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第一章 猫と呪われた令嬢 2

 アレックスが風呂に入り、身なりを整えて部屋に戻ると、ミランダ・ホーリーも着替えをして待っていた。泥だらけだった姿も風呂に入ってさっぱりしたようだ。髪はまだ乾ききっていないのか、しっとりと濡れている。泥だらけのあの灰色ドレスは、女中たちが回収したのだろう。変わりに、客人用に用意していた大人しめのラベンダー色のドレスと柔らかい布靴に着替えていた。こうして見れば、神秘的な雰囲気の美人に見える。

 女中が気を利かせて、お菓子とお茶を用意してくれていたようだ。それを飲んでいた彼女は、アレックスが抱えているカゴを見て腰を浮かせる。

「猫……ですか?」

「猫だよ」

 アレックスは「ほら」と、子猫の入ったカゴを彼女に差し出す。フワフワのタオルにくるまった二匹の子猫はくっつくようにして眠っていた。猫の世話をした経験がある使用人が、汚れを拭ってしっかりかわかし、ミルクを飲ませてくれたようだ。一匹は弱っているから、明日にでも獣医に診せる必要があるだろう。一匹は真っ白で、もう一匹は黒と白のまだら模様だった。


 カゴを受け取ってのぞき込んだ彼女は、ホッとした表情でソファーに腰を戻す。

 アレックスも一人がけの倚子に腰を下ろした。女中が新しいお茶を運んできてくれる。

 それを飲みながら、猫の様子をジッと見ているミランダに視線を移した。

「君はどうして猫があそこにいるとわかったんだ? まさか、大広間から見えたわけじゃないだろう」

 ミランダは少しビクッとした様子でアレックスを見ると、すぐに視線を下げた。表情が警戒するように硬くなっているように見えた。

「咎めようというわけじゃない」

 紅茶のカップに視線を戻して言う。


「………み、見えたんです……」

「薔薇園にいる猫がか?」

 母猫は死んでいて、子猫は茂みの中に隠れていた。見え透いた嘘だ。

 だが、ミランダは「見えたんです……」と小声で繰り返すばかりだ。

「それならそれでいいが……どうするつもりだ。見つけたのは君なんだから、君が考えるべきだろう」

「あげませんよっ! この子たちは……お母さん猫さんから、任されたんですから!」

 ミランダはハッとして、カゴを隠すように腕にしっかり抱える。

「譲ってくれなんて言ってないだろう。うちで飼う予定もない。君が飼うなら、それでいい」

 そのほうが、面倒じゃないからなという言葉を心の中だけで呟いて、カップを口に運ぶ。

 ミランダは本当だろうかと、疑うような眼差しを向けてくる。


 半分ほど紅茶を飲み終えたところで、小さく息を吐いて彼女を見た。

「不満があるのか?」

「いいえ、ありません。ありがとうございます。手伝ってくださって……見知らぬ方なのに」

 見知らぬと言われて、思わず咳き込みそうになった。舞踏会の参加者で、自分のことを知らない人間がいるなんて思いもしなかった。もっとも、日頃から社交界に顔を出さない彼女が知らないのも無理はないのかもしれないが。


 窓の外を見れば、もうすっかり嵐の様相だ。他の客人たちはみな、帰ったのだろう。

 屋敷の中も静かで、騒がしい声は聞こえてこない。

「……君は馬車できたのか?」

「え? あ、はい……貸し馬車で……」

「貸し馬車……」

 この王都に邸宅がないのだろう。滞在しているのはホテルだろうか。

 貸し馬車を呼んで送らせることもできるが、この雨だ。すぐに捕まらないかもしれない。

 公爵家の馬車で送っていってもいいのだが――。

 こんな時間では、御者もいい顔をしないだろうなとぼんやり考える。もう、深夜近い。

 

「どうする? どうしても帰るというのなら、送らせるが……明日にするなら部屋を用意させる。この雨では帰るのも大変だろうから」

「もちろん、帰ります! 歩いても帰れるので」

 いや、無理だろう。この雨の中、また濡れるつもりなのか?

