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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
78/81

〜78〜幽体離脱

しばらくして気がつくと、いつの間にか内裏の風景が現れていた。

ほっと安堵して見渡す。

麗景殿(れいけいでん)辺りだろうか。

静まり返って辺りは暗い。すっかり陽は落ちて、蔀戸(しとみど)も閉まっている。

辺りを見回してみるが、遠くの方は暗くて見えない。

仕方がないので、近場の明かりに目を向ける。

御簾(みす)は下されているが、灯りのおかげで様子が分かる。

几帳(きちょう)も立てているが、女房らしき人影が2つ。扇をかざしながら、コソコソ話している。

近寄って聞こうと思っていると、ぐんと視線が近寄った。しかし格子を越えていくことはできない。まるで実体があるような不思議な現象だが、それならさっきの太刀からは逃げて正解だ。

物に遮られるのなら、切られてもおかしくない。

1人ゾッとしていると、女の話し声。

「三の姫様、本当に大丈夫でしょうか」

「ええ、女御(にょうご)様も心配なさってて……」

女御とは麗景殿の女御様の事だろうか。父帝の話を思い出しながら、空想上の優しそうな女性を思い描く。可愛がってくれる親戚のおばさん、みたいな感じ。

その女御様が心配する三の姫って誰?

「お(ぐし)をおろして、出家なさるのかと思いましたわ」

「え! 出家なさるような事でもございましたか?」

「ほら、男君(おとこぎみ)ですよ。お渡りがないとかで」

「あぁ……今はそれどころじゃないから」

「いえいえ、もっと前からの事らしいですわ」

「そう。でも、あの方じゃあ……ねぇ?」

「独占など、とてもできませんわよね」

忍び笑う2人。ややして、1人から溜息が聞こえた。

「たった1度でも(ほまれ)ですわ。何かの間違いでも良いから、わたくしも(おそ)ってくださらないかしら」

「ね、どんな感じなのかしら、あの方のあの時って」

誰の、どんな時の話だろう。

「きっと凄いのよ」

「あぁ、体験してみたいものですわ。夢見心地であったと聞きましたわ。これは私の友人の言葉なのです。つまりは女房でもお手つきの可能性はあるのですわ。もっとも、彼女の虚偽の可能性もありますが」

「まあ!」

2人の距離がぐっと近づく。

「夢見心地とは、どのような……詳しくお聞きになって?」

「それが頬を染めるばかりで、あまり詳しくは教えてくれませんの」

「あら、それは残念ですわね」

「でも今度こそ、聞き出してみせますわ」

ふふふと笑い合った2人。

その1人がふと笑い声を止めた。

「それでは三の姫様はやはりお噂通り、(あやかし)に?」

「ええ、(かどわ)かされたとしか思えませんわ」

その会話に、ふと帝の言葉を思い出す。

あれは麗景殿での事を聞いた時だ。

確かに妖がどうとか言っていたが、どうもしなかったと帝には報告されていたはず。

心配させないために、虚偽の報告をしたのだろうか。

妖って事は、怨霊が出た可能性が高いってことだよな?

あの近距離で怪異があったのは嫌だな。二条邸のように結界があるわけじゃない。

チラリと自室の方に目を向ける。

暗闇が広がるばかりで何も見えないが、行ってみようか。

そう思って歩き始める。いや、ふわふわ移動している?

見下ろしても相変わらず足なんか見えないし。

俺、今、どういう状態?

考えながら進んでいると、右上の方に灯りが見えた。










麗景殿を北上しているのだと思っていた俺は、見覚えのない雰囲気に進むのを止める。

見覚えがないと言っても、外観が大きく違うわけじゃない。蔀戸や廊下は同じデザインだし、夜だから分かりにくいのかもしれないが、いつも見ている柱の傷や、擦っても落ちないと言われているちょっとした汚れなど、見覚えのある目印がここにはないのだ。

一度、弘徽殿(こきでん)に迷い込んでから、気をつけていたのに、いつもと違う視界にうっかり知らない渡殿(ろうか)を進んでいたらしい。

えっと、俺は今北上しているのか?

それとも南下しているのか?

やばい、どこにいるのかも分からないぞ?

いや、そもそも、状況も分からない。

そう思い、改めて自分を見下ろしてみる。

足はないし、手も見えない。

まさか、生霊状態?

妖って、俺の事だったりして。

夜な夜な彷徨ってる、とか?

