第二章 幽霊城 18
行方不明のミランダを捜すため、アレックスが執事のジェファーソンを伴って向かったのは、一階のエントランスの奥にある扉だ。階段の陰になっているその扉の先は、使用人が使用する厨房やワイン蔵、食材庫などに通じる狭い廊下がある。ジェファーソンは扉を開きながら、「なぜ、このような場所に?」と不可解そうな顔をする。仮にも屋敷の主人であるミランダが、使用人の使う場所にいるはずがないと思ったのだろう。それに、それならジェファーソンやメアリーがすぐに見つけたはずだ。
「気になったんだ……それに、一応、屋敷のすべてを調べておく必要があるだろう?」
アレックスはそう答えて、ジェファーソンと共に通路を進む。ミランダは屋敷の外には出ていないのではないか。それがアレックスの判断だった。なぜなら、外から何者かが侵入した痕跡がなく、逆に屋敷から出て行った痕跡もなかったからだ。となれば、この屋敷にまだいる可能性が高い。とはいえ、主立った場所はジェファーソンとメアリー、そして屋敷にやってきたロイ・バーンズ巡査が捜しているだろう。
捜していない場所がまだあるはずだ。
アレックスのミランダが行方不明になったと聞いて、真っ先に頭を過ったのは、以前この屋敷で見たエドナらしき女性の亡霊――。幻影とでも言うべきだろうか。夜中の屋敷を、剣を引きずるようにして歩いていた〝彼女〟が、消えたのがこの扉だった。亡霊が現れるのは、生きている人間に何かを訴えたいからだ――なんて世迷い言を信じるわけではない。ただ、何の意味もないただの幻だとも、思えないのだ。リネットが夢に顕れたことも。
「こちらがキッチンで……その奥が食材庫、その先の階段を下りた場所がワイン蔵です。一通り、調べましたが、私やメアリー以外の人間が立ち入った様子はありませんでした」
キッチンの扉を開きながら、ジェファーソンが話す。中を覗いたアレックスは、「裏口はあるのか?」と尋ねた。
「はい、食材庫に裏口が……それに、洗濯場にも裏口がございます。そちらは、バーンズ巡査が確認されておりました。裏口の鍵を管理しているのは私でございます」
「開いてはいなかったんだな?」
「ええ、昨晩も確認しておりますから……」
この老執事のことだから、うっかり扉を閉め忘れたということはないだろう。それにもしそうだったとしても、この雨の中で出入りすれば、濡れた痕や泥が残っているはずだ。となれば、裏口から侵入した者もいないと考えるべきだろう。
「ワイン蔵に出入り口は?」
「地下にあるので、ありません」
廊下を進むとワイン蔵に通じる扉がある。その扉の前まで来た時、アレックスは足をわずかに引いた。鍵束を取り出して開けようとしていたジェファーソンも異変に気付いたのか、「これは……」と小さく呟いて息をのむ。しゃがんだアレックスは、床に残る黒い痕に指を滑らせた。もう乾きかけているが、それは血痕だ。それも、古いものではない。
立ち上がったアレックスは、ポケットから取り出したハンカチでドアノブの隅を拭った。そのハンカチにも、赤黒い染みがわずかに付着する。
「お嬢さまのものでしょうか……」
「調べた時には、この血痕は?」
「わかりません。今まで気付かなかったので……」
「ワイン蔵は調べなかったのか?」
「いいえ、確認しておりえますがお嬢さまの姿はありませんでした。それほど広くはないので、隠れるような場所もありません」
嫌な予感がするなと、アレックスは眉根を寄せる。それはジェファーソンも同じだろう。すぐに扉の鍵を開けて、壁にかかっていたカンテラに灯りを灯していた。その灯りを借りて、アレックスは階段を照らす。黒い血痕の痕は下まで点々と続いていた。それを辿るように、足を急がせる。
(もし、これがミランダのものなら……)
『早く行ってあげないと……あなたはいつも、間に合わないから』
