第7話 レイナ編 姉妹の夜と、ひと切れのタルト
昼下がりのグランツの街は、秋の陽射しに包まれていた。
石畳の道を行き交う人々の足音、露店から漂う焼き栗の香り、遠くで響く鐘の音――どれも、レイナにとっては懐かしい故郷の音と匂いだ。
銀翼の旗のクランハウスから歩いて十五分ほど、この街の中心部に、彼女が生まれ育った屋敷がある。
かつては、そこに戻ることなど考えもしなかった。
貴族の長女として生まれ、幼い頃から礼儀作法や政略のための知識を叩き込まれた日々。
十七の時、家のために決められた結婚話を突きつけられ、息苦しさに耐えきれず家を飛び出した。
剣を手に冒険者となり、戦場で功績を立て、ようやく家族と和解したのは数年前のことだ。
そんな彼女のもとに、数日前、妹からの手紙が届いた。
――結婚することになった。
短い文面に、レイナの胸はざわついた。
妹まで政略結婚に巻き込まれるのではないか。
それを確かめずにはいられなかった。
その日の夕方、レイナは屋敷の裏門から忍び込むように入った。
使用人たちは彼女の顔を知っているので、驚きはしたが止めはしない。
廊下を抜け、妹の部屋の前で足を止める。
扉を軽く叩くと、中から柔らかな声が返ってきた。
「……お姉ちゃん?」
扉を開けた妹――リディアは、驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべていた。
栗色の髪を肩で揺らし、淡い青のドレスを着ている。
その姿は、幼い頃の面影を残しつつも、すっかり大人びていた。
「ちょっと話があってな」
レイナは笑みを作りながら部屋に入る。
窓辺の椅子に腰を下ろし、互いに向かい合った。
最初は近況の話や、街の噂話で時間が過ぎた。
だが、レイナの胸の奥には、ずっと引っかかっている言葉があった。
妹が笑顔で話すたびに、その奥に無理をしていないかと探ってしまう。
「……なあ、リディア」
「うん?」
「今回の結婚のことなんだけどさ」
レイナは少し間を置き、真剣な声になる。
「相手のこと、本当に……好きなんだよな?」
唐突ではなく、心配を滲ませた問い。
リディアは一瞬驚いたあと、柔らかく笑った。
「もちろん。政略なんかじゃないよ。ちゃんと、自分で選んだ人」
その言葉に、レイナは胸の奥の重さがすっと軽くなるのを感じた。
「そうか……ならいい」
「ふふ、そんなに心配してくれるなんて、ちょっと嬉しい」
リディアは照れくさそうに視線を逸らした。
やがて、妹は少し声を落として言った。
「……でも、この話はまだ家族以外には内緒にしておいてほしいの。式の日取りもまだ決まってないし」
「わかった。じゃあ、これは二人だけの秘密だな」
レイナが頷くと、リディアは机の引き出しから小さな包みを取り出した。
「これ……覚えてる?」
包みを開くと、中には銀色の髪飾りが入っていた。
小さな宝石があしらわれたそれは、レイナが家を出る前の日、机の上に置きっぱなしにしていたものだ。
「……なくしたと思ってた」
「お姉ちゃんが出て行ったあと、ずっと持ってたの。いつか返せる日が来ると思って」
レイナは言葉を失い、ただ髪飾りを見つめた。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……じゃあ、私からも何か贈るか」
レイナは机の上に置かれた端末に目をやった。
銀翼の旗のクランハウスから持ってきた、悠真に直接つながる配達用の魔道具だ。
画面をスクロールしていくと、色鮮やかな写真が目に飛び込んでくる。
「……フルーツタルト、か」
苺やキウイ、ブルーベリーが宝石のように並び、透明なゼリーが艶やかに光っている。
「これにしよう。二つ」
画面をタップすると、端末が小さく光を放った。
数分後、部屋の中央にふわりと転移の光が広がる。
空気が一瞬だけ震え、淡い光が形を結んでいく。
「えっ……な、なに?」
リディアが思わず椅子から半歩下がる。
目の前で光が収束し、黒髪の青年――悠真が姿を現した。
「ルーベルイーツでーす。お届けは……フルーツタルト二つですね」
「……びっくりした。お姉ちゃん、これって……」
「配達用の魔道具だ。銀翼の旗の拠点から持ってきた」
レイナが軽く説明すると、リディアはまだ目を丸くしたまま、悠真とタルトを交互に見つめた。
悠真は箱を開けながら微笑む。
「サクサクのタルト生地にカスタードを敷いて、その上に苺、キウイ、ブルーベリーをたっぷり。甘酸っぱくて、見た目も華やかですよ」
「……ほんとだ、きれい」
リディアが思わず声を漏らす。
「宝石みたいだな」
レイナも感心したように見つめ、ナイフを入れるのをためらうほどだった。
二人はベッドの上で並んで座り、タルトを分け合った。
サクサクの生地と、甘酸っぱい果物、なめらかなカスタードが口の中で溶け合う。
夜風がカーテンを揺らし、姉妹の笑い声が静かな屋敷に溶けていった。
この夜のことは、二人だけの秘密。
そして、レイナの胸には、妹の幸せを心から願う温かな想いが、静かに灯っていた。




