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第二章 幽霊城 10

 夜更けに目を覚ましたアレックスは、カーテンに覆われた窓の方を見る。

 雨音に混ざり、微かに聞こえてくる音がある。金属を引きずるような音――。

 それは外ではなく、廊下の方からだ。アレックスが体を起こすと、頬をくっつけるように眠っていた白い子猫がコテッと転がる。

「こいつ、また人の部屋に忍び込んでいたのか……」

 暖炉の炎ももう消えていて、部屋は冷たい空気が漂っていた。


 金属の音は、さっきよりはっきりと聞こえる。執事のジェファーソンが見回りでもしているのだろうかと一瞬考えたが、それにしても不可解な音だ。白い子猫を抱きながら耳を澄ませると、その音は部屋に近付いてくるようだった。

 まさか、コソ泥でも忍び込んだのか?


 アレックスはベッド脇のチェストに手を伸ばし、引き出しに隠していた銃を取った。

 子猫はその気配で目を覚ましたのか、不意に扉の方をじっと見つめて、毛を逆立てながら唸るような声を漏らす。

「おい……静かにしろ……っ!」

 アレックスが小声で宥めようとしても、扉から目を離さない。

 抱きかかえると、暴れて手に爪を立ててきた。


 金属の音が不意に止み、コン、コンとノックする音が聞こえてくる。

 声を上げるべきかどうか迷ったが、コソ泥なら誰かいるのか確かめているのかもしれない。だとしたら、不用意に声を上げないほうがいいだろう。ただ、こいつがミランダの部屋に行く可能性を考えると、見すごすこともできなかった。

 この屋敷にいるのはアレックスの他、老齢な執事と、メイド、それに彼女と子猫二匹だけだ。


 二度ほど、またノックの音が聞こえた後、静かになる。金属を引きずるような音が少しずつ、遠ざかっていくのがわかる。何の音だと、アレックスは眉を潜めた。

 まさか、本当に幽霊じゃないだろうなと、ミランダの話を思い出して苦笑する。

 そんなものがいるなら、お目にかかりたいものだ。

 たいてい、こうした怪奇現象は人の仕業と決まっている。それも幽霊より、たちの悪い目的を持った。

  

 子猫をベッドに下ろすと、「ここで大人しくしてろ」と小声で言い聞かせ、足音を忍ばせながら移動する。扉まできたところで、子猫がぴったり脚に寄り添っていることに気付いた。

「ほら、あっちだ!」

 追い払おうとしたが、ますます脚にしがみついて離れようとしない。「ンアー」と鳴くものだから、仕方なく抱えてナイトガウンのポケットに押し込んだ。

 

 銃口を下に向けたまま、扉をゆっくりと開く。何者かは遠ざかった後なのか、外には気配がない。もう少しだけ扉を開いて廊下を覗いてみたが、静まり返っている。ただ、金属の音はまだ微かに聞こえていた。エントランスに通じる階段の方へと向かっているらしい。

 廊下に出てみたアレックスは、すぐさま銃を構える。だが、廊下の先にいたものを見て、息をのんだ。


 赤いドレスを着た、白い髪の女――。

 その女が引きずっているのは、昼間に西棟の通路で見た銀の剣だった。

 声が出ず、銃を構えたまま硬直していると、ナイトガウンのポケットから唸る声が聞こえる。

 その声にハッとして、足を踏み出した時、通路の先を歩いていたその女が、一瞬だけ振り向いた。


「ミ……ランダ……?」

 我が目を疑ったが、確かにその顔は彼女のものだった。

 アレックスを見たのか、それとも、その視線はまた別のものを見ていたのかわからない。

 ぼんやりとしたまま、彼女は前を向き、エントランスの階段の方へと向かう。

 銃口を下げたアレックスはすぐさま、その後を追って駆け出した。

 

 肖像画が飾られているエントランスの正面階段まできたところで、彼女の姿を見失う。

 急いで駆け下りながら探すと、キッと扉の音がした。下の階の扉だ――。

 階段を駆け下りると、確かに扉がわずかに開いている。

 いったい、夜中に何をしているんだと、髪をかき上げながらその扉を思い切って開いてみた。

 だが、そこは――ただの使用人用の通路だ。狭い通路の先は、厨房やワイン蔵があるのだろう。 

 赤いドレスを着たミランダの姿も見当たらない。こんなにすぐに、消えるはずもないのに。 

 そもそも、あんな恰好で、真夜中に使用人用の通路に入っていく理由もわからない。


「気のせい……か?」

 そんな馬鹿なと、眉根を寄せて扉を閉める。

 亡霊――。

 ミランダにそっくりだったぞと、その考えを振り払った。

 ナイトガウンのポケットに隠れた子猫は、さっきから震えているようだった。

 そいつを引っ張り出して抱きかかえると、少しばかり震えも収まった。

「……あれは、お前のご主人様だと思うか?」

 もし、そうなら、子猫がこんなに怯えるはずもないだろう。

 子猫は「ウアー、ウアー」と、声を漏らす。

「お前も違うと思うのか……じゃあ、お前のせいで寝ぼけたんだな」

 独り言を漏らし、エントランスの正面階段を上がっていく。

 その途中、ゾクッとして振り返ったが、暗いエントランスには他に誰の気配もなかった。

 

 どうやら、臆病になっているらしい。

 アレックスは階段を上がり、踊り場で足を止める。

 階段は左右に分かれていて、左手の階段を上がり廊下を進めば客用の寝室に戻る。右手の階段の先がミランダの寝室や書斎のある通路だ。

 こんな夜中に、女性の部屋を訪れるなんて正気を疑われても仕方がない無作法なのは承知しているが、先ほどのことが気になる。目の錯覚や、夢だと思うにはあまりにも鮮明だった。

