第二章 幽霊城 14
列車のコンパートで、アレックスはぼんやり窓の外を眺めていた。線路沿いに広がるのは田畑で、その向こうに小さな集落が見える。ぼんやりとした薄曇りの空が広がっていた。
『ごめんなさい。アレックス様……やはり、この領内にはいらっしゃらないほうがいいと思うのです』
昨晩、屋敷に戻り、馬車を降りたところでミランダがアレックスの袖を引いて言った。うつむいた顔には、思い詰めたような色が浮かんでいた。馬車の中で無言だったのは、そのことを考えていたからだろう。
領民たちに、再びあのような出来事が起きたのは、よそ者がいるからだと、アレックスが責められ、その怒りが向けられるのを見て。
『私は気にしていない』
『いいえ、それでも……アレックス様に危害が及ぶようなことだけは、この領地を管理する者として見過ごせないのです。アレックス様はもう十分、親身になって手を貸してくださいました。元々、子猫を届けに来てくださっただけなのに。そばにいてくださったこと、協力してくださったこと、忘れません……』
両手を握って、ミランダは顔を上げる。その表情は、領地を預かる領主のものだった。瞳にはしっかりした決意の色が浮かんでいる。ああ、そうか。彼女は決めたんだなとそう思った。これ以上、領地の問題にアレックスを巻き込まないという決意だ。
『どうするつもりだ……解決の目処なんて立っていないだろう。あのロイ・バーンズって間抜けに頼ったところで何にもならないと思うぞ』
溜息を吐いて言うと、ミランダは曖昧に笑みを浮かべる。
『今までも、何とかしてきたのですから……大丈夫です。アレックス様のご厚意に報いることができず、本当に……申し訳ないと思っているのです。いつか、ちゃんと恩返しできるようにいたしますから!』
『恩返しされるほどのことなど、何もしていないさ……』
せいぜい、子猫の面倒を見てやったということくらいだ。それ以上、何の役にも立てていない。
『いいえ……そんなことは。アレックス様が屋敷に留まってくださって、心強かったのです。それに……こんなことを申し上げるのは、大変失礼なことかもしれませんが……た……』
言いにくそうに唇を閉じたミランダに、『……何だ?』と聞き返した。彼女は『えっと、それは……』と、視線を彷徨わせる。その視線が、遠慮がちにアレックスに向けられた。
『た、楽しくも……あったのですっ!』
思い切ったように言うから、何かと思えばそんな些細なことだった。それなのに、彼女の顔は真っ赤に染まっている。
『私には……お友達、というものがあまりいなかったので……もちろん、私が勝手にそう思っていただけなのす。ですから、ご不快になられるかもしれません……私のような者にお友達なんて言われて、気分を害されるかも……』
ミランダの声が萎むように小さくなっていく。アレックスは『友達……』と、複雑な表情を浮かべた。
『やっぱり……嫌ですよね!? 私のような……者が友達だなんて。ごめんなさい、やっぱり……そう思うのは、やめようと思います!』
アワアワしている彼女を見て、笑みを堪える。下を向いたままの彼女の頭に、自然と手をやっていた。ポンと触れたその手に、ミランダはびっくりした顔をする。
『嫌とは言っていないさ。そうだな……友達……それくらいで適切なんだろう』
アレックスが答えると、彼女はおずおずと上目遣いで見ていた。
『お怒りになりませんか?』
『怒る理由が? ないなら、それでいいさ……君を困らせるつもりはないんだ。確かに、これ以上留まっていても、迷惑になるだけだろうな。長く留まりすぎた気もするし……帰ることにするよ』
肩を竦めて答えると、ミランダはホッとしたようだ。けれど、『寂しくなりますね……』と呟く。
アレックスは彼女の手を取って、少し強く握った。
『もし、何かあったら……すぐにでも連絡をくれ。私で力になれることもあるだろうから……ああ、友人
としてだが』
『ありがとうございます。そうおっしゃっていただけるだけで、十分に心強いです』
胸に片手を当てたミランダは、少し泣きそうな表情で微笑んでいた。
窓の縁に肘を突いて考え込んでいると、横に置いていたバスケットの中からゴソゴソと音がする。
「……は? え?」
このバスケットは、今朝ミランダから渡されたものだ。『どうか、お気をつけて』と言われたものだから、てっきり中は昼食に食べるサンドイッチか何かだと思っていた。バスケットをつかんで膝の上に置き、「まさか……」と眉根を寄せながら開いてみる。案の定、ミャーッと元気に鳴きながら顔を出したのは白い子猫だ。
「なんで、私にまた預けるんだ……」
