第二章 幽霊城 12
何一つ手がかりもなし――。
書斎のソファーに座り、古い日誌を読んでいたアレックスは飽きたように溜息をつく。
「まだ、居座ってやがったのか。こいつ!」
極めて無礼なその物言いにムッとして顔を上げると、ロイ・バーンズがテラス側のガラス戸を開いて入ってくる。庭ではミランダと侍女のメアリーが楽しそうに花壇の手入れをしていた。
笑う声が、書斎まで聞こえてくる。いつも大人しく控えめな、ミランダでもそんな風に声を立てて笑うのかと、少々意外でもあった。それからすぐに、『なんで、私の前だといつも緊張してるんだ?』と首を傾げた。親しい間柄ではないのは自覚しているし、ミランダにとって自分は――。
(何だろうな?)
真顔になって考え込む。猫を救出した仲、というのもおかしい。となれば、友人だろうか。
それにしても、友人と呼べるほど付き合いが長いわけではない。それなら、この幼なじみのロイ・バーンズの方がよっぽど彼女の友人だろう。自分はよくて、ただの知人程度だ。その知人程度の未婚の女性の屋敷に、もう一週間も滞在しているというのは、さすがにどうだろうなと思わなくもない。
「おい、聞いてんのか! いつまでいるつもりだ。お前の屋敷は王都だろう! とっと、帰りやがれ。それとも、なにか? ミランダを狙ってんのか!? だとしたら、今すぐ護送車に押し込むぞ」
手の指をボキボキと鳴らしながら、ロイ・バーンズがそばにやってくる。「ああんっ!?」と柄の悪い態度で詰め寄せられ、アレックスはうんざり気味に日誌で彼の顔を押し退けた。
「喧しいな……耳元で騒がないでくれ。この屋敷の主であるミランダが許可しているんだから、君にとやかく言われる筋合いもない。ところで、事件の進展はあったのか? ないのか? 無能だな。もう一週間も経つのに、手がかりすらないとは。君こそ、昼間から職務を放棄してこんなところで何をしている?」
一息で言うと、彼の顔が怒りで赤くなる。「てめぇ、言わせておけば!」と、握った拳をプルプルと震わせていた。アレックスは「なんだ?」と、澄ました表情で聞き返す。
「とっとと帰れ、こんちくしょうっ!」
「人の屋敷の客人を追い出す権利が、君にあるとは驚きだな」
鼻で笑っていると、書斎の扉が開く。入ってきたのは、銀のトレイを持った執事のジェファーソンだ。
「おや、バーンズ様もこちらにいらっしゃったのですか。すぐにカップをもう一つ、ご用意いたしましょう」
「不要だ、ジェファーソン。この巡査は、ただ立ち寄っただけのようだからな。事件の捜査で忙しいだろう。座ってゆっくりお茶を飲む時間などないさ」
アレックスは肩を竦めて皮肉っぽく答え、日誌をテーブルに置く。ジェファーソンは「ほほっ」と笑うと、テーブルにトレイを下ろしてお茶を淹れる。ロイ・バーンズが屋敷に来ていることは、わかっていたらしく、カップもあらかじめ二つ用意されていた。
「生憎だな。俺は今、休憩中なんだ。ちょうど喉も渇いていたところだし、ありがたくいただくぜ」
ロイ・バーンズはフンッと鼻を鳴らすと、遠慮なくアレックスの向かいのソファーにどっかりと腰を下ろした。まったく、図々しい男だ。だが、それを言うなら――自分も同じだ。ここはアレックスの屋敷ではなく、ミランダの屋敷だ。仕方なく彼の無礼な振る舞いに目を瞑り、紅茶のカップに手を伸ばす。
「……おい、本気でいつまで屋敷にいるつもりだ?」
皿に盛られているマドレーヌを遠慮なく食べながら、ロイ・バーンズが横柄な態度で聞いてくる。
「殺人鬼が徘徊しているんだ。彼女の〝友人〟としては、放っておけないな。殺人鬼が捕まれば、王都に戻るとしよう。となれば、私が早く帰るかどうかは、君の能力と捜査の進展にかかっているわけだ。まあ、せいぜい張り切ってくれたまえ」
「犯人が見つかるまでここにいるってのか!?」
「当然だろう? この屋敷に殺人鬼がやってきたらどうする? 老人と女性しかいない上に、村の巡査はこの体たらくだ」
