第4話 初配達のあとで
視界が白く染まり、足元の感覚がふっと消えた。
次の瞬間、俺は社の境内に立っていた。
さっきまでいた石造りの部屋も、鎧姿の女性たちも、もうどこにもいない。
夕方の風が頬を撫で、蝉の声が耳に戻ってくる。
背中の配達ボックスは軽くなっていた。
中には空の容器と、ほんのり残った揚げ物の香り。
あの香りは、確かに向こうで作ったものじゃない――俺がこの世界で買って運んだものだ。
でも、あの五人の表情を思い出すと、不思議な達成感が胸に広がった。
最初は警戒していた目が、ひと口食べた途端に驚きに変わり、やがて笑顔になった。
あの瞬間の空気の変化は、言葉にしづらいけれど、確かに俺の中に残っている。
「おかえり」
振り向くと、拝殿の縁側に神様が腰掛けていた。
麦わら帽子の影から覗く目が、いつもより楽しそうに細められている。
「どうだった?」
「……なんというか、すごかったです。あっちの人たち、最初は警戒してたけど、食べたらすぐ笑顔になって」
「ふむふむ」
神様は頷きながら、湯呑みを口に運んだ。
縁側の横には急須と茶菓子が置かれ、まるで近所の爺さんと世間話をしているような光景だ。
「向こうの連中は、ああいう“出来たて”を食べる機会が少ない。ましてや、見たこともない料理ならなおさらだ」
「確かに……あれは驚くと思います」
俺はボックスを下ろし、縁側に腰を下ろした。
まだ心臓が少し早く打っている。
あの場の空気、香り、視線――全部が鮮明に残っていた。
「そうそう、言い忘れてたがな」
神様が湯呑みを置き、こちらを見た。
「この端末とボックスには“時間同期”の術式が組み込まれておる。注文が入っても、すぐ行く必要はない」
「どういうことです?」
「お前が配達ボタンを押した瞬間、向こうでは“注文直後”の時間に飛ぶ。つまり、こっちで一日準備しても、向こうでは出来立てを渡せるってわけだ」
「……それ、めちゃくちゃ便利じゃないですか」
「便利だろう。だからこそ、仕入れや梱包はしっかりしておけ」
俺は頷きながら、ふと向こうの五人の顔を思い出した。
赤毛の剣士、冷静な魔法使い、無口なエルフ、穏やかな僧侶、快活なシーフ。
名前も知らない彼女たちが、あの黒い板を通してまた俺を呼ぶかもしれない。
境内に、夕暮れの風が吹き抜けた。
日が沈みかけ、空は茜色から群青へと変わっていく。
俺はボックスの蓋を開け、空の容器を取り出して片付けながら、胸の奥に小さな期待を抱いていた。
――次は、どんな注文が来るんだろう。
その夜、実家に戻ると、母が台所で夕飯の支度をしていた。
「おかえり。今日は遅かったね」
「ちょっと……社で用事があって」
まさか異世界に行ってきたとは言えない。
テーブルに座ると、湯気の立つ味噌汁の香りが鼻をくすぐった。
さっきまで異世界で食べ物を届けていたのに、こうして家で夕飯を食べるのが妙に現実感を取り戻させる。
「そういえば、この前言ってた麦わら帽子の人、また会ったの?」
「……ああ、うん」
「やっぱり不思議ね。この辺じゃそんな人見ないし」
母は首をかしげながらも、それ以上は深く聞かなかった。
食後、自室に戻ると、机の上に置いた黒い端末が目に入った。
画面は暗く、静かだ。
でも、これが光れば、またあの世界とつながる。
時間同期の仕組みを聞いた今、俺は少し気が楽になっていた。
注文が来ても慌てずに、現代で仕入れや梱包を整えてから届けられる。
例えば、肉料理なら評判の精肉店で揚げたてを受け取り、すぐに保温容器ごとボックスに入れる。
スープや麺類なら、専門店で時間を合わせて受け取り、温度を保ったまま異世界へ。
俺の仕事は作ることじゃない。
最高の状態で届けることだ。
布団に横になっても、頭の中は昼間の出来事でいっぱいだった。
あの赤毛の剣士が豪快に笑った声、魔法使いが興味深そうに料理を観察していた姿、エルフが静かに箸を動かす様子、僧侶の穏やかな笑顔、シーフの好奇心に満ちた視線――。
彼女たちの反応は、俺にとって何よりの報酬だった。
次は、もっと驚かせたい。
もっと喜ばせたい。
そんな気持ちが、じわじわと湧き上がってくる。
翌朝、俺は早く目が覚めた。
窓の外では鳥が鳴き、山の向こうから朝日が差し込んでいる。
スマホで地元の飲食店を検索し、評判や営業時間をチェックする。
配達先の注文に合わせて、どこから仕入れるかを即座に決められるようにしておくためだ。
配達は、ただ運ぶだけじゃない。
最短で、最高の状態で届けるための段取りがすべてだ。
俺はメモ帳に候補の店を書き出しながら、心の中でつぶやいた。
「次は、どんな顔を見られるだろう」
アプリのイメージは食品の名前とイメージ画像だけ乗ってる感じです
マッ〇ではなくハンバーガーの画像が乗ってて主人公が店を選ぶ感じです




