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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
58/81

〜58〜夕顔の君

そんな俺が広い心を見せた数日後。

「ととのいました」

「何が?」

「実家のお隣さんへの夜這(よば)いがです」

「よ……」

夜這い!

口に出しかけてなんとか飲み込んだ。

「夜になったら、こちらをお召しくださいね」

受け取った布は、六条へ行く時よりも、もっとずっと質素だった。布の肌ざわりからして違う。

麻とか綿かなぁ?

「牛車も出しません。あちらに合わせて下級貴族を装ってください。馬は……そうですね、わたしのモノをお使いください」

え?

馬!

牛車じゃないのは嬉しいけど、馬っ?

「あー、えっと。惟光さん惟光さん。馬の乗り方……」

「まさか、乗り方を忘れてしまったのですか?……いえ、乗れば思い出すでしょう。きっと体が覚えておられますよ」

そんなご無体な!

知らないのと忘れているのは同義じゃないので、できれば乗りたくない。

「わたしが引きますので、大丈夫ですよ。夜まで時間もありますし、ちょっとそこで練習しましょうか」

にこにこしながら言う惟光。この顔は拒否できないやつだ。

俺は仕方なく頷きながら、別の質問をした。

「惟光はあれから常夏(なでしこ)の君を見かけたのか?」

「わたしが通って行くと、警戒して奥に引っ込まれてしまいますのでお見かけしていませんね」

「それなら俺が行っても隠れてしまうんじゃ……」

「大丈夫です。何度も若様からの恋文を送っておりますし、返歌もいただいております。あちらもこちらに興味が出てきたところですよ」

うむ、いつもながらに仕事が完璧。

「興味が出てきたところでも、いきなり男が来たら怖いだろうに」

そう言うと、惟光は首を傾げて口を開いた。

「そうですか?娘がいるくらいですし、そこら辺の事は分かっておられるでしょう。後は若様が誠意を見せれば良いのです」

いや、俺は先輩かどうか知りたいだけなんだけどな。

しかも経験者……

子どもができるくらいの経験者。

先輩じゃなかったら、朝までどう過ごせばいいんだ。

そこまで考えて、先日朝まで過ごした楽しくない記憶が蘇る。

「…………」

つっと冷や汗が背中を伝った。

魔除けの布、持って行こう。

常夏の君が怨霊の可能性もあるし、仕えている女房に怨霊が紛れている可能性だってある。相手が先輩なら取ればいい。

「それから若様、常夏の君と呼ぶのは頭中将を連想させるので避けるべきです」

あ、そうか。そんな歌をやりとりしている可能性もあるもんな。

「こちらは夕顔の花をきっかけにしていますので、夕顔の君とでもお呼びしておきましょう」

その名の印象通り、可憐である事を祈る。

俺は期待半分、緊張半分のまま夜を迎えた。









「若様、その覆面気に入ってくれたんですね」

馬を引きながら言う惟光。

忍んで通うような六条へも通常よりは少ないが、それでも牛車に従者がゾロゾロいる。それが今は惟光と、最初に花夕顔のを取ってきてくれた従者と、俺もよく知らない子どもの従者だけ。

「なんかいいな、少人数ってのも」

「ええっ、そうですか?」

訝しげな惟光の声。外は暗く、覆面のせいで惟光の表情すら見えない。

「うん。惟光さえいてくれたら安心だし」

「そうですか?」

今度は嬉しそうな声。

「惟光」

「はい」

「いつもありがとう。本当に感謝している」

「…………」

なんの返事もない。

ぴろりと覆面をめくって惟光を見る。

前を向いて歩いている惟光の、耳が少し赤い気がした。










「それでは若様、そろそろ馬にも慣れましたでしょうか」

「うん、多分」

昼間の練習を思い出しながら手綱を握る。

馬は思ったより大きくない。

怖さが半減したところで、惟光の介助付き乗馬は面白かったが、夜のこの暗さで1人乗馬はやっぱり怖い。

思わず馬を止めて降りてしまった。

「このまま歩いて向かおうか」

「そんなみっともない事、いけません」

惟光がそう言って嘆く。

「こんなに暗いんだし、誰からも見えないって」

そう言うが、首を横に振って惟光は説明する。

「わたしが歩きで通うのですら、相手に知られたくないというのに、若様が地に足をつけて通うなど……恥ずかしい事ですよ。それに上がり込んでから足元に注目されて、そこに泥でもついていたらバレてしまうじゃないですか」

