〜6〜龍笛
ぼやけた世界の中、学生服の男女が話をしている。
「いいですけど、先輩。俺の名前で遊ぶのやめてください」
学生服の男子は俺にそっくりで、文句を言いながらも嬉しそうな表情で、同じような学生服の女子に返している。
「遊んでるんじゃないわ。これはあれよ。ちょっかいってやつ?ひかるくん、私のお気に入りだし」
「いや、それが遊んでるって言うんですよ!」
おい、お前!
そんなこと言っても、その表情じゃ喜んでるってバレるぞ!
ああ、そうか。
あれは俺だ。
似てるんじゃなくて、俺と俺の探してる人だ。
そうか、先輩が『はなちるさと』なんだ。
そんなに年上じゃない。1つしか違わない。
先輩の名前、なんだっけ。
どこに行けば会えるんだろう。
無事、かな。
……………………
…………
……
パチン!
「…………はっ……」
扇を閉じるような音で、うたた寝から目覚めた。
俺は片膝を立てて座っており、柱にもたれて頬杖をついている。
衣服も着崩して、かなりリラックスした格好だった。
外からは雨のような音。ゆっくりと首をもたげて辺りを確認する。
ふと斜め横に人影を感じ、そちらに目を向けると、見たことがあるような男が、こちらをまじまじと見て立っていた。
扇で口元を隠し、ふっと笑う男。
あぁ、そうだ。この前、肩を借りた男だ。
「本当に悩ましいお姿で。これでは女達が放っておかないのも道理というもの」
そのような内容に聞こえた。
こんな所まで入ってくるということは、相当親しいんだな。
どうしよう、言葉がまだ怪しいのに誰かも分からない。
戸惑っていると、男は親しげに微笑んで近くに座った。
ニコニコとこちらを観察している男に、何か言わねばと話題を探す。
「雨……」
ふと顔を上げてそう呟くと、続きを引き取るように男が言った。
「なかなか明けませんね。長雨も物忌も」
俺は安堵の表情を隠して、鬱陶しいですねとでも言っているかのように、ゆっくり大きく頷いた。
「後で持ってきた衣服を届けさせますね」
そんな感じの事を言われたので、思わず眉を寄せて男を見た。
「ああ、私の実家からですよ。あなたの事が気になって仕方ないのでしょう。来て欲しくて父が色々と持たせるのです」
んん?
なんで俺に来て欲しいんだ?
「まあ、舅という者はなにくれと世話を焼きたがるものです」
舅!
と言う事はこの人が、あの女房の言っていた中将か?
え〜と、会ったこともない妻の兄弟ってことだよな。
ふうん、俺と仲良しなんだな、本当に。
俺より年上に見えるのは、落ち着いているからだろうか。それとも年上の妻の兄弟だと聞いているから?
あ、この人も既婚者なのかな。
カマかけてみるか。
「あなたはどうなんです?」
そう問うと中将は嫌そうな顔をして、
「右大臣の姫のことですか?」
と聞いてくる。
よく分からないので、頷いて肯定しておいた。でも既婚者だな。
「妻の人柄がどうこうよりも、しがらみが重くて。正直楽しくないのです。親があれこれ世話を焼いてくるし、妻と話していても格式ばって面白みがない。話など気軽に聞いてくれたらいいのに。何もわからなくて、ただ微笑んで聞いてくれたらそれでいいのにねぇ」
はぁ、と大きな溜息。よほど嫌なのか、表情が非常に険しい。
「自分がそうなので、あなたにも無理強いできない心境ではあります。実家の事を思うと、そうも言っていられませんがね」
「物忌が明けたら、必ず」
そう言うと、ほっとした表情になる中将。
笑顔の華やかな、いい男だった。
この人、モテそう。
なんだか華やかっていうのかな。動きが優雅で男前だし。
……なんだか、最近よく美形と知り合うな。この前も……
この前?
なんだっけ?
首に手を当てて目を瞑った。
「若月さん……」
はっと目を開いて中将を見る。
言葉を発したためか、中将は不思議そうな顔で俺を見ていた。
どうかしたのかと問われたが、首を振って否定する。
放置して申し訳なかったなと思いながら、再度中将に目を向けると、にこりと微笑みが返ってきた。
「雨のせいで体調がすぐれないようなので、また改めて遊びにくるよ」
すっと立ち上がり、そう言った中将。
「今度は楽しい話でもしよう」
「楽しい話?例えば、どんな?」
中将はニヤリと笑って、パチリと扇を鳴らした。
「恋多き源氏の君と話すのなら、もちろん恋の話でしょうな」
そう言うと、颯爽と帰っていった。
古今東西、恋愛の話題は盛り上がるんだろうな。恋多きってトコがよく分からなかったけど。
どんな話が聞けるのか、少しワクワクした。
中将が帰ると、遠慮して下がっていた女房が出てくる。
「中将様のことは覚えておいでですね。少し安心いたしました」
肩を借りた時の事しか覚えてないけど。
「曖昧だけどね。すり合わせしたいから、中将のことや仲のいい人達の話を聞かせてくれる?」
女房にそう頼み、予習しておこうと思った。
「中将って役職だよね?」
確認するように問うと、女房は静かに頷き補足してくれる。
中将は蔵人所の頭、つまりはトップでありながら、近衛中将を兼任しており、皆は頭中将と呼ぶらしい。
「頭中将……か」
ちなみに俺も役職は中将らしい。
本当に仲が良いらしく、俺は左大臣邸へ行っても妻といるより中将と話していたり、そのままこちらへ戻ってきたりするのだとか。
まさに親友だな。覚えてない事に罪悪感が湧く。
中将の実家に行ったら、心配事の妻へたっぷりサービスしないとな。
でもサービスって何したら喜ばれるんだろう?
