兄がギャルゲーの主人公で私の日常は針の筵〜妹は街中で避けられる〜
こんにちは、MCを務めますのは我が兄が主人公のギャルゲーの世界に住むマノンです。
もう嫌です、初っぱなからご免なさい。
でも本当にもう嫌です。
兄が女という性別に無双しているせいでシワ寄せが来てるせいだ。
町を歩けば性別女の集団に睨み付けられる日々。
理由は兄の近くに居る異性だから。
どうやらこのギャルゲー世界は妹の自分も攻略可能な対象者になるから補正でもかかっているのだろう。
兎に角、いつか刺されそうだ。
特にヤンデレ女に。
ヤンデレを舐めたら死んでしまうなんて、有り難くない、返上したい。
(全部全部クソったれのせいだ!)
クソったれというのは言わずもがな主人公だ。
どうやら天然という部類らしく町に居る美少女や美女を誑し込んではベッドでチョメチョメしているという話だ。
それが、本当だから手に負えない。
ホテルにでも行けば良いのに何故か自室で。
滅びろ!
(おかげで外に行かなくちゃなんないっ。でも睨まれるし、理不尽過ぎ)
外に出ても中に居ても地獄だ。
町から出て行きたい、それか彼氏を作りたい。
彼氏さえ居たら兄を狙っているなんて狂っている思考を持つ女達の頭の中をクリーンに出来るのに。
しかし、世はマノンに冷たい。
兄が兄なら妹も妹だなんて思われてしまって、彼氏が出来そうだと気配で感じたら相手が「あいつの妹はちょっと」とか言われる。
きっと身内が捕食されるのを恐れているのだろう。
でも、間違っていない。
対面した異性は必ず兄に惹かれてしまう、何故なら主人公だから。
宿命というかスキルというか。
そのせいで、町に居たくないのだ。
明日から高校の入学式だと言うのに、もう未来は真っ暗だ。
兄は大学生で今年の春から通っている。
電車で一時間と少しらしい。
今度見学に来たらと言われたが、そこもハーレムとなっているのは分かっているから死んでも行くものかと決めている。
大学生で天然で、益々ハーレムに磨きがかかっている事だろう。
同じ大学を受けたらなんて両親から言われているが、死んでも行くか、クソったれ!
淑女ぶっても、ここでは恋愛してくれる人が居ないので女子力なんて既に何処かへ置いていってしまった。
ブツブツと言いながら家に帰ると隣に引っ越し業者のトラックが停まっていた。
もしかして誰かが隣に引っ越してきたのだろうか。
因みに真逆の隣に居る住人は近所で評判のママ系美人(独身)だ。
その人はとっくに兄の餌食となってハーレムの幹部と成り果てている。
兄に食われる前はマノンにとって頼れる何でも出来る人で憧れだったが食われた後は挨拶してくれるものの黒い威圧感を浴びせてくるようになった。
心の中で(抜け駆けは駄目よ?)と言っている。
もう悲しくて悲しくて泣いてしまった。
あの聖母の生まれ変わりのようだったお隣のお姉さんを返せ!