「君は平気かもしれないが……その子猫はどうするんだ? また濡れたら、弱るかもしれないぞ」

「それは……そうですね。その通りです……」

 困り顔になったミランダの手が大事そうにカゴの縁を撫でる。


「明日の朝なら雨も止むだろう……部屋に案内させる」

 カップをおいて立ち上がり、彼女を見送るために部屋の扉に向かう。

 彼女も急いで立ち上がると、小走りに後についてきた。

「本当に……どうしてわかったんだ?」

 アレックスは部屋を出て行く彼女に、もう一度尋ねてみる。

「……テラスに……お母さん猫が……信じますか?」

 振り向いたミランダは、漆黒の瞳でジッとアレックスを見つめてきた。

 不安そうな色が少し浮かんでいるように見える。

「テラスに……猫が?」

 だが、あの母猫は死んでから時間が経っているように見えた。足の先が少し黒ずんでいたから。

「いいんです……なんでもありません。忘れてください」

 ミランダは小声で言うと、ギュッと唇を引き結んで小走りに部屋を出る。


「信じる……? なにを?」

 彼女の戯言のような言葉をか?

 だが、庭に出た彼女は、死んでいた母猫と残された子猫を見つけた。

 それは果たして、偶然だろうか。

 呪われた一族の娘。幽霊でも見えるっていうのか。アレックスは「まさかな」と、自分の頭を過るらちもない考えを振り払って笑う。馬鹿みたいな想像だ。この公爵邸もかなり年季が入っているし、領地の城など数百年は経っている。幽霊が出ると噂の部屋などいくらでもあるが、生まれて一度も遭遇したことはなかった。夜中に墓地で肝試しを怒った時も、幽霊の影すら見なかった。 

 そのせいで、幽霊なんて信じていないし、さほど怖いとも思わない。

 死んだら、土に還るだけのことだ。魂の救済など、教会が信者から寄附を募るための方便にすぎない。


 馬鹿馬鹿しいなと、扉を閉める。

 ソファーに戻り残りの紅茶を飲んでいると、オリバーが部屋に引き返してきた。

「ホーリー嬢は、ゲストルームにお泊めいたします」

「ああ、そうしてくれ……そういえば、手を怪我していただろう?」

 先ほど紅茶を飲んでいた時の彼女の手には、包帯が巻かれていた。女中がすでに手当をしたようだ。

「それほど深い傷ではなかったようです。明日、医者を呼びますか?」

「……そこまでは必要ないだろう。擦り傷程度なら。それより、猫の方が心配だ」

「獣医を呼んでおきます」

「ああ……ついでに、馬の健診も頼んでおいてくれ。猫のためだけにご足労願うのも心苦しいからな」

「承知いたしました。ですが……あの……」

「なんだ?」

 言いにくそうに言葉を濁すオリバーを、額に手を当てたままチラッと見る。

「あの方がこの屋敷に滞在されていることを、どなたかにお知らせしなくてもいいものでしょうか? 心配されている方がいらっしゃるのではないかと」

 確かに、普通なら家族に知らせておくのが礼儀だろう。未婚の令嬢を、勝手に泊めたなんてそれこそ醜聞になる。

「彼女は一人で来たんだったな」

「はい、お連れの方はいなかったようです」

「だったら、彼女から特に要望がなければ、そのままでいい」

 お節介なことをする義理もない。嵐の中、帰れなくなった客人を泊めるだけだ。それに、客人も全員帰ったわけではなく、父や母の親しい友人は今夜は泊まっていくだろう。



 翌朝、日が昇るころには雨もすっかり上がり、風も収まったようだった。空はすっきりと晴れている。

 屋敷に出入りしている獣医師が屋敷を訪れたのは、昼前のことだ。メガネをかけた初老の医師は、居間で子猫を健診する。立ち会ったのは、アレックスとミランダだ。彼女はハラハラした様子で結果を待っていた。

