第二章 幽霊城 1
図書室のソファーに座り、暇潰しに新聞を読んでいたアレックスは、膝によじ登ってくる白い毛玉に気付いて溜息を吐き、新聞を折りたたむ。雨の中、救済された時よりも毛並みが良くなり、少しばかり体重も増したようだ。目もしっかり開き、体力も回復したのは幸いだったものの、その分好奇心と活動量が増し、メイドやオリバーが目を離した隙に冒険を試み、活動領域を広げようとする。
オリバーやメイドたちはいたくこの白い毛玉がお気に入りで、ちやほやとかまっていたが、使用人にはそれぞれの仕事と持ち場がある。それを放棄して、毛玉と戯れてばかりいれば、執事や家政婦に呼び出されるだろう。となれば、必然的に彼らより暇――なように見える、アレックスが監視の役割を担わなければならない。
もともと、この毛玉をしばらくの間、預かることに決めたのはアレックス自身だ。使用人に任せっきりというわけにもいかないだろう。そんなわけで、こうして毛玉を連れて図書室に籠もっているが、どこかで大人しく丸まっていればいいものを、テーブルの上のカゴを抜け出し、さらにはソファーによじ登ってきて膝にピッタリとくっつこうとする。その上、ズボンを引っ掻き、上着のポケットの中に潜り込もうとまでする。そのたびに、引っ張り出してソファーに座らせようとするが、毛玉は所詮毛玉なのだから、人間の礼儀作法などお構いなしだ。
新聞をテーブルに放り投げ、毛玉を両手で持ち上げる。捕まえられると、ピコピコと脚を動かして甘えたように鳴きだした。解放しろだって? 悪さばかりしておきながら、図々しいぞ。アレックスは眉間に皺を寄せて、「大人しくしないやつは、お仕置きが必要だな」と独り言を漏らして、子猫を少し強く揺すってやる。それでも少しの反省の色は見えず、小さな爪を立てて手を引っ掻こうとしてくる。抵抗するとはいい度胸だ。抱きかかえて、お腹をくすぐってやれば、「ミャーッ」と前脚と後ろ脚をいっぱいに伸ばして仰け反っていた。
ひとしきりかまって満足していると、「んんっ」と咳払いの声が聞こえる。ギクッと扉の方を見れば、いつの間にかティーセットをトレイに載せたオリバーが立っていた。一部始終見られていたのかと思うとばつが悪く、何食わぬ顔で猫をカゴに戻す。脱走できないようにもちろん、フワフワのタオルでしっかりとくるんだ。そうしないとまた歩き回り、悪い遊びを始めるだろう。
「すっかり懐いていますね」
そばにやってきたオリバーは、ティーセットをテーブルに下ろして紅茶をいれる。笑いそうになるのを我慢しているようだが、口角が上がっていた。
「誰にだって懐いているじゃないか。見境なしだ」
「いえいえ、この屋敷で子猫のあやし方を一番心得ているのは、アレックス様ですよ」
紅茶のポットを持ちながら、「クッ」と笑って口元を袖で押さえている。横を向いて肩を揺らす彼を、アレックスに冷たい視線を向けた。
「いい加減、回復もしたんだ。獣医も心配ないと言っていたんだろう。だったら、さっさとホーリー嬢の元に届けさせろ。誰か暇な者に行かせればいい」
脚を組んでカップを受け取って言うと、オリバーは驚きの表情を浮かべる。
「アレックス様が行かれるのではないのですか?」
「は? 私に彼女の領地までわざわざ出向けと? 招待もされていないのにか? 馬鹿を言うな」
「ですが、お約束されていたのではありませんか?」
「私は猫が回復したら届けさせるといったんだ。私自身が届けるなんて一言も言っていない。それに、その必要があるか?」
「……そのような責任重大な役目を引き受けられる使用人はいないかと。向かう途中で子猫に何かあっては困りますから」
「なら、お前が代理で行ってくれ。逃げ出したら、それが運命だったとホーリー嬢も諦めるだろう」
「申し訳ありませんが、それは私の職務ではありませんので」
アレックスは「こいつ……」と、オリバーを軽く睨む。姿勢よく立っているオリバーは、視線を斜め上に向けていた。口元がピクピク動いているところを見ると、面白がっているのだろう。
タオルがもぞもぞと動いている。ようやく顔を出すことに成功した毛玉は案の定、懲りずにカゴを乗り越えようとしていた。そのままではカゴがひっくり返って、弱々しい脚の骨が折れるかもしれない。そう思うと、放置も出来ずに手を伸ばしてつまみ上げた。厄介者めと、顔をしかめて睨んでやったものの効果はなしだ。指を甘噛みて、戯れ付くことをやめない。
あきらめて背もたれに背中を戻し、片手を額にやって、もう片方の手で膝に下ろした猫をくすぐる。子猫は膝の上で転がり、アレックスのズボンを容赦なく毛まみれしていた。
「列車の切符はいつお取りいたしましょうか?」
オリバーが片目を開けてアレックスを見ながら、尋ねてくる。
こうなったら仕方ない。面倒だがさっさと送り届けて、役目を終えるだけだ。
「いつでもいい。その前に、ホーリー嬢に手紙を届けてくれ」
ご令嬢の屋敷に、知らせもなくいきなり押しかけるような無作法はいくらなんでもできない。訪問の許しを得ておかなければならないだろう。オリバーは「かしこまりました」と、一礼する。
子猫を見ると、お腹を出してあざといポーズを取りながらアレックスを誘惑してくる。この毛玉ともお別れかと思うと、少しばかり――つまらなさを感じる。
猫に愛着など覚えたことはないというのに。情が移るというのはこういうことなのだろう。
「面倒事には関わるものじゃないな……」
アレックスは子猫を優しく撫でてやりながら呟いた。




