〜57〜惟光の恋人
「それでつい先日の事なのですが」
俺は先輩の顔を思い出そうとしながら、惟光の顔を見て頷き、上の空で続きを聞く。
「前駆がわざわざ先払いをしてやってくる車がございまして」
俺の忍び歩きと違うんだな。とすると、出勤か退勤だろうか。
「それを見ていた女童が、右近の君なる従者を急ぎ呼びつけて、確認するように言ったのです」
女童とは、あの黄色い袴の女の子だろうか。
右近の君は分からないので、想像上の顔に【?】を貼り付けておこう。
「そうしますと、なかなかに悪くない女房が出てまいりました。女童は出てきた女房に、中将が行ってしまうと訴えているようでした。その者は女童を手で制止し、なぜ中将だと分かるのかと聞いていたのです」
「中将……」
俺は今まで出会ってきた様々な中将を思い浮かべた。
まず最初に浮かんだのは頭中将だ。次に俺に嬉しいタッチをしてくる、まだ見ぬ妻の家にいる中将の君。空蝉の家にも中将がいて、つい先ほども愛人宅で中将なる人と会話した。
「女童の声は大きいものではなく、ポソポソと説明する声は途絶えがちでしたが、しばらく聴いていましたら、呼ばれた女房は、自分で確かめると言って移動していきました」
そこまで言った惟光は、ちょっとだけ笑いを堪えるような顔になる。
「どうした?」
「あ、いえね。ちょっとその女房が」
思い出したのか、くっくっと抑えつつも笑いが漏れる。
なんだよ、気になるじゃないか。
「惟光」
教えてくれよと瞳に乗せて惟光を見る。
「実はですね、その女房。急ぎすぎたのか、廊下から転落しそうになりまして」
くくくっと思い出し笑いをした惟光。なんとか収めて続きを教えてくれた。
「打橋だと思うのですが、それに衣の裾を引っ掛けて、よろめいて倒れたんですが、そのまま廊下から落ちそうになって慌てていたんです。恥ずかしかったのか、葛城の神のせいにして覗き見を諦めて戻って行ったのです」
えーっと。
覗こうと思って移動してたら、こけて気持ちが萎えたって事かな?
「打橋ってなに?」
俺がそう聞くと、惟光は1つ頷いて教えてくれる。
「板を置いただけで、それを橋の代わりにしたものです。ちゃんと打ち付けてないので、簡単に動きますし、引っかかりやすいので、危ないですよね」
ちゃんと設置する時間がない、もしくはお金がないって事かな?
打橋を理解した俺は、もう1つだけ質問する。
「葛城の神って?」
「大和にある葛城山の神様です。昔、葛城山と吉野にある金峰山に岩橋をかけようとした神なんですが、己の容姿が醜いことを恥じて、夜間しか作業をしなかったのです。そのせいで、結局橋はかけられなかったという話です」
こけそうになったのを、すぐさま神に転嫁できるってのも凄い才能だな。
俺がそう納得している間にも、惟光は笑いが込み上げてくるようで、必死に堪えているようだった。
そんなに面白かったのなら、俺も見たかった。
「まあ、とにかくですね」
まだ収まり切らない笑いを頑張って抑えながらも、惟光はその後を語ってくれた。
「戻ってきたその女房に、女童が言うにはですね。覗き見た殿方は直衣姿であった事と、随身の名前や、他の者の名前をいくつか。漏れ聞こえた範囲でしかありませんが、おそらくそれらは、頭中将の随身共ではないかと思われます」
「頭中将か……」
先輩かもしれないその人は、頭中将の恋人なんだろうか?
「特に聞こえてきた小舎人童の名は、わたしも知る者でしたから、まず間違い無いでしょう」
なるほど。
「惟光のところからは見えなかったのか?直接見てくれてたら、もっと確実だったのに」
そう言うと、惟光はそうですねぇと言って、ふと思い出したように口を開いた。
「以前、若様がお聞かせくださった、頭中将が忘れられない常夏の君の事ですが」
「…………?」
その以前とやらの記憶がない。
「若様、お忘れですか?」
「う、うん。そうみたいだ」
「長雨の物忌の頃に、4人で話された日の事は覚えておられますか?」
あぁ、あの怨霊に襲われた日か。
「若様がお聞かせくださった内容でしか分かりませんが」
何か惟光に言ったのだろうか。
全然記憶ない。
でも、言ってんだろうな。
色々相談もするし、忘れない内に惟光に言っておこうなんて、いかにも俺の考えそうな事だ。
「左馬頭の話はなんとなく覚えてるんだけどなぁ」
うんうんと惟光も頷いている。
「ほとんど彼が話していたようですね。頭中将のお話というのは、忘れられない常夏の君の話くらいしか、若様からは伺っておりません」
「常夏の君……」
本当に記憶にないぞ。
怨霊の事は鮮明に思い出せるのに。
「それで、その常夏の君が、わたしの実家隣にいるのではないかと思うのです」
え?
