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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
77/81

〜77〜世評

うつらうつらしながら、惟光が準備するのを見ていた。

御簾(みす)が下され、几帳が立ち、水は下げられて周りが整えられていく。

気がつくと看病されている鬱々とした空間から、貴人が客人と対面する空間へと変わっていた。

今にも眠りに入りそうになる俺の横で、惟光が待機する。

しばらくすると頭中将が御簾の向こうに現れた。

「お加減はどうですか」

心配そうな声音に返事しようと口をひらく。

「……立……ち……」

立ったままいないで、こちらに来て座ったらどうかと言いたかった。

声が掠れて出ないのを、惟光が半分立ち上がりながら手で制す。

「立ったままこちらへどうぞ」

俺の言葉を引き取った惟光がそう言って御簾から出ていくと、頭中将に近寄ってボソボソ説明を始めた。他の者に聞こえないようにだろう。

いや、惟光、逆だよとは思ったが、声に出して訂正する元気もない。

どのみち動けないし、まあいいかと託した。礼儀とかそんなものがあったのかもしれないし、俺の意図を汲み間違えたのかもしれない。

疫病対策とか呪い対策とか、そんなのがあるのかも。

仕方なく耳だけを傾けて、惟光がどう言い繕ってくれているのを聞く。

乳母の家に立ち寄った俺が、思わぬ人の死に触れて内裏(だいり)に上がれないと、説明しているように聞こえた。

頭中将がこちらをチラチラ見ているのは分かったが、愛想笑いをする元気がない。

体調が悪いってことだけは信憑性があっていいかもしれないが、どこまで納得してくれただろうか。

「……それによる穢れもさることながら、今朝からしわぶき病みでしょうか……」

しわぶき病みって、風邪のことだっけ……

こちらを見た顔が訝しげに歪む。

「かなり重篤に見えるのだが……本当に大丈夫なのか?」

頭中将、心配してくれてる?

「はい、左大臣様も色々ご用意くださってますので、加持祈祷などは抜かりなく……」

それ以降はポソポソとしか聞こえてこない。

乳母の出家と看病に行った先で穢れに触れたと言っているような……?

自分の母親を理由に、上手く話を作ってくれているんだろう。

そうか、尼君の容態はどうだろうか。

今の俺みたいに寝たきりなんだろうな。

元気になったら、お見舞い行かないと……な…………








沈みゆく意識の中……いや、これは夢の中かな。

惟光の実家が見えている。尼君の事を考えながら眠ったからかな。

ぴっちり閉められた門扉を見上げてしばし止まる。

どうしようと思っていると上昇する視界。次の瞬間には、門をふわりと飛び越えて庭に降り立っていた。

蔀戸(しとみど)は上げられていたので、(ひさし)に降り立ち尼君を探す。

「ふうぅ……」

苦しそうな息が聞こえてきて、それを頼りに視線を動かした。

ふわふわと探していると、几帳が見えた。

その奥に横たわる人。尼君だ。

俺は近寄ってその顔を覗き込んだ。苦しそうな声がしていたのに、今は眠っているようだ。

寝息だったのかな?

尼君の周りを少し彷徨(うろつ)いたが、起きる気配はない。

ふと、夕顔の家が気になった。

あの小君のように別の夕顔がいたりするんだろうか。

このまま隣にも行けるだろうか。

そう思うと視界が勝手に動き出す。








庭に出て、垣根を飛び越えて隣に移動した。

ほんの数分しか経っていないと思っていたが、世界は深い黄昏色で覆われていた。

濃厚なオレンジが黒い影を作っている中、自分の影を見つけることもできないまま、屋敷に上がり込んだ。中を漂いながら人の気配を探る。

「姫様はあれからどちらへ行かれたのでしょう」

「ええ、右近まで連絡もなく、しばらく姿を見せませんわね」

心配そうな会話が聞こえてきて、そちらに意識を向けた。

「あの日以来見かけませんわ。あの垣間見た男君……たいそう美しいお方でしたので、(あやかし)ではないのかと噂している者もおりますわ」

妖?

もしかして俺の事かな。

「そうですわね。かの源氏の君では、なんて言う者もおりますけど、それよりは妖の方が可能性が高いと思いますわ」

いや、ちょっと待て。妖の方が可能性高いってそんな事ある?

