第二章 幽霊城 9
ホーリー邸は、石積みの古城で屋敷の中は意外と広い。ただ、大半は手入れもできずに放置されているようだった。居住区になっていて清掃されているのは、ほんの一角だけだ。鍵がかかっている通路の扉の先は、ミランダも執事やメイドも長年立ち入ったことはないという。その話をミランダからきいたアレックスは、好奇心にかられてその扉の先を覗いてみることにした。
例の事件の手がかりになるような記録が、屋敷の中に残されているかもしれないと思ったのだ。執事のジェファーソンが管理している屋敷の記録は、彼がここにやってきたてからのものだ。それ以前のものは、手元にないという。ならば、歴代の執事や屋敷の主人の記録は、どこかに保管されているはずだ。
「あの、エルハルド子爵……あまり進んでしまうと、迷うかもしれませんよ? 手入れもしていないので、床が痛んでいるようですし……」
二人が進んでいるのは、西棟の廊下だ。窓は木の板で閉ざされているから、灯りがなければ足元が見えない。海側から吹き込む強い風の音が響いている。歩くたび、板がギシギシときしんでいた。
灯りを手にしたアレックスは、「そのために、地図を用意させたんだろう?」とポケットから古い図面を取り出す。これはミランダがジェファーソンに頼んで借りてきたものだ。屋敷の図面は、これ一枚しかないらしい。羊皮紙に描かれたものだから古いものだろう。屋敷も度々改築や増築されていたようだから、この図面とは変わっている部分があるかもしれないと、ジェファーソンは話していた。ただ、大まかな見取り図はそう変わっていないだろう。
「その時には、窓を開けて叫べば誰かが飛んでくるだろう?」
「それはそうですが……気付かれないかもしれません」
「じゃあ、屋敷の中で仲良く遭難だな」
「そんなことになったら、大変ですっ!」
うろたえるミランダを見て、アレックスはクッと笑った。通路には部屋の扉が並んでいる。二人は足を止めると、扉を押してみた。鍵はかかっていないのか、壊れているのか、簡単に開く。
アレックスが先に覗くと、ミランダも後から背伸びしてのぞき込もうとする。怖がっているのかと思ったら、意外と彼女も好奇心旺盛なようだ。
「……ただの客間のようだな」
古い家具には、白い布がかけられている。それが幽霊屋敷みたいでなかなか――趣がある。
ランプや家具にには蜘蛛の巣が張り、垂れ下がっていた。暖炉も塞がされていた。
「他の部屋も同じだと思います……エルハルド子爵、やっぱりここには何も……」
アレックスは思わずレーリアの顔を見る。彼女はハッとしたように口を押さえて、「アレックス……様」と遠慮がちに言い直した。まだ、言い慣れないのだろう。別に強要するつもりはない。
「そうとも限らないさ。この先の塔にも部屋がある」
アレックスは図面を見せて、塔の部分を指差した。
「……何に使われていた部屋でしょう?」
ミランダも知らないのか首を傾げている。
「さあ、牢獄かもしれないな」
「まさか……っ!」
ミランダはびっくりした顔をしていたが、あながち冗談とも言えない。
塔は幽閉に使われることが多いから。
扉を閉めて、灯りを翳しながらさらに進んで行くと、ミランダはちょっと怯えたように小走りについてきた。「あっ!」と声が聞こえて振り向くと、割れた板に引っかかった彼女が倒れかかってくる。
咄嗟に彼女の腕をつかんで自分の方へと引き寄せた。抱えるような恰好になり、ミランダは慌てて離れようとする。だが、すぐに手を離せば、よろめいて尻餅をつきそうだ。
「あっ、ごめんなさいっ!」
「足元を見てないと危ないぞ。ほら……」
割れた板から、釘が出ている。踏んだりすれば大怪我をしているところだろう。ミランダは「あっ」と、声を漏らした。アレックスの胸に手をついていることに気付いたのか、すぐに離れていた。
アレックスも注意深く床と周りを見ながら、歩き出す。その片手はミランダの手をつかんだままだ。
彼女も特に振り払おうとしない。それよりも、やはりこの通路の先の塔に何があるのか気になるのだろう。アーチ型になっている扉を開けば、螺旋状になった石の階段が上と下に伸びていた。
取りあえず、上がってみようと、アレックスは慎重に階段を上っていく。
部屋の入り口まで辿り着くと、一度ミランダと顔を見合わせてから扉を慎重に開いてみた。その音が階段に響く。その瞬間、羽音がして何かが飛び出してきた。「うわっ!」と驚き、思わず後に下がる。
ミランダもビックリしたのか、「キャッ!」とアレックスの上着にしがみついていた。
