11(終)
私は話題を変えた。
「孤児院で、あなたを見た時は驚いたわ」
義父は修道院に併設された孤児院で働いていた。私の近くにいるために、わざわざ孤児院の職員になったのだ。公爵家の有能な家令だった人が不満一つも見せずに子供達の世話をしているのは驚いた。
「弟を殺したのは、あなたね」
それを訊くために、わざわざ人気のない場所で二人きりになったのだ。
「ああそうだ」
義父は、あっさり認めた。
人を殺した、しかも、形式上とはいえ息子をだ。けれど、義父に、それに対する後悔や罪悪感など全く見えなかった。
当然だ。
彼に、息子に対する愛や関心など最初からなかったのだから。
彼にとっては、息子も、そして、愛する女性の娘である私も、復讐の道具でしかなかったのだから。
「あなたがわざわざ手を汚さなくても、いずれ王妃が弟を殺すと分かっていたでしょうに」
正確には、王妃に命じられた彼女の部下が弟を殺すのだ。人に傅かれる立場の人間は自ら手を汚す事などしないのだから。
弟は周辺諸国に影響力を持つ豪商になったから前王家の血と特徴を持つ自分を王妃は殺せないと思っていたのだろう。
頭もよかったし商才もあったが、肝心な所は分かっていなかった。私の自分への嫌悪感や王妃の思惑を見抜けなかったのだから。
王妃は時期を見ていただけだ。弟の商会に送り込んだ有能な部下達が商会を掌握するのを待っていたのだ。弟の存在は邪魔で危険でも彼が作った商会は魅力的だったからだ。
周辺諸国にまで影響力を持つ豪商で前王家の血と特徴を持つ弟は、王妃にとって、新王家にとって、野放しにするには、あまりにも危険だ。弟に国王になる気が毛頭ないのが明白でも(卒業パーティー後、さっさと逃げ出したのだから)彼を利用しようとする人間が現れるに決まっているのだから。
「それまで待てなかったので」
「待てなかった? どういう事?」
「いくら貴女に完膚なきまでに拒絶されても諦める奴じゃない。王妃があいつを殺す前に、あいつが貴女をさらって監禁する危険があったので」
形式上とはいえ親子だのに、義父は息子を愛してなどいない。それでも、最低限、その為人に対する理解はあったようだ。人間、追いつめられると、こちらが予想しない最悪な行動をとる事がある。それに対処するために、愛も関心もない息子の為人を理解するようにしたのだろう。
「何にしろ、お礼を言うわ。ありがとう」
義父が言うような最悪な事態が起こらなかった事も喜ばしいが、何よりも、私にとっての一番の喜びは、あの気持ち悪い弟が、この世のどこにも存在しない事だ。
もう二度と、あの気持ち悪い面を拝む事がなくなった安堵と満足感は何物にも代えがたい。
私を愛していると言った形式上の弟、従弟の死を悲しむ気持ちなど欠片もなかった。
間接的に私が弟を殺したようなものだが、罪悪感などわかなかった。
大嫌いで気持ち悪くて、おぞましい弟が、この世から消えてくれたのだ。
喜びしかない。
分かっている。
義父が私のために弟を殺したのなら、私こそが弟の死に責任をとらなければならない。
人を殺した罪は、いつか償わなければならない。
それでも、今は、ようやく自由になれた人生を謳歌したい。
「あいつを殺したのは、私だ。私の罪を貴女に背負わせる気はない」
私の内心を読んだように、そう告げる義父に、私は微笑んだ。
「ええ。あなたに罪がないとは言わないし、言えない。それでも、私のためにしてくれた事だから、あなただけに背負わせはしない」
私のためだとしても、形式上の息子を殺したのは、罪を犯したのは、彼なのだから。
「死んでも、天国にいるだろう私の生母には会えなくなってしまったけれど、お母様に似ているという私が一緒に地獄まで行くわ」
「生憎、私は天国や地獄など信じてないんだ。死んだら、王だろうと罪人だろうと土に埋められ大地に還るただの死骸に過ぎない。死んだら、そこで終わりだ。転生などありえない」
「あはは。あなたらしい考えね」
義父の言う通りなら、罪を犯しても死後、煉獄に堕とされる事もない。
死を恐怖する事もない。
「――けれど、きっと、いつか罰は下されるわ。お義父様」
罪を犯した以上、いつか、それを贖わなければならない。
死後に苦しみを与えられないのだとしても、罪を自覚している私達にとっては生きている間、いつ、どんな報いを受けるのかと戦々恐々とする事こそが、きっと最大の苦しみで罰なのだ。
いずれ弟を殺すために王妃が彼の元に部下を送り込んだように、私の周囲にいる修道女もまた王妃の息がかかっている。私もまた常に監視されているのだ。私はまだ世俗と距離を置いた修道女だから殺される可能性は低かった。それでも零ではない。
いつ王妃からの刺客が送られてくるか分からない。その恐怖こそ、私の罪に対する報いとなるだろう。
「そうだな」
義父は目を伏せた後、晴れ晴れとした顔になった。
「復讐は果たした。心残りなどない。罰が下されるというのなら喜んで受けるさ。無論、その時は私一人だ。貴女まで巻き込みはしない」
義父からは、それだけは譲れないという強い意志と覚悟を感じた。
それでも――。
(あなたが望まなくても、私も罰を受けるわ。お義父様)
義父が反論するのが分かり切っているので心の中だけで呟いた。
「話も終わったし、子供達が待っているから、戻りましょうか」
義父と歩き出す前に、私は弟の遺体が発見された場所に目を向けた。
「あなたが死んでくれて、本当にせいせいしたわ」
だから、弟を「殺した」事を、罪を、後悔はしない。絶対に。
「今、私は幸せなの。ほっといて」
霊魂になってまで私に会いにきたりしないでね。
私と義父は弟の遺体が発見された場所に背を向けると、子供達が待つ孤児院の中庭に向かって歩き出した。
完結です!
読んでくださり、ありがとうございました!