妻の事も記憶ないから、好きなモノとか分からないぞ。
珍しいお菓子とか、花とか、そんなん?
「演奏されてはいかがでしょう?」
それは女房からのアドバイス。
頭中将とはここで談笑したりもするが、楽器を奏でていくこともあるようだ。
催し物が近い時などは、頻繁に合奏しているらしい。
楽器は好きだな。久しぶりに笛でも吹きたい。
女房に俺の楽器は何だと聞くと、笛や琴など多様な楽器が得意だと言われた。
う〜ん、本当かなあ。
「笛かぁ」
吹きたいと思ったのか、女房は探して参りますとその場を後にする。
龍笛は得意な気がするけど、琵琶とか琴みたいな弦楽器、あんまり得意じゃないんだよなぁ。
練習した事があるような気もするんだが。
弦楽器なら、むしろ先輩の方が……
……って、先輩!?
冬香さんに先輩。少し記憶が戻っている。
え、でも先輩って何の先輩?
冬香さんは……いや、冬香さんもそれ以上分からない。
顔と名前だけ思い出せたようだ。
自然と首に手が伸びる。
先輩は俺の1個上で、冬香さんはもう少し上だったと思う。だから同じ人物ではないが、どういう知り合いだ?
『優しく……て……げる』
記憶の断片。
なんだ、なんだっけ。
思い出せ、今、思い出せ!
『……優しく呪ってあげる』
そうだ!
そう言ったのが冬香さんだ。
台詞は物騒だが、このくらくらムラムラする感じ、イヤじゃないぞ。
その後、艶かしく首に吸いつかれて……
う〜ん、誰かに後頭部を殴られたような……
はて、それなら中将の事など覚えていなくて当然か。
こっちの記憶なんてあるはずない。
俺は現代人で、何故か平安京みたいなとこにいる。
いや、源氏物語の中?なのか?
だとすると、俺は……本当の俺は誰だ?
さっきの夢で、先輩は俺を「ひかるくん」と呼んでいた。
惟光も俺が「ひかる」と知っている。
俺は「光」……なのか?
本当に?
どくん……
「……うっ」
疑問で頭がいっぱいになったと思った瞬間、心臓が大きく脈打つ。
直後、体が崩壊していくような感覚に見舞われた。
「な……に……」
ポロポロこぼれ落ちるように、自分が消えて行くような気がして焦るが、止め方もわからず目を閉じた。
『自分の存在に違和感を感じないように。記憶が戻らない内に、絵の中で人格が崩壊したらお終いだからね』
ふっと誰かの声を思い出す。いや、誰かじゃない。これは冬香さんだ。
そうだ、俺は「光」……偶然にも「光」なんだ。
『光屋 光』という名前の現代人だ。
この世界のことはわからないけど、先輩を探しにきた。
己を認識したら、突如崩壊が止まった。
ふうぅと長い息を吐き出した瞬間、その隙をついたかのような衝撃。
ズシン。
腹の底から何かがもぎ取られるようなそんな感触で、一気に体が重くなる。
見えない手が、俺の腹から何かを抉り出そうとしている。
「や……め……ろ…………」
指一本動かすことが出来ない。
(嫌だ、止めろ、俺から魂を奪っていくな!)
心の奥底から勝手に出た思考だった。
魂を奪うな、その心の声がきっかけだったように、腹にグッと力が入った。
見えない誰かの手から、己の魂を守る。
何をどうやったのか分からないが、下腹部に力が収束し、頭上から抜けていくような感覚があった。
腹に食い込んだ手を掴んで、背負い投げした。
そんな感じ。
「こちらが若君の横笛でございます」
はっと目の前に現れた女房を見た。何事もなかったかのようなその様子を見て、冷や汗をそっと拭う。
嫌な感覚もすでに消え失せている。
この女房が来たから?
俺は自分が撃退したと思っていたのだが、人が来たから逃げたんだろうか?
じっと女房の顔を見ている俺に、気まずそうな表情が返ってきた。
はっと状況を思い出し、その手に視線を落とした。
女房は布に包まれていたであろう龍笛を、恭しく俺に差し出している。
俺の笛、なのかな?
疑問に思いつつ手にとってみる。
「運指が……分かる」
龍笛の音域は五線をはるかに越える。五線を越えてさらに1オクターブよりも上の高音がでる。
「なんだか、久しぶりだな」
自然と構えて『レ』の音を吹いた。
清浄な気をはらんだような音だ。
禍々しいものを遠ざける音色に聞こえた。
そして自分が今まで使っていた楽器より、数段鳴りがいい。
自分の楽器を思い出した訳ではないが、そう感じた。
「あぁ、楽器っていいなぁ」
さっきの変なものも近寄ってこれないんじゃないか、そう思えるほど澄んだ音色。
続いて折指と言う運指を試すべく『シ』から半音づつ下がって『ラ』までの三音を吹いた。
そこで急に不安になって女房を見る。
「今、吹いてて怒られない時間?」
「若君を怒れる者など、帝を除いて他に誰がおりましょう」
え、そうなの?
でも迷惑な時間とか、場所とかないのか?
まあここ広そうだし、音も隣の局まで届かないってことなのかな。
とりあえず今は大丈夫そうだし、もうちょっとだけ吹こうかな。
そうして俺は随分遅くまで、久しぶりの龍笛を堪能したのだった。