「ふむ……一匹は問題なさそうだが、こちらの白い子猫の方はかなり衰弱しています。しばらく薬を飲ませ、安静にしていたほうがいいでしょう」

 獣医師は子猫をカゴに戻して、聴診器を耳から離す。

「ありがとうございました、先生。オリバー、先生を厩舎に案内してくれ」

「畏まりました。先生、ご案内いたします」

 オリバーは獣医師の先生を促し、一緒に部屋を出て行った。

 扉が閉まり、居間にはアレックスとミランダの二人だけとなる。

 外から鳥の声が聞こえてくる。雨の跡がついている窓から光が射していた。


「この子は……連れて帰るのは無理なのでしょうか?」

 ぐったりしている白猫を指で撫でながら、ミランダは不安そうに顔を曇らせる。

 もう一匹の白と黒の模様の猫は、すっかり元気になったのか脚を伸ばして欠伸をしている。


「……君は王都に滞在しているのか?」

「……いえ……今日には戻ろうと思っています。あまり旅費も多く持ち合わせていませんし」

「汽車でも一日以上はかかるんだろう。無理なんじゃないか? 旅の途中で容態が変わっても、すぐに獣医師の元に連れていけるわけではないからな」

「……でも、あの……」

 預かってくれる相手が思いつけずに困っているのだろう。

「君は王都に知り合いはいないのか?」 

 尋ねると、彼女は小さく首を振った。それはそうだろうなと、心の中で溜息を吐く。

「では、私が預かるしかないだろう。屋敷の庭で生まれたんだ……それくらいの責任は果たすさ」

「あの……でも……っ!」

「不満があるのか?」

 ミランダはブンブンと大きく首を横に振り、膝の上でギュッと自分の手を握りめている。

「もう一匹の方は、元気そうだ。君が連れて戻って問題ないんじゃないか?」

「そうします……ですが、その子も元気になったら連れて帰ります! この子は、他に家族がいませんから……ひとりぼっちになってしまったら、かわいそうです」


「君は……」

 誰かの世話になっているのかときこうとしてやめる。そこまで相手の事情に踏み込むことはない。親しい間柄でもないのに。顔を上げたミランダは、中途半端に途切れた言葉の続きをキョトンとした顔で待っている。

「それより……朝、庭師が猫を埋めたそうだ。墓の場所が知りたければ、訊くといい」  

 茂みの中で死んでいた子猫も母猫と一緒に埋めたようだ。庭師も何度か見かけたことがある猫だったらしい。具合が悪そうにしていたが、子どもを産んだことで体力を奪われ衰弱したのだろうと話していた。


「一緒に……行きませんか?」

 袖をつままれて、「私が?」と眉を潜めて彼女を見る。たかが猫だ。一緒に墓参りするほど思い入れはない。だが、彼女がジッと見てくるから、行かないと言うのはひどく薄情に思えた。「わかった……付き合えばいいんだろう。どうせ暇なんだ」と、諦めて立ち上がった。


 一緒に庭に出ると、庭が濡れて光の中で雨粒が輝いていた。地面がぬかるんでいるからすぐに靴が汚れてしまうが、ミランダは気にもせず小走りに薔薇園に向かう。

 薔薇園の手入れと掃除をしていた庭師の老人がやってきて、猫の墓の場所を教えてくれた。見つけた場所のすぐ近くだ。薔薇に囲まれているから、花の季節は綺麗だろう。

 小さな石が墓標代わりに置かれている。ミランダはカゴを抱えたまま、そのそばにしゃがみ込む。また、ドレスの裾が汚れてしまっていた。後で女中が顔をしかめそうだが、今着ているドレスも帰る時には着替えるのだろう。濡れて泥だらけになっていた彼女の灰色のドレスは、女中が洗濯して乾かしてくれているはずだ。


「ほら……もう大丈夫……」

 彼女は墓にカゴを見せるようにしながら、小さな声で呟いていた。

 風が吹き抜け、彼女の黒髪をフワッと揺らす。落ち葉が舞っていた。

「ごめんね……助けられなくて……」

 俯いた彼女の瞳に涙が薄らと浮かぶ。

 他人の家の庭で死んでいた、見知らぬ猫のためになんで泣くんだ――。

 そう思いながら、彼女の後ろ姿を見つめる。

 理解し難いと思う自分は、心が冷たいのだろうか。


 ある女性にそう罵られたことがある。『あなたは人の心を理解しようとしない、傲慢な人よ』と。否定はしなかった。それも事実だろうと思ったからだ。他人の心に気を配るほど、自分は他人に関心がない。誰であれ、大勢の人間のうちの一人に過ぎない。ベッドを共にする相手も、パーティーで顔を合わせるだけのさほど知らない客人も、しょせんは同じ他人だ。


