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第二章 幽霊城 11

 朝食後、アレックスはミランダと共に西棟へと向かった。扉を開き、中に入ると暗い廊下が続く。アレックスが進もうとすると、上着のポケットから鳴き声がする。もぞもぞ動くポケットから顔を出したのは、あの白い子猫だ。「その子を連れてきたんですか?」と、ミランダが目を丸くする。

「連れてきたんじゃない。ついてくるから、どうしようもなかったんだ」

 アレックスはポケットから子猫をつまんで、少し考えてから「君の猫だ」とミランダの手に押しつけた。ミランダは子猫を両腕で抱え、アレックスの後を急ぎ足でついてくる。


 先日見た銀色の甲冑は、薄暗い闇の中で佇んでいた。アレックスはミランダと顔を見合わせて、甲冑に歩み寄る。ミランダがハッとしたように口元を手で押さえたのは、異変には気付いたのだろう。

「剣がない……」

 アレックスも驚いて呟いた。鞘だけがそこに残されている。中には確かに、剣が入っていたのに。

「どういう……ことでしょう?」

「さあ、この家の誰かが持ち出したのでなければ……幽霊が持ち去ったんだな」

 アレックスは冗談まじりに言ったが、この目で赤いドレスを着たミランダ――にそっくりな何かが、剣を引きずりながら歩いているのを目撃したのだ。あまり、笑える状況でもない。


 残された柄を手に取って確かめていると、中で小さな音がする。何か入っているのかと、目を懲らして覗いてみたが、細い柄の中はよく見えない。錆びが縁の当たりにも付着していた。

「む、虫ではないでしょうか……」

 ミランダはアレックスの袖に無意識につかまりながら、声を小さくする。

 目が合うと、慌てて袖を離して顔を赤らめていた。

「すみません……虫はあまり……得意ではなくて……」

 軽く振ってみたが、動いている様子はないようだ。

 目を輝かせて期待しているのは、ミランダの抱えている白い子猫だけだ。


「虫の死骸かもな」

 確かめてみるために柄を逆さにしてみると、何かが絨毯の上にコトッと落ちた。

 ミランダもびっくりしたようにそれを凝視している。銀の鎖がついた、ルビーの首飾りだった。

 石は小さく、銀の台座にはめ込まれていた。


 アレックスは手を伸ばして、その首飾りを拾い上げた。

「……柄の中に……首飾り?」

 誰かが隠したものだろうか。まさか、誰かの首をはねた時に引っかかったというわけではないだろう。もしそうなら、なかなかゾッとする話だ。アレックスは首飾りをミランダに差し出して、「見覚えは?」と尋ねた。

 ミランダはすぐに返事をせず、息を呑むようにしてその首飾りを見つめている。アレックスの声も耳には入らなかったようだ。

「おい、大丈夫か?」

 肩をつかむと、ようやくハッとしたようにアレックスを見る。顔色が悪くなっているように見える。

 ギュッと抱き締められた子猫がびっくりしたように鳴いて身をよじり、アレックスの腕に飛び移ってきた。

「あっ、ごめんなさい……」

「その様子だと、見覚えがあるみたいだな。君のか?」

 尋ねると、ミランダは両手を握り合わせて首を横に振る。どこか怯えているような表情だ。

 何かいわく付きの代物だろうかと、アレックスは手の中の赤い石を見つめる。銀の台座も鎖も色がくすんでいる。付着している錆びは剣についていたものだろう。石はそれほど高価なものではないように見える。 

「あの、アレックス様……少し、見ていただきたいものがあるのです……」

 そう言うと、ミランダは意を決した様子でアレックスを見る。

 

 西棟の廊下を一度引き返した後、ミランダはアレックスを三階の奥の部屋へと案内した。そこは、まだ一度も立ち入ったことのない場所だ。さすがに古城だけあって、屋敷内は広い。

 とはいえ、この廊下も使われた痕跡はほとんどなかった。ただ、西棟のように完全には閉ざされておらず、窓からは光が射している。それほど大きな窓があるわけではないから、昼間でも薄暗い。


 扉を開いたミランダに促されて中に入ると、物置のようだった。使わなくなった家具などが布をかけられた状態で置かれていて、窓は閉ざされていた。ミランダが燭台の蝋燭に灯りを灯すと、ようやく奥の方まで見える。寝室だったのか、赤いストラップ柄のクロスが見える。