昨晩の夢に出てきたメアリーの声が、耳を掠めるように蘇り、ゾクッとする。
ワイン蔵に入ると、樽と、ボトルが幾本も棚に並んでいた。確かにそれほど広くはなく、棚の下を覗いてみれも、隠れられたり、隠すような場所はない。天井を照らしてから、ワイン蔵の奥へと進む。
まさかもう、殺されていて、ワイン樽の中に死体が隠されている――なんてことはないだろうか。そんな不安に胸が締め付けられた。
「嫌な想像だな……」
思わず顔をしかめて呟いてから、ワイン蔵の奥まで進む。床を照らすと、血痕は壁の際で止まっていた。アレックスはジェファーソンにカンテラを預けてその場に片膝をつく。壁に手をついてから、蔵の中をじっくりと見回した。ふと気付いて、ジェファーソンを見上げる。
「このワイン蔵は古いのか?」
「ええ……ですか、私がこの屋敷に来るより前に、一度修繕を行ったと聞いております」
天井は左右の壁は確かに、それほど古さは感じなかった。だが、この正面の壁だけは、煉瓦の色が違う。周囲より色あせていて汚れや罅割れが目立つ。それなのに、なぜ、ここだけ修繕しなかったのか。
壁を触って確かめていたアレックスは体全体を使って。グッと押してみる。ガッと音がしてわずかに壁が動く。驚いたのはジェファーソンだ。まさか、壁が動くとは思わなかったのだろう。すぐさまカンテラを床に置いて、アレックスを手伝い、壁を押す。壁が回転する仕掛けになっていたようだ。人が通れるほどの隙間が空くと、アレックスはカンテラを受け取ってその奥の暗がりを照らす。かび臭い匂いと一緒に漂ってくるのは、明らかに血の臭いだ――。
灯りが照らす先には通路が続いていた。人一人が通れるほどの低い壁の通路だ。ハッとしたのは、その床にはべったりと、血の痕が残されていたからだ。それも、何かを引きずったような。
アレックスは険しい表情でジェファーソンと顔を見合わせ、その通路を急ぎ足で進む。一応、携帯していた銃を取り出す。
「このような通路があるとは……」
「まったく、冒険のしがいがあるよ……」
緊張と不安をごまかすように、わざと軽い口調で答えた。二人分の足音が、通路に響く。長いこと人が入った痕跡がなかったのか、ネズミや虫の死骸が転がり、蜘蛛の巣が天井から垂れ下がっていた。アレックスはそれを払い退け、「さながら、幽霊城だな」とうんざり気味にぼやいた。
「お嬢さまは……」
ジェファーソンが口にしかけた言葉を飲み込む。この血痕が彼女のものならば、少なくとも負傷している可能性はあるということだ。それも、誰かに連れ込まれたとしか考えられない。なぜなら、先ほどの壁は女性が一人で押すには重すぎたからだ。
通路は突き当たりで、右に折れていた。通気口らしき穴は開いているから、空気は入ってくるものの、ひどい臭いだった。ハンカチで口を押さえ、カンテラを翳しながら進むと、古い木の扉に突き当たる。押しても開かないところを見ると、鍵がかかっているらしい。アレックスはジェファーソンを下がらせてから、錆びている取っ手付近を何度か蹴りつける。扉自体、もはや半分腐りかけているのだ。脆くなった鍵部分を開けば扉は開く。
銃を構えながら部屋の中に飛び込んだアレックスは、驚きで言葉を失った。かなり広い石壁の地下室だ。そこにいくつもの古い棺桶が並んでいる。そのほとんどが埃と蜘蛛の巣に塗れていた。正面の一段高くなった場所は祭壇だろうか。黒くなった蝋燭が残る燭台や、メッキがはげた杯のようなものが、いくつも転がっていた。その祭壇にも、棺桶が一つ置かれていた。
「……まさか、吸血鬼が眠ってる場所……とか言うんじゃないだろうな」
灯りで照らしながら、顔を強ばらせて呟く。「その可能性も、捨てきれないでしょうな」と、ジェファーソンも真面目くさった顔をして頷いた。
「伯爵家の墓地ということは?」