 別れが終わったのか、ミランダは涙を拭って立ち上がる。

「……もういいのか?」

「はい……あの……もう一つ、お願いがあるんです」

「なんだ? ちゃんと面倒くらいみるし、墓の周りの掃除なら庭師がしてくれる」

「子猫をたまに、見せにきてあげてほしいんです。お母さん猫さんが、安心するから」

 つまりは墓に子猫の成長を見せてやれということか。なぜ、そこまでしなければならないんだ。

 亡くなった者には、見えはしないだろうに。ここに魂が宿っているわけではない。

 教会の言うことが真実であるなら、魂はとうに天に召されて永遠の楽園とやらにいっているのだろう。それを真に受けるほど、信心深いわけでもセンチメンタルなわけでもない。


 ミランダは切実な目をして、ジッと見上げている。拒否すれば、がっかりして泣き出すかもしれない。それをあやすのも面倒だった。アレックスは「わかった」と、投げやりに返事をした。

「庭師に頼んでおく……それでいいだろう?」

 ポケットに手を入れて、足の向きを変える。


 駆け寄ってきた彼女は隣に並んでアレックスを見ると、「はい」と小さな声で返事をする。

 こんな些細なことが嬉しかったのか、ほんの少し口元が綻んで柔らかい表情になっていた。

 大広間で佇んでいた彼女は、人形のようだと思ったのに。当然ながら、彼女も人間で喜怒哀楽くらい感じるのだろう。それを露骨に表す人もいれば、静かにその感情を内に秘めている人もいる。それだけのことでしかない。

 

「君は……少し変わっているな。興味深くはあるが」

 前を向いて歩きながらポツリともらす。

「厚かましいことを色々とお願いしてしまったので……申し訳ありません。ご不快だったでしょうか?」

 彼女はオロオロした様子で答えると俯いていた。その腕は緊張気味にカゴを抱え込んでいる。

 白い猫は大人しく眠りについているのに、その兄弟の白と黒のぶち模様の子猫はタオルから顔を覗かせていた。よく動くから、放っておくとカゴから転がり落ちそうだ。

 アレックスは手を伸ばしてカゴに戻してやろうとしたが、子猫は指に戯れ付いてきて離れない。困ったなという顔をしていると、ミランダと目が合った。

 彼女はあっという顔をしてその子猫を優しくつかむと、アレックスの手から離す。

「はい、どうぞ」

 彼女は何を勘違いしたのか、アレックスの手にその猫を渡してきた。

 咄嗟に両手に乗せ、身じろぎするその小さな毛玉を落とさないように慎重に抱みこむ。

「きっと、お母さん猫さんだと思ったんですよ」

「母親なものか……」 

 顔をしかめて答えたが、子猫はアレックスの指を甘噛みして指先を舐めてくる。どうやら、本当に母親だと思っているらしい。まだろくに目も見えていないのだろう。


 カゴにも戻せなくなって、仕方なく子猫を両手で支えたまま薔薇園のアーチ型になった入り口を出る。

 庭師が数人、落ち葉掃除や冬支度をしているところだった。二人が薔薇園から出てきたのを見て、作業の手を止めて物珍しそうな顔をして見ている。余計な噂を立てられなくて、無意識に足取りが速くなっていた。ミランダは歩幅が合わず、小走りに後を追ってくる。


 紳士的ではないなと思いながらも、それを待つ気になれなかった。彼女はただのゲストで、自分はただのホスト。それだけの関わりしかないのに、必要以上の気遣いなど無用だろう。


 屋敷に戻り、彼女を女中に任せてから図書室に籠もっていると、オリバーが扉をノックして入ってくる。一緒にいるのは、舞踏会で着ていた自前の灰色ドレスに着替えたミランダだった。その手には、小さなバスケットを提げている。その恰好だと、慎ましくて厳格な家庭教師のようだ。

