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第014話

西暦2020年9月1日火曜日‥‥‥だろう‥‥‥

いやもう,慣れてしまった‥‥‥

チュン,チュン,チュン‥‥‥

ベランダの柵に留まりお互いを啄ばむ雀の囀りと窓のレースのカーテン越しにベッドに差し込む朝日の眩しさに樋口ソフィアは目を覚ました。

枕元の時計を確認すると表示は5時30分で,ここまではこの5日間というか5回変わらない。

今朝は昨日の寝るまでの記憶もしっかりとある。

今日の身支度も昨晩のうちに済ませてあるし,あとは何時もと同じように朝食を食べて学校に向かうことにする。

今日もまた始業式なのは確定している。

それは既に朝食の時にテレビで日にちを確認していたからだ。

樋口ソフィア自身が今日も9月1日だとを認めて,そうであって欲しいと思っているものある。

今日は試してみたいことが幾つかある。

ひとつは今日話し掛けてくるであろう誰かと登校時だけでなく,始業式が終了して帰りも一緒できるかどうか。

ひとつは昨日までに話し掛けてきた本庄真珠,水原光莉,千坂紅音の3人とも教室で話ができるかどうか。

加えて3人と一緒に下校できるかもやってみたい。

(どうせ夢の中なんだったら,私のやりたいようにを好きにやったっていいじゃない‥‥‥)

そんな風に考えると今までとは違いテンションも高くなるし,妙に気持ちもソワソワしてくる。

こんな高揚感は生まれてこの方感じたことのない初体験だ。

学校に行くのも楽しみで仕方なく,バスの座席に座りながら早く着かないかなと一人ウキウキしてしまっている。

ふと窓の外に目線を送った時,そこに映った自身のニヤニヤした横顔を見て我に返り気持ちを落ち着けて薄ら笑い顔を抑えようとするが,前に向き直るとまたニヤついてしまっている自覚もある。

『次は聖ウェヌス女学院前‥‥‥』

樋口ソフィアは降車ボタンの上に待ち構えていた指で力を込めて押す。

バスは停留所の手前の交差点にちょうど青信号に替わったタイミングで入り,彼女は待ち切れずに座席から立ち上がって,降車扉の前に進もうとするが,その瞬間,バスの前に割り込んできたタクシーを避けるため強めのブレーキが踏まれて思わず踉く。

「お客様,危ないので立ち上がるのは停車してからでお願いします」

運転手が注意を促すアナウンスするが,樋口ソフィアは気持ちが昂ぶり過ぎていて,まるで耳に入っていなかった。

もうソワソワし過ぎていて,扉が開いた途端にターフを蹴り上げてゴールを目指し真っ先に駆け出そうとする逃げ馬の如く前足を掻き興奮する競走馬の雰囲気にも似ていた。


降車扉が開いた瞬間を見逃さず鋭く反応してロケットスタートを決めた樋口ソフィアは他の一緒に乗車していた生徒たちを置き去りにして正門まで逃げ切りを果たした。

「おはようございます!」

「はい,おはよう」

聖ウェヌス女学院の正門を潜ったところには担任の山県朋未が立っていた。

樋口ソフィアの妙に高いテンションに山県朋未は違和感を覚えたが,夏休みに何か好ましい変化があったのだろうと嬉しく思い,「この調子で友人も作って学校生活を楽しんでくれれば‥‥‥」と一瞥するに留めた。

