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第二章 幽霊城 6

 朝、目を覚まして食堂に下りると、ミランダの姿はなかった。執事だけがいて、席に座るとパンをとりわけ、紅茶を用意してくる。オムレツとスープ、それに温野菜のサラダも並んでいた。昨日の夜、あのような事件が起こったのだ。疲れてまだ眠っているのだろうか。だが、窓の外を見ればもうすっかり明るい。昨日の嵐も嘘のように晴れた天気だった。

「ホーリー嬢は?」

 アレックスがオムレツを切り分けながら尋ねると、執事は紅茶のポットを持ったまま、一瞬言葉に詰まる。

「お嬢さまは、朝早く村に出かけられました。エルハルド子爵様のことは仰せつかっております。馬車を呼んでありますので、駅までお送りしましょう。お嬢さまから、お見送りできず、大変申し訳ありませんと……」

「なんだって? 村に出かけた? 一人でか?」

「いえ、バーンズ巡査がお迎えに来られましたので」

「バーンズ巡査……あいつか」

 ロイとミランダが名前を呼んでいた、不貞不貞しい態度の警察官の顔を思い出す。

 昨日の事件のことについてだろう。それは当然と言えば当然なのだが、なぜ自分には声をかけずに出かけたのか。


 昨晩、屋敷に戻ると、部屋には風呂が用意されていた。湯に浸かって温まり、部屋に用意されていたウィスキーを飲めば、眠けが押し寄せてきてベッドに入るなり眠ってしまった。そのまま、日が高くなるまでぐっすり眠り込んでしまっていた自分が悪いのだが、起こしてくれれば同行したものを。

 

 ちぎったクロワッサンを、モグモグと咀嚼する。

(……その必要があるのかと言われると……ないが……)

 自分は子猫を届けに来ただけのただの客人だ。昨日はやむを得ず屋敷に留まったが、これ以上、彼女にも、彼女の領地の事件にも関わる理由は確かにない。昨日の晩、ミランダと共に出かけたのは、女性を深夜近くに出歩かせるわけにはいかないという紳士的な配慮からである。


「おや……」

 執事が足元を見て呟いたので、アレックスも視線を下にやる。靴の上に乗って、ズボンを引っ張るのは白い毛玉だ。起きた時、図々しくもアレックスのお腹の上にのって丸まっていたが、一緒に部屋を抜け出してきてしまったらしい。


 執事がすぐに連れ出そうとするので、「いい」と身をかがめて片手で子猫を拾い上げた。膝の上にのせ、片手でかまってやりながら、もう片方の手で紅茶を飲む。公爵家の屋敷でもいつもそうだったから、慣れたものだ。

「後でミルクを持って参りましょう」

「ああ……そうしてくれ。それより、昨日の事件のことは何か聞いているのか?」

「……怖ろしい事件でございますな」

 それだけかと、アレックスは執事の顔をチラッと見る。老人もチラッとアレックスを見たけれど、表情は変えない。余計なことを話さぬよう、慎重になっているのだろう。年老いていても、伯爵家の執事だ。

「犯人は捕まりはしないのだろうな……」

「今のところは、聞いておりませんな」

「君はこの伯爵家に仕えて長いのだろう。どれくらいになる?」」

 朝食を取りながら尋ねる。

「五十年以上にはなりますでしょうか」

「ほお……では、この領地のことはよく知っているのだろう」

「村の者が知っているくらいのことであればですが……多少は」

「吸血鬼というものの存在を、君は信じるか?」

「…………さて、どうでしょう。私は見たことがございませんので」

「そうだな。私もない。だが、昨晩のような事件が度々起こり、吸血鬼の仕業と言われているそうじゃないか。村の者は少なくとも信じているのだろう」

 空になったカップを置くと、執事が紅茶を注いでくれる。二杯目の紅茶に、シュガーポットから取った砂糖を落とした。それが琥珀色の液に溶けていく。

 膝の上で大人しくしていない白い子猫は、よじ登ってアレックスの上着の中に潜り込もうとする。そこがお気に入りなのだろう。


「……迷信を信じる者もおりましょう」

「迷信か。君は本当に迷信だと思うか?」

「さて……私は、見たことがないので、なんとも申し上げられませんな」

 老人は話を巧妙にはぐらかして、「ご用がございましたら、お呼びください」と部屋を出て行った。

 

「吸血鬼か……」

 呟いて紅茶のカップを口に運ぶ。二杯目の紅茶は少し渋くなっていた。

 まあ、自分には関係ないことだ――。

 引き留められもしないのに留まって、無関係な事件に首を突っ込むこともないだろう。

 彼女とは、それほど親しい仲でもない。

 そう思うのに、帰りの馬車の中、震えた手を握り締めて俯いていた彼女の姿が頭を過る。

 殺人事件なんて、見慣れるわけがない。


 帰り支度をして屋敷を出る時、見送りに出てきた執事に、「こちらをお渡しするようにと」と細長い木箱を渡された。約束していた果実酒のようだ。それをありがたく受け取り、「子猫を頼む。よく脱走するから気をつけてやってくれ」と言い残して馬車に乗り込んだ。

 

 来た時同様、馬車は林の中の道を進む。木々の枝が雨に濡れて、雫が落ちていた。

 林を抜け、村近くを通りがかった時、教会の屋根が見える。馬車が停まり、多くの人々が集まっていた。聞こえてくるのは、弔いの鐘の音だろう。

 アレックスは「葬儀……?」と、呟いてもたれていた背中を浮かせる。

 昨日、事件があったのに、もう埋葬するつもりなのだろうか。

 

 朝早くミランダが出かけたのも、葬儀のためだったのかもしれない。アレックスは一瞬思案してから、「停めてくれ」とステッキでドアを叩いた。

 教会の前で馬車が停まると、ドアを開いて外に出る。続々と村の者たちが教会の礼拝堂に入っていく。その後に続いて礼拝堂に足を踏み入れたアレックスは、ミランダの姿を探す。


 彼女は祭壇のそばにいた。被害者の母親らしき女性が、棺にすがりついて泣いている。それを、村の女性たちが宥めていた。

 後を回ってミランダのそばに行くと、アレックスは彼女の肩を叩いた。びっくりしたように振り返ったミランダは、「エルハルド子爵!」と声を抑えて呼ぶ。アレックスはチラッと棺に目をやった。白い布が遺体にかけられている。だが、その胸の辺りが不自然に盛り上がっていた。


(杭……?)

 まさかなと、アレックスは眉間に皺を寄せる。

「あ、あのエルハルド子爵、どうしてここに……」

 ミランダはアレックスの袖を引っ張り、声を潜めて言う。

 君が心配だったからという言葉を、思わず飲み込んだ。心配する理由が思いつかなかったからだ。

「ただ……昨日の件が気になって、立ち寄っただけだ」

「ごめんなさい、お見送りもできず……」

「いや……それはかまわない」

 周囲の村人が誰だとばかりにこちらを見ているのが気まずくなり、アレックスは「外で待っている」と言い残して礼拝堂を出た。


 あの杭――。

 それに昨晩、帰りの馬車で彼女の袖や指が血で濡れていたこと。

 教会の柵の外で待ちながら、運び出された棺が墓地に埋葬されるのを見つめる。


(殺人事件だぞ……検死もろくに行わず、遺体を埋葬するだって? あり得ないだろう)

 ミランダと一緒に、ロイという名のあの巡査も一緒に葬儀に参列していた。

 まさか、吸血鬼の迷信を信じて、遺体に杭を?

 その役目を、領主であるミランダにさせたのか。


 何もかもが異常だ――。

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