〜72〜夕顔の死
意を決して、西の妻戸に出て扉を押し開ける。
「!」
その瞬間、ふっとすべての明かりが消えた。
「今まで、点いてたよな……?」
スイッチがあるわけでもないのに、火が一斉に消えるなんてある?
渡殿の左右に一層深く見える暗がりに、何かが潜んでそうで恐ろしい。
一瞬でも明かりを見たせいで、部屋の中よりも暗い気がした。
「風……」
細く頬を撫でて行く風が不気味さを煽る。
足元を確認しながら進むと、従者らしき人の影。
「おい」
声をかけてみるが返事がない。腰を折って様子を伺うと寝息が聞こえた。
「死んでいるのかと思った」
ひとまず安心だな。
それに少し目が慣れてきた。
「これは誰だ?」
俺が覗き込んだのは、一緒に来た随身だった。周辺を見ると、管理人の息子と、殿上童がいる。
すぅっと息を吸い込む。
「生きてるか!」
全員に聞こえるように声を出す。
「はい!」
「は、はい」
随身と管理人の息子がそう言いながら体を起こし、殿上童は無言で体を起こし目を擦っている。
「紙燭を用意してくれ」
俺は管理人の息子にそう言ってから、随身に向き直る。
「みんなを起こして、警戒するように通達」
頷いたは見えたので、俺はつい小言まで口に出してしまった。
「こんな不気味な場所で、気を許してはいけない。惟光はどこに行った?」
随身に言ったのだが、管理人の息子が答える。
「少し前まで控えていたのですが、ご指示もないとの事で、暁にお迎えに参ると言い残して、お帰りになりました」
「暁……」
明け方じゃねーか!
今何時だ?
まだ深夜でもないと思う。長時間寝た感覚がないから、日が暮れてから3〜4時間くらいだろう。
「と、とにかく警戒の弓を鳴らします」
ふと六条に行く前に惟光と交わした、魔除けに弓を鳴らし続けると言った会話を思い出した。
随分自信がありそうな雰囲気に、慣れているのかと尋ねる。
「滝口の武者でありますれば」
おお、清涼殿を守っている人達か。
おかしいな。俺、内裏でこの人見たことあったっけ?
まあ、覚えていないだけの可能性もあるけど。
その滝口の武者なら、魔除けの儀式になれているって事かな。
「頼む」
管理人の息子は、びいぃぃん、びいぃぃん、びいぃぃんと3度弓を打ち鳴らした。
「確かにいい音してる」
そう小さく呟いた。するとさらに弓を引き、今度は口も開こうとしている。
これはもしや、呪文的なやつ?
本当に魔除けの効果があるなら俺も知りたい!
いい音鳴らすのなら練習すればできるし、呪文が有効なら言う事なし。管理人の息子は鼻から大きく息を吸っている。
来るぞ、呪文が来る!
「火、あやふし」
へ?