ニコニコしていたミランダの顔を思い出しながら、溜息を吐く。
子猫はようやく狭いバスケットから出られて嬉しいらしく、アレックスの上着の中に潜り込もうとする。
「困ったヤツだな。お前の飼い主は私ではないぞ。ミランダだ。わかっているのか?」
そう言いながら、子猫を抱き上げる。賢そうな顔をして鳴いているが、まったくわかっていないだろう。
(まあ、いい……どうせ、またすぐ戻ることになる)
アレックスは猫の喉をくすぐりつつ、窓の外に視線を戻した。
一度、戻ることを承知したのは、調べたいことがあったからだ。彼女の領地についての記録が、王都にあるかもしれない。あんな奇っ怪な事件が今まで何度も起こっていたのに、新聞の記事にも載らず、話題にもならないなんて不自然だ。もちろん、事件について領民たちが口を噤み、頼みの巡査も報告していない可能性もある。
王都の駅に列車が到着すると、事前に電報を打っていたために迎えの馬車が待っていた。その馬車に乗り、屋敷に戻ると従者のオリバーが玄関ポーチで待っていた。アレックスはバスケットをオリバーに手渡してエントランスホールに入る。
「お帰りなさいませ。なかなかお戻りにならないので……案じておりました」
「ああ……ちょっとな。それより、風呂を用意してくれ。先に入りたい」
「承知いたしました。食事はどうなさいますか?」
「いや、いい……すぐに着替えて出かける。それより、その子猫を部屋に閉じ込めておいてくれ。逃がすなよ。庭をうろつきまわると、カラスにつつかれるかもしれないからな」
アレックスはオリバーが持っているバスケットを指差した。オリバーは「子猫……また、連れて戻られたのですか」と、いささか呆れた顔をする。
「押しつけられたんだ」
そう答えて階段を上がる。オリバーはメイドを呼び止めると、風呂の用意をするように頼んでいた。
入浴を済ませて着替えをしてから、アレックスが向かったのは王都内にある診療所だ。
受付で用件を伝えると、診察室に案内される。「エンデ先生、お客様がお見えになりました」と、看護師が伝えると、「今は、忙しい。追い払え」と不機嫌な声が聞こえた。困惑している看護師の横をすり抜けて、カーテンを開く。
「追い払えとはご挨拶だな。これでも一応は、診療所の支援者だぞ」
「……アレク……なんの用だ? 腹でも壊したか」
椅子に座ってカルテを書いているのは、メガネをかけた青年だ。長い髪を、後ろで一つ結びにしている。クラウス・エンデはアレックスの学友だ。ついでに、バークレイ家のお抱え医師でもある。
「そう見えるとしたら、とんだ藪医者だ。頼みたいことがあるんだよ」
「…………診察時間が終わるまで待ってろ」
「どれくらい、かかりそうなんだ?」
「昼になるまでだ」
なるほど、あとたっぷり二時間はあるということか。とはいえ、待合には大勢の患者がいた。その患者たちを待たせるわけにはいかないだろう。
「わかった……図書館で時間でも潰しているさ」
アレックスは足の向きを変えて診察室を出る。すぐに、看護師に呼ばれた患者が、入れ違いに中に入っていった。この診療所は公爵家が慈善活動の一環として経営している。クラウス・エンデは元々、公爵家の使用人として雇われていたが、勉強熱心で頭がよく、ゆくゆくは医師になりたいという目標を持っていた。その彼を父に紹介して、学校に通えるように支援してくれるように頼んだのはアレックスだ。
結果、クラウスは学校を優秀な成績で卒業し、アレックスと共に大学に進学した。その資金を出したのは公爵家だ。そんなわけあって、彼は公爵家のお抱え医師となり、診療所を任されている。
昼まで図書館で調べ物をしていたアレックスは、もう一度診療所に足を運んだ。午前中の診察が終わったのは一時過ぎだ。入り口にはCLOSEの札が掛けられている。午後からの診察時間までは、休診というわけだ。アレックスが診察室に入ると、クラウスはカルテを書いているところだった。看護師の女性が、濃いめのコーヒーをいれてくれる。
「しばらく、屋敷にいなかったようだな……どこに出かけていたんだ?」
アレックスが留守の間、公爵家の屋敷を訪れたのだろう。クラウスは定期的に父や母の健康診断をしている。それに屋敷の使用人の具合を診るのも彼の仕事だ。
「……ちょっとな。事件を調べていた」
アレックスはコーヒーを飲みながら答える。手を止めて、クラウスがこっちを見る。
「事件? なにに首を突っ込んでいる」
「……クラウス、吸血鬼って信じるか?」
アレックスが訪ねると、「は?」といかにも間の抜けた声が返ってきた。それが当然の反応だろう。
だろうなと、苦笑いを浮かべた。