た、確かに。

もー、貴族って面倒。

「さ、わたしの実家へも寄りませんから、もう少し頑張ってください」

「尼君の見舞いはいいのか?」

「そこから身元がばれてはせっかくのお忍びが無駄になりますから」

惟光が真剣な顔でそう言うので、俺は仕方なく馬に乗り直した。

こわっ。

一瞬ぐらついたので、バランスをとりながら体勢を安定させる。

「ま、師匠の修行よりマシか」

ため息と共に、ポロリと口から出た言葉。

あれ?

修行ってなんだっけ?

ん〜っと軽く唸りながら考えていると、何かが記憶を掠めた。

落ちるイメージ。

はっ!これは馬に乗っている時に思い出したらダメなやつだ。

俺は軽く首を振ってイメージを振り払う。

そんなこんなで、ようやく目的地に辿り着いた。










どう話が伝わっているのか、いつの間にか惟光は姿を消しており、大小従者からも引き離され、俺は屋敷の奥の方に通されていた。

御簾や几帳だけで仕切られた場所ではなく、ちゃんと四方が壁の塗籠を寝室にしているようだ。

従者から引き離され(主に惟光)た隔離空間が少し恐ろしい。

そして部屋の隅に蹲るもの。

仄かな明かりに見えるそれは、着物の袖で顔を隠しながら、こちらを伺っている女性だ。

俺の覆面が怖いのかも。

でも、これを取るのは俺が怖い。

「……」

「……」

「…………」

「…………あの」

俺が勇気を出して質問しないと、このまま朝を迎えそうだと思って口を開いた。

「夕顔の君、ですか」

「…………」

え、そこは返事してくれよ。

「イエス?ノー?」

どうせ通じないんだから、心の呟きを声に出してやった。

これは朝までコースかな……

「イエス」

え?

「夕顔の君と呼ばれる存在です」

答えてくれた!

「先輩、ですか?」

「何の先輩でしょうか」

あ、違うのか。でもイエスって事は、もしかして。

「俺は外の世界から来ました。イエスって、意味分かって返してくれたんですよね」

俺はそう言うと、辺りを見渡して本当に2人きりであることを確認した。他に人の気配はない。

相手の返答を待たず、そっと覆面を捲って顔を見せた。

「まあ……」

顔を見せた事によって、相手も少し警戒を解いたのか袖をおろした。

怯えていた表情が少し緩んだ。

「なぜ覆面を?」

「魔除けです。しょっちゅう襲われるので惟光……従者が用意してくれました」

「襲われるのですか?」

「ええ、それはもう頻繁に」

驚いた顔をしたその女性の袖から、こぼれ落ちた物を見て、今度は俺が驚く。

「刃物?」

短刀のように見えた。

何対策?

ぎょっとした俺の顔を見て、短刀を袖の下に隠し、困り顔で彼女は口を開く。

「今までここに来た人は、誰も彼も強引に襲おうとしてきたので、対策の一つです」

他にもまだ対策があるのか。刃物以外には何を用意しているのだろう。

「襲うなんて、初対面でそんな事しません。今までの人って何者ですか?いきなり襲うとか、人でなしですか」

俺は自分が怨霊に襲われてきた事を思い出しながらそう言った。

すると夕顔は首を横に振って、小さい声で言った。

「男が女の元に忍んで通うって事は、それが前提ですもの。それがここでの常識だと思ってたけど……あなたの言う通り、人ではなかったのかも……」

考えながら言う夕顔は、とても怨霊には見えない。

俺より2〜3歳上の女性だが、先輩かどうかは分からずだ。ピンと来ないって事は違うのかもしれないが、記憶がないので自信もない。

明かりから遠いので顔がはっきり見えているわけじゃない。でも、雰囲気が可愛いから先輩かも。

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