第二章 幽霊城 5
馬車の中で、ミランダは思い詰めたような表情で黙り込んでいた。膝の上で自分の手を強く握っている。雨のせいで、馬車の揺れがひどかった。車輪が水たまりにはまり、ガタンッと跳ねる。暴風雨になっているようだ。外は暗くて何も見えない。
「……いったい、何があったんだ?」
アレックスが問うと、ミランダはビクッとして顔を上げる。顔が蒼白になっていた。すぐに口を開けない様子に、「おい、大丈夫か?」と心配になって尋ねる。事情は村人から聞いているだろう。よほどのことがあったとしか思えない。
「それが……っ」
ミランダは言いかけた言葉を、躊躇するように飲み込む。
「心配しなくても、君の所領で起きたことを誰かに話したりはしない……」
「……し、信じていただけるかどうかわからなかったので……」
「信じるとは何をだ?」
眉根を寄せて尋ねると、ミランダは息を吐いて顔を上げた。こうして同行を許可したのだから、黙っているわけにもいかないと思ったのだろう。どのみち、馬車が到着すれば状況は知れる。
「村で……人が殺されたです……」
「殺人? 警察は?」
「村の人がウィンセンの街の警察署に呼びに行きました。きっと、もう到着していると思います」
ウィンセンとは列車の終着駅にもなっていた小さな街だ。一番近い警察署がそこなのだろう。
だが、言ってしまえば殺人事件などそれほど珍しいものではない。王都では毎日のように血生臭い事件が起きている。公爵領ですら、殺人事件は珍しくない。だが、大抵警察任せで、領主が自ら出向くこともはそうない。よほどの重大事件でもなければだ。田舎だから、いまだに中世の古い因習が残っていて、領主の権限が大きいのか。あるいは、殺人などそう起こらない長閑な村ばかりだからか。
「犯人は取り押さえられたのか?」
アレックスの質問にミランダは首を横に振る。
「わざわざ、君が出向く必要があったのか? 明日の朝でもよかったようなものだが」
「そういうわけにはいきませんっ! これは、私の勤めですから……逃げるわけにはいかないんです」
そう言うと、ミランダは自分の胸を片手で押さえる。領主代理の勤め、ということか。だが、彼女が駆けつけたところで、すでに死んでいるものはどうしようもない。犯人も不明なら、警察に任せる以外にないだろう。立ち会う必要があるということなのか。
「……どういう状況なんだ?」
「え?」
「村人から聞かされているんだろう。殺された者だ」
「エルハルド子爵……これから、話すことはなかなか信じていただけないかもしれません」
ミランダは俯いて、躊躇うように口を開いた。
「所領内で……度々……このような殺人事件が起こるのです」
「度々、というと……連続殺人犯でも潜んでいると?」
だとしたら、穏やかな話ではない。警察はいったい何を捜査しているのか。田舎の警察だから、それほど能力もないのかしれないが、何度も起こっているのに犯人の目星もつけられないのだろうか。それほどの事件なら、地元の警察では手に負えないと判断され、王都から警視が捜査協力のためにやってくるはずだ。連続で起こるということは、所領に住んでいる者の可能性が高い。そうでなくても、地理に詳しい近隣の者には違いない。
「それも……百年も前から……毎年……今日のような朔月の晩に起こると決まっているんです」
「決まっている……?」
あ然として、アレックスは聞き返した。それでは、怪奇小説に出てくる怪物のようではないか。
百年も前からだとすれば、一人の猟奇的犯罪者の犯行ではないだろう。模倣犯がいる可能性もないわけではないが、考えられるのは因習的に行われているものだ。こうした田舎では、中世の習わしが今も行われている地域がある。そうでなければ、悪魔崇拝者の団体でも隠れて存在しているのだろうか。
「村の人たちは、吸血鬼の仕業だと……」
「……吸血鬼? 被害者は血でも抜かれていたと?」
思わず、ハッと笑う。どう考えても、あり得ない非現実的な話だ。吸血鬼の伝承なんていたるところに残されているが、どれもただの怪談。吸血鬼が実際捕まったことなんて一度もない。捕まえてみれば、自分を吸血鬼だと信じ込んでいるだけだったりもする。
「やっぱり……信じられませんよね?」
ミランダはますます声を小さくしてうな垂れてしまった。
「いや……とにかく、殺人事件が起こったということは、犯人はいるということだ。それが吸血鬼なのか、モンスターなのか、ただの殺人好きなのか知らないが……」
どう答えていいのか分からず、顎に手をやって考え込む。それから、向かいに座るミランダを見た。