 かなり立派な部屋だったのだろう。シャンデリアがぶら下がっているが、傾いていて蜘蛛の巣が張っている。

 

「ここは……?」

「使っていない部屋なんです……あっ、汚れてはいけないので、ここで待っていてください」

 そう言いながら、ミランダはスカートの裾を持ち上げて、蜘蛛の巣を払い退けながら家具を避けて奥へと進む。そういうわけにはいかないだろうと、アレックスは眉根を寄せながら彼女の後に続いた。埃でむせそうになる。

「君の屋敷は……冒険のしがいがあるな」

 アレックスは袖で口元を押さえながら、辺りを見まわす。

 ついよそ見をしせいでせいで、倚子の角に思いっきり脚をぶつけてしまった。片腕に抱えた子猫が、クシュッとくしゃみをもらした。ポケットにいれておいたので、しばらくは大人しくしていてくれるだろう。逃げられて、この物置の中を探し回るのは悲惨だとしか言いようがない。


 ミランダは物置の奥から、何かを引っ張りだそうとしている。そばに行くと、アレックスは彼女に手を貸してそれを開いたスペースに移動させた。布が巻かれ、何重にも紐で括られているのは、どうやら絵のようだ。布の隙間から額縁が見えている。


「これは……?」

「前に見つけたんです……」

 ミランダは小さな声で言うと、紐を解いていく。二人で布を外すと、それは女性の肖像画だった。

 アレックスは驚いてその絵を見つめる。


 深紅のドレスを着た女性――。

 髪の色は銀に近い白だが、年老いているわけではなく顔は若い。ミランダにそっくりと言えるほど、よく似ていた。この肖像画がかなり昔に描かれたものでなければ、彼女の肖像画だと思うだろう。だが、ミランダの髪は白ではなく黒だ。となれば、これは別の誰か――彼女の先祖を描いたものだろう。

 なにより、昨晩見たあの女性のことが頭を過る。


 アレックスは絵の女性の首元を飾るネックレスに気付いて、先ほどのネックレスをポケットから取り出した。同じルビーのネックレスだ。

「これは……この女性のものか……」

 驚くアレックスの横で、ミランダは「やっぱり……」と呟いてその場にペタンと座り込んだ。

「この女性は……?」

「私の先祖です……百年ほど前の……」

「百年……」

 着ているドレスがひどく古いデザインのはずだ。この絵もかなり傷んでいる。

「この絵を子どもの頃に見つけて……すごく……怖かったんです……」

「……それはまあ、似てはいるだろうが先祖なんだ。普通のことじゃないのか? うちの屋敷にだって肖像がはいくらでもあるが、私に似ている先祖だって一人くらいいるんだ」

 ここまでそっくりとは言わないが――。

 先祖の血を色濃く受け継いだ者が、生まれきても不思議はない。

 むしろ、伯爵家の血筋であるという証明だ。


「この女性が……全ての始まりで元凶だったんです」

 ミランダは首を横に振り、震える声で言う。

「どういう意味だ……?」

「エドナ・ホーリー……何代も前の女伯爵だった方で、その女性は……吸血鬼だったと言われているんです」

 吸血鬼――。

 アレックスは、絵に描かれた白髪の女性に視線を移す。やけに色白の顔だった。

 冷たい表情で、こちらを見つめている。額縁の縁から血が溢れ出してくるようなイメージがふと頭に浮かんできて、背筋が寒くなり、思わず絵から目線を逸らした。これはただの想像だ。


「だからって……君まで吸血鬼なわけではないだろう? それとも、誰かの血を吸いたくなったりするのか? 首筋に噛みつきたくなるとか……」

 ミランダは潤んだ瞳でアレックスを見つめていたが、大きく首を横に振った。

「そいつはよかった……だったら、先祖が吸血鬼だろうが、オオカミ人間だろうが、君とは無関係だ。ここにいてもくしゃみが止まらなくなるだけだから戻るぞ」

 アレックスは彼女の手をつかんで引っ張り起こす。ミランダはその手を弱く握り返しながら、「はい……」と弱い声で返事をしていた。混乱しているのは、彼女も同じなのだろう。


