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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
7/71

〜7〜げに恐ろしき弘徽殿ルート

翌日は雨だったが、昨日の笛で気分が良かった俺は廊下に出て天を仰ぐ。灰色の空は少し明るく、すぐに雨も止みそうだなと思い足を進める。

これから帝の元に向かってお仕事だ。俺はどうやら武官らしいので、儀式に参加しても見守っているだけが多い。治安の事を聞かれることもあるが、経済の事を聞かれるよりずっといい。

通常だろうが朝儀だろうが、着る物は女房が用意してくれるので悩む必要もなく、何とか誤魔化しながら内裏(だいり)生活(ライフ)を送っている。

俺は雨を避けながら渡り廊下を歩き、麗景殿(れいけいでん)に差し掛かった。

色々教えてくれる女房がいたが、それだけでは不安だろうと気遣った惟光(これみつ)から、こっそり指南書を渡されていた。そこには主に生活の注意点が書かれている。

例えば弘徽殿(こきでん)ルートではなく、宣耀殿(せんようでん)や麗景殿ルートで出勤すべき、とかだ。

場所の名前が分かってきた頃に届いた文に、惟光の優秀さを実感した。

俺はそれに従って、麗景殿を通り抜けて出勤しているのだが。

「なんか、様子が変だな」

その麗景殿が今日は妙にざわざわしている。時々悲鳴のような声まで聞こえてきたり、人が倒れたような大きな音が聞こえてきたり。

何かあったのだろうか。

廊下で足を止めて逡巡する。

しかし言葉がまだ不安な俺が、何かの役に立つとも思えない。

邪魔になるだけかもしれないと、足をそろりと前に出す。

(いたわ)しいとか、恐ろしいとか、妹がとか聞こえてきて、何があったのか気にはなるが再開した歩みを止めることはしなかった。





そんな麗景殿の出来事があった翌日。

雨はまだ細く降り続いている。

「はぁ、なんとか乗り切った〜」

雨のせいなのか、物忌のせいなのか分からないが、宮中も人が少なかった。

人がいないと言う事は、帝と向かい合って会話する時間がたっぷりあった訳で……

話し始めるまでとんでもなくヒヤヒヤしたが、なんとか聴き取る事ができた。

聴き取りが可能であれば、あとは全力で空気を読んで乗り切るだけだ。

この世界では親の力が出世に大きく関わると、帝の話から学習したのも今日の収穫の一つだ。親が亡くなったせいで、出仕(しゅっし)できなくなった女性の話を聞いた。衛門督(えもんのかみ)とやらが亡くなったせいで出仕の話が消えたのだとか。どうしているのか、不便な事はないのか帝は心配していたが、俺にはその人達と縁がないので確認しようがない。何も言えないでいると、帝は世の中は無常だとしみじみ言っていた。

ゆっくり話してくれたおかげで聞き取れたのだが、話題に出た女性のその後など俺に分かるはずもなく、ただそれらしい顔を作って頷いていただけだ。

帝は息子に対しての愛情が深いようで、終始優しい雰囲気でいてくれた。

そのおかげで乗り切れたのだと思うが、緊張が切れた今、深いため息をつく事を許してもらいたい。

早く自分の部屋に帰って座り込みたいし、襟元大きく開けてダラダラしたいんだよ。

女房には呆れられるかもしれないが、気疲れした今だけは許してもらおう。

俺はそんな事を考えながら、清涼殿を出てまっすぐ北上した。ぼんやりしていたせいで、いつも曲がっているところを見逃したみたいだ。

見慣れないところに出てしまった。

「あれ、ここって……もしかして弘徽殿(こきでん)?」

惟光の警告がふいに記憶を掠める。弘徽殿ルートはだめだったよな。

ここでの俺の居場所は中央から見ると北東にある。清涼殿は西の方にあるから、帝に会いに行こうとすると色々なところを通らねばならない。

いつもは宣耀殿(せんようでん)麗景殿(れいけいでん)を通って紫宸殿に出る。そこから西に向かって清涼殿へ向かう。だからその逆を行けばいいはずだが、この数日で方角に慣れてしまったのか、適当に北東を目指していたのかもしれない。