兄にそう迫ったら次の日にお隣の天使から堕天使となった彼女に言われた。
『もう、(兄の名前)くんを困らせたら駄目じゃない。次に何かあったらお姉さんが躾しに行くわ(ハート)』
殺される、始末される。
体中の血が逆流したかのような感覚だ。
上手く言えない、これが悪寒という奴なのかもしれない。
もう兄に何か言うのはそれから止めた。
兄は天然だから馬鹿正直に人にうっかり漏らしてしまうのだ。
家族として縁を切りたい、切実にそう感じた。
(もう私の近くに普通を求められないのかな)
涙目でそう悟った。
トラックが去る音と共に玄関の扉が露わになる。
一人の男性が立っていた。
その時、ピコーンと天から何かが降りてきた。
雷だろ、とは言わないで欲しい。
「あの」
「ん?」
「お隣の者です。初めまして」
「……ああ、これから行こうと思ってた所だ」
「よ、ようこそ!私マノンと言います」
緊張で声が震えた。
彼はとても美男であった。
一目惚れしてしまうくらいに。
「宜しく。トミネ・ハヤテ、だ」
「トミネさんですね。今日からお隣さんですね。家は今兄しか居ないので……今来ますか?後から来ますか?」
兄は自室なので、どちらにしてもマノンが対応しなければ誰も出られない。
両親は共働き、兄は優秀、妹は普通。
これのせいで兄の所行は全く両親にバレず、両親に兄が部屋に連れ込む行為をどうにかしてほしいと頼んだが、両親は取り合ってくれない。
忙しいと言って。
兄の言葉にはヘコヘコと聞くのに、マノンには「勉強に集中すれば普通は気にならない」と言われた。
兄を優遇し過ぎている、美化してしまっている。
一応兄の複数の女関係を証拠として残す為に隠し撮りして反撃の機会を待っているが。
果たして主人公の親は補正に惑わされないまま現実を見てくれるか、やってみなければ分からない。
兄に連れ込むのは止めてと言うのも考えた。
『連れ込んでない。部屋で過ごしてるといつの間にか……』
らしい。
世の男を敵に回す発言なので目を白くさせて睨みつけておいた。
兄は馬鹿である、男を日々敵に回している。
だが、女子の連帯というのはそれを上回るのだ。
女子が四六時中張り付いているので襲われる事もないし、襲ったらその男性はその瞬間町の女達から見放されて見向きされなくなる。
ボコボコにされるよりも遙かに恐ろしい。
「今から行く。つーよりはここで渡した方がそっちも楽か?」
「あ、では貰います。手間が省けてお互い一石二鳥ですね」
軽く冗談を交える。
こういう会話をするのは久しくなかった。
主に兄のせいで。
「ふふ……じゃあ今取ってくる」
(わ、笑った!私に笑いかけたんだよね?)
ヤバい、惚れ直した。
格好いい、兄なんかよりも一億倍格好いい。
目を細めてキュッと眉を下げて口元を上げて。
胸が乙女みたいにキューッとなる。
惚れ惚れする、去っていく後ろ姿も様になるので見飽きない。
早く来ないかな、と待ち遠しく感じた。
五分くらい経過してから彼は出てきた。
きっとまだダンボールの状態だから出すのに手間取ったのだろう。
すまなそうに来るのがまた好感触だ。
好青年だ、天使で癒しに感じる。
「待たせた。これだ」
「わ、急かしてしまったみたいですいません」
「いや、近所付き合いもこれでスムーズに行きそうだ。逆に礼を言うのはこっちだ」
「ふふふ、そう言って下さって嬉しいです。また気軽に話しかけて下さると尚嬉しいです」
「ああ。また落ち着いたら」
(よし!)
今テンポよく話せたのは待ち時間に何度も繰り返し練習して考えて色々試したからである、勿論心の中で。
好感度を普通に留めておくのはこれから難しいだろう、なんせ嫌でも家の兄の話が耳に入るだろうから。
せめてマノンだけは初対面の印象は良くしておきたい。
兄のせいでもしハヤテが離れたりしたら殴り込みをかけよう。
(ふふふ!また話してくれる!やった!)
乙女心は満開である。
恋とは素晴らしい。
「では、また」
ぺこりと礼儀正しく腰を折って家に戻る。
(絶対付き合う!)
告白は勿論こちらからだ。
(戦じゃ!)
燃え上がる。
闘志に火が点く。
着々とお近づきになっていった。
春夏と過ぎて冬、その頃には家庭教師みたいな事をやってもらった。
勿論ハヤテの家で。
こちらの家なんかにとてもではないが招待等出来ない。
いつ兄の連れ込む病が発病するか分かったものではない。
兄にも近付かないようにとキツく言うようになった。
何せ香水の香りが酷い。
日によっては二種類の香りがするのだ。
とある木曜日、マノンは友人の二人と放課後に買い物をする約束をした。
その内一人が急に用が出来たと言って先に帰って行った。
えらく急いでいたので仕方がないともう一人の友人と共に行く事になった。
しかし、もう一人の友人も途中で電話が鳴って、それから用事が出来たと言い帰って行く。
引き止める程の理由は無いので見送ってから家に帰る事にした。
友達と吟味しつつ買い物をする予定だったのだが興が削がれたので予定よりもずっと早く帰宅。
兄がまた連れ込んでいるかもしれないのでただいまも言わずに扉を開ける音を出来るだけさせないように開けてから閉める。
前は音をさせていたけれどそれのせいで散々な目に遭った。
部屋から出てきた女が「わざと音を立てたんでしょ!」と責めてきた事があったのだ。
それが嫌なら部屋でやるなよと言いたくなるが、こんな事で怒ってもキリがないと悟っていたので何も言わなかった。
(え?……ローファー?)