 まったく、とんでもないことに首を突っ込んだなと、アレックスは前髪を手であげながら溜息を吐く。ブランデーの入った紅茶を一気飲みしたい気分だった。


 居間に戻るとジェファーソンが紅茶とマドレーヌを運んできてくれた。

 二人が埃まみれで下りてきたものだから、いささか驚いた顔をしていたようだ。

 ソファーに脚を組んで座ったアレックスは、考えることが多くてつい無言のまま紅茶を飲んでいた。

 ミランダも紅茶のカップを両手で持ったままぼんやりしている。


 白い子猫は、兄弟の子猫と一緒に、絨毯の上を転がり回って戯れていた。そのうち、バタバタと追いかけっこをして遊び始める。注意されないことをいいことに好き放題だ。

 普段なら厳重注意した上で、お仕置きのためにゲージに放り込むところだが、猫よりも先ほどの絵のことや、テーブルに置いた首飾りのことが気がかりだ。


「まさか、その百年前の女伯爵が吸血鬼で、いまだに棺桶から這い出してきては生き血を啜っているなんて信じているわけではないだろう?」

 あまりにも荒唐無稽な話だ。

「それは、私も違うとは思います……ですが、それを信じている者もいるのです。エドナが本当に吸血鬼だったのかどうかはわかりませんが……自らそう信じて、多くの人を……殺めたのは事実なんです。ですから、その存在も名前も、領民にとっては恐怖の対象となっています。村の祭りでは、エドナに見立てた藁人形を作り火にくべたりもします。もう二度と、蘇らないように……」


「……なるほど。だが、吸血鬼としていまだに生きているってことはないと思うぞ。昨日、私が見たのはたぶん、そのエドナって女伯爵の霊だろう。霊として現れるってことは、もう肉体はとっくに失われているってことじゃないか。不老不死の吸血鬼なら、霊になるはずがない。もうとっくに退治されていて、未練を残して現れたっていうならわからないでもないが……どちらにしても、やっぱり死んでることには変わりない。そうだろう?」

 アレックスはマドレーヌをさらにとりわけ、フォークで切ってから口に運んだ。メイドのメアリーが作ったものだろうが、この屋敷で出される菓子は相変わらずうまい。バターの風味がしっかりきいていて、オレンジピールも入ってるようだ。もう一つ食べてみると紅茶風味だ。

「それは…確かに…そうですね……」

 ミランダも納得したようすで、紅茶をすする。

「本当に、アレックス様が見たのは……あのエドナの幽霊だったのでしょうか?」

「私が絵を見たのは今さっきだ。それなのに、昨日の晩に現れた幽霊はあの絵と同じドレスを着ていた。それとも、寝ぼけた君は夜中に赤いドレスを着て、剣を引きずりながら屋敷の中を歩き回っていたとでも言うのか? そっちの方が幽霊より奇々怪々だな」

「もちろんですっ! 私は昨晩はぐっすり眠っていましたし……」

「じゃあ、幽霊の筋が濃厚ってことだ。まったく、君と会ってから、不可解なことばかり起こる」

「ごめんなさい……たぶん、私のせいなんだと思います」

 ミランダはしょげたようにうつむいていた。

「君のせいだとは言ってないぞ」

「いいえ、たぶん……私のせいなんです……私はあのエドナによく似ていると言われていました。生まれ変わりだと……祖母はそう言って、私を怖がり会おうともしなかったんです。その証拠に……私は……っ」

 カップを下ろしたミランダは、唇をギュッと引き結ぶ。

「……生き血を吸いたくなるのか?」

「ち、違いますっ!」

「なら、吸血鬼じゃないだろう?」

「そうですが……私が不吉な娘だと噂されていることは、アレックス様もご存じのはずです。私といると不幸な目に遭ったり……それだけではないんです。私は時々、妙なことを口走ったりするようなんです。死者と交信できるんだと、言われたりしました。誰もいない場所に向かって話していることもあったりもします。でも、私自身はその時には記憶がなくて……覚えていないんです。何を言ったんかも。気味が悪いですよね……村の人たちも、私のことをエドナの再来ではないかと怖れているんです」

 

