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第二章 幽霊城 19

 ミランダを寝室に運んでベッドに寝かせると、ジェファーソンに寝間着の替えを用意してもらう。彼女の寝間着には、襟から胸元にかけて血で染まっている。このままの格好というわけにもいかないだろう。呼吸はある。脈もある。ただ、体温が著しく低い――。彼女の冷えている手を握り締めて、アレックスは眉根を寄せる。まるで死人のような。その考えを頭から振り払った。

(息をする死体などあるものか……)


「アレックス様、お嬢さまの着替えをお持ちしました。ですが、メアリーの姿が見当たらないのです」

 彼女の寝間着を腕にかけたジェファーソンが衣装部屋から出てきて当惑の色を浮かべる。

「ああ、いい……わかっている。彼女は今、屋敷を出ている。勝手だが、私が用を頼んだ。早ければ、今晩には戻ると思うが……明日の朝になるかもな」

「そうだったのですか……承知いたしました」

 ジェファーソンはそれだけで、アレックスが彼女に何を頼んだのか察したようだ。

 ただ、そうなると問題になるのは彼女の着替えをどうするかだ。「ミランダ、起きてくれ」と、頬を軽く叩きながら呼びかけるが反応はない。


 本人が目覚めればこの問題は解決するが、それはあまり見込みがないように思えた。本来なら早急に医師を呼ぶべきだろう。だが、この近辺に住む医者といえば、事件の検死と死亡確認を行った、エルトンという医師くらいだ。ろくに調べもしていなかったところを見ると、信用できない。診察にかこつけて、何をされるかわかったものではないだろう。一連の殺人事件に関与していないという証拠も、現段階ではないのだ。


 それに、今はミランダが見付かったことを伏せておきたかった。今度こそ――奇怪な事件を起こす、吸血鬼モドキの猟奇殺人者の正体を暴いて捕らえる。そうしなければ、これからも事件は起こり続け、その真相も解明されることはなく、被害者が出る。それは領主であるミランダに領民の憎悪が向けられ続けるということだ。


 彼女に、もう二度と――死体に杭を打たせ、その手を血に染めさせるようなことなどしたくはない。直接、殺したわけではない。それは村に続く忌々しい因習であり、業だ。その儀式を行うことで、領民はかりそめの心の平安を得ていたのかもしれないが、根本を絶たなければ何も解決しない。そんな業を彼女が背負うことはない。彼女はきっと、自分が手を下したわけでなくとも、己がその手で杭を打ち込んだ被害者の顔を死ぬまで忘れはしないだろう。


 馬車の中で、震える手を握り締めていた彼女の、青ざめた顔を思い出す。

 本当に腹が立つと、アレックスは唇を噛んだ。何が吸血鬼だと、吐き捨てたくなる。エドナという女が本当に吸血鬼だったのかどうかは、もはや確かめようもないだろう。あの棺桶の中の遺骸を調べれば、尖った歯の痕跡くらいは発見できるかもしれないが、少なくとも不老不死の怪物ではなかったのは確かだ。もしそうなら、骨にはなっていなかったのだろう。腐らぬ体のまま、あそこに横たわっていたはずだ。もしくは、灰にでもなっていたか――。


 それも、すべて伝承。言い伝えの産物。本当の吸血鬼など、誰も知らない。見たこともない。ただ、そういうものだと、聞き伝えられているだけ。ミランダがこの地の領民に怖れられているのも、エドナというその女性と似ているからという理由だった。

 血を引いていれば、似ることもあるだろうと、アレックスはため息を吐く。公爵家の歴代当主の肖像画を見ても、よく似ている者などいくらでもいる。その程度のことだ。アレックス自身、先々先代くらいの当主の顔立ちに似ていると、親族に言われたりもする。その当主など、酒好き、ギャンブル好き、女好きと頗る評判が悪かった男だ。似ていると言われても、少しも喜べない。