 まあ、そのほうが所領に戻る道中、余計な男に絡まれなくていいのかもしれない。


「……帰るのか?」

 本を閉じて尋ねると、ミランダは「はい、色々とお世話になりました。それと、子猫のことをよろしくお願いします」と丁寧にお辞儀をする。

 彼女の提げているバスケットの中には、猫が入っているのだろう。

 もう一匹の、弱まっている白猫は屋敷で預かることになっているから、オリバーに任せてある。


「オリバー、駅舎までお送りして差し上げろ」

「承知いたしました。馬車を回すよう、伝えて参ります」

 オリバーは一礼して、図書室を出て行った。円形になった二階建ての図書室を、ミランダは物珍しそうに見回している。公爵邸の図書室は蔵書も多く、王宮の図書室にも引けを取らない。公爵の自慢のコレクションでもあった。

 

「……子猫はいずれ送り届けさせよう。君が王都に出てくることは、そうないだろう?」

「申し訳ありません……私が所領を管理しているので。あまり屋敷を空けておくわけにはいかないのです」

 父親が失踪して、頼れる親類もいないのであれば、それは仕方ないことだろう。

「君には後見人はいないのか?」

 余計なことだと思いながらも、気になって尋ねる。

「伯母様が……」

 ミランダは言いにくそうに、声を小さくしてそう答えた。

「母方の伯母君か?」

「ええ、そうです……伯母様もお忙しいので、そういつも屋敷に来ていただけるわけではないのです」

「王都に住んでいるのか?」

「いいえ、オーブリーコットにお住まいで……」 

「ディオーク伯爵夫人か……」

 ディオーク伯爵と言えば、かなり有力な貴族の一人だ。その夫人が彼女の母方の親類だったのか。

 ディオーク伯爵家も王都にタウンハウスを所持しているのに、彼女の付き添いを用意することもなく、屋敷に滞在させもしなかったのかと、アレックスは眉根を寄せる。


 彼女の口ぶりからすると、あまり友好な関係ではないのだろう。彼女の一族にまつわる呪いの噂や、母親の不幸な死に方が理由であることは十分に想像がつく。他に後見人となる親類がいないから法律上は引き受けているが、関わるのはお断りというところなのだろう。


「君は……どうして今回の舞踏会に参加する気になったんだ?」

 アレックスが尋ねると、彼女は「えっ?」と困惑した様子で声を漏らした。

「申し訳ありません。ご迷惑だったでしょうか……」

 落ち込んだようにミランダの声が沈む。

「私はあまり人付き合いがうまくなくて……他の皆様に嫌な思いをさせてしまったかもしれません」

 自分が呪われている、不吉な娘と言われていることは承知しているのだろう。

 アレックスはしまったなと、自分の余計な口を後悔した。これではまるで、『何しにやってきたんだ?』と批難しているように思われても仕方ないだろう。

 本をテーブルに置いて立ち上がり、「いや、違うんだ」と言って立ったままの彼女のそばに行く。

「招待したのはこちらだ。君はあまり楽しんでいるようではなかったから。舞踏会があまり好きじゃないのかと思って……君を他のパーティーで見かけたこともなかった。どうして、王都にわざわざ来る気になったのだろうと気になっただけだ」

「……それは……伯母様に……言われて……」

 彼女は俯いて、ますます小さな声になる。顔が長い黒髪に隠れてしまっていた。

「伯母様は私が……早く結婚した方がいいとおっしゃるのです。心配してくださっているのだと思います」

 付き添いも手配しない名ばかりの後見人が、彼女の将来を本気で案じているとは思えない。厄介者と縁を切ってしまいだけだろう。結婚すれば、彼女を保護するのは夫の役目となる。


 ディオーク伯爵夫人もあまり賑やかな場所を好まないのか、王都でのパーティーではあまり見かけない。かわりにディオーク伯爵は好色で有名で、王都の邸宅に愛人を住まわせていると聞いた。その上、娼館にも頻繁に出入りして遊んでいるようだ。そんな伯爵に愛想を尽かしたのか、夫人はほとんど王都に出てこず、実質、別居状態であると聞く。