「いいえ、伯爵家の代々の墓地は別にございます。先代も、先々代も、そちらに埋葬されております。遺体をこのような場所に安置するなど……」
考えられないと、ジェファーソンは首を振る。確かに、ここに並ぶ棺桶はどれも最近のものではないだろう。アレックスは祭壇に進むと、そこに置かれた棺桶に手を触れた。上に載せられているのは、朽ちた花の残骸だ。誰が置いたのか――。
他の棺桶とは明らかに違うのは、祭壇という場所に置かれていることからも明らかだろう。
(さて……なにが出てくるのか……)
これが、ミランダの棺桶でないことを祈るしかない。グッと両手で棺桶の蓋を押すと、後ろからジェファーソンがカンテラの灯りで照らしてくる。見えたのは、赤いドレスだ。それも、もうかなり生地がボロボロになっていて黒い染みがついている。覗いているのは、もうすでに骨となった手足だ。それを見た途端に、アレックスは思わず深く息を吐いていた。
「ミランダじゃない……」
これはもう骨となった遺骸だ。それを確認してひとまず安堵したアレックスはさらに棺桶の蓋を押す。
埃が舞い散り、むせそうになって口元をハンカチで押さえる。
目を見開いたのは、その遺骸がしっかりと抱き締めているのが、見覚えのある剣だと気付いたからだ。
「この剣……」
確かに、それはあの日、亡霊が引きずっていた剣だ。それも、アレックスとミランダが見つけた時には、使われていない棟の廊下の甲冑が携えていたものだ。あの日、消えた剣がなぜここに――それも、棺桶の中にあるのか。背中に冷たい汗が垂れ震えそうになる。
さすがに、これは笑えない――。
「これは……エドナ様の……」
ジェファーソンがぞっとしたように呟く。「そうだろうな」と、アレックスは遺骸を改めて見る。顔はレースのベースで覆われていた。そのドレスにも見覚えがある。確かに亡霊が着ていたドレスだ。真珠のボタンが袖口や、襟元についている。レース飾りも記憶にある通りのものだ。この遺骸が女性であることは間違いないが、ベールを取ってみたところで顔がわかるわけではない。そこにあるのは頭蓋骨だけだ。そのような辱めを、静かに眠る死者に与えることはないだろう――。
アレックスは静かに目を伏せて、祈りの言葉を短く口にした。
「ここにある棺桶の中を、手当たり次第に確かめるぞ」
アレックスは祭壇を下りて、近くにあった棺桶の蓋を押す。ジェファーソンも頷くと、別の棺桶の中を確かめていた。古い時代の衣装を着た男性の遺骸や、まだそう成長していない子どもの遺骸など、いくつか確かめた後、棺桶にべったりと付着している血の痕を見つけて急いで蓋を開く。「ミランダ!」と、アレックスが叫ぶのを聞いて、ジェファーソンが駆け寄ってきた。そこに眠っていたのは、確かに寝間着姿の彼女だ。血の気のないその顔を見た瞬間、手が震えそうになる。だが、確かめなければならない。頬にその手を当てると、わずかだが脈はある。すぐに立ち上がって、「ジェファーソン、そっちを持ってくれ」と指示した。二人がかりで、ミランダを棺桶の中から出す。「お、お嬢さま!」と、ジェファーソンが蒼白になって叫んだのは、彼女の寝間着にも口や首元にも、真っ赤な血が付着していたからだ。やはり、あの血痕は彼女のものだったのかと、アレックスは彼女の体を確かめる。だが、怪我をしている様子はない。吐血によるものかもしれない。口元に手を当ててみれば、細いが確かに息はある。
「すぐに、ドクターを……っ!」
「いやっ、待て」
アレックスは踵を返そうとしたジェファーソンの袖をつかんだ。
「とりあえず、彼女を部屋に……だが、まだ誰にも知らせるな」
そう言って、ミランダの細い体を横抱きにして立ち上がった。ひどく体が冷たい。
(持ってくれよ……)
そう心で祈りながら、駆け出す。そのすぐ後に、ジェファーソンが続いた。