びいぃぃん
「火あやふし」
びいぃぃん
「火あやふし」
びいぃぃん
「火あやふし」
管理人の息子はそう言いながら、離れのほうに歩いて行った。
「あー、聞いた事あるわ、これ」
火、危ない、みたいな意味で、気をつけろと言っているのだ。
現代風に言えば、
『火の用心』
かな。
呪文でもなんでもなかった。火の用心で怨霊が振り払えるのなら、誰も苦労はしないのだ。
内裏での点呼の時のやつだな。
「そうか。今ごろ名対面くらいか」
名対面ってのも最初は訳もわからず緊張したな。同じような名前の人が多いと思っていたら、みんな役職名で名乗りあっていた。隣にいた人に教えられてなんとか乗り切ったのを覚えている。
昼もいない、夜の点呼もいないとなれば、出勤してないのがバレるな。
サボったということは、職務放棄だ。
俺がいなくてもなんとかなるのだが、父帝に迷惑がかかってなければいいけど。
今日何度目か分からないが、腹に手を当てて目を閉じる。
「やっぱり近い。かなり近い」
もしこのまま帰ってしまったら、もう会うこともない人達だ。
それが少しだけ寂しく感じた。
「帰還の時間って……朝、だったよな」
名対面って日が変わる2〜3時間前だから、朝だとするとまだ8時間以上先だ。
乗り切れるかな、俺たち。
灯りもないまま戻って来た俺は、ほとんど手探りで様子を確かめようとした。
「恐ろしい、本当に恐ろしい事……あぁ、助けてください」
ぶつぶつ呟く右近の声。
2つのシルエットが横になっていた。
暗闇で薄く見える影だけでは、どちらが夕顔なのか分からないので、声を頼りに手探る。
「狐の仕業でしょうか。あぁ、恐ろしい、恐ろしい……」
震えながら俺の腕に縋り付いてきたので、それが右近だと分かった。
「狐だと思うから怖いのだろう。わたしがなんとかするから、しっかりしなさい」
ぐっと力を入れて右近を引き起こす。
「き、き、気味悪いので、ど、ど、どんどん気分が悪くなってきたので、ふ、ふ、ふ、伏しておりました。ひ、ひひ、姫様も、ど、どんなにか、不安に思っているでしょう……」
「そうだ。それを確かめに戻ってきたんだ」
もう1つの伏した影に手を伸ばす。
手探りで顔を探し当てると、輪郭を確認し、口元に耳を近づける。
呼吸が薄く、脈も細い。
それでもまだ生きている。
「大丈夫ですか」
夕顔の体を揺すってみる。動かされるまま揺れる体。
両腕で抱き抱える様にして起こすと、暗闇から右近の声。
「姫様は幼いようなところがありますので、狐に魂を持って行かれたのですわ」
こんなに動揺してどっちが幼いんだとか、狐などいない等と言いたいが、そんな余裕もない。
聞いていた事を信じるなら、このまま死んだりしないはずだが、以前とは違う事が起きているというのが恐怖を煽る。
恐怖に負ける気がして、夕顔を抱えている腕に力を込める。その耳元に口を寄せると、囁く様にして言った。
「大丈夫。絶対離しませんから。一緒に出ましょう」
この感覚ではあと1日と経たず帰れるはずだ。
「若君」
几帳の向こうに灯りが見えて、男の声が聞こえた。
近寄って来れない従者だと思い、ほんのり見える右近に目をやる。
袖で顔を覆った右近とは目が合わず、声をかけても動きそうになかった。
仕方がないので、片手で几帳を引き寄せて従者の顔を見た。
「灯りをこちらへ」
そう言って目を合わせたが、従者はオロオロするばかりで近寄ってこない。
しかしチラリと夕顔に視線を投げ、さらに奥の右近を見て、最後に鴨居を見る。
敷居を跨げないと言いたいのだろうか。
女性がいるから遠慮しているのだろうとは思ったが、今は人を抱えていてこちらから行くことも出来ない。
「灯りを」
再度声を出すと、従者はか細い声で答える。
「長押から先は、わたしなどでは」
泣きそうな顔で訴えかけてくる。長押ってのがこの時の俺には分からなかったが、鴨居から先に入って来れないのだと認識した。
「もっと近くに」
「し、しかし、女君もおられるようですし、わたしの身分では……」
緊急事態でも頑なに守らねばならない身分って、なんだよ。
「マナー守ってる場合か!早く」
しまった、つい現代の言葉が……
えっと、こんな時はどう言ったら……。落ち着け、俺。
「所に従ひてこそ」
時と場合によって、みたいな意味で使っていたはず。
少し声を荒げた事と、意味不明だった言葉が理解できるものへと変わった事が良かったのか、ようやく俺の手が届くところまで灯りがきた。
顔に灯りを近づけて、表情を見ようとしたその時。
見知らぬ女が夕顔のすぐ側に座っているのが見えた。
俺は横を見て右近がそこにいることを確かめると、再び女に目を向けた。
陰のようにも見えるが、間違いない。
誰かがそこにいる。
「どこかで……」
見たことがある。
そう、あの怨霊だ。
六条に巣食う、怨霊だ。
俺が手を伸ばすよりも早く、怨霊はその姿を消した。