 未婚の女性が一人で生きていくのは、なかなか難しい。貴族の令嬢ともなれば、やはり体面もある。

 家柄はそれなりによくとも、財産もなく、曰く付きの一族ともなれば縁談も来ない。彼女自身、出会いを積極的に求められるような性格でもなさそうだ。このまま放っておけば、婚期を逃して、それこそどこかの老人の後妻になるしかない。結婚という義務を果たすのも、大変なものだ。

 人ごとではなく、気分が滅入ってくる。


「……必要なら、またいずれ公爵家の招待状を送ろう。うちのパーティーは参加者だけは多からな」

「いいえっ! ありがたいのですが、ご迷惑になってはいけませんから。それに……王都は私には広すぎて……合わないようです」

 そう言って、彼女は困った顔をして微笑む。

 いらないというのであれば、それ以上のお節介も必要ない。

「……玄関まで送ろう」

 御者が玄関ポーチまで馬車を回してくれているだろう。扉を開いて出て行こうとした時、不意に背筋に悪寒が走る。振り返ると、窓も開いていないのにカーテンが揺れていた。


 様子がおかしい――。

 ミランダの顔から表情が消え、今にも抱えているバスケットを落としそうになっていた。咄嗟に手を出してそのバスケットの持ち手をつかむと、俯いていた彼女がゆっくりと視線を上げる。

 

 息を呑んだのは、彼女の瞳がまるでラピスラズリのような深く濃い青色に染まっていたからだ。ミランダの瞳は黒だったのに、光の加減だろうか。まるで夜の空のような色に変わっていた。

「ホーリー……嬢?」

 驚いて呼びかけると、彼女の手がバスケットを支えるアレックスの腕をつかむ。グイッと引き寄せられて、思わず一歩前に出た。女性とは思えないほど強い力だった。


『…………アレク……』

 耳元で囁かれた声に愕然として、体が凍りついたように動かなくなる。その声はミランダのものではない。別の誰かの声だった。そしてその声の主を、はっきりと覚えている。アレクというその呼び方も。

 だが、あり得ないことだ――。

 彼女を突き放そうとするのに、指先すら動かせない。顔がひどく冷たくなっていくのがわかった。

 額に冷や汗が浮かんでくる。


『……レク…………教会の礼拝堂の……二列目……私が……いつも座っていた場所……そこに……隠したの……捜して……あなたに……』

 囁く声が途切れたかと思うと、ミランダの体が急に前に傾く。倒れそうになる彼女を、咄嗟に腕を伸ばして抱きとめた。胸にもたれかかる彼女の口から、静かに息が吐き出される。上着をつかんでいるその指先も膝も震えているようだった。


「……ホーリー嬢?」

 呼びかけると、彼女は瞼をわずかに開いた。

「……その石を手離さないで……それはきっと……あなたを護ってくれえるから……」

 途切れ途切れのか細いその声は、先ほどの声とは違ってミランダのものだった。そのことに、ホッとする。

「どういう意味だ? それに…今のは……」

 眉根を寄せて尋ねようとした時、「アレックス様」と声がする。廊下を歩いてくるのはオリバーだ。

 馬車を玄関ポーチに移動させたため、それを伝えにきたのだろう。

 アレックスはミランダの腕をつかんで寄りかかっていた彼女の体を離す。その瞬間、彼女も我に返ったようだった。「あっ!」と自分の口を手で押さえていた。


「ごめんなさい……私……また……っ」

「また?」

「いえ……おかしなことを申したかもしれません。お許しください」

 アレックスが尋ねると、彼女は大きく首を横に振って俯いてしまった。オリバーは怪訝そうな顔をして、アレックスとミランダを交互に見る。

 問い詰めるわけにもいかず、バスケットをオリバーに渡して彼女と向き合う。

「では、ホーリー嬢。お気をつけてお帰りください」

「は……はい……ありがとうございました。エルハルド子爵様……」 

 彼女もよろよろしながら、スカートをつまんでお辞儀する。

 オリバーに伴われて歩いて行く彼女の後ろ姿を、図書室の扉の前で見送った。


 あの声。あれは――。 

 開いた手の平がびっしょりと汗で濡れていた。

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