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終章 1

「お嬢さま~~っ、ご無事でよかったですっ!!」

 屋敷にメアリーが戻ってきたのは、夜の十時過ぎだった。レインコートのフードを脱いだ彼女は、エントランスに入ってくるなり、ミランダの姿を見つけてすぐに駆け寄る。涙ぐんでいるメアリーを、ミランダは「ごめんなさい、心配かけてしまって」と抱き締めていた。

  

 玄関扉を開いたジェファーソンが、メアリーに続いて入ってきた客人二人から、帽子とコートを預かっている。そのうちの一人は、アレックスもよく知る相手だ。

「こんなところまで呼びつけるとは……今日ほどお前と知り合ったことを後悔しそうになったことはないぞ」

 顔をしかめて不満を漏らしたのは、医師のクラウス・エンデバーだ。


「知り合いとは冷たいな。そこは素直に友人と言ったらどうだ?」

 アレックスは笑みを浮かべて彼を出迎える。アレックスの襟が血で汚れていることに気付いたクラウスは、ますます眉根を寄せていた。

「負傷したのか?」

「大したことはないよ。銃弾が掠めたんだ。耳に当たらなかったのは幸いだったな」

 応急処置はミランダがしてくれたため、ガーゼを当てている。縫うほどの傷ではない。

「それだけ元気なら、私が治療するほどでもなさそうだ」

「そう言うなよ。君が来てくれると信じて待っていたんだから。せめて、痛み止めくらいは処方してほしいものだな」


「必要ない。我慢しろ」

 素っ気なく答えてから、クラウスは隣に立つ青年をアレックスに紹介する。二十代後半の、くせ毛の青年である。

「こちら、レイモンド・ノールズ警部だ」

 紹介を受けたレイモンドが進み出て、人の良さそうな笑顔で握手を求めてきた。

「初めまして、エルハルト子爵。僕のことは気軽にレイモンドと呼んでくださいっ! それにしても、吸血鬼事件なんてびっくりしましたよ。その上、来てみればもう犯人が捕まっているというじゃありませんか。あっ、逮捕に尽力してくださり、感謝いたします」

「ああ、こちらこそ……」

 アレックスが握手すると、レイモンドはその手を両手でつかんでブンブンと振る。

「犯人は明日、移送する手はずとなっております。ああ、そうだ。現場保全と、証拠収集のために警察官が屋敷内に立ち入ることを許可していただきたいのですが」

 レイモンドから手を離したアレックスは、「それは屋敷の主にきいてくれ」とミランダを見る。

「これは、ご挨拶が遅れて大変失礼いたしました。今回の事件を担当することになりました、レイモンド・ノールズと申します。ホーリー伯爵」

 進み出たレイモンドは、ミランダの手を取ると礼儀正しく挨拶をする。

「こちらこそ、よろしくお願いします。もちろん、屋敷内に立ち入ることはかまいません」

「ご協力、ありがとうございます。調書を取るため、明日には改めて皆様からお話を聞くことになるかと思いますが、そちらもご協力お願いいたします。それと……犯人は今、どちらに?」

「村の者が教会に連行したところだ。見張りはいるので、逃げられることはないだろう」

 アレックスが答えると、レイモンドは「では、教会にも何名か警官を配置しておきましょう」と手帳を取り出して書き込む。そのページを破ると、玄関ポーチで待機していた警官を呼んで渡していた。

「では、私も今夜は教会の方に泊めてもらうとしましょう」

「よろしいのですか? 当家にお泊まりいただいてもかまわないのですが……」

「いえいえ、事情徴収もありますから。では、今夜のところは失礼いたします」

 帽子をジェファーソンから受け取ると、レイモンドは挨拶をして屋敷を出て行く。明日また、訪れるつもりなのだろう。


「大丈夫なのか?」

 アレックスはやや心配げな顔でクラウスに尋ねる。人は良さそうだが、今ひとつ頼りない。

「あれでも、有能な若手エリートだそうだ」

 とてもそうには見えない。だが、犯人は捕らえているのだし、後は王都に移送して取り調べを行うだけだ。よほどの間抜けでなければ、逃げられることもないだろう。逃げられたとしても、それは警察の失態であり、アレックスやミランダの責任ではない。後は任せておくだけだ。