「まったく、馬鹿げているよ……」

 思わず吐き捨てると、「まったくですな」とジェファーソンも呟いていた。彼の険しい顔を見て、フッと笑う。まったく察しのいい有能な執事だ。

「君が着替えをさせてくれ。私がやるよりはいいだろう」

「いえ、しかし……」

「君は彼女の身内のようなものだ。目が覚めた時、着替えさせたと言っても彼女は怒りはしないさ」

 ジェファーソンの肩を叩いて、「私は隣の部屋にいる」と告げる。寝室に二人を残して、アレックスは扉に向かった。その間に、調べたいことがある。


 隣の部屋に移動すると、彼女の書斎机に向かった。そこには、彼女が読みかけていた屋敷の執事の日誌が置いてある。執事は几帳面な性格だったらしく、日付と月の満ち欠けもしっかり記録していた。

(切り取られているのは朔月の日か……)

 となれば、その日に領地で何か起こったと考えるべきだろう。だが、他の朔の日のページはそのままだ。そのページの日だけ、例外的な何かが起こったのか。あるいは、被害者が多かったのか。アレックスは思案しながら、ページの破れ目を指でなぞる。引きちぎったような破れ方は、ミランダがやったとは思えない。そもそも、彼女ならページを破り取る必要はない。次のページまで、皺が寄っていた。日誌を見つけた時には破れ目はなかったはずだ。あれば、ミランダも自分も気付いていただろう。

 

 全ての記録に目を通したわけではない。そのページになにが書かれていたのか、ミランダならあるいは読んでいたのかもしれないが。

(彼女が目を覚まさないことにはな……)

 アレックスは日誌から顔を上げる。「ミャーッ」と猫の鳴き声が聞こえたからだ。


 いつの間に部屋に入り込んでいたのか。白い子猫が絨毯の上をトコトコと歩いてくる。「そういえば、この屋敷に来てから餌をやっていなかったな……」と、思い出して額を押さえた。それどころではなく、すっかり忘れていた。日誌を置いて立ち上がり、猫の所まで行くと、身をかがめて片手ですくい上げるようにその毛玉を抱える。


 ジタバタと暴れていた子猫は、アレックスを丸い瞳で見上げて、餌を忘れるというミスを犯した主人を詰るようにしつこく鳴いていた。

「いや、主人じゃないぞ……これはミランダの猫だ」

 すっかり、自分の飼い猫のような気がしていたが、猫を面倒見る義務があるのはミランダだ。とはいえ、彼女が目を覚まさない以上、猫の世話は引き続き自分が行う意外にない。メイドのメアリーも、アレックスの用事で留守にしているのだから。カリカリと手に爪を立てられて、「わかった、わかったからもうちょっと大人しくしていてくれ」と顔をしかめる。見れば薄ら、かなぐられた痕がついている。まったく、こんな小さななりをしていても、立派な猛獣だ。


「猫を飼おうと思うやつの気が知れない」

 そうぼやいていると、ジェファーソンが寝室から出てくる。腕には、汚れた寝間着を抱えているから、終わったのだろう。

「彼女はまだ、目を覚まさないか?」

 猫を抱えて尋ねると、ジェファーソンは首を横に振る。

「眠っておられます……容態に変化はないようですが」

 やはり、医師を呼ぶべきだと考えているのだろう。その判断に、アレックス自身も迷っていた。毒を盛られたという可能性も考慮しなければならない。だが、呼吸も脈も、今のところ安定しているように見られた。急変するような様子はない。

「もう少し、様子を見る。どのみち、早ければ夜か……遅くとも明日の朝には信頼できる医師が来る」 

「医師をお呼びになっていたのですか?」

「想定していたのは別のことだがな……」

「承知いたしました。では、白湯かなにかお持ちいたします。アレックス様も、何かお召し上がりになった方がよろしいでしょう。お茶をご用意いたします」

「それなら、ミルクも頼めるか?」

「ミルク……でございますか?」

 ジェファーソンに、「こいつの餌を忘れていたんだ」と抱いている子猫を見せる。

「ああ、なるほど……承知いたしました。すぐにご用意いたします」

 ジェファーソンが皺の顔に笑みを浮かべ、頭を下げた。出て行こうとする彼を、「ジェファーソン」と呼び止める。


「こいつの兄弟が見当たらないんだが……どこに隠れているかわかるか?」

 白い子猫の兄弟猫は、この屋敷でミランダが面倒を見ている。だが、屋敷に到着してから、まだ一度も見ていない。それが気になった。騒ぎの間に外に抜け出したのかもしれない。だとしたら、この雨だ。濡れて震えているはずだ。屋敷のどこかに隠れているのだとしたら、腹を空かせて出てくるまで見つけられないだろう。この屋敷は猫が隠れる場所には事欠かない。