高校で履かれる代表的な靴。
高校生が相手なのかと呆れる。
呆れたまま最初に急いで帰った子にメールで結局解散となった事を伝えた。
──チャララ、チャラララ、ラー。
スマホの着信音が聞こえた。
それは兄の部屋から聞こえた。
たった今女の高い甘く聞こえの良くない声が聞こえた部屋から。
(……え)
それは聞き覚えのある着信音。
友達の持つスマホの着信音。
しかも、今し方送った所でのタイミングが良すぎる着信。
(ま、まさか、ね)
まさか、兄と友人が。
『誰から?』
兄の声。
『んー、迷惑メール』
そして。
(う、そ)
友人の聞き間違いではない、声。
次に意識を取り戻した時には外にいた。
無意識に外へと逃げ出していたのだろう。
誰でもあんなの見たくなくて逃げたくなるよ。
まさかさ、そう来るとは夢にも思わないでしょ?
友人すらその瞬間無くす苦しみに息が苦しくて堪らない。
家はあんな感じなので帰るに帰れない。
酷い、酷すぎる。
友達、家、帰る場所。
全てたったの、10分足らずでこれだけ奪われた。
靴は辛うじて履いている。
後ろの方を踏んでしまっていて、履いているとは言い難い。
歩き方だって変だ。
ヨタヨタしてる。
思わず笑う。
すごいなぁ、ここまで来ると笑うしかない。
怒るといっても、もう何から怒れば良いのかな。
友人が実は裏で私を、迷惑メール扱いする子だった?
兄が友達とギャルゲーシナリオを進行させていた?
家でするな?
私の帰宅時間を把握しろ?
そんなの、どうだって良くなってしまった。
とぼとぼと遊歩道を幽霊みたいに歩く様は不気味だったろうな。
でも、近所の人だって私からしたらホラーの世界の住人に等しいから、おあいこ。
幽鬼のようにふらつく体をそのままに、倒れそうになりながらもならないのは人間という存在だからだろう。
ははっ。
思わずまた笑う。
どれほど辛くても自分をダメにしてはいけない。
でも、心が深く落ちて起き上がれそうにない。
公園の横を通りかかった時、ちょうど良い目線の先にブランコがあったので、そこに座り込む。
まるで流行病のように体がだるくて、無言でずっとブランコを漕いでいく。
「う、ふ、ぐ」
涙が勝手に溢れてきた。
プリーツのスカートに黒い点を作る。
瞼が涙で覆われて、私の今の世界は海の中と同じ。
どうしてこんな目に遭うのだろう。
前世でなにか悪い事をしてしまったのだろうか?
