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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
57/81

〜57〜惟光の恋人

「それでつい先日の事なのですが」

俺は先輩の顔を思い出そうとしながら、惟光の顔を見て頷き、上の空で続きを聞く。

前駆(せんぐ)がわざわざ先払いをしてやってくる車がございまして」

俺の忍び歩きと違うんだな。とすると、出勤か退勤だろうか。

「それを見ていた女童(めのわらわ)が、右近の君なる従者を急ぎ呼びつけて、確認するように言ったのです」

女童とは、あの黄色い袴の女の子だろうか。

右近の君は分からないので、想像上の顔に【?】を貼り付けておこう。

「そうしますと、なかなかに悪くない女房が出てまいりました。女童は出てきた女房に、中将が行ってしまうと訴えているようでした。その者は女童を手で制止し、なぜ中将だと分かるのかと聞いていたのです」

「中将……」

俺は今まで出会ってきた様々な中将を思い浮かべた。

まず最初に浮かんだのは頭中将(とうのちゅうじょう)だ。次に俺に嬉しいタッチをしてくる、まだ見ぬ妻の家にいる中将の君。空蝉の家にも中将がいて、つい先ほども愛人宅で中将なる人と会話した。

「女童の声は大きいものではなく、ポソポソと説明する声は途絶えがちでしたが、しばらく聴いていましたら、呼ばれた女房は、自分で確かめると言って移動していきました」

そこまで言った惟光は、ちょっとだけ笑いを堪えるような顔になる。

「どうした?」

「あ、いえね。ちょっとその女房が」

思い出したのか、くっくっと抑えつつも笑いが漏れる。

なんだよ、気になるじゃないか。

「惟光」

教えてくれよと瞳に乗せて惟光を見る。

「実はですね、その女房。急ぎすぎたのか、廊下から転落しそうになりまして」

くくくっと思い出し笑いをした惟光。なんとか収めて続きを教えてくれた。

打橋(うちはし)だと思うのですが、それに衣の裾を引っ掛けて、よろめいて倒れたんですが、そのまま廊下から落ちそうになって慌てていたんです。恥ずかしかったのか、葛城(かづらぎ)の神のせいにして覗き見を諦めて戻って行ったのです」

えーっと。

覗こうと思って移動してたら、こけて気持ちが萎えたって事かな?

「打橋ってなに?」

俺がそう聞くと、惟光は1つ頷いて教えてくれる。

「板を置いただけで、それを橋の代わりにしたものです。ちゃんと打ち付けてないので、簡単に動きますし、引っかかりやすいので、危ないですよね」

ちゃんと設置する時間がない、もしくはお金がないって事かな?

打橋を理解した俺は、もう1つだけ質問する。

「葛城の神って?」

大和(やまと)にある葛城山の神様です。昔、葛城山と吉野にある金峰山(きんぷせん)に岩橋をかけようとした神なんですが、己の容姿が醜いことを恥じて、夜間しか作業をしなかったのです。そのせいで、結局橋はかけられなかったという話です」

こけそうになったのを、すぐさま神に転嫁できるってのも凄い才能だな。

俺がそう納得している間にも、惟光は笑いが込み上げてくるようで、必死に堪えているようだった。

そんなに面白かったのなら、俺も見たかった。

「まあ、とにかくですね」

まだ収まり切らない笑いを頑張って抑えながらも、惟光はその後を語ってくれた。

「戻ってきたその女房に、女童が言うにはですね。覗き見た殿方は直衣(のうし)姿であった事と、随身の名前や、他の者の名前をいくつか。漏れ聞こえた範囲でしかありませんが、おそらくそれらは、頭中将の随身共ではないかと思われます」

「頭中将か……」

先輩かもしれないその人は、頭中将の恋人なんだろうか?

「特に聞こえてきた小舎人童(ことねりわらわ)の名は、わたしも知る者でしたから、まず間違い無いでしょう」

なるほど。

「惟光のところからは見えなかったのか?直接見てくれてたら、もっと確実だったのに」

そう言うと、惟光はそうですねぇと言って、ふと思い出したように口を開いた。

「以前、若様がお聞かせくださった、頭中将が忘れられない常夏の君の事ですが」

「…………?」

その以前とやらの記憶がない。

「若様、お忘れですか?」

「う、うん。そうみたいだ」

「長雨の物忌(ものいみ)の頃に、4人で話された日の事は覚えておられますか?」

あぁ、あの怨霊に襲われた日か。

「若様がお聞かせくださった内容でしか分かりませんが」

何か惟光に言ったのだろうか。

全然記憶ない。

でも、言ってんだろうな。

色々相談もするし、忘れない内に惟光に言っておこうなんて、いかにも俺の考えそうな事だ。

左馬頭(さまのかみ)の話はなんとなく覚えてるんだけどなぁ」

うんうんと惟光も頷いている。

「ほとんど彼が話していたようですね。頭中将のお話というのは、忘れられない常夏の君の話くらいしか、若様からは伺っておりません」

「常夏の君……」

本当に記憶にないぞ。

怨霊の事は鮮明に思い出せるのに。

「それで、その常夏の君が、わたしの実家隣にいるのではないかと思うのです」

え?