「いいえ、私も捜しているのですが……今朝から見かけないのです。昨晩は、ミランダ様と一緒に寝ていらしたはずなのですが」

「気になるな……」 

 彼女の寝間着の胸元の血のことだ。彼女の肌には傷がなかった。だとしたら、あれは何の血だったのか。嫌な予感に、顔をしかめる。だが、それを口にするのははばかられて、「とにかく捜してくれ」と頼んでおいた。


 ジェファーソンが部屋を出た後、アレックスは寝室に向かう。部屋に入ると、妙に静かだった。聞こえてくるのは止まない雨音だけだ。時々、稲光が走っているのが、カーテンの隙間から見えた。昼を過ぎているが、天気が荒れているせいで室内が薄暗い。冷えないように、暖炉では炎が揺らめいていた。


 子猫はアレックスの腕から抜け出すと、ベッドにピョンと飛び移る。「あっ、こら」と小声で注意したが、子猫はチラッと視線を向けただけで無視し、眠っているミランダの顔のそばで丸まっていた。子猫なりに、飼い主を心配しているのか。

(そうだったな……お前を助けたのは、ミランダだ)


 そのことを、ちゃんとわきまえているのだろう。アレックスはそばの鏡台の椅子を寝台のそばに移動させて腰を下ろす。眠っている彼女の顔は、苦しそうには見えなかった。ただ静かに、眠っている。手を伸ばして頬に触れると、相変わらず冷たい。頬に当てていた手をゆっくりと滑らせると、親指が彼女のぷっくりとした唇の端に触れる。無意識に彼女の唇を指先でそっと撫でた。ほんの少しだけその唇をフニュッと押すと、綺麗に並んだ白い歯が覗く。

「なにやっている……」

 と、自分に呆れて呟き、ため息を漏らした。鋭く尖った八重歯が生えているわけでもない。

 そんなアレックスを、子猫は眠そうに片目を開けて見ていた。だが、すぐに興味が失せたのか目を閉じる。


 吸血鬼は夜な夜な棺桶の中から這い出してきて、生き血を求めて村を彷徨い、人を襲う。

 なんていう荒唐無稽な伝承を、信じているわけではもちろんないけれど。この肌の冷たさは、まるで棺桶で眠る吸血鬼のようだと思わずにはいられなかった。彼女が昨晩、屋敷を抜け出して生き血を啜り、戻ってきて棺桶の中で眠っていた、なんてことはあるはずがない。だが、あの姿を見たのが、もし村の者だったとしたら――。


 おそらく、騒ぎになっていただろう。彼女は本当に吸血鬼だったと、信じる者も多くいたはずだ。

(まさか、そのため……なのか?)

 不意に思い至って、ジッとミランダを見つめる。もし、そのことが知られれば、近隣の村の者たちはどうするだろう。それは、あまり想像したくないことだった。

 

 吸血鬼だと断定されれば、二度と復活しないように首を刎ね、心臓に杭を打ち込む。それが、正しい対処の仕方だと村の連中は信じて違わない。たとえ、それが事実ではなくとも、恐れがあるというだけで、パニックに襲われた人間たちは、疑いのある者を躊躇なく殺すだろう。魔女狩りと同じだ。


 暖炉の炎が揺らめくのを見ていたアレックスは、不意に立ち上がった。暖炉まで移動し、かけてあった火かき棒をつかんで灰につっこむ。燃えていた薪が崩れ、パチッと火花が散った。

 薪を置くに押しやり、灰をできるだけ手前に寄せる。その灰をかきわけると、思っていた通り、焼け焦げた痕のある紙の切れ端が出てきた。昨晩から暖炉の火は燃えていたはずだ。

  