笑えない例えだ。
泣いていると足元に違う人の足が見えて驚く。
足から上を見ると、会いたいようで会いたくない男が目の前に立っていた。
どうして、ここに居るのだろうかという疑問に、ぼんやり相手を見続けていると、彼はメールくれただろ、と苦笑していた。
どうやら、無意識にSOSを発していたらしい。
勝手な事をする自分の指を、自問自答で嘲笑う。
ポタポタと止めどなく溢れる涙は、目が無くなるまで止まらないのかもしれない。
「親友だと思ってた子が裏で兄と関係を持ってたって話、聞きたくないですよね」
泣きじゃくりながら僻むように言うと彼は目を開いて、薄く伏せる。
「お前から話を聞いていたら、なんとなく分かっていた。お前は気付いてないかもしれないが、お前と友人になったのはお兄さんとやらと仲良くなる為だ。酷な事だから言えずにいたが」
マノンが分からないのに、彼には分かるほど分かりやすい状況だったってわけか。
「そう、かぁ!私がバカだっただけかぁっ」
泣いて泣いて、彼は泣き止むまで傍に居てくれた。
卒業式の日、マノンは昼休みに録音しておいたものを全校放送に流した。
色々仕掛けたのでちょっとやそっとで止まらない。
私も怒っているのだと意思表示。
この街じゃ生きていけないのはどうせ変わらない。
悪評だらけの街に居続けられるのは自分以外の家族だけ。
居座ることは最初から無理だった。
学内は阿鼻叫喚。
商店街にも同じようにセッティングしておいたので、あちらも広まってることだろう。
これで加害者たちになにかあっても、それを背負うのは兄だ。
私じゃない。
最初にやらかしたのはあちらで、こっちは己に降りかかる火の粉を払っただけ。
なんにもなぁんにも、悪くない。
友人がやらかして、マノンはやらかしてない。
そういうこと。
その後、マノンは家族と話し合った。
話し合ったというより、赤裸々上映会を家で開催したというのが正しい。
今更、話し合うことなどない。
こちらはかなり昔から現状を訴えていて、それを大丈夫大丈夫と育てた。
この破滅する結末は時間の誤差はあれど、いつか露呈して、今よりも酷い状態で大爆破していたはず。
例えば、兄の子を誰かが妊娠したとか。
阿鼻叫喚な家族を睨みつけるように順序立てて説明してあげた。
ボードも用意してあげたから、よく見ておくと良い。
いざという時、必要になる。
兄が手を出した相手の家族や、そのほかの知り合いからの恨み、裁判の訴えがあった時に大変とてつもなく、必要になるから。
学校の卒業も済ませると、マノンはハヤテのツテで知り合いの施設にお世話になることになっている。
許可はある。
この地球の国の法律では、もう大人扱いだから。
この日のために、耐え抜いた。
数年後、マノンはテレビや投稿動画を見て「やっぱりか」と一言集結させる。
今現在施設を離れて仕事をして、なんとかやっている。
様子を見に来てくれているハヤテが同じくテレビを見て薄く笑う。
一人の男の時間がずっとここ何日も放映されていた。
『男性が女性二人と男性一人に暴行され、今現在ICUにて予断を許さない様子です』
色々聞いていると住んでいた町の名前、犯人の名前、近所の人たちによる顔出しNGのボイスチェンジャーや変えてない声などを纏めると、どうやら刺されたのはうちの兄っぽい。
事件の記事やつぶやきブルーバードを覗くと、男性に殴られていたらしい。
「年貢の納め時だな」
ハヤテが意地悪く囁く。
頷いて同意ですねと答える。
男女間のもつれか、恨みによる反動か。
それとも、みんなであの人を独り占めしたいというホラーな思考がより集まった結果か。
警察から連絡があったが、マノンに言えるのはやはり両親らにやったボードの元となった資料の提出。
昔のものなので、今の方がもっと混沌としているだろうと付け加えると、彼らは顔を固まらせて震える指先で受け取っていた。
あの街は物騒な思考のもの達ばかりだったが事件性でいうと平和だった。
ハーレムを維持するために仲間たちが一致団結して治安が保たれていたからだ。
今回のことで、バランスが崩れて乱闘があちこちで起こらないと良いですね?
この世界はどうやら、ギャルゲーはギャルゲーでもバッドエンドを含むタイプの、絶望系だったらしい。
「住んでいた街ってある意味呪いの蠱毒みたいです」
「確かに強い奴が生き残るために仲間以外を排除していたな」
物理的にではなく、情報操作の方。
「あの街、ここからきっと引越しブームが起こりますよ」
「それはいい。暇つぶしにはもってこいのエンターテイメントだ」
助けてくれた彼は、口元をゆるりとあげる。
警察の人達経由で両親や元友人達が自分を見つけたら、連絡してくるように懇願していると聞いた。
それを聞いても、ちっとも心は揺れなかった。
テレビに映る、顔出しはされてないものの、窶れてそうな顔つきを彷彿とさせる気配。
家が報道陣や動画投稿者に囲まれているよう。
テレビにちらっと映る相手を、片手間に眺める。
そのような距離が一番最適なのだ。
あの街は今後も修羅場になる。
地獄に行くつもりはない。
話題にはなるけど、ネガティブな方向なので近寄るつもりは毛頭無い。
プリーツスカートに落ちる涙の黒い跡はなかったことにならないのだ。




