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私が修道女となってしばらくした後、男爵となった元婚約者が訪ねてきた。
今更何の用だと訝る私に、奴は、いつも通り不機嫌そうな顔だった。
「……何も女公爵のした事を言わなくてもよかったんじゃないか?」
「私がどうしてそうしたのか知りたくて訪ねていらした?」
「そうじゃないが……」
それ以降、口ごもるだけの元婚約者に、私は溜息を吐いた。
「お話が終わりなら、これだけは言わせてください。ずっと言いたくて、でも不敬罪になるから我慢してたんです」
怪訝そうな顔になる奴に、私は言い放った。
「散々、人を気色悪いブス呼ばわりしてくれたけど、そういうあんたは見られる顔なの?」
最後に会った時は私の出自の告白、公爵家を潰す事を優先したから言えなかった。だが、わざわざ会いに来てくれたので言わせてもらう事にする。
「は?」
散々自分は私に向かって暴言を吐いていたのに、まさか自分が言われるとは思いもしなかったのだろう。奴は、ぽかんとした顔をしている。
「自分だって、大した顔じゃないのに、よくもまあ、人の容姿を貶せるわね。しかも、何をやらせても私よりうまく熟せなくて、努力するでなく『生意気だ』だの『婚約者なら僕を立てるのが当然だのに、気が利かない女だ』だの理不尽で負け犬の遠吠えとしか思えない事を言ってくれて。馬鹿なの? 阿保なの? ああ、馬鹿で阿保だから王子から男爵に降格になったのよね」
止めに、初めて会った時、奴が大仰に言い放ったのと似た科白を叩きつけた。
「こんな馬鹿で阿保で、顔も大した事のないクズ野郎と婚約していたなんて、私は、なんて不幸だったのかしら!」
「そ、そこまで言う事ないだろう!」
涙目になる元婚約者に私は醒めた目を向けた。
「これくらいで根を上げるの? 私は、これ以上の暴言を十年耐えたんだけど?」
「謝るつもりだったんだ!」
「はい?」
「謝って、君とやり直すつもりだったんだ!」
奴は観念したように、やけくそ気味に叫んだ。
「君もまた公爵家で腫れ物のように扱われていたと知った。……高貴な血とその証の色彩を持ち、何をやらせても僕より優れた君に嫉妬して、あんな態度をとっていた。すまなかった」
「自分と同じ境遇だと知ったから、私に謝る気になった? 私がお前の思うような境遇にいれば謝る気はなかった? お前の嫉妬も不幸も私には関係ないのに?」
「……すまなかった」
「私と同じ境遇のお前が婚約者だと知った時、仲良くなれると、愛はなくても信頼できる夫婦になれると思っていた。けれど、初対面で、それは打ち砕かれた。もうお前に期待はしない。愛さない。そう思っている私には、今更お前の謝罪は響かない。どうでもいいわ」
「やり直させてくれ」
「これだけ言われても、まだそんな事を言うのは、もう周囲に誰もいないからよね? 男爵領の領地経営も自分一人では手に負えない上、助けてくれる人もいないから、恥知らずにも貶め続けた元婚約者の私に助けを求めにきたんでしょう?」
「……違う」
否定しているが一瞬だけ言葉に詰まったのに私は気づいていた。
学生時代の彼の取り巻きは、私が彼らの生家に抗議の手紙を送りつけたので彼らは国境警備隊や修道院に放り込まれ卒業間近になると誰も奴の周囲に人はいなくなっていた。現在も、それは変わらない。王子から男爵になった彼にすり寄っても、いや、そもそも潰れかけた現王家についても、何の旨味もないからだ。
「卒業パーティーの時にも言ったけど、散々暴言を吐かれて好きでいられる妙な性癖など私にはないの。私は私と同じ境遇の子供達のお世話をする事に生き甲斐を見出した。馬鹿で阿保なお前のお守りは、ごめん被るわ」
会うのは、これで最後にしたいので、これだけは言っておく。
「今、私は幸せなの。ほっといて」
言いたい事を言うと、私は応接室から出て行った。
奴は、がっくりと項垂れた。
それが私が奴を、元婚約者を見た最後だった。
私が「ほっといて」と言ったからではない。
私に会いに来た数日後、死んだからだ。
領地経営がうまくいかなかった奴は、補填のために税収を上げたが領民から反発され他領に逃げられ、最後の手段として守るべき領民を人身売買の組織に売っていた罪で逮捕され、後に処刑されたのだ。
王妃は奴に優秀な部下を宛がわなかった。無能な奴一人で領地経営をしても、いずれ必ず自滅するのは分かり切っていたのに。
王家の特徴を受け継がなくても、奴はまぎれもなく前国王の息子の元王子、王家の人間なのだ。いずれ、彼を担ごうと考える人間が現れる前に、王妃は奴を自滅させたのだ。後顧の憂いを断つために。