 破ったページに都合が悪いことが書かれていて、証拠隠滅したかったのであれば、その場で燃えている暖炉に放り込むのが最も効率がいい。灰の中から拾ったその切れ端は、肝心の部分がほとんど燃えてしまっている。ただ、幾枚かの切れ端が残っていた。残されているのはわずかな文字だけ。ただ、一カ所、意味のある単語が目に入る。それを、クシャッと手の中で握り潰した。


「ん……」

 小さな声が聞こえて振り返ると、ミランダがゆっくりと目を開いたところだった。

「ミランダ!」 

 ホッとするような声が思わず漏れた。ベッドに戻ると、彼女のまだぼんやりとしている瞳がゆっくりとアレックスに向く。白い子猫もすぐに体を起こし、鳴きながらミランダの頬に顔を擦り付けていた。それがくすぐったかったのか、彼女の色が薄くなった唇に笑みがこぼれる。


「気が付いたか……よかった」

 彼女の顔を覗き込み、その額に手を伸ばす。ピタッと当てると、わずかに体温が戻っていた。顔の血色も先ほどよりよく思える。アレックスの手の温もりが心地良かったのか、ミランダはほっと息を吐いて目を閉じていた。それからすぐに、目を開いて起き上がろうとする。

「ア、アレックス様……っ!」

「寝ていろ。すぐにジェファーソンが白湯を持ってくる」

 彼女の肩を押さえて寝かせると、彼女はうろたえたようにギュッと上掛けをつかんでいた。

「あの、どうしてアレックス様が?? 王都に戻られたはずなのに……」

「君の顔を見たくて、戻ってきたんだ」

 平然とした顔をして答えると、ミランダは大きく目を見開く。その頬が見る間に赤くなっていた。

 びっくりしすぎて、反応できないようだった。アレックスは口許に手をやってクッと笑う。

「冗談だ」

「そ、そうですか……それは……えっと……ちょっと、残念です」

 上掛けを顔までかぶって、彼女は消え入りそうな声で言う。まさか、そんなふうに返されるとは思っていなかったアレックスの方が、今度は固まってしまった。

(それは、どういう……意味だ? なにが残念なんだ……?)

 

「お嬢さま、お目覚めで!」

 喜びを押し隠せない様子で、ジェファーソンがタイミング良く寝室に入ってきた。

 その手にはカップやミルクの皿をのせたトレイを持っている。

「ジェファーソン、何があったの? あの……私……よくわからなくて……」

 ようやく起き上がったミランダは、困惑した様子で尋ねる。アレックスはジェファーソンの持っているトレイから白湯のカップを取ると、ベッドの端に腰掛けて彼女に渡す。

 ミランダは「ありがとうございます」と、恥ずかしそうな顔をしながらお礼を言ってカップを受け取る。なにせ、ここは寝室で彼女は薄い寝間着だ。普通なら、恋人でもなく、婚約者でもない男に見せるような格好ではない。それはアレックスも承知しているし、礼儀正しい紳士であればすぐさまこの場を立ち去るべきだともわかっている。

 

 だが、今はそのような気遣いをしている場合ではない。たとえ、この場にアレックスがいたとして、それが噂として広まることもない。この屋敷にはいま、この三人しかないのだから。だから、アレックスは今はとりあえず、礼儀や作法というやつを忘れることにした。


「君は……昨晩のことをどれくらい覚えている?」

 アレックスが尋ねると、白湯をちびちびと飲んでいたミランダが「え?」と不安げな顔を上げる。

「昨晩……?」

「ああ、昨日の夜、なにがあったのか覚えているか?」

「あっ……ええ……はい。寝間着に着替えて、ハーブのお茶を飲んで……ベッドに入りました。少しの間、あの日誌を読んでいたんです……でも、部屋の扉が開いていて、いつの間にか猫が出て行ってしまったものですから、急いで後を追いかけて……あっ……」