二人が身を低くしてやり過ごしていると、羽音は聞こえなくなる。灯りて天井を照らしてみると、ぶら下がっているのはコウモリだ。
「コ……コウモリ……ですね……」
「ああ、コウモリだな……」
「あのコウモリが、吸血鬼の正体……でしょうか?」
真顔で言う彼女を見て、アレックスは耐えきれず笑い出した。
「ああ、きっとそうだな。夜中に人間に変身して、夜な夜な住民の生き血を啜るんだ」
「笑い事ではありませんよっ!」
「ああ、そうだな。不謹慎だった」
被害者が出たばかりなのだ。彼女の言う通り、自粛しようと笑うのをやめる。
それから、蜘蛛の巣を払い退けて、部屋の中に足を踏み入れた。
「エル……アレックス様、何か見えますか?」
「書架だな……」
円形になった部屋の壁は、全て書架になっているようだ。そこにファイルが並んでいる。どうやら、ここに過去の屋敷の帳簿や日誌を保管しているらしい。ミランダも、驚いた様子で部屋の中を見回していた。こんな部屋があるなんて、知らなかったのだろう。
床も書架も埃と蜘蛛の巣だらけで白くなっていた。窓も閉め切られているから、息を吸うだけで咳き込みそうになる。ミランダとアレックスは急いで窓を開いた。
心地よい風が吹き込んで、蜘蛛の巣が揺れる。
まだ残っていたコウモリが、差し込んだ日の光に驚いた様子で、外へと飛び出していった。
塔の外は城壁と断崖、その向こうに暗い灰色の海が広がっている。海面が波打っていた。吹き込む風も海の潮の香りがする。窓から見下ろしてみると、かなり高い。戦争があった頃には、ここで見張りを行っていたのだろう。
「塔から見た景色……こんなふうになっていたんですね……」
髪を押さえながらミランダが呟く。彼女の目は、窓から見える海に向けられていた。
「一度も入ったことはないのか? 子どもの頃も?」
子どもなら、知らない場所があれば隅々まで探検を試みたくなるはずだ。だが、彼女は「いいえ、入らないように言われていたんです」と首を振る。こっそり忍び込むなんて考えにも至らなかったのだろう。
「その理由をきいてみたことは?」
「危ないからと言われました。お化けが出ると……乳母に脅されて……」
ミランダは振り向いて、恥ずかしそうな顔をする。なるほど、それで怖がりなわけだ。
確かに子どもが間違って入れば、大怪我をする可能性もある。
アレックスは棚からファイルを一冊取り出して、めくってみた。使用人に支払った給金が記録されている。昔は、それなりに使用人も多かったようだ。
それを何気に見ていたアレックスは、バーンズという名前に目を留める。
(バーンズ……あいつの親族か?)
ミランダはあの巡査の父親が庭師で、母親は家政婦だったと話していた。代々、伯爵家の使用人をしていたのかもしれない。そういうことは珍しくもない。まったく知らない者を雇うより、その方が安心だからだ。
ファイルを戻して、他のファイルを手に取ってみると、晩餐で出したメニューについての記録。別のファイルは、所領の税収に関する帳簿だ。特に目をひくものはなく、棚に戻す。
上の棚に押し込まれていたファイルを引っ張り出し、踏み台を倚子代わりにして読んでいるうちに、いつのまにか時間が経っていたようだ。読んでいたのは、近隣の村の報告だ。その月にあった行事や、出来事などが大まかに書かれているもので、村と村との些細なケンカまで記録されているから、つい新聞記事でも読むような気分で目を通していた。
だが、途中でファイルをめくる手が早くなる。月に一度、必ず誰かが亡くなる。しかもその日だけ、死者の数が他の日よりも多い。その死者の名前には赤い線が引かれていた。
日付を遡ってみても、やはやり同じだ。決まって、朔の晩――。
それ以上の記述はなく、淡々と処理されているような印象だった。
多い月では五人も亡くなっているというのに。
「流行病……ではないのか?」
独り言を漏らしながら考え込む。だが、流行病なら、決まった日にだけ死者が増えるなんてことはない。徐々に村中に広がり、死者数は日に日に増加する。それに、流行病なら医師がそう診断しているだろう。実際に、伝染病が広まった年には、そう書かれていた。隔離などの対策が取られたこともだ。
「……子爵……子爵…………アレックス様……」
遠慮がちに呼ばれて顔を上げると、ミランダがノートを抱えてそばに立っていた。
「ああ……すまない。何か見つかったか?」
「屋敷で働いていた執事の日誌ではないでしょうか?」