「妖ですか?源氏様なら良かったのに」

「そのような高貴なお方が、こんなボロ屋に通うなんてあると思いますか?右近の元に通っていた、あの惟光殿のご友人ではないかしら」

「それでしたら、どこか遠い地方の受領(ずりょう)の息子とかでしょうか」

「あり得ますわね。あ、そうだわ。頭中将の事を知って、都には居るのが怖くなったのではなくて?」

「そうかもしれませんわね。でしたら、今頃領地にも着いておられる頃かしら。右近が一緒なら、便りくらい寄越すでしょうね」

凄く話が膨らんでいるが、死んだと知るより、そう思っている方が幸せかもしれないな。

「そうそう、惟光殿といえば」

その場から離れようとした俺は、惟光の名前が出た事で意識が会話に戻る。

「誰かが右近の事で問い詰めておりましたわね。でも今日はいないのかと驚いておりましたわ。その日は別の恋人の元へ向かったようですし」

「あの方も好きものですわね」

惟光さん、やり手なんですね。何人に手を出していたんだろう。

「本日あたり、また来られるのでしょうか」

「そうかもしれませんわね」

……現在進行形なんだな。

不自然にならないように、しばらくは通おうと思っているのかもしれない。

夕顔の身代わりがここに現れた形跡がないので、これ以上留まっていても何も情報は得られないと思った。

だから、だろうか。

視界が動き始める。

ふわりとした視界は大通りへ出て北上を始める。









北上の途中で、いくつかの屋敷を横切った。

陽が完全に落ちたせいで視界が暗い。明かりに引かれて彷徨っているうちに、誰かの屋敷であることに気がつくといった感じだ。

主人らしき人物がいなかったので、誰の家かは分からなかったが、女が2人、俺の話をしていた。

「源氏の君、心配ですわね」

「類稀な美しさを持つお人なのだとか」

「そのようですわね。こちらの屋敷には、通っていただくような姫がいなくて残念ですわ。拝見する機会すらありませんもの」

「本当に」

ほうっと同時に息を吐き出す2人。1人がスッと身を寄せてこそっと言う。

「でも、そのように美しい方は、早くに天に召されてしまうのでしょう?」

「この世の美しさではないのですから、元の世界にお戻りになるのでしょうね」

庇に出て話し込んでいる女達は、俺が長生きできないと話しているのか。

おいおいと思いながらその場を離れた。










別の屋敷では、男達が俺の事を話していた。3人で酒でも飲んでいるのか、明かりを囲んで座っている。

瑠璃紺の狩衣(かりぎぬ)の男は灯りから遠く顔は不明だ。次に薄く白っぽい水色の狩衣で髭面の男は、ほんのり顔を染めて酔っているように見える。そして濃い水色の狩衣の男は、煌々と明かりに照らされていて顔がよく見える。若い男だった。

髭面の男と交互に見たが似ていない。親子ではないのか。

「宮中でお見かけした事もありますが、本当に美しいお姿でした」

瑠璃紺の男の方からだ。声から察するにまだ若い。

「ほう、わしも1度でいいから拝見したいものです」

髭面の男が白濁した酒を煽る。

「戻って来られるでしょうか。もう長くないと聞いております」

白っぽい狩衣の男が言う。

「最近、この話題で持ちきりですね。帝もたいそう心配なさっておられるようで」

「そりゃあ、危篤と聞けばな」

「帝も対策されているようですね」

父の帝は凄く心配しているだろうな。

「祓えや加持祈祷、祭礼なども可能な限り行なっていますが……」

顔の見えない瑠璃紺がそこで言葉を切った。

安堂寺(あんどうじ)に依頼はないのか?」

髭面がそう言って瑠璃紺を見る。

え、今……安堂寺って言った?

「特にはありませんね、もちろん、個人的にも」

「そうですか。何かあったら物部も協力いたします」

水色の若い男がそう言って瑠璃紺を見る。

「おいおい、蜂須賀も忘れんでくれよ。図書寮(ずしょりょう)より、公に協力できるだろうし」

髭面が笑いながら言う。しかしふと真顔になると、瑠璃紺に向かって問う。

「呪いの可能性はないのか?」

「ある」

強い言葉に、全員の視線が瑠璃紺に向いた。もちろん、俺も。

「内裏から時々呪いの気配が漂ってくる。中の住人に縁がないので、入って調べる事はできないのですが」

声の主が気になって、さらに近寄った。灯りから遠いその顔を覗き込もうとしたその瞬間。

瑠璃紺の男が太刀を手に取り立ち上がる。

「どうしたのですか」

若い方の男が言い、髭面の男は酔いのせいで動きが鈍いが、太刀を手繰り寄せている。

俺は慌てて後方へ下がる。視線の先が、俺だと思ったからだ。

あれで切られたらどうなるのか?

これが夢だとしても、まずい気がした。

御簾の隙間から屋敷を出ると、必死に遠ざかるよう意識すると、ぐんと視界が動く。

いくつか高い塀を飛び越えて、無我夢中で前に進んだ。


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