 不意に何か思い出したのか、急に震えだしたミランダはその手で口許を押さえる。その肩に、アレックスは腕を回して引き寄せていた。

「何があったのか、ゆっくりでいいから話してくれ」

 落ち着いた声で言うと、彼女はアレックスの胸に寄りかかるようにして頷いた。その目頭にじわっと涙が浮かんでいる。

「猫が……死んでたんです……」

 か細いその声も、震えていた。アレックスは眉間に皺を寄せて、ジェファーソンと顔を見合わせる。

「それも……切られてました……首を……」

 両手で口を覆って、彼女はしゃくりを漏らす。ポタポタと寝間着に涙が落ちていた。

「場所は?」

「使われていない……西棟です……」

「西棟? 君はそこまで行ったのか?」

「はい……あの……アレックス様、覚えていますか? 子猫たちの母親を見つけた時……」

 ミランダはグイッとアレックスを押すと、涙を拭う。

「ああ、覚えている」

 最初にミランダと出会った日のことだ。あの子猫たちの母親は、他でもなく公爵邸の庭で息絶えていた。それを、ミランダが見つけて子猫を保護したのだ。その場にアレックスもいた。


「あの日の母親猫さんが……いたんです……」

 驚くことに、彼女はそう口にした。信じてもらえないかもしれないと思っているのだろう。表情が強ばっていた。

「廊下のまん中に座って、私を見ると小さく鳴いていました……それから、こっちだよって言うみたいに……私を振り返りながら、西棟に続く廊下を歩いて行くから、私……嫌な予感がして……後を追ったんです……そうしたら……子猫が血まみれで……」

 ミランダはその子猫をそのままにしておけず、抱え上げて廊下を引き返したという。寝間着に付着していた血は子猫のものだったのだろう。

「その後のことは?」

 アレックスが訪ねると、ミランダはしばらく考えてから首を横に振る。

「わからないんです……部屋に戻ろうとしたことは覚えているんですけど……」

 途中から記憶が途切れてしまっているようだ。誰かの姿を見たわけでもなく、襲われた記憶もないという。目が覚ると、ベッドの中でアレックスが部屋にいた――ということらしい。

 肝心な部分の記憶が綺麗さっぱり消えている。


「あれは夢……だったのでしょうか……私、時折わからなくなるから……アレックス様、私の猫は……っ!」

 縋るように、彼女の細い手がアレックスの腕をつかんだ。夢であってほしいと祈るように、彼女の濡れた瞳が見つめてくる。アレックスはその手に自分の手を重ねて、目を伏せた。

「残念だが……夢ではないだろうな。君の猫の行方はわからない……ただ、君の話を裏付ける証拠ならある。君の着ていた寝間着に、血が付着していた……」

 その言葉に、ミランダの瞳が暗く陰る。「ああ……」と、小さな声がその震える唇から漏れていた。

 彼女自身、夢ではないとわかっていたのだろう。ただ、希望に縋りたかっただけだ。それでも、嘘偽りを口にしたところで、猫が生き返りはしない。猫は見付かっていない。彼女の証言と、血の量からしても生きているとも思えなかった。


 冷たいようだが、あの血が――ミランダ自身のものではなく、猫のものであったことに、アレックスは安堵していた。猫を殺したのは、亡霊ではない。明らかに生きている何者かだ。屋敷に入り込んでいて、猫を連れ出し、殺した――。


 つまり、その犯人はミランダを同じように殺すこともできたということだ。彼女を連れ去り、あの棺桶の中に隠したのだから。彼女が無事だったのは、犯人がそうしなかったから。運が悪ければ、棺桶の中で見付かっていたのは、猫と同じく首を切られた彼女の遺体だったはずだ。


