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「迎えにきたよ。姉上」
奴が去って(死んで)数日後、今度は満面の笑顔の弟がやって来た。
「迎え?」
訳が分からない。
困惑する私に、弟は、さらに意味不明な事を言ってきた。
「貴族ではなくなったけれど、姉上が望むなら、もう一度貴族に戻ろう」
私に無関心な女公爵の手前、私と距離を置いていた弟だが、女公爵がいない所では私に優しかった。
けれど、私は昔から、この弟が嫌いだ。はっきり言って気持ち悪い。
義父は弟に距離を置いていたが(実の親子ではないと知った今は、それも当然だと分かっているが)女公爵は愛する夫との息子だと思っていた弟を溺愛していた。
私には与えられない母親からの愛を与えられている上、王女同様、美しい容姿とカリスマ性で周囲から常に愛と関心を得ている。
私は私と同じ、肉親の情や周囲からの愛や関心を得られない人間にしか興味がない。
けれど、私が弟を嫌いで、何より気持ち悪く思う理由は、私のその性質のせいだけではない。
弟の私を見る目だ。
ほの暗い餓えた眼差し。
とても姉を見る目ではない。
「戻る気はないわ。今、幸せだもの」
「そんな訳ないだろう。元公爵令嬢だった姉上が修道女など」
「公爵令嬢だった時は幸せじゃなかったわ」
「これからは僕が貴女を幸せにする。成人したら、あの女を追い出して、馬鹿王子を排除するつもりだった。まさか姉上や父上が卒業パーティーで、あんな事をするとは思わなかった」
「あの女」とは弟の実の母親、元女公爵の事だろう。
弟にとっては元女公爵の愛情など、どうでもよかったようだ。
「公爵家は無くなったし、この国は隣国の属国になるだろう。父上と貴女の望みは叶ったんだな」
「ええ」
私は頷いた。
「貴族に戻りたくないなら、それでもいい。今の僕は近隣諸国に影響力を持つ豪商になった。王妃も僕に手出しできないし、当然、僕と共にいる貴女の安全も保障される。公爵令嬢でなくなっても貴女に不自由はさせないし、これからは僕が貴女を幸せにする」
弟は最後に同じ言葉を繰り返した。
「今、私は充分幸せよ。私と同じ肉親に愛されない子のお世話をする事で、ようやく私の心の空洞が埋まったのですもの」
何より、この弟から与えられる幸せなど要らない。
「あなたは、あなたで幸せに生きればいい。私の事は、ほっといて」
「僕の幸せは、貴女なくしてありえない」
不快な弟との話をさっさと切り上げたかった私に対して、弟は再び理解不能な事を言ってきた。
「貴女を愛しているんだ。弟としてではなく男として」
真剣な顔の弟を私は醒めた顔で見つめ返した。
弟の告白には驚かない。
気づていたのだ。弟が私を姉としではなく女として見ていたのは。あんな目で見てくるのだ。分からないはずがない。分からないのは、余程鈍い人間だけだ。
元婚約者が言っていたように「気色悪いブス」ではないが、かといって美人という訳でもない。ごく平凡な十人並みの容姿だと自分では思っている。
世の中の男全てが美人に恋する訳ではない。十人並みの容姿の女に惹かれる男もいるだろう。
けれど、姉だと思っていた女に恋するのは――。