「君は……信じているのか? 吸血鬼が本当にいるなんて……」
「わかりません。でも、領民はみな信じているんです。ずっと、怯えていると言ってもいい……必ず、誰かが亡くなるんですから……エルハルド子爵のおっしゃる通り、〝人を殺す何か〟は存在しているはずです」
意外にも、顔を上げた彼女の口調は冷静で理性的だった。気弱な貴族令嬢なら、もっと怯えている。
これでも、父親が行方不明になった後、一人で小さいながら領地を管理してきただけのことはあるだろう。あるいは度々起こるから、慣れているのかもしれない。ミランダ自身は、盲目的に信じて怖れているわけではないのだろう。その〝何か〟を村人たちが〝吸血鬼〟と呼んでいるだけだ。
ふと、アレックスは気付いて顔を上げる。窓を見てから、ミランダに視線を移した。
「君が私を引き留めたのは……そのためか?」
村の宿に泊まっていれば、知らずに巻き込まれる可能性がある。たとえ殺されなくてもだ。
「あっ、はい。誰が狙われるのかわからないんです。被害者は女性だけとは限らないので……」
そういうことか――。
彼女がやけに強く引き留めると思ったのだ。義務を果たしただけであって、それ以上の好意的な意味合いではない。そのことに、少しばかり面白くなさを感じていた。別に彼女に好意を向けられていないからといって、気にするほどのことでもないはずなのにだ。ただ、自分の勘違いとうぬぼれを、少しばかり恥ずかく思っただけだ。
「……吸血鬼が狙うのは未婚の娘と決まっているんじゃないのか? 君の領地に出没する吸血鬼は見境なしか?」
皮肉っぽく言うと、ミランダは「そ、そうですね」とオロオロして返事をする。
「ごめんなさい……こんなことに巻き込んでしまって。最初から、きちんと申し上げるべきでした」
「……最初から教えてもらっていたとしても、すぐに信じられなかっただろう」
馬鹿げた話だと聞き流していたはずだ。窓を見れば、滝のように雨が流れ落ちていた。稲妻が走り、落雷の音が響く。さすがに不安なのか、ミランダはギュッと目を瞑る。
「……だいたい、領民は吸血鬼が朔月の晩を狙って現れると知っているんだろう。それなのに、警戒もしなかったのか? 家の軒にニンニクを吊すとか……それくらいの対策をするだろう」
アレックスが知っている吸血鬼の知識などその程度だ。ニンニクで本当に撃退できるかどうかも不明だ。そもそも、そんなことで追い払えるなら、何を怖れる必要があるのか。
「……村の者はそうです。皆、家から決して出ません。襲われたお嬢さんは、その……恋人の方に呼び出されたようで。家族も知らないうちに、家を出ていってしまったなのです。きっと、会いたかったのでしょう」
「この嵐の中で密会とはな。相手の男は吸血鬼がうろつき回っていると知らなかったのか?」
「他の街から会いに来た方だったようなので、知らなかったのでしょう……村人も、あまり他所から来た人には話したがりませんから」
「その男を捕らえて尋問しろ。吸血鬼の仕業に見せかけて、別れ話が拗れて殺したのかもしれない」
話をしている間に馬車は林を抜けて、湖畔に出る。水かさが増して、湖面が激しく波立っていた。
馬車を降りると、離れた場所に村人が集まってカンテラの灯りを揺らしていた。
「ここで死んでいたのか?」
「そうみたいです。あっ、エルハルド子爵は濡れますから馬車にいてください」
「それじゃ、ついてきた意味がないだろう。君こそ……馬車にいたらどうだ?」
殺人現場なんて、令嬢が見るようなものではない。普通なら、気を失ってしまう。
「いいえ……私が行かないと。大丈夫です……初めてのことではありませんから」
ミランダはそう言うと、アレックスの差し出した手を取って馬車から降りる。
てっきり、村の中で起こった事件だと思っていた。湖の周りは枯れた林だ。村人もあまり立ち寄るような場所ではないだろう。水車小屋が湖畔沿いの道の先にあるのが見えた。なるほど、逢い引き場所にはうってつけだろう。
「お嬢さまっ!」
村人が手をあげて呼ぶ。そのそばでは、中年の女性が布をかけられた遺体に縋って泣き叫んでいた。
他の者たちは沈痛な面持ちで見守っている。遺体のそばにしゃがんでいた若い警官の男が、立ち上がって駆け寄ってきた。
「ミランダ、俺たちが駆けつけた時にはもうダメだった……すまない。巡回もしてたのに……っ!」
若い男は悔しそうに自分の拳を強く叩く。栗色の髪で、二十歳そこそこという年齢だろう。日焼けしていて顔の彫りが深い。
「ロイのせいじゃないわ。ありがとう。すぐに来てくれて」
お礼を言う彼女の隣で、アレックスは眉根を寄せる。
――ミランダ? ロイ?
