウェル。僕と結婚して欲しい」
ソフィアは目を見開いた。
「っ……何故?」
「何故? それは僕が愛しているのは君だけだからだよ」
「王女様の方がお美しいわ。それに私は貴族ですらなく、平民よ。全て王女様の方が私より勝っているのに、私の事が好きだなんて」
ソフィアは本気でレオンが理解できずに、問いただした。
「僕には君の方が美しく見えるよ。それに前にも言っただろう? ソフィアの誰よりも努力し、まっすぐ前をみて歩むところを好きになったんだ」
「でもっ、王女様と結婚すれば王族になれるのよ? それに断ったりしたら出世にも響くでしょう」
ソフィアの必死な言葉に対し、レオンは顔色一つ変えず、静かに自信に満ちた声で答えた。
「僕は術師と騎士の最高峰に立った。世界中の国から僕の力が欲しいと言われているんだ。王族との結婚を断ったところで、何もできないよ。この国から出ても引く手あまただから」
確かにレオンほどの功績をあげた人間を、一国の王家がどうこうできるはずがない。だが今度はそんな人物が何故、自分を好きだと言い続けてくれているのかがわからない。
「何故、貴方は私なんかを」
ソフィアの瞳が揺れ動くが、レオンはしっかりと見つめ返した。
「ありのままのソフィアが良いんだ。寧ろ僕はソフィアの目に留まる為だけにここまで頑張ったのだから。だからソフィア。僕と結婚して欲しい。けど無理強いはしたくないから、僕のことを好きじゃないのなら断ってくれて構わない」
命を削るような努力をし、王女との結婚を断ってまで求婚してくれるのに、ソフィアに選択肢があるという。その優しさにソフィアの胸がじんわりと温かいもので満たされていく。
「……それでは賭けをした意味がないわ」
ソフィアは顔を伏せた。ここで「私も好きよ」と素直に言えればどれほど楽だろうか。だが、長年鎧のように身につけてきたプライドと、愛されることへの恐怖が、それを許さなかった。
「いいんだ。僕はありのままの君が好きだから」
だがレオンは全てをわかった上で、ソフィアを受け止めた。その愛情の深さに、ソフィアの頬が熱くなる。
彼女は顔を上げず、小さな声で言った。
「私、嘘はつかないの。賭けで負けたんだから、責任はとるわ」
その言葉は、ソフィアにとって最大の愛の告白だった。
レオンの顔が、太陽のように輝く。彼はゆっくりと立ち上がり、ソフィアの手をとり、その甲に口づけた。
「一生責任とってくれる?」
「そうね。そういう約束だもの」
ソフィアの顔はみるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていく。
初々しいその反応に、レオンはたまらずソフィアを抱きしめた。
「そんな顔しないでよ。可愛すぎて我慢できなくなるじゃないか」
「ど、どんな顔よ。っ……というか、暑苦しいわ。もう少し離れなさいよっ」
ソフィアは振り払おうとするが、流石は騎士団首席で合格した男だ。力が強すぎて全く振りほどけない。
「結婚式はいつにする? 来月でいい? それとも二週間後にする?」
「え!? 来月は早すぎない!?」
「大丈夫。ドレスは一年前から作ってあるから」
「ん?……一年前?」
もはや狂気じみた執着と、途方もない愛の深さに、ほんの少し、ソフィアに背がぞわりと泡立つ。
――この男の愛は、私が想像していたよりもずっと深い場所に根を張っているのかもしれない。
しかしその底知れない愛が、彼女の孤独だった心を包み込む最高の安らぎになることを、ソフィアは直感していた。
次の月、二人は本当に式を挙げた。
その後、二人がこの国の歴史に残る英雄になったのは、また別の話である。