頭中将の元恋人ってこと?
「その、常夏の話教えて」
顔を合わせる機会の多い人物だ。内容によっては教えてあげないと。
「都合の良い通いどころというのは、覚えておられますか?」
「いいや、まったく。都合がいいとは?」
「まあ、連絡しなくても、詰めて通わなくても文句を言わず、会えば好きそうな態度をしてくれて、結婚の約束もないのに、ずるずる関係だけは続いているような女ですかね」
大人の関係だな。誠実さのカケラも無い気がするが、ここじゃ普通なのかな?
「それでも姫が生まれて、その子かわいさに面倒見ようとは思っていたようですよ。でも北の方のせいで失踪したんですよね?」
なんかドロドロの展開?
怖いが知りたいと思うのが人間ってものだよな。
「その話、全然覚えてない。どうして北の方が原因なんだ?」
ああ、それはと、惟光が説明してくれる。
「北の方かその周辺の女房かは分かりませんが、呪詛をかけたとかなんとか言って、その常夏の君に言いがかりをつけたらしいですよ」
「呪詛とは穏やかじゃないな」
「そうですね。誰にどんな呪詛をかけたのかまでは分かりませんし、真偽も不明ですが。心当たりがなかったのなら、さぞ傷ついたことでしょうね」
確かにと、俺は聴きながら頷いていた。住んでいた場所で濡れ衣の話が聞こえてきたのなら、その悪意に恐怖すら感じたかもしれない。
失意のうちに失踪?
もしくは恐怖を感じて身を隠した?
「それならあんなボロ……いや、質素な場所に隠れるように住んでいるのも納得だな」
うんうんと惟光も頷いている。
「頭中将の従者に、女房共が色めきたっているところなど、いかにもと言う感じですね。あの方はきっと、若様が聞いた常夏の君で間違いないでしょう」
「それなら中将に知らせてやら……」
「いけません!」
おっと、惟光さん?
遮るように言った惟光。俺は驚いたままその顔をみつめる。
「頭中将が確実に守ってくださるのですか?我々が偶然とはいえ簡単に見つけてしまえるのに、縁のあった人が真剣に探せば、この狭い都の中でどうとでもなったでしょう」
えっと、そうかな?
「鄙びた田舎にでも隠れているのならまだしも、こんなにも近所なんですよ」
言われてみればそうだけど。
「ここはもう少し近づいて、本人に確認すべきではありませんか」
確かにな。
「かなり隠していますからね。わたしが上がり込んでいると、主人などはいないように振る舞いますし」
ワタシガアガリコンデイルト?
「え、なんだって?」
「わたしが射止めた女房ですよ。よく話す可愛い奴なんですが、お仕えするような主人などこの家にはおらず、仲間どうしで肩寄せ合って生活していると言うんです。でもね、女童などからは時々敬語がポロリと……」
いやいや、惟光さん。
ちょっとお待ちよ!
「惟光は、そのお隣さんに上がりこんで、お泊まりまでしているって事かな?」
眉間に皺を寄せながらそう問うと、惟光は少しだけにやけた顔で頷く。
何を思い出しているのかまでは聞くまいと誓う。
「主命ですので、手を抜かずにやっております」
鼻息まで聞こえてきそうだが、確かに俺が依頼したし、応援もしたような気がする。ただ、出し抜かれたような気がして、ほんのちょっとだけ不満だ。
「子どもですからね、言い間違えるのも仕方ないのですが、隠しているつもりでしょうから、相手が慌てて紛らわして人などいないなどと……」
くっくと笑いを堪えている惟光。
俺は何も面白くない。
……惟光の彼女か。
先輩かもしれない人も含めて。
「尼君のお見舞いに行った時、垣間見させて」
「かしこまりました。さらにあのモノに近寄って調べます。若様がお通いになれるよう、迅速に動きます」
今度こそ鼻息が荒い惟光さん。
これはちょっと違う方向に燃えているのではないかと思うが、ここは仕方ない。
恋しちゃったのかもしれないし、俺が大人になって応援しよう。