なんで親しげに名前で呼び合っているんだと、馴れ馴れしい警官の男に不快感を含んだ視線を向ける。
相手もそれに気付いたらしく、睨み返してくる。
「……おい、ミランダ。何だってよそ者を連れてきたんだ? どっかの坊ちゃんか?」
鼻で笑うような言い方に、アレックスはムッとした。こんな無礼な警官は、王都では見たことがない。それはアレックスが公爵家の子息だと分かっているからだろう。だが、この田舎者の警官はそれが分かっていないらしい。
「は? お前こそ口の利き方を知らないようだな。最近の警官の採用試験はどうなっているんだ? 鶏並の頭のやつでも受かるとは実に驚きだ」
「なんだとっ!」
胸ぐらをつかんできたら、足払いして転ばせてやろうと身構えたが、その前にミランダが二人の間に割って入った。
「あの、ロイ! この方はエルハルド子爵で……お客様なの。それで、心配してついてきてくださったの」
「なんだ、ただの世間知らずのお坊ちゃまかよ。心配しなくても、ミランダは俺が守る。お前は邪魔になるから、もう帰っていい。帰り道はあちらだ。オオカミに食われないように気をつけろよ」
鼻で笑ったロイという名の警官は、林の方を指差して小馬鹿にしたように言う。
「お前こそ、無能と思われたくなければさっさと仕事をしたらどうだ? ここにいたって、犯人は捕まらないぞ」
アレックスはわざとミランダの隣に立ち、ロイを見返した。
チッと舌打ちしたロイは、足の向きを変えて遺体の方へと戻っていく。まだ、状況検分が終わっていないのだろう。雨がひどく降り続いている。防寒具もこれでは意味をなさないが、傘を差したところで風に飛ばされるだけだ。
そのうちに、村人がミランダを呼びにやってくる。
「エルハルド子爵、少し……ここで待っていてください」
「いや、だが……」
一緒に行くべきだと思ったが、彼女はアレックスの胸を軽く押して、「お願いします」と小さな声で言う。領主の役目があるのだろう。不安に陥っている村人を落ち着かせる必要があるのかもしれない。
「わかった」
これだけ人が大勢いるのだ。役に立ちそうにはないが、警察官もいる。吸血鬼が急に林や湖の中から現れて、飛びかかってくるわけでもないだろう。荒唐無稽すぎる想像だ。
ミランダが村人と共に歩いて行くのを見届けてから、アレックスは湖畔に目をやった。
渡し場がある。小舟が繋がれているが、今にもロープが解けて流されそうだ。
その渡し場の方へと歩いて行く。三段ほどの階段があって、木の足場が湖に突き出していた。
ふと、階段を上がりかけて足を止めたのは、靴の跡が残っていたからだ。それに、何かを引きずったような土のえぐれた跡も。眉を潜めて階段にかけた片足を引っ込める。
靴跡はほとんど雨で流されている。だが、男物の靴のサイズだ。
一際大きな叫び声が聞こえて、人々が集まっている方へと視線を向ける。被害者となった娘の母親だろう。立っていることもできずに、夫らしい男性に支えられいた。
ミランダが立ち上がると、あの警官が肩に手をかけて慰めているように見えた。
なんなんだ、あいつ――。
貴族の令嬢に気安く触れるとは、失礼極まりない。
ムッとして見ていると、村人たちが遺体を担架に乗せて荷車へと移動させていた。
どうやら、終わったらしい。
ミランダはフードを押さえながら、駆け戻ってくる。
「ごめんなさい……終わりました、戻りましょう」
彼女に言われて、「ああ……」と返事をして待っている馬車に向かう。二人とも馬車に乗って扉を閉めようとした時、ロイが走ってやってきた。
まさか、一緒に乗るつもりじゃないだろうなと、アレックスは眉間に皺を寄せる。