 死者と交信できる、不吉な娘――。

 公爵家の屋敷で、彼女が告げたリネット・コートルードの言葉が頭を過る。

 無意識に、カフスに手をやっていた。

 馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすには、説明のつかないことばかりで。


 ミランダはうつむいたまま顔を上げない。黒い髪に表情が隠れてしまっていた。

 アレックスはふっと溜息を吐くと、手を伸ばして彼女の髪を耳にかけてやる。ビクッとして顔を上げた彼女は、困惑の色を浮かべていた。少しばかり頬が赤い。絵の青いほど白い女性の頬とは大違いだ。ミランダは血の通っている普通の女性だ。


「君がそのエドナという先祖の女に似ているのは……まあ事実だろうな。あの絵があるんだ……だが、君は吸血鬼じゃないだろう。死者と交信できるという話が本当かどうかなんてわからないが……もしそうだとしたら、類い稀なる能力じゃないか。別に忌み嫌われるほどのことじゃない。それに、死んだ人間と会話できるなら、色々と便利なことだってあるだろう?」

「便利……ですか?」

 ミランダはキョトンとした顔をしている。

「ああ、そうだ。たとえば……そうだな。故人がどこかにしまっているものの在処を訊くとか。誰かに殺された人間なら、犯人の名前だってすぐにわかるかもしれない。そうなれば、警察は喜んで君の力を借りに来るだろうさ。きっと表彰ものだ。まあ、つまり……能力なんて、使い用だということだ。そうだろう?」

「……そんなふうに言っていただけたのは初めてです……あっ、でも……死者の話をきけるといっても……いつもではないんです! きっと、強い想いがある人が、どうしても言いたいことがあって……やってくるのだと思います」

 強い想い――。

 それなら、リネットもそうだったのだろうか。

 言い残したことがあって。

 アレックスはほんの少し目を伏せる。


「ですから……あまりお役には立てません……」

 ぎこちなく微笑む彼女をチラッと見てから、ソファーに背中を預け、頬杖をつく。

「あの幽霊が現れて、ネックレスが見つかった。あのエドナという女伯爵は、何かを伝えたがっているのかもしれない。それを聞くことができるのは、君だけかもしれないぞ」

「私がですか……?」

「ああ、そうだ。私は普段、幽霊なんて信じていないし、もちろん見たこともなかった。なのに、あんなものを見たのは、この屋敷と君の能力が関係しているのかもしれない。そうでなければ、見ることなんてなかっただろう。君はこの屋敷でずっと暮らしていたけれど、そんな幽霊は目的したことがないんだろう?」

「はい……ジェファーソンや、メアリーも見たことがないと思います」

 ミランダは小さく首を傾げる。となれば、あの幽霊は昨日初めて現れたということだ。

「それに、剣がなくなっていた……柄の中に彼女のネックレスが入っていたということは、あの剣は彼女に関わりがあるものだと考えて間違いない。その剣をエドナが持ち出したのだとしたら、いったい、何のためだと思う?」

 アレックスが考え込みながら尋ねると、ミランダもしばらく考え込んでいた。

「……剣を隠そうとしたんでしょうか?」

「何のために? 普通なら、自分の首飾りのほうを隠すだろう」

「アレックス様はどうしてだと?」

「……わかりはしないさ。誰かを……殺そうとしているのかもな」

 ミランダが「そんなっ!」と、青くなる。

「言ってみただけだ。たとえそうだったとしても、あんな錆びだらけの剣じゃ人の首どころか、蕪も切れない」

「なにかを、知らせたいから……でしょうか?」

「そうかもな。だとしても、君じゃなくて私の前に現れたのはどういうつもりなのか。間違えたのだとしたら、なかなかおっちょこちょいな幽霊だ。まあ……君の先祖だからな」

「私はおっちょこちょいではありませんよっ!」 

 ミランダが赤くなって否定する。そんな彼女を見て、アレックスはフッと笑った。

「とにかく、あの女性のことを調べれば、事件解決の糸口が見つかるかもな。何か記録が残っていないのか?」

「私が見つけたのは、あの絵だけです……もしかすると、他の部屋を捜してみれば、あるかもしれません」

「……そいつは、探しがいがありそうだ」

 また埃まみれになるのかと思うと、アレックスは苦笑いを浮かべた。







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