「ふざけんな! お前みたいなのに屋敷に居座られれると、ミランダが迷惑するんだよ。貴族の連中に知られてみろ。何を言われるかわかんねーんだぞ! あいつがまた……傷つくところなんか見たくもねぇ」
ロイ・バーンズは俯いて、グッと拳を握っている。
傷つく――。
確かに彼女の評判は、あまりいいものではなかった。不吉を招く娘だと、噂されていて誰も近づきもしなかった。そのせいで、王都に足を運ぶこともなく、こうして田舎の所領に引っ込んでいたのだろう。その上、これまた未婚の男が彼女の屋敷に長期滞在しているなんて知られれば、ますますあることないこと言われかねない。いいゴシップのネタだ。ただ、その相手がアレックスとなれば、おしゃべりな連中も口を噤む。その程度の権威なら、公爵家には十分にあるからだ。
「私だって、彼女を傷つけるつもりも、どうこうするつもりもない……ただ、興味があるだけだ」
アレックスはカップを持ったまま、庭に視線を移す。土いじりをしていたミランダが、ふと書斎のほうを向いた。アレックスとロイがいることに気付くと微笑んでいた。どうやら、白い子猫とその兄弟猫も一緒にいるらしい。足元で転がり回っている白い子猫を抱き上げた彼女は、自分の変わりに子猫の脚を振ってくる。
「興味って……ミランダにか!?」
ロイ・バーンズはテーブルに手をついて、身を乗り出してきいてきた。
一瞬言葉に詰まってから、アレックスは「違う……」と溜息まじりに答える。
「事件と猟奇的な殺人犯についてだ」
「……殺人事件に興味を持つなんて悪趣味な野郎だな……お貴族様ってのはみんなそうなのか?」
信じられないとばかりに、ロイ・バーンズは鼻の頭に皺を寄せていた。
「まあ、否定はしないさ。悲劇は最高の娯楽でもあるからな……単純な好奇心だ」
それに、友人が怪事件に巻き込まれている以上、放っておけないのも事実だ。
彼女はまして、一人身の女性だ。身を護ってくれる父親や兄弟、親戚もいない。
(この男じゃあまりたいした役にも立ちそうにないしな……)
アレックスは噛みつきそうな目で睨んでいるロイ・バーンズの顔をまじまじと見る。
「なんだよ? 言いたいことがあるなら、はっきりと言え!」
「いいや……なんでも」
首を横に振ってから、ふと思い出して口を開いた。
「君の家系は……このホーリー家に仕えていたのか?」
塔で見つけた記録にバーンズの名前があったのを思い出して尋ねる。
「あ? だったらなんだよ……」
紅茶を飲もうとしていたロイが、不審そうな顔をして聞き返す。
「ミランダがそう話していたんだ」
「俺の爺さんや、曾爺さんはそうだっただろうな」
「君は、伯爵家に仕えようとは思わなかったのか?」
「……まったく、ムカつく野郎だぜ。今のこの屋敷を見ればわかるだろ……何でもかんでも、お前の基準で考えてんじゃねーよ。余計な使用人を雇う余裕なんてないんだよ。だから、俺は警官として村やミランダを守ってんだ!」
「確かに……お前を雇ったところで、たいした役にも立ちそうにないからな」
ふむっと、顎に手を添える。ロイ・バーンズは「おい、爺さん。こいつ、とっとと追い出すようにミランダに言ってくれ」と、ポットを片づけているジェファーソンに話を振る。
ジェファーソンは「ほほっ」と、笑っただけで用事がすむとすぐに書斎を出ていった。
「それで、犯人の目星はつかないのか? 村の誰かの仕業だろう。お前たちの顔見知りの中にいるんじゃないのか? あの被害者の娘に付き合っていて、呼び出した男がいるはずだ。その男が容疑者だろう。娘の知り合いや友人にきいてみたのか?」
「……なんで、男がやったと決めつけるだ? わかんねーだろ」
「では、女と付き合っていたとでも?」
「そうじゃねーよ! だいたい……犯人なんて、本当にいるかどうかもわかんねーんだ」
「事故や自殺だと? 本気でそう思っているのなら、君は極めて警官に向いていないな。今すぐ辞表を書くほうが世の中のためだ」
「……村の連中は女だと思ってるさ……」