「遺体はとりあえず、教会に運ばせる。明日の朝、屋敷まで迎えに行くからな」
ロイはミランダの手を握り、真剣な顔をして言う。
「ロイ、ご家族をお願いね。あの方のお母様はひどく憔悴していらしたから」
「わかってるって……村の婦人たちが今晩は付き添うことになってるから、心配ないだろ。葬儀のこともあるしな……ミランダも気をつけろよ。特に! 今夜は部屋にしっかり施錠しておくこった。あと、メアリーに一緒に寝てもらえ。怪しいやつが忍び込んでくるかもしれないからな。そんなことになったら、火かき棒で殴ってやれよ。運悪くそのクソ野郎が死んだとしても正当防衛だ」
威嚇するような目を向けてくるロイの手を、アレックスは無造作にはね除けた。
「雨が入る。用が済んだらさっさと行ってくれ。扉を閉めたいんだ」
笑顔を作って言うと、ロイはチッと舌打ちして下がる。扉を閉めて倚子に座ると、馬車が動き出す。
「……あいつはなんなんだ?」
「ロイはその……頼りになる人なんです。でも……今日は事件のこともあって、気が立っているのだと思います。失礼は私からもお詫びします。本当にごめんなさいっ!」
「君が謝る必要はないが……親しいのか?」
「あっ……幼なじみなんです」
「幼なじみ……」
なるほど。だから、気安く名前で呼び合っているわけか。不機嫌な顔をして腕を組み、窓の外に目をやる。貴族の令嬢に相応しい相手ではないだろう。ただの領民の一人に過ぎない。だが、彼女にも親しい異性がいたのだなと、複雑な心境になる。
(別にかまわないじゃないか……彼女の自由だ……)
自分が気にするようなことではないと思いつつも、眉間は皺が寄ったままだった。しばらく無言でいたが、彼女の手が震えていることに気付して視線を向ける。
袖と指先が――赤くなっている。
アレックスは体を起こして、パッと彼女の腕をつかんだ。
ミランダがビクッとしてアレックスを怯えたような目をして見る。
「どこか怪我をしたのか?」
「あ……いえ……ち、違うんです。これは!」
ミランダは動揺したように自分の指先を握って隠す。だが、袖口に染みこんだ血まではごまかせない。
手の平や手首を負傷しているようには見えなかった。
「……被害者の血か?」
尋ねると彼女はコクッと頷く。運ぶのを手伝った時に付着したのっだろうか。だが、運んだのは村の男衆だった。彼女はそばについていただけのはずだ。ミランダはアレックスが不審な顔をするのを見て、「ほ、本当になんでもないんです!」と慌てたように言う。
「それならいいが……帰ったら、温かい風呂に入ったほうが良さそうだ。冷えているから」
手の平が冷たかった。雨に打たれていたのだから当然だろう。濡れたままでいれば風邪を引く。
「お気遣いありがとうございます。エルハルド子爵のお部屋にもお風呂の湯を運びますから……今夜はゆっくり休んでください。このようなことがあった後では、そうもいかないかもしれませんが」
エルハルド子爵か――。
あいつは名前で呼んでいたじゃないかと、面白くなさを感じる。
(いや、別に名前で呼んでほしいなんて思っているわけじゃないが……)
そこまで親しくもない。
アレックスは彼女の腕から手を離し、倚子に凭れる。
「私のことはいい……屋敷に使用人が少ないのに……面倒をかけられないだろ」
「大丈夫です。きっとメアリーとジェファーソンがお部屋に用意してくれています」
ミランダはようやくニコッと微笑む。あの老人とおしゃべりのメイドが、そこまで気が回るだろうか。
まあいいと、アレックスは「そうしてもらえると助かるよ」と、素っ気なく答えた。