ふわふわ漂ってる霧にでもなった気分だ。

うーんと唸りながら視界は前へと進み、やがては人の声に気がついて動きを止めた。

「ですから、その様なことはおやめくださいと何度も申しました」

男の声だ。

どこかで聞いた事があるような……

話し方の抑揚としては帝に近い。

あ、そうだ。兄の東宮(とうぐう)かもしれない。

「ふん」

それに答えたのは不機嫌な鼻息だけだった。

女性かな?

格子の方を見ても、影も何も見えない。

「明らかに様子がおかしかったのです。私にはない力があの方にはあって、何かを見て驚いておりました。でもそれを声に出さず、こちらを責めることもせずにいてくださったのです」

「それがなんだと言うのです」

「帝の子を呪うのは、凶悪な犯罪ですよ。女御様が指示して行わせたとなれば、大事になりかねません。わたしの立場も含めてです」

それに対しての返答はない。どのような表情をしているのか不明だが、その後は東宮の深い溜息だけが聞こえた。

どうしようと思っていると視界が前に動き出す。自分の意思で留まる事ができないようだ。

ふと視界が開け、見覚えのある場所に出てきた。

滝口(たきぐち)だ。

とすると、さっき俺がいたのは弘徽殿だ。

東宮が自分の母親を(いさ)めてくれていたのか。

……やっぱり、あの菓子は危険なものだった。

怨霊かと思ったが、今の会話から察するに呪いだったのかな。

こわっ。








俺はぶつぶつ考えながら歩いているような、そんな視線のまま進んでいる。

足こそ見えないが、視界は歩いているように上下している。

弘徽殿に戻って会話の続きを聞いてやろうと思ったのに、いつの間にか考えに没頭していた。

そんな中、ふと人の気配に視線を上げる。

「ふふ……やっと来たわね」

目の前に女性がいる。でも見たことがない人だ。

着ているものからすると、高貴なお姫様だ。

六条のあの人と似たような豪華な衣を身に纏っている。

そんなに詳しくないが、俺だってシーン別に色んな衣を身に纏ってきた。仕事の時に着る衣、普段着として着ている衣、惟光が用意してくれるお忍び用の衣などだ。肌触りが違うから、素材が違うのだろう。

光沢があって、模様が複雑なものが、豪華な衣装といえる。

素材名などは分からないが、絹とかだろうか。

いや、そんな分析はどうでもいいか。

自分でも見えない俺を、この人はしっかり認識しているような気がする。

さっきの安堂寺(あんどうじ)蜂須賀(はちすか)の人達と違って、はっきりと俺を認識している。

「しかもそんな無防備な姿で……ふふふ」

ゆっくりと袖がこちらに伸びてくる。

本能が危険だと叫ぶ。

「あら」

急激に距離をとった。どうやって離れたのかは不明だが、半蔀(はじとみ)にぶつかって後退が止まる。

こちらに伸ばしかけた袖を口元に持って行き、怪しく微笑むその人は美しかった。

早く、自分の体に戻らなければ。

そんな思いに支配され、焦りが心を占める。

だからだろうか、半蔀を跨ぐように視界が動き、外に転げ出た。

そこからは、今までの動きとは比較にならないほどのスピードで視界が遠ざかる。

引き戻されるような感覚に身を任せていると、視界は高速で流れて殆ど線だ。

師匠の修行の成果か、こんなに早い視界でも酔いそうにない。

それでも引かれて、腹に負荷がかかっている感じはちょっと危険かも。続けば酔うな。

「うっ……」

唐突に目が開いた。

「はっ!」

ガバッと起き上がる。

嫌な汗をびっしりかいていた。

「誰だったんだ」

俺の探し人ではない。アレは怖いものだ。

内裏(だいり)、だよな」

弘徽殿に近い場所に住んでいる妃……。

「……知らない、人」

小さく言ったつもりだったが、その声を拾う人物。

「若様? 目が覚めたのですね」

惟光の声が几帳の背後から聞こえる。

ちょうど良かった。俺の記憶がないのか、そもそも知らないのか教えて欲しいと言いかけて止まる。

いや、待てよ。

今のこれをどう説明したらいいんだ?

まだ頭が上手く動いていないからか、何をどう聞けば自然なのか思いつかない。

「お加減いかがですか?」

ひょこっと顔を出しながら言う心配そうな惟光の顔を見ながら、また今度、機会があったら聞いてみようと考え直す。

「うん……少しマシかな」

そう言いながら、自分の体調に気を向けた。

倦怠感(けんたいかん)や熱かった体も、随分とマシになっている。

「汗を凄くかいたから、お湯で体を流したい」

「すぐにご用意いたします。食欲はどうですか?」

腹に手を当てて考える。空腹は感じない。ただ、喉は乾いている。

「水が欲しい」

惟光は頷いて立ち上がった。


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