濃緑の菩提樹の下をウキウキとスキップする樋口ソフィアの妙なテンションに周囲の生徒たち訝し気な目でチラ見し引きつつ距離を置いて遊歩道を歩いている。

「おはよう! ソフィアちゃん!」

「あっ! おはよう!」

後ろから追い駆けて来て声を掛けたのはいつも通り長尾智恵だった。

一学期とは違う反応に夏休み中に何か好ましい変化があったのだと感じて会話を続ける。

「あれっ? テンション高いね。休みの間に何か善いことでもあったの?」

「ううん,これから好いことがあるの。それを考えると今はもう‥‥‥」

そう言葉を切り出した刹那,樋口ソフィアは背中をポンッと叩かれた。

「お・は・よッ! ソフィア!」

「おはよう!」

「おはよう,由里」

「智恵もおはよう」

樋口ソフィアに背後から挨拶してきたのは齋藤由里だった。

樋口ソフィアの横に居た長尾智恵は一瞬遅れて齋藤由里に挨拶はしたものの自身より先に樋口ソフィアに挨拶した齋藤由里の心情が掴めない。

「さあ,さあ,急ごうよ! ソフィア!」

「あっ,うん。そうだね,齋藤さん。じゃあ,お先に長尾さん!」

樋口ソフィアは斎藤由里に制服の袖を掴まれ,長尾智恵に逆の手を振りながら彼女を置き去りにして校舎へと続く小路に急ぎ足で入って行く。

長尾智恵はどうにも状況が掴めず呆然と立ち尽くした。

「由里,いったいどうしたんだろう?」

樋口ソフィアと齋藤由里が居なくなってどれくらいの時が経ったのだろう‥‥‥長尾智恵はポツリと独り言を溢したが,自身の言葉でハッと正気を取り戻し気持ちを切り替えようと首をブンブンと振る。

そんな普段の長尾智恵らしくもない滑稽な様子を見て近づいて来たのは加地美鳥だった。

「おはよう,智恵? 朝から大丈夫?」

「えっ? あっ! うん,大丈夫だよ,美鳥。おはよう!」

「ねえ,智恵。後ろから見ていたら全然大丈夫に見えなかったけど‥‥‥」

「見ていたの? だったら早く声を掛けてよ,もう‥‥‥」

長尾智恵は恥ずかしさを誤魔化すように頬をプッと膨らませる。

「もう怒らないの? 可愛い顔が台無しだぞ」

加地美鳥は膨らんだ頬を指で突き,風船が割れたかのように頬は元に戻った。

「さあ,私たちも急ごう!」

2人の会話を割くように校舎から予鈴のチャイムが鳴る。

(由里とは帰りに話しをすればいいかな‥‥‥それにソフィアちゃんの言っていたこれから起きる善いことって,何だろう? 由里とのことなのかな?)

樋口ソフィアの「好いこと」という言葉がどうにも気になり,教室に入ると長尾智恵は樋口ソフィアに話し掛けようとしたが,そんな彼女に本庄真珠と水原光莉が絡んでくる。

さらに間髪を入れず担任の山県朋未も現れて教室移動をクラスの生徒全員に促した。

委員長の長尾智恵はクラスメイトを廊下に並ばせてウェヌス・ウィクトリクス講堂に向かうように指示をする。

気持ちを切り替えて始業式に向かった。

「ソフィアちゃん,夏休みはどうだった? 私はね‥‥‥」

「休みは‥‥‥あまり出掛けなかったんだ‥‥‥」

「今度の休みは何処かに出掛けたいね。デートしよっ!」

「そうだね。どうせなら3人で行かない?」

講堂への移動のために2列縦隊で廊下を進む1年A組の生徒たち。

先頭に担任の山県朋未と委員長の長尾智恵の先導で引率しており,その背後はほぼ出席番号順で並んでいるため,本庄真珠,水原光莉は真ん中から少し後ろの辺りで樋口ソフィアと談笑しながら歩いている。

加地美鳥は背中に会話の弾む3人の様子に違和感を覚え,安田晶良は目の前で展開する異様な光景に会話の渦に入れずにいた。


ウェヌス・ウィクトリクス講堂での始業式が終わって,生徒たちは各自の教室に戻り,ホームルームが始まった。

1年A組では担任の山県朋未が席替えや新学期のカリキュラムの説明など諸々の伝達を淡々と進めていく。

「さっきの教室移動の時のあの様子を見てたら,真珠と光莉ってソフィアと何かあったのかな?」

「今朝の由里の様子もちょっとおかしかったし。まあ,クラスメイトが仲が良くなるのは悪くはないんだけど‥‥‥」

席替えで隣の席になった安田晶良と加地美鳥は本庄真珠,水原光莉そして齋藤由里の急な変貌ぶりに驚愕し,お互いに情報を出し合って,こそこそと小声で話し合っていた。

先生にばれたくないのもあったが,二人のすぐ前の席には樋口ソフィアもおり聴かれたくないのもあったからだった。

樋口ソフィアの方はというと自分の後ろでそんな会話をしているとは露とも思わず,先ほどの本庄真珠,水原光莉との楽しかった会話を反芻して,頬を紅潮させ心ここにあらずの状態で先生の話も耳に入らず,ボーッと呆けていた。

