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第一章 猫と呪われた令嬢 3

 週末、教会に足を運んだアレックスは礼拝堂に入る。扉は開いたままになっていて、祈りにやってきた信者たちが出入りしていた。天井画が描かれた荘厳な礼拝堂だ。正面の祭壇には百合の花が飾られている。聖人の絵が描かれたステンドグラスをすり抜けた光が、並んでいる長椅子に射していた。


 ここに足を運ぶのは三年ぶりだ。少しも変わりはしない。

 中央の通路を進んでいたアレックスは、二列目の長椅子を見て足を止める。

 そこにいつも座って、熱心にお祈りを捧げていた女性の姿を思いのほかはっきりと思い出したからだ。


『教会の二列目の倚子……』

 

 あり得ない。ミランダ・ホーリーが知るはずのないことだ。

 確かめて、何もなければそれですっきりする。足を進め、二列目の倚子まで移動したが、そこには何も残ってはいない。人目につくようなものがあれば、シスターか祈祷にやってきた信者が忘れ物として、事務所に届けていただろう。あれから三年も経つのだ――。


 それでも、もしかするとという気持ちが拭えなくて、倚子の背もたれの裏を確かめ、座面の裏に手を差し入れて探ってみる。その指先に箱のようなものが触れてビクッとした。紙の包みの感触だ。何かで貼り付けられているらしく、慎重に剥がす。ようやく取れたのは、手に収まるほどのラッピングされた小箱だった。それも随分前からここにあったものらしく、リボンには蜘蛛の糸が絡みついていた。

 まさか――。

 

 倚子に腰を掛け、リボンに挟まるメッセージカードを取り出す。これを開くのが少し怖く思えた。

 本当に、これが彼女の残したものなら。

 それを確かめるのも、自分の責任なのだろう。


 封を剥がして、カードを取り出す。

 ドクンッと心臓が跳ねたのは、『親愛なるアレクへ――』と見覚えのある筆跡で書かれていたからだ。


『あなたの心を理解しなかったのは、きっと私のほうだったのね。ごめんなさい。ひどいことを言ったことを謝ります。許してなんて言えないけれど――私の気持ちはこの中に残しておきます。いらなかったら、お兄様にでも押しつけてちょうだい。でも、できればあなたに持っていてもらえると嬉しいです。これが最後だから』

  

 ベーッと舌を出しているびっくり人形のイラストが、サインの横に小さく描かれている。

 リボンを解いて包みを開けると、小箱が入っていた。その蓋を指で押し上げる。

 青いトバーズの石がついた、カフスボタンだった。


 唇を噛みしめて、その蓋を閉じる。強く握った手の中で、包装紙がクシャッと皺になった。

「今さらだろう……っ」

 生きているうちなら、もしかしたら取り返しがつくこともあったかもしれないのに。

 いなくなった後で、その想いを受け取っても――もうどうすることもできない。返せるものもない。

 後悔と、自責の念だけが募り続ける。忘れるなと、呪いを刻むように。


 大切に思っていなかったわけではない。

 愛いしたかった。

 愛せると思った。

 だが、愛し切れなかった。

 愛している振りすらできなかった。

 それが罪だと、君は許さないのだろう。

 だからもう、誰も愛そうとするなと。そんなふうに、誰かを思いやれる人間ではないのだと。

 

(君は私を傲慢だと言った……それは正しい……)

 箱を手の中で包んだまま俯き、自嘲を浮かべる。

 それは変わらないだろう。この先、誰かと義務で結婚したとしても、結局、誰も幸せになどできない。

 そういう人間だ。だから、自分が幸せになる資格もない。

 涙を流すことすら自己欺瞞だ。救いを求めようとするな――。


 どれくらいそのまま座っていたか、わからない。鐘の音に気付いて、立ち上がる。

 ポケットに押し込もうとした箱に、一瞬目をやった。


『……その石を手離さないで……それはきっと……あなたを護ってくれえるから……』

 

 ミランダの声が頭を過る。

 呪いの令嬢かと、目を細める。

 本当にその通りだ――。

 


 教会の近くを歩いていると、「アレックス」と声をかけられる。やってくるのは、花束を手にしたウィリアムだった。

「お前が教会に足を運ぶなんて珍しいな。ついに観念して結婚式でも挙げる気になったのか?」

 からかうように言って、彼はいつものように肘で押してくる。

「……お前と同じで、墓参りに来ただけだ」

 真顔のまま答えると、ウィリアムはフッと笑って教会の向かいの墓地に目をやった。彼が持つ花束も、リネットが好きだった白い百合だ。

「覚えていてくれたのか」

「たまたまだ……」

 本当にたまたまだ。今日が彼女の、リネット・コートルードの命日だと覚えていて、弔いのために訪れたわけではなかった。偶然――いや、呼ばれたのかもしれないなと自分らしくもないことを考える。

「……ありがとうな、アレックス。妹もお前が来てくれたから、きっと喜んでいる」

 肩を叩かれ、無言で眉間に皺を寄せる。

 喜ぶものか――。

 

 冷酷に別れを告げた男の顔なんて、二度と見たくもないと思うだろう。

 三年前の今日だった。泣きながら、『出て行って!』と叫んでいた彼女の声が耳から離れない。

 彼女が冷たい川に寝間着姿のまま浮かんでいるのが見つかったのは、翌朝のことだった。


 ウィリアムは、そのことを一度も責めはしない。友人であることをやめることもなかった。

 彼の妹と交際していたことを知っている者は数少ない。だから、社交界で噂になることも、新聞に載ることもなかった。だが、彼女の死の原因が、自分にあることは逃れられない真実だ。