そう言いながら、彼女はノートをアレックスに渡す。埃を払ってページを開くと、確かに執事の日誌で、屋敷の中で起こったことが事細かく書かれている。執事の日誌と、村の報告書などを照らし合わせてみれば、何か発見があるかもしれないが、それには時間がかかりそうだ。
外から正午を知らせる教会の鐘の音が聞こえてくる。ミランダは体が冷えたのかクシュッとくしゃみをもらしていた。確かにここには暖房もない。あまり長くいては冷えて風邪を引いてしまいそうだ。
アレックスは手元のファイルと彼女のノートを抱え、立ち上がった。
「そろそろ、戻ろう。この当たりから調べてみれば何かわかるかもしれないからな」
「はい……あの、何をご覧になっていたのですか? ずいぶん、熱心に読んでいらしたようですが」
部屋を出ながら、ミランダが興味深そうにきいてくる。
「村の記録だ。七十年ほど前のものだな」
「そんなに昔のものまで残っていたんですね」
「もっと古そうなファイルも上の方にあったが、手が届かなかったよ。今度は梯子が必要だな」
アレックスが肩を竦めると、ミランダが「そうですね」とクスッと笑う。
また、クシュッとくしゃみをしているので、アレックスは自分の上着を脱いで彼女に差し出す。
「……寒いんだろう。着てろ」
「あっ、いえ……大丈夫ですっ! ほ、埃のせいですよ」
ミランダは慌てて上着を返そうとしたが、アレックスは受け取らずにさっさと階段を下りていった。
小走りに追いかけてくるミランダの足音が後から聞こえる。扉を開くと、そこは西棟の通路だ。
ギャラリーになっていて、壁には絵が飾られているが、どれも板が打ち付けてられていたり、布で覆われたりしている。埃避けなのか――。
古い甲冑も飾られているが、今にも動き出しそうで不気味だ。
隣に並んだミランダは、アレックスの上着を肩に羽織っていた。袖を通せばいいものを、遠慮したのだろう。
「……なかなかいい趣味じゃないか」
アレックスは甲冑の兜をコンッと叩いて呟く。ミランダは目を丸くして、「そうですね」と小さく笑っていた。つついたせいか、甲冑が支えていた剣がゆっくり倒れて大きな音が廊下に響く。
二人ともビクッとして一瞬固まってから、顔を見合わせた。
アレックスは身をかがめて、転がった剣を拾い上げる。少しだけ鞘から抜いてみると錆びていた。
「……実際に使っていたものか?」
「さぁ……どうでしょう? ですが……伯爵家のものだと思います……うちの紋章が刻まれていますから」
ミランダは甲冑の胸に刻んである紋章を指差す。アレックスは「確かにな」と呟いてから、力を入れて剣をグイッと引き抜いた。半分ほど抜けた剣は、赤い錆びが付着している。
よく見れば、銀色の鞘や柄も、ところどころ黒くなっていた。
「血……か?」
指で拭ってみても、もう固まってしまっていて取れない。
匂いを嗅いでみたところで、どのみち鉄の匂いしかしない。
「戦争の時に……使っていたんでしょうか?」
「いや、使われたのは……剣だけだな。甲冑には汚れがついていない」
甲冑は埃と蜘蛛の巣に塗れているが、剣に付着しているような黒い汚れはついていなかった。それに錆びてもいない。剣だけがこんなに錆びているのは、誰か、あるいは何かを斬って、そのまま手入れもせずに鞘に戻したからとしか考えられない。
「まあ、剣は斬るためのものだからな……驚くほどのことでもないさ」
鞘に剣を戻して甲冑に戻す。少なくとも、最近使われたものではないことは確かだ。
それなら、自分たちには知りようがない。
歩き出したアレックスに、ミランダは急ぎ足でついてくる。不安そうに、時折甲冑を振り返っていた。
「案外、斬ったのは猪かもしれないぞ。そうじゃなきゃ、この屋敷に忍び込んだ盗賊だ」
「……アレックス様は……怖くはありませんか?」
「盗賊がか?」
「いいえ……やっぱり、私は……この屋敷があまり好きになれないんです」
ミランダは下を向いて、ポツリとこぼす。それは意外な言葉だった。
彼女は好き好んで、この陰気な屋敷に引きこもっているのだとばかり思っていたから。
「王都の方が好きなのか? 人が多い場所は苦手そうだったぞ」
それなら、伯母であるディオーク伯爵夫人の邸宅で世話になればいいものを。
所領の管理を人任せにもできないから、そうもいかないのだろうか。
「……あっ、王都に行きたいとは思っていないんです。ただ……この屋敷は……やっぱり、ちょっと怖くて」
「なるほど……」
子どもの頃にすり込まれたお化けの話とやらが、よほど記憶にすり込まれているのだろう。
通路を通り抜けて扉を開くと、客室が並ぶ通路に出る。
そこから先は、窓も塞がれておらず、薄い日の光が射していた。




