〜8〜覗き見中将
また、笛でも吹こうかな。
そう思っていると、足音が近づいてくるのに気がついた。
女房の衣擦れではないから、男だろうと思って見ていると頭中将が顔を覗かせた。
さりげなく御厨子から遠ざかり、中将を招き入れる。
遊びに来た様子の中将は、俺がわざわざ遠ざかった御厨子へ視線を送る。
「おや」
カラフルな紙に目を止めて、その中の一つを手に取る。
「これはこれは色とりどりで素晴らしいですね。もしや全部恋文ですか?」
見る気じゃねえだろうな……
奪い返した方がいいんだろうな。何が書いてあるのか読めなかったし。
いや、なんとなくは読めたんだが、何が言いたいのか分からなかったから、恋文かどうかも分からない。
恋文でない事を祈るしかないが、万が一そんなものが混じっていたら、妻の身内には絶対見られてはならないはず。
しかし、どうしたものか。
慌てて動くと警戒されるかもしれないし……
「人の文など見るもんじゃありませんよ」
とりあえずそう言って様子を見る。
「ふふふ」
中将は楽しそうに笑うと、これはどこかの姫から、こっちはどこぞの女房からと、想像して楽しんでいる。
いや、待てよ。本当に想像かな?
当たっていたらどうしようと不安になってきた。
もしや知っている?
「開いて読んでもいいですか?」
いい訳ねえだろ!
心の中でそう叫んだ俺は、返答も聞かずに文を開いた中将を驚きの目で見てしまった。
もう読んでんじゃん!
「ふうん、あまり面白い事はかかれていませんね」
軽いため息と共に、そう言った中将。
俺は安堵の息を噛み殺しながら、無言のまま中将を見ていた。
考えてみれば、そんな危ない手紙なら、女房が空気読んで言ってくれそうだし。
今までもらっているだろう文も、危ない物は人目に触れる場所に置いたりしないよな。
下の方とか、奥の方とか、衣服の下とかに隠しているに違いない。
「思わず、恥ずかしい!と叫びたくなるような文はないのですか?」
あるか!
あっても見せるか!
そう叫びそうになるのをぐっと堪えて、俺は一つ咳払いをした。
「あなたの恥ずかしい恋文を見せてくださるのなら、交換して見せてもいいですよ」
そう言ってニヤリと笑ってやった。
妻に会いにいけば、こいつの実家なんだろう?
家探ししてやるぞ、と顔に貼り付けて中将を見た。
それが伝わったのか、単に自分の文は見られたくないだけなのか、こちらの詮索は断念してくれたようだ。
中将が固まっている隙を見て手紙を取り返した。
「ここに来る手紙など、取るに足りない平凡なものばかり。なにも面白くありませんよ」
扇を活用しながら、ゆっくりと言った。
貴人らしく振る舞うって、大変だ。
「あなたほどの方が、そんなはずはないでしょう」
速攻で否定された。いや、これはお世辞の一種?
「最近思うんですけどね」
俺がその真意をあれこれ考えていると、頭中将はそのような事を言って話を続ける。
「難癖つけられぬような素晴らしい人は、めったにいないんだなあと、だんだん分かってきたのですよ」
え?それって自分の相手は平凡だって言いたいのか?
だから、手紙も面白くないから見せるまでもないと、そう主張するために説明されているんだろうか。いや、これはもう次の話題なのか?
こっちの会話作法とかあるなら誰か教えてくれ!
わからないから、とりあえず適当に頷きながら黙って聞いておこう。
「身分が高ければ教育されているので、時候の挨拶や、上辺だけの思いやり、季語なども駆使して簡単に書く事ができるでしょう?」
うーん、定型文みたいなものがあるのかな。
あ、いや、字の教育だってされているだろうし、和歌の練習だって小さい頃からしているから、そんなものいらないか。
「得意な事を自慢するだけならまだしも、噂で聞いただけなのに、他人を貶めるような発言などは聞くに堪えないし、とてもとても……」
実体験っぽいな、中将、ため息が深すぎ。
自分の得意分野を自慢したい気持ちも分かるな。それだけ中将に気に入られたいって事なんだろうけど、逆効果になっているなんて皮肉だよな。
「あなたにとって、理想の姫とは?」
ふと好みを聞いてみようと思って質問した。
「そりゃあ、美人で性格がよくて若い子でしょう」
身も蓋もねえな、こいつ。
「それをどうやって見つけるのかが、問題なのですよ」
ん?
「そもそも仕えている家の姫を悪く言えないでしょう?長所は誇張され、短所は隠される。世話する女房や両親以外に、姫の情報がないんじゃ、結婚するまで顔も分からない。だから結婚してみたら、さして美人じゃなかったりする。琴だけは他人よりちょっと上手い、しかしそのほかは……とかね」
ああ、そうか。
文化が違いすぎてピンとこなかった。
琴が上手いとか、字が綺麗だとか、そんな噂を聞いて求婚するんだもんな。
実際演奏している横顔に惚れる、なんて事ないのか。
いやあ、みんな大変なんだなあ。
今後の参考に、経験豊富な中将に色々聞いておこう!
「何の取り柄もない人に騙された事があるのですか?」
そう問うと、中将は否定した。
「全く何の取り柄もない女の元には、さすがに誰も寄り付きません」
そうなんだ。噂にもならないって事なのかな?
「思うに、容姿が良くて身分の高い人と、容姿が悪くて身分の低い人は、同じくらい数が少ないのではないですか?」
「へえ」
感心したように相槌を打ったが、考えてみればそうか。
すっごい美人は少ないけど、物凄いブサイクもめったに見る事がない。
最近、やたらとよく『すっごい美人』族と遭遇するけど。
若月さんとか、冬香さんとか、あの人とか……あの人?
えっと、誰だっけ?
「まあ、たとえ容姿がよくても、下流層の女性には関心もありませんがね。本当に面白味がないのですから」
関心はないけど、知ってそうな口調だな。
経験してみて、興味がなくなったってところかな?
中将は上流層だろうし、会話したら価値観がかけ離れていたのかも。
「ここはあえて、中流層の女性が、個性豊かで面白いと思いませんか」
ほうほう、なるほど。
俺は帝の子供だからきっと上流なんだろう。
じゃあ、中流ってどこからだ?
「上流、中流、下流の分け方は?」
ふと疑問に思ってそう呟いた。
俺の場合、帝の息子って言われていきなり上流層だけど、生まれはたぶん現代人の庶民だしな。
貴人らしい鷹揚な態度でって、何度も惟光に怒られたもん。
そう思い、自分と逆のパターンを考えて質問してみた。
「上流層の家が落ちぶれた場合は、どうですか?」
「おお、確かに」
「逆に出世した場合とか」
「ありますね」
そうなるとトップとボトムは想像つくけど、中間層って難しいよな。
悩んで頭を捻りたいが、ふと惟光を思い出した。
貴人らしくと注意されそうな気がして、ぐっと堪える。
頭を捻ったとて、答えが出てくるわけでもないが……