「‥‥‥では,これでホームルームを終わります。委員長お願いします」

「起立! 礼!」

長尾智恵の合図でクラスメイトたちは立ち上がり,一礼する。

礼を直り,ホームルームが終わって生徒たちは帰りの準備を始める。

「智恵,ちょっと由里たちの件で話をしたいから少し待っていてくれない?」

「うん,いいけど‥‥‥」

「部活動は1時間くらいで終わるから玄関ホールで待ち合わせしよう」

「うん,いいよ」

加地美鳥は安田晶良と一緒に長尾智恵の席に近づいて来て話し掛けてきた。

長尾智恵は齋藤由里の態度が気になっていたが,礼を直った後すぐに確認した時には既にその姿は居なくなっていた。

「美鳥たちと待ち合わせするなら由里とも一緒に下校できるかな? そうすれば話もできるだろうし」

長尾智恵は時間つぶしに生徒会室へ向かった。


齋藤由里は高等部体育館にある剣道場で基礎稽古をしていた。

通常のメニューは準備運動に始まり,素振り,足捌き,切り返し,打ち込みと進んで行くが,夏休みが明けた初日で授業がなく,時間がたっぷりあるので準備運動の後に部員同士で模擬試合をする話になった。

(模擬試合だとしても実戦に復帰できるのは嬉しい)

齋藤由里は怪我をしてからの久しぶりの実戦形式に心を高ぶらせ気が逸っていた。

私生活では足の支障はない状態であるが,競技で打ち込む際には居ついてしまい若干の怖さがあった。

今日は根拠があるわけではないが打ち込みをやっても平気だと思える何かを直感していた。

顧問の高坂愛海は学年主任の業務があるのかまだ道場に姿を見せていない。

(これはチャンスだ‥‥‥)

齋藤由里の順番が来た。もう彼女を止める者は居ない。

徐に立ち上がりラインの内側に入る。今日の試合相手は1つ上の先輩だった。

試合相手とお互いに向かい合い一礼をする。

気を静めつつ3歩で仕切り線の前に出る。

竹刀を構えて蹲踞の姿勢で剣先を交える。

齋藤由里は今までこの先輩との対戦で負けたことはなかったが,実戦から離れていたためか勘が鈍っていないかと緊張をしている。

この緊張感が剣の道に戻って来たのを実感させてくれる。

開始の合図までの刹那をこれほど長く感じたのも初めてかもしれない。

「はじめっ!」

審判の合図とともに2人は立ち上がり,齋藤由里は一足一刀の間合いで懸待一致の隙のない正眼の構えで相手に臨む。

中段に構えていた相手は気圧され,上段に構え直したところを捨て身で打ち込んできた。

齋藤由里は摺り足で体を捌き,開き足で半身の態勢で横に摺り抜ける。

「うん,やれる! これなら足の心配もない」

さっきの直感が確信に変わった。

齋藤由里は八相に構え直し,先の先を取って相手の振り向いた瞬間を突いて,胴を狙う。

その剣先は「パーンッ!」という反響音を残し,相手の防具を的確に打ち抜いて,齋藤由里は残心の構えで元に直った。

「一本っ!」

その合図で2人は仕切り線に戻り,蹲踞の姿勢になってから竹刀を納め,再び立ち上がり後ろに下がり一礼をして退場した。

一連の美しい所作に剣道部の部員たちは静まり返り見守っていたが,齋藤由里は周囲がそんな状態なのも我関せず道場内にある神棚の下に進み見上げた。

「もう怪我の不安はない。昇段審査に向けて頑張ろう」

昨日までのあの不安感は一体何だったのだろうか。

齎された心境の変化の理由を齋藤由里は理解できていないが,ともかくまた剣の道を邁進出来る嬉しさに勝るものはなかった。


『齋藤由里のシンクロは上手くいったみたいだな』

『イエス,マイロード』

『儂への力の供給量も考えていたよりも多い』

『それは重畳ですな』

『これで残りはあと3つか‥‥‥』

『まず2つは問題なくシンクロできると思われますが,やはり問題は加地美鳥ですか?』

『ああ,それに関しては今周到に準備を進めておる』

『油断だけは無きように‥‥‥』

『もちろんだ。場合によってはお主らの力を借りることも有り得る。その時は頼むぞ』

『イエス,マイロード』

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