 貴族の令嬢であったリネットと深い仲になっておきながら、無情にも自分の都合で捨てたも同然なのだから。しかも、親友の妹だったのに。

 ウィリアムは『あいつが選んだことだ……』と割り切るように言ったが、心の中では許してはいないだろう。


(我ながら……ひどい男だな……)

 こんな人間と関わりさえしなければ、リネットはもっといい相手に出会えて、心から愛されて、今も生きて、幸せな日々を送れていただろうに。

 今ですら、彼女に心から愛していたと、偽りなく伝えることができないでいる。

 愛するということが、どういうことなのか――この愚かな心は、分からいままだ。


 冬間近の風が吹き、街路樹の葉が舞う。路地が落ち葉で彩られていた。

「少し待ってろ。俺もあいつに挨拶してくるからさ」

 ウィリアムが花束を肩に担いで道を渡ろうとするので、「ウィリアム」と呼び止める。

「んー? なんだ? 帰るなよ、一緒に飲もうぜ。今日くらい付き合え」

「……リネットに友人はいたよな」

「そりゃ、まあ……あいつは人気があったからな。多かったんじゃないか?」

 なんでそんなことを訊くんだと、ウィリアムは不思議そうな顔をしている。

 男爵家に行った時も、彼女の友人たちが泊まりにきていた。親しかった女性の顔は何人か覚えている。

「ホーリー嬢とも、知り合いだったんだろうか……」

「ミランダ・ホーリーか? それはないだろ。学校が一緒だったわけでもないし、ホーリー嬢は滅多に社交の場に顔を出さなかったんだ」

  

 リネットは生きていれば二十二歳。ミランダとは同年代でもないし、学校も違う。リネットは社交的で王都にいることが多かった。所領にいたミランダと接点があるわけがない。それなら、どうしてリネットの言葉を、彼女が知っているのか。ミランダがプレゼントのありかを知っていたことも、当然ながらありえるはずもなく不自然だ。そのことを、リネットがミランダに話したとも思えない。


 けれど、ミランダの口から聞こえた声は、間違いなくリネットの声だった。

 リネットがミランダに乗り移り、彼女の口を借りて言わせたような――。

 険しい表情でウィリアムを凝視する。自分でもひどく馬鹿馬鹿しいことを考えているのはわかっているが、他にどう考えればいい?

 

「なんだよ? なんで急にホーリー嬢の話なんて持ち出すんだ? まさか……あの子と何かあったのか? 詳しく聞かせろよ!」

「……あるわけがないだろう」

 フイッと顔を背けて歩き出すと、「ああっ、待ってろっていったろ!」とウィリアムが大きな声を上げる。道を渡ると、墓地の中へと入っていく。花を添えたら、すぐに戻ってくるのだろう。

 ふっと息を吐いて、くすんだ空を見上げる。銀杏の葉が、ひらりと落ちてくる。

 誰かにふと、後から抱き締められたような気がして、ハッとして振り返った。


『……今度は、自分の心を……間違えないで……』

 耳を掠めた声は、リネットの声のように思えた。

 幻聴だろうか。それとも、記憶の中の声?


 どうかしている――。

 死者が彷徨い歩いているわけでもない。

 それとも、君はまだ許せなくて、この世に留まり続けているのか。

 いっそ、恨んで殺してくれればいいのに。


 

 ウィリアムと別れて屋敷に戻ったのは夜更けだった。

 部屋に入り、オリバーに上着を預けてソファーに腰を下ろす。灯りが暖炉の上で揺れていた。

 飲み過ぎて疼く頭に手をやり、「子猫はどうしている?」と尋ねた。

 弱った白猫は、オリバーと女中が面倒を見ている。

「薬が効いたようで、よくミルクを飲んでいますよ。連れてきましょうか?」

「いや、生きてるならいい……」

 オリバーがいれてくれた紅茶のカップを受け取り、口に運ぶ。オリバーは一度部屋を出ると、しばらくして戻ってきた。その腕にはカゴを抱えてくる。どうやら、子猫を運んできたのだろう。

 いいと言ったのにと、小さく溜息を吐く。

 気にしているわけではなく、預かっている義務を果たしているだけだ。


「今は寝ています」

 オリバーは身をかがめて、カゴを渡してきた。受け取って少しタオルを退けると、真っ白な猫がうつ伏せで寝ている。手脚がピクピクと動いているのは夢でも見ているのだろう。指で触れてみると、しっかり温かい。連れ帰った時には、今にも死んでしまいそうなほど弱っていて冷たかったのに。心臓の鼓動がトクトクと指先に伝わってくる。

 カップをオリバーに預けて頬杖をつきながら、子猫をそろっと指先で撫でる。やっぱり母親を捜しているのか、指にしがみつこうとする。この子猫は、母猫がすでに死んだことも知らないのだろう。


「かわいいものですね……」

 横からひょいと覗いたオリバーが目尻を下げて微笑む。

「そう思うなら、お前が家に持ち帰って世話をしてくれ」

「いけませんよ。預かるとおっしゃったのはアレックス様なのです。ホーリー嬢との約束ではありませんか。それに私が預かってもしものことがあれば、申し訳が立ちません」

「面倒事を引き受けたくはないのに……」

 ぼやくように言って、息をゆっくりと吐く。暖炉で薪が燃え、部屋の中は快適な暖かさだ。

 酒を飲み過ぎたせいか、眠気に抗えなくなる。


 もう少し子猫の体調が良くなったら、早々に彼女の元に届けさせる。この子猫にとっても、無責任で無慈悲な人間の世話になるより、かわいがってくれる者に面倒を見てもらうがいいに決まっている。

 

 子猫を手の中で包んだまま、目を閉じる。

 その方が、幸せになれるだろう――。


 




 

 

 


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