 

 さっきのが本当にミランダではないとすれば、彼女は今頃寝室で寝ているだろう。

 アレックスは右手の階段を上がり、廊下を進んで行く。

 だが、部屋といっても一つではなく、どこの部屋が彼女の寝室なのかもわからない。

「やはり、明日にするか……」

 だんだん、自分が馬鹿げたことをしているように思えて諦め、頭を掻きながら廊下を引き返した。


 自分の寝室に戻って扉を開こうとした時、ノブをつかんだ手が濡れていることに気付く。

 手を開いてみると、赤黒い血がべったりと付着していた――。

 顔が強ばり、思わず深夜だということも忘れて「うわあああっ!」と悲鳴を上げる。

 その後のことは、覚えていない。


 目を覚ましたのは朝方で、寝間着にショールを羽織ったミランダと、メイド、それに執事が集まって顔をのぞき込んでいた。もちろん、眠っていたのは扉の前だ。


 まったく、ひどい目に遭った!

 アレックスは身支度を調え、食堂に下りる。

 目を覚ました時に、必死に説明をしようとして『血が、血が……ついてていて……っ』と繰り返したが、自分の手のひらを見れば血などどこにもついてはいなかった。これでは、ただ夢にうなされながら、廊下で寝ていたただの変なやつだ。しかも、銃まで持っていたのだから、かなり怪しまれているだろう。

 アレックスがテーブルにつくと、メイドのメアリーが不審者でも見るような目をしながら紅茶をいれてくれた。


「あの……おはようございます。えっと……風邪をひかれたりはしていませんか? 夜、廊下で寝てるのは寒かったでしょうし……」

 先にテーブルについていたミランダが、おずおずときいてくる。

「ああ……おかげさまで熟睡できたようだ」

 不機嫌に答えると、執事のジェファーソンが、「パンはいかがですか?」と焼きたてのパンが入った籠を差し出してくる。

「クロワッサンを」

 アレックスが頼むと、ジェファーソンはトングでクロワッサンを皿に取り分けてくれた。

 サラダにスープ、それにハムやチーズが皿に盛ってある。ココットも添えられていた。


 ムスッとしたままクロワッサンを口に運んでいたアレックスは、ふと隣に座っているミランダに視線を移した。彼女はいつもと変わらない様子だ。着ているのは、質素なデザインの紺色のドレスだ。それに彼女の髪は白ではなく、夜を染めたような艶やかな黒髪だ。

「あの……私がどうかしましたか?」 

 見られていることに緊張したのか、ミランダが小さな声できいてきた。

「君は……昨……」

「はい?」

「いや……君は、赤いドレスは持っているか?」

 アレックスは視線を逸らし、紅茶のカップを取る。あのメイドめ、随分と渋いじゃないかと、眉間に皺を寄せた。今もティーポットを持ったまま、ジーッと睨みをきかせてくる。

「赤いドレス……ですか? いえ……私にはあまり華やかな色は似合いませんから……」

 ミランダは赤くなって、プルプルと首を横に振っていた。

「君の母親が着ていたドレスの中にも、赤いドレスはないのか?」

「え? お母様のですか? ええ……なかったと思います。古いドレスは売ってしまって……あまり残っていないんですけど。どうして……ですか?」

 不思議に思ったのか、ミランダが少し首を傾げてジッと見つめてきた。


「いや……その……なんていうか……夢で見ただけだ」

 アレックスはごまかして、ちぎったクロワッサンを口に押し込む。

「私の……ですか?」

「ああ、それで昨日は……いや、違うな。実を言うと、本当は赤いドレスを着た女が、廊下を歩いているのを見たんだ……」

 正直に答えると、ミランダが目を丸くする。それを聞いていたメアリーと執事のジェファーソンも、顔を見合わせていた。


「ああ、わかってる。どうせ、寝ぼけていたと言うんだろう。その通りだ。だから忘れてくれ。今朝の醜態も含めてだ」

「いいえ、寝ぼけていたとは思いません。ただ、驚いてしまって……あの、それって……幽霊で……」

「違うっ! ただ、その女が君によく似ていたから……君かと……」

 言葉を濁しながら言うと、ミランダが息を呑む。その顔から血の気が引いているように見えた。

 怖がらせたのだろうか。アレックスは余計な話をしたと、片手を軽く上げる。

「いや、ただの夢だ……そうでなければ、寝ぼけていたんだ」

「そうだと……いいんですけど」

「どういう意味だ?」

 ミランダは俯いて、困ったような顔で黙っていた。

(手に血がついたと思ったのも気のせいだったんだ……あんなものが実際に幽霊なわけないだろう)

 アレックスは溜息を吐く。


「その女性の方が……赤いドレスを?」

「ああ、古くさいデザインのドレスだったな……スカートがやけに大きくて……昔の……」

 それに、あの女が引きずっていたのは、甲冑が持っていた剣だった。

 昨日、目にしたから夢に見たんだろう。


 アレックスは「そうか、剣か……」と、呟いて顔を上げた。

「剣……?」

「ああ、昨日、西棟の通路で見ただろう?」

「甲冑が持っていた剣ですか?」

「それだ。昨日、あの女が引きずっていたんだ」

「ま、まさか……っ!」

 ミランダが顔を強ばらせて、口を押さえる。

「だから、夢だ。夢以外にあるもんか」

「そうですけど……気になりますね」

 ミランダは真剣な顔をして顎に手を添え、考え込んでいる。

 怖がりなくせに、好奇心も旺盛だ。

「だったら、調べてみればいい」

 アレックスは彼女を見て、ニヤッと笑った。


 

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