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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
67/81

〜67〜怪異

ざわつきで再び目を覚ます。

隣家だろうか。

男の大きな声だ。遠くに話しかけるような口調で、何事か言っている。

なんだろうと聞いていると、貧しくて冬が不安だと言っているようだ。

「……北殿(きたどの)こそ、聞きた……」

よく聞こえているようで、やはり遠いのだろう。最後は聞き取れなかったが、どうやらお隣さんへ話しかけていたようだ。

まだ暗いようだが、もう朝なのかな。

目を擦ろうとして気がついた。繋いでいたはずの手首が自由になっている。

「朝……?」

俺の胸元から夕顔の呟き。

その呟きに呼応するような、鳥の鳴き声。

渡り鳥だろうか、かなりの数だ。

大量のかもめが鳴いているのを聞いた事があるがそれに近い。ただ、こっちでかもめなんて見た事がないから、きっと違うのだろうけど。

しかしこれは騒音レベルだ。そう思っていると別の音が参加する。

コーンコーンと何かを木で打つ音に加え、ガラガラゴロゴロ大きな音まで聞こえて来た。

まるで、すぐそこで誰かがワザと音を立てているみたいだ。

「こういった音は日常的に聞こえているものだけど、今日はなんだか……いつもより、音が大きい気がするわ」

不安そうな顔が俺を見る。

「今年こそ、生業にも頼むところ少なく……」

どきっとした。突然男の声が聞こえてきたからだ。隣家へ大声で話していた男だった。

先ほどよりも大きな声が少し気になった。

「田舎の通いも思いかけねば、いと心細けれ」

あれ?

これ、さっきも同じ事言ってなかったか?

生業って何をしているのだろうか。田舎の方へ行って、何か分けてもらうのかは分からないが、先ほども心細いと言っていなかったか?

そして、北の隣家に向かって問いかけをして……

「北殿こそ」

すぐ、そこの庭に立って言っているような声量。

「聞きたもうや」

同じだ!

さっきと同じ。聞いておられるだろうかと問いかけていた。

なんだろうと考えていると、さらに声が近寄ってきて言う。

「北殿こそ、聞きたもうや!」

耳元で怒鳴られているような声量。

これはちょっと異常だ。

あまりの大きさに、輪からも抜け出して遣戸を開けて確認しようとした。

本当に近いなら怖いけど、人の気配はない。

きっと大丈夫だと思い、思い切って遣戸を開け放す。





りーん!

ジリジリ!

チチチチチチチ!

ジーコ、ジーコ……

リリリリリリリリリリリ!