 アレックスとクラウスは、ジェファーソンに案内されて客間に移動した。アレックスが耳の怪我をクラウスに治療してもらっている間に、メアリーがお茶と軽食を運んできてくれる。キッシュとパウンドケーキだった。

「今回の事件は、王都でも噂になるだろうな……」

 化膿止めの塗り薬が傷口に染みて、アレックスは顔をしかめる。横に座って治療するクラウスが、ガーゼを当ててテープを貼る。病院で患者を診る時とは違い、ぞんざいな手つきだ。

「当然だろうな。明日には記者が詰めかけてくるんじゃないか?」

 こんな田舎で起こった事件でも、噂が広まるのは早い。おそらく、明日の朝刊には載るだろう。

 吸血鬼に見せかけた連続殺人事件など、いかにも大衆が好きそうなゴシップだ。社交界でも、当然話題になろうだろう。ミランダはただでさえ、呪われた令嬢などと囁かれているのだ。領地でこのような事件が起これば、何を言われるかわかったものではない。


「いっそ、吸血鬼の村として観光にでも役立てたほうがよさそうだ」

 アレックスは溜息交じりに言って、お茶のカップに手を伸ばした。

「例の飴だが、警察のほうで成分を調べるそうだ」

 ふと思い出したようにクラウスが言う。メアリーに渡した飴のことだ。

「そうか……睡眠薬か何かだろうか?」

「いや、違うだろうな。分析してみないことにははっきりとはわからないが……症状からして、幻覚作用がある薬草の一種だろう」

「幻覚作用……」

 だとしたら、ミランダが見たと言っていた死んだ母猫の亡霊も、幻覚だったのだろうか。

 だが、それだけでは説明が付かないこともある。母猫の亡霊が現れなければ、子猫の亡骸を見つけることはできなかったのだから。

 お茶を一口飲んで考え込んでいると、客間の扉がノックされる。ミランダが入ってくると、その足元をすり抜けるように子猫がアレックスに駆け寄ってきた。そしてピョンと膝の上に乗る。

「エンデバー様、お泊まりになるお部屋のご用意ができました」

「これは、ありがとうございます。ホーリー伯爵」

 立ち上がったクライスが一礼する。


「アレックス様のお怪我の具合はいかがですか?」

「君の手当のほうが、ずっとマシだった」

 アレックスはお茶を啜りながら、皮肉を込めて答える。

「ただのかすり傷だろう。治療費は王都に戻ってから請求するからな。ついでに、ここまでの出張費もだ。おかげで、明日は医院を休みにする羽目になったんだぞ」

「こんな杜撰な手当で料金を取るとはぼったくり医院だな。ミランダの手当の方が百倍マシだった」

「ただのかすり傷で大げさなんだ。お前は」

 呆れた顔をして椅子に腰を戻したクラウスを、アレックスが横目で睨んだ。

「撃たれたんだぞ。痛いに決まっているじゃないか」

「それくらい避けられない方が悪いんだ」

「どこのスパイだ」

 言い合いをしていると、目を丸くしていたミランダがフッと笑う。

「お二人は仲がよいのですね」

「冗談じゃない」

「ああ、ただの腐れ縁だ」

 アレックスとクラウスは二人して不機嫌な顔を作る。


「ミランダ、君は大丈夫か?」

「私は……はい。大丈夫です」

 笑みを浮かべてはいるけれど、ミランダの顔色はあまりよくはない。昨晩から色々なことが起こりすぎたのだ。疲れていないはずはない。ロイのことも、子猫のことも、きっと心を痛めているだろう。

 隣の椅子に腰掛けたミランダの額に手を伸ばす。ピタッと額に手を当てると、彼女はびっくりしたように目を見開いて緊張していた。

「熱は……ないか」

「風邪でもないのに、熱が出るか」

 フンッと鼻で笑うクラウスを、「うるさい」と睨む。

「お気遣い、ありがとうございます……でも、平気です。きっと今夜はあまり眠れそうにありませんから」

「睡眠薬が必要なら処方しますよ」

 クラウスが言うと、ミランダは「ありがとうございます」と弱く微笑んだ。


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