いや、もしかすると、昨日の事で無意識にいつものルートを避けてしまったのかも。

「そもそもなんで弘徽殿はダメなんだろ?」

くれぐれも行かないようにとだけ書いていて、理由を知らされていない事に首を捻る。

「無徳な」

ふいにそんな言葉が耳を掠める。

もちろん、弘徽殿の中からだ。

声が聞こえた事で、少しの間足を止めてしまった。

「…………かたはらいたき…………」

小さな声でぶつぶつ聞こえる女性の声で、そのような言葉が混じって聞こえる。

これは、まずい。

俺はそっと足を動かし始め、なるべく足音を立てないように弘徽殿を通り抜けようとした。明らかに中から俺に向けられた言葉だと思う。

それに絶対褒め言葉じゃない。意味は分からないが口調で分かる。

吐き捨てるように言ってなかった?

俺、なんかした?

麗景殿を通るときはこんなことないのに。

姿は見えない人の気配をたくさん感じる事はある。でも基本的には衣擦れの音や生活音だ。

じっとを息を殺してこちらを見ている気配を感じる事もあるが、どういうつもりで俺を見ているのかは謎だ。だがそれに敵意を感じたことはないし、聞こえるように悪口を言われた事もない。

「憎らしい……」

しかも俺の歩調に合わせるように声が付いて来る。

これは怖い!

御簾の向こうを確認する勇気はもちろんない。そっと蝙蝠扇(かわほりおうぎ)を開くと半分ほど顔を隠しつつ足を早める。常寧殿(じょうねいでん)に辿り着くと、さすがに声も途切れた。

安堵の息を吐きたかったが、それをぐっと堪えて扇を畳み、ぎゅっと握りしめたまま自分の居住地まで早足で戻った。







「麦湯でございます」

淑景舎に戻って脱力していると、女房が飲み物を出してくれた。

滋養に良いもをの出してくれる時の器だから、もしかしたら漢方の一種なのかも。

俺は出された器を手に持ち、茶色い液体の匂いを恐る恐る嗅いだ。

「お?」

麦茶のような匂いがする。

そっと口をつけて飲んでみると、麦茶だった。

緊張の解けた体に染み渡るようだ。

ほぅっとため息を着いて、麦茶の香りを楽しんでいると、女房が立ち上がって低めの棚に何かを置いた。

「本日届いたものになりますので、御厨子(みずし)に置いておきます」

ミズシ?

疑問に思って女房を見ていると、棚のようなものに何か置いている。

ミズシってこの棚のことか。何が届いたんだろ?

女房がいなくなってから、乗せられた物を確認する。

ほんのり色のついた、折り畳まれた和紙だった。

「あ、手紙か」

惟光からの手紙は……ないな。

和歌とか書いてあるんだろうな。

惟光の手を借りないと返事も書けないのに、困ったな。

「……とりあえず、読んでみるか」

薄暗くなってきた部屋の中で、女房がつけてくれた明かりを引き寄せる。

明かりといっても、油に芯を浸しただけの仄かな明かり。

むき出しのアルコールランプみたいな感じだな。

並んだ手紙の中から、桜色の紙を開いてみる。

「歌……だよな」

やっぱり無理だった。チャレンジしただけでも褒めてくれ。

文字が読めても、和歌に込められた意味なんて不明だ。

俺だってそれなにり練習してるけど、内容も入ってこない手紙に返信できようもない。

分からんもんを眺めていても仕方ない。

開いた文を元通りに折りたたみ、そっと棚に戻した。

「惟光に全部渡そ」

丸投げを決め込むと幾分か気分が楽になった。

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