頭中将の元恋人ってこと?

「その、常夏の話教えて」

顔を合わせる機会の多い人物だ。内容によっては教えてあげないと。

「都合の良い通いどころというのは、覚えておられますか?」

「いいや、まったく。都合がいいとは?」

「まあ、連絡しなくても、詰めて通わなくても文句を言わず、会えば好きそうな態度をしてくれて、結婚の約束もないのに、ずるずる関係だけは続いているような女ですかね」

大人の関係だな。誠実さのカケラも無い気がするが、ここじゃ普通なのかな?

「それでも姫が生まれて、その子かわいさに面倒見ようとは思っていたようですよ。でも北の方のせいで失踪したんですよね?」

なんかドロドロの展開?

怖いが知りたいと思うのが人間ってものだよな。

「その話、全然覚えてない。どうして北の方が原因なんだ?」

ああ、それはと、惟光が説明してくれる。

「北の方かその周辺の女房かは分かりませんが、呪詛(じゅそ)をかけたとかなんとか言って、その常夏の君に言いがかりをつけたらしいですよ」

「呪詛とは穏やかじゃないな」

「そうですね。誰にどんな呪詛をかけたのかまでは分かりませんし、真偽も不明ですが。心当たりがなかったのなら、さぞ傷ついたことでしょうね」

確かにと、俺は聴きながら頷いていた。住んでいた場所で濡れ衣の話が聞こえてきたのなら、その悪意に恐怖すら感じたかもしれない。

失意のうちに失踪?

もしくは恐怖を感じて身を隠した?

「それならあんなボロ……いや、質素な場所に隠れるように住んでいるのも納得だな」

うんうんと惟光も頷いている。

「頭中将の従者に、女房共が色めきたっているところなど、いかにもと言う感じですね。あの方はきっと、若様が聞いた常夏の君で間違いないでしょう」

「それなら中将に知らせてやら……」

「いけません!」

おっと、惟光さん?

遮るように言った惟光。俺は驚いたままその顔をみつめる。

「頭中将が確実に守ってくださるのですか?我々が偶然とはいえ簡単に見つけてしまえるのに、(ゆかり)のあった人が真剣に探せば、この狭い都の中でどうとでもなったでしょう」

えっと、そうかな?

(ひな)びた田舎にでも隠れているのならまだしも、こんなにも近所なんですよ」

言われてみればそうだけど。

「ここはもう少し近づいて、本人に確認すべきではありませんか」

確かにな。

「かなり隠していますからね。わたしが上がり込んでいると、主人などはいないように振る舞いますし」

ワタシガアガリコンデイルト?

「え、なんだって?」

「わたしが射止めた女房ですよ。よく話す可愛い奴なんですが、お仕えするような主人などこの家にはおらず、仲間どうしで肩寄せ合って生活していると言うんです。でもね、女童などからは時々敬語がポロリと……」

いやいや、惟光さん。

ちょっとお待ちよ!

「惟光は、そのお隣さんに上がりこんで、お泊まりまでしているって事かな?」

眉間に皺を寄せながらそう問うと、惟光は少しだけにやけた顔で頷く。

何を思い出しているのかまでは聞くまいと誓う。

「主命ですので、手を抜かずにやっております」

鼻息まで聞こえてきそうだが、確かに俺が依頼したし、応援もしたような気がする。ただ、出し抜かれたような気がして、ほんのちょっとだけ不満だ。

「子どもですからね、言い間違えるのも仕方ないのですが、隠しているつもりでしょうから、相手が慌てて(まぎ)らわして人などいないなどと……」

くっくと笑いを堪えている惟光。

俺は何も面白くない。

……惟光の彼女か。

先輩かもしれない人も含めて。

「尼君のお見舞いに行った時、垣間見させて」

「かしこまりました。さらにあのモノに近寄って調べます。若様がお通いになれるよう、迅速に動きます」

今度こそ鼻息が荒い惟光さん。

これはちょっと違う方向に燃えているのではないかと思うが、ここは仕方ない。

恋しちゃったのかもしれないし、俺が大人になって応援しよう。

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