ロイ・バーンズは声を落として、呟くように言う。窓の外からは笑い声が聞こえてくる。
「……エドナ・ホーリーが本気で、夜な夜な墓場から蘇ってくるなんて思っているんじゃないだろうな?」
エドナの名前を出した途端に、ロイの顔色が変わる。「なんで、お前がその名前を……っ!」と、彼はカップをソーサーに叩きつけるように戻して、腰を浮かせた。
「ミランダから聞いたからだ。他に知りようもないだろう……」
本人の幽霊が出たなんて話はするつもりはない。
どうやら、この領地の領民たちは、今だにその呪いに囚われている――。
「……ったく、なんだってこんなよそ者にベラベラと……いいか? その名前を、村の連中の前で出すんじゃねえ。あの女の忌まわしい名前は禁忌なんだ!」
「犯人が吸血鬼だから、捜査しても無駄だと思っているのか? だが、犯人は男だ……娘が夜中に家を抜け出して会いに行ったのも、彼女が死んだ時にその場にいたのも男だ」
アレックスは断言するように言う。
「それこそ……思い込みだろう」
「男物の靴の跡があったからだ……もう雨に流されているだろうがな」
「は!? なんだっていまさらそんなことを……なんで、その場で言わなかった!」
「遺体に気を取られていて、誰も現場検証なんてする余裕もなかっただろう。それに靴跡だけでは証拠不十分だ……」
「村の連中もあの場にいたんだ。そのうちの誰かの靴跡って可能性もあるんじゃないのか?」
ロイ・バークレーは腕を組んで考え込んでいる。
いいや、あの足跡は犯人のものだった――。
なぜなら、何かを引きずったような痕が一緒についていたから。殺した後、引きずって移動させた。
となれば、あの場所で殺したわけではない。
どこかで殺して、密会で殺されたように見せかけるために、あの場に運んだ。
本当に吸血鬼によって殺されたのだとしたら、噛み傷がついているはずだ。その歯形を確かめれば、少なくとも男のものなのか、女のものなのかはわかる。なのに村人も、この巡査も検死すら行おうとはしなかった。最初から、犯人を見つける気などない。犯人を暴くことすらも怖れていると言うべきか。忌まわしいものを隠すように、早々に葬儀を行って埋めてしまった。
もし――墓地の遺体を掘り返して、もう一度検死を行えばわかるのではないか。
被害者がなくなって一週間。まだ遺体はそれほど腐敗していないはずだ。
だが、そんな提案を、この男が了承するはずもない。
それは村人も、被害者の親族も同じだ。だとすれば、バレないように暴くしかなくなる。
黙って考え込んでいたアレックスは、額に手をやって密かに息を吐いた。
(何を考えている……墓荒らしなんて、正気じゃないだろう)
そもそも、そんな役目は警官がやることだ。それに、医師がいなければ、掘り返したところで何もわからないし、証拠も押さえされないだろう。小説に出てくる探偵のような真似はできない。
「……この近くに医者は住んでいるのか?」
ふと尋ねると、ロイ・バーンズは「はぁ?」と不可解そうな顔をする。
「どっか具合が悪いのか? ミランダにおかしな病気を移したら承知しねーぞ!」
「……馬鹿と話していると頭が痛くなるんだ」
やれやれと頭を振って答えると、ロイ・バーンズは我慢できなくなったように立ち上がる。
「てめーと話してると、こっちまで気分が悪くなるぜ!」
「奇遇だな。私もだ」
アレックスがせせら笑って答えると、ロイ・バーンズは顔をしかめて書斎を出て行く。ようやく静かになり、落ち着いて紅茶を飲んでいると、テラスのガラス戸が開いてミランダが入ってきた。
「……ロイは、どうしたんでしょう?」
「ああ、自分の職務を思い出して帰っていたようだよ」
「そうなのですか……何か用事があったのかと思ったのですが」
「たぶん、何もないさ……」
微笑んだアレックスは、トコトコと寄ってきて膝に乗った毛玉を見て「うわっ!」と、声を上げる。
土遊びですっかり汚れた白い子猫は、「みゃーっ」と誇らしげ鳴いていた。