 怒りが込み上げてきて、彼女の手に添えた自分の手に力が入る。

「ミランダ……落ち着いて聞いてくれ。私がこの屋敷を訪れた時、君は行方不明になっていた。ジェファーソンやメアリーが必死になって捜していたんだ」

 アレックスが真っ直ぐ彼女を見て伝えると、ミランダは驚いたように息を呑む。

「私とジェファーソンが、君を見つけた……君は、ワイン蔵の奥に隠されていた部屋の中にいた……それも、棺桶の中に入れられてた」

「ワイン蔵の奥……? そんな部屋……」

 ミランダも、当然そんな隠し部屋があるなど知らなかったのだろう。ジェファーソンの顔を見る。彼は肯定するように頷いていた。

「棺桶……があったのですか? その部屋に……」

 状況がまったくわからないのだろう。聞いたところで、俄には信じられないはずだ。


「ああ。猫の血を辿っていて、その部屋を見つけた。そうでなければ、君を見つけることはできなかっただろうな……」

 今もあの棺桶の中で眠らされていたはずだ。おそらく――犯人が戻ってくるまで。

 あの子猫のおかげで、見つけられたようなものだ。


「なぜ、そんなところに……?」

「君を吸血鬼にしたてたかったんだろう」 

 それは憶測の域を出ないが、状況から考えて他に考えられない。

「吸血鬼……どうしてでしょう……私、吸血鬼ではありません。それだけは本当です」

 ミランダは「本当なんです」と、怯えたように繰り返す。

「だからだろう?」

 アレックスに、彼女が頼りなげに揺れる瞳を向ける。


「どういうこと……なんでしょう?」

「君に吸血鬼でいてもらわなければ困る……何者かがいるということだ」

 その説明だけでは不足しているのだろう。ミランダは理解できないように、考え込んでいる。

「そういうわけで、君にはしばらくこのまま隠れていてもらいたい。幸い、君が見付かったことを知っているのは私とジェファーソンだけだ」

「あの、メアリーは……?」

「彼女は屋敷にはいない。私が使いを頼んだ。いずれ戻るだろう」

「私は……隠れていればよいのですか?」

「ああ、そうだ。そうだな……この部屋は捜索される可能性がある。どこか都合のいい部屋はないか? 一晩だけでいい」    

 振り返ってジェファーソンに尋ねる。犯人はミランダにまだ死んでもらっては困るのだ。だから、生かしたまま棺桶に入れた。となれば、動くのは今夜――あまり時間をおけば、棺桶の中のミランダが本当に衰弱して死ぬ可能性があるからだ。


「それでしたら、メアリーの部屋などはどうでしょうか?」

 メアリーの部屋は、使用人棟の二階にあるという。確かに、そこならば捜索されにくい。足音や人の気配がしたところで、メアリーが伏せって寝込んでいるということにすればいいだろう。

「あの、アレックス様……? 私が隠れている間、どうされるおつもりですか? もしかして、危ないことを考えているのでは……」

 メアリーがアレックスの手を逆にギュッとつかんできた。その真剣な目がダメですよと訴えている。

「犯人は君はまだ、棺桶の中にいると思ってる。おそらく……それを暴きにきたいんだ。今夜当たりな。そこを取り押さえるよ。心配ない……ジェファーソンがいる」

 そうだろうと、アレックスはジェファーソンに目配せする。彼はコホンと咳払いすると、姿勢を正した。

「もちろんでございます。お嬢さまをお守りするためならば、老骨といえどもお役に立ってみせましょう」

「ジェファーソン……あなたも無理はダメですよ! 腰が痛いといつも言っているではありませんか」

「なんのこれしき。大したことはございません」

「いいえ、ダメです。あなたに寝込まれては、私が困るのですから」

 ミランダはブンブンと首を横に振る。


「だが、このままでは連続殺人を伸ばしにすることになるんだ。今、捕まえなければ、そいつは幾度でも君を殺そうとするだろう。狙いは……多分、最初から君だったんだ……」

 今まで起きた領地での吸血鬼に見せかけた殺人事件も――。

 アレックスは深刻な顔で口を噤む。

 それを、言葉にすれば彼女の心の傷を深くするだけだ。


 ミランダは俯いてしばらく考えていたが、「わかりました」と覚悟を決めたようにはっきりと答えた。

「アレックス様にまたご迷惑をおかけしてしまうことになって……ごめんなさい。絶対、無事でいてくただい。絶対に……」

 アレックスの手を握っていた彼女は、その手をゆっくりと離す。アレックスはフッと笑みを漏らして、ミランダの頭に手をのせた。ビクッとして顔を上げた彼女に、「大丈夫だ」と笑ってみせる。

「君をこの地に縛るものすべてから……私は君を自由にしたいんだ」

 友人だからなと――心の中で言い訳のように呟いた。

 ミランダの目の縁に溢れた涙が、ポタッと落ちる。

 彼女は「ありがとうございます」と、少し困った顔ををして恥ずかしそうに笑っていた。


 それがきっと、叶わない夢だとでも思っているように――。


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