第8話 レイナ編 礼と、胸の奥のざわめき
昼下がりのクランハウスは、珍しく静かだった。
依頼に出ている仲間が多く、広い食堂には私ひとり。
窓から差し込む光が木の床を斜めに照らし、外からは遠く馬車の車輪の音がかすかに聞こえる。
こんなに静かなのは久しぶりだ。
私は厨房の奥で、ぐつぐつと煮える鍋を見つめていた。
牛肉と野菜を煮込む香りが、ゆっくりと部屋に広がっていく。
料理は得意じゃない。
でも今日は、どうしても自分の手で作りたかった。
理由は――あの夜のことだ。
実家で妹と話していたとき、端末で注文したフルーツタルトを悠真が届けてくれた。
妹が驚いて固まっている間も、悠真は何も聞かず、ただ「お届けです」とだけ言ってタルトを置き、簡単な説明をして帰っていった。
あの沈黙の優しさが、妙に心に残っている。
だから今日は、その礼をしようと思った。
鍋の中で具材が柔らかくなった頃、私は机の上の黒い板状の魔道具――配達呼び出し端末を手に取った。
銀翼の旗の一軍だけが使える、現代と異世界をつなぐ秘密の道具。
私たちが共有しているのは、この一台だけだ。
これで注文すれば、現代にいる悠真が転移してくる。
もちろん、他の誰にも見られないように、厨房の扉は閉めた。
画面を開き、メニューをスクロールする。
目に留まったのは、焼きたてのバゲットと、バターの写真。
――シチューに合うな。
数量を二つに設定し、注文を確定する。
数分後、厨房の中央にふわりと転移の光が広がった。
空気が一瞬だけ震え、淡い光が形を結ぶ。
現れたのは、黒髪の青年――悠真だ。
「ルーベルイーツでーす。お届けは……バゲット二つですね」
「おう、助かる」
私は受け取りながら、鍋のほうを顎で示した。
「今日は礼だ。座ってろ」
「礼?」
「この前、何も聞かずにいてくれただろ。あれだ」
悠真は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑った。
「そんなの、別に……」
「いいから。黙って食え」
テーブルに置いたのは、牛肉と野菜を煮込んだシチューと、悠真が持ってきたバゲット。
バゲットの表面はこんがりと焼け、香ばしい匂いが立ち上る。
悠真はスプーンを手に取り、一口すくって口に運んだ。
「……うまい」
その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
私は腕を組み、わざとそっけなく言った。
「だろ? まあ、二度と作るかはわからんがな」
「えー、また食べたいですけど」
軽口を交わしながらも、視線が合った瞬間、心臓が跳ねた。
――なんだ、この感じは。
戦場で剣を振るうときでも、こんな鼓動はしない。
悠真が笑うたび、胸の奥がざわめく。
もっと、近くにいたいと思わせる何か。
「……おかわり、あるぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
嬉しそうに皿を差し出す悠真を見て、私はふと気づく。
礼をするつもりだったのに、こうしていると、私のほうが何かをもらっている気がする。
それは、温かい料理よりも、ずっと甘くて、落ち着かないものだった。
食後、悠真が「ごちそうさま」と笑って席を立つ。
その背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
――やれやれ、面倒な感情を抱えちまったかもしれないな。
けれど、不思議と悪くない。
むしろ、このざわめきが、次に会う理由をくれる気がした。