小さい庭が見えたと思ったと同時に、虫の大合唱に顔を顰める。

尋常じゃないほどの音の大きさに、思わず戸を閉めた。

人がいなくてよかった。虫だけでもこんなに怖い。

声に出して言いかけたが、夕顔の不安を煽るような気がして、なんとか言葉を飲み込む。

誰かが庭にいて攻撃して来る心配もなさそうだし、戸を閉めたら音は小さくなった。

濁った音が混じり合って、不快なハーモニーのようだ。音の重なりに不安を抱いたが、彼女を怖がらせないよう、努めて気にしてないように振る舞う。

「凄い音でしたね」

振り返ると、夕顔は体を小さくして震えている。

「どうしたんですか」

慌てて駆け寄り、膝をついて肩に手を置くと、小刻みに震えているのが分かった。

本当にどうしたんだろう。

「死が近いの……私が死ぬ、その瞬間が」

向けられた顔は青ざめていて、今にも泣き出しそうだ。

「分かりました。今日からは参内もやめて側にいます。外に出られるその日まで、離れません」

心なしかホッとしたような表情の夕顔。

「惟光を探してきます。今後の手配を頼まないと」

立ちあがろうとしたが、袖に縋り付いた夕顔に引き戻される。

「本当はここを離れたくない。でも、今日はここが怖いなんて……」

1人になるのが怖いのか。いつもと違うってのも気になるな。

「これを」

懐から魔除けの覆面を取り出す。

「俺が戻ってくるまで、これを持っててください」

じっと俺を見ていた夕顔だったが、しばらくしてゆっくり頷く。

「ここから出る用意をしていてください」

再び頷くのを確認すると、立ち上がって惟光を探しに出た。








「若様」

惟光も俺を探していたようで、すぐに合流することが出来た。

「何やら騒がしくて気になって、様子を見に参りました。そちらは大丈夫ですか?」

「俺は大丈夫だけど、夕顔がとても怖がってる」

「そうですか……」

惟光はしばし考えるように顎を抱え、頭を捻っていた。しばらくして俺を見る。

「ここは危険かもしれません。この近くに使える屋敷がありますので、そちらに移動しましょう。少しだけお待ちください。牛車を用意します」

分かったと頷いて踵を返す。

すぐに戻って安心させたかった。








夕顔の元に戻ると、外からは相変わらず雑多な音がしていて、衝立の向こうでは夕顔が不安げにしていた。

何か気を紛らわせようとして話題を探す。

ふと衣に目が行った。白の袷に薄紫色を重ね着して、いつでも外に出られそうだ。

「柔らかそうな衣ですね。色も質感もお似合いですよ」

「あ……ありがとう」

まだ青い顔で、無理に笑顔を作って答えてくれる。

気を紛らわそうとして言ったことで、かえって無理をさせているように感じて慌てて言う。

「無理して、笑わなくていいですよ。怖いのは仕方ないです」

俺の渡した魔除けの覆面を、血の気が引くほど握りしめている。よほど怖いのだろう。

「でも、光源氏が……」

「?」

俺は首を傾げて夕顔を見る。

「過去の光源氏が、どんな状況下においても、思い詰めることなく、おっとりとしているから可愛いのだと言っていたわ。さきほどのような隣人の声も、恥ずかしがったりしない。それが上品で、また幼く見えるから、守ってあげたくなるそうよ」

なんだそりゃ。

怖いのに無理して笑ってるほうが可愛いのか?

「それはその時の光源氏の好みでしょう。無理しなくていいですよ。怖いのはわかります」

泣きそうな顔が俺を見ていた。

「何事も分からないで、おっとりと素知らぬふりをしてないといけない。そう言った人もいたわ。来世の事まで約束して……もちろん、その時はここまで大きな音ではなかったし、私の記憶も確かではないけど」

夕顔がそこまで言った時だった。

「姫様」

近くに女の声が急に聞こえた。

「右近!」

夕顔の呟いたその名前は惟光の恋人だ。1人のようだが、惟光は車の手配かな。

惟光の姿を探して右近を見ていたが、ふいに目が合ってしまった。

その時、外からの騒音に加え、遣戸がガタガタ大きく鳴る。開く気配はないが、夕顔も右近も恐怖で肩を寄せ合っている。

「右近。誰か呼んで牛車を近くまで頼む」

すぐにでもここを離れなければと思い、そう指示した。

「でも、そうしますと家の者にお通いが知れ渡ってしまいます」

おろおろして言う右近に、力強く答える。

「かまわない」

「まぁ、そこまで姫様の事を……」

どうせここには戻って来ない。夕顔を外に出してしまえば、この屋敷に出入りすることもないだろう。

バレて困った事になったとしても、それはその時考えよう。今はこの怪異を乗り切る方が先決だ。








右近の導きで屋敷を移動する間、いく人かの気配を感じた。心配するような声と、俺が光源氏なんじゃないかと推測する声が聞こえたが、それどころじゃない俺は夕顔の手をしっかり握って右近に続く。

「あちらに」

右近の目線を追って見ると牛車が止まっている。

薄い暁の空を確認すると、牛車に近寄る。そのまま乗り込める位置にあるので、夕顔の手を取って一緒に乗ろうとしたが、ここで夕顔が足を止めてしまった。ぐっと建物の中に重心が傾いている。

「やっぱり、怖い。ここから移動する先で、死が待っているの」

そうだった。これがいつも通りなら、死だってやってくる。

「怨霊なら俺がなんとかします」

「でも……」

夕顔は空を見上げて言葉を詰まらせた。

何かあるのかと思って空を見ると、微かに明るい東の空以外は、闇が広がるばかり。

「夜のうちに出るのは、怖いの。外は……とても暗いから」

「もう朝ですよ。ほら」

夕顔を見てから、東を指差す。

僅かだが明るい空に、夕顔も朝だと納得したのか、引くような力が弱まった。

よし、今のうちにっ。

俺が夕顔を強く引いて牛車に乗り込んだ瞬間、しわがれた読経の声が当たりを包む。

数人の読経が大合唱しており、右近の悲鳴が聞こえたので、様子見のつもりで牛車の中から簾を上げる。

「ありがとうございます」

入れと勘違いしたのか、逃げ込むように右近も乗ってきた。

ちょっと狭いが、今更放り出す事もできない。外に控えていた従者に、このまま出すように言った。

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