〜55〜魔除けの覆面
「こちをご用意いたしました」
しばらく後、惟光は何かを持ってやってきた。
首を傾げて惟光の持っている物を見る。
「何、その布」
「魔除けの覆面です」
にこにこしながら黒くて薄い布を渡してくる惟光。
魔除けの道具が来てしまった。
今ほど惟光の有能さを恨んだ事はない。
手に持った布を広げてみる。
長方形で長い方の一箇所に紐を通してある。おでこあたりで括ったらいいのかな?
「こちらも検討したのですが、息苦しいかと思いまして」
和紙で出来たマスクのような物を出された。
そっと口に当ててみたが、確かにこれは息苦しそうだ。
「同じ効果?」
「いえ。こちらの白いほうは呪い対策です。ですが魔除けとおっしゃったので、覆面の方がよろしいかと」
「……両方、もらおうかな。この覆面、ピラって捲るのはあり?」
「額から外さなければ、少しくらいは大丈夫です」
へえ、凄いな。
こんな便利なものがあるなんて。ずっとこれしてたら安全なんじゃないか?
「内裏にもこれ……」
最後まで言えずに口を噤む。惟光がそれはいかんと言いたげな顔で、首を横に降ったからだ。
「ところで、怨霊でも出るんですか?」
そうだよって言いたい。言っても問題ないだろうか。
悩ましいな。
どうやら親族と関係も深そうだし、変な噂を立てたら良くないんじゃないか。
最後に見た時は、まだ人の姿だった。あれからどうなったのか、確認していないからなぁ。
「惟光は外で待っててくれる?」
「いえ。一度帰ります。朝早くにお迎えに上がりますよ」
「なるべく早くに来てくれ」
惟光は少しだけ不思議そうな顔をしたが、分かりましたと頷いてくれた。
その日の夜、俺は牛車に揺られながら六条へ向かっていた。
死地への旅路のようで血の気が失せそうだ。
怖い怖い怖い。
心の中でつぶやく。
無情なもので、やがては目的地に着いてしまう。すでに屋敷の敷地内だ。
「あとは、この覆面の効果を信じるしか」
絶望的な心境で、覆面をぎゅっと結ぶと外に出る。
「おっ」
足を踏み外しかけて、車の縁を掴んだ。
欄干にひっかけるようにして固定されていたおかげで、転げ落ちる事はなかったが肝が冷えた。
暗い上に覆面のせいで、全く見えない。仄かな松明の明かり以外は真っ黒だ。
黒子ってこんな感じなのかな。だとしたら見えなくて大変だ。
仕方なく布を捲って車から降りた。
「それでは若様、母を見舞ったらすぐに戻ってまいります」
よろしくって張り切って言いたかったけど、尼君の見舞いじゃそうもいかない。
「頑張って乗り切るよ」
「まだ喧嘩しているのですね。早く仲直りしてください」
喧嘩じゃないけど頷いておく。
牛車が離れていくのを悲しい面持ちで見送り、いつの間にか後ろに控えていた女房の先導で中に入って行った。
リーン リーン
前に来た時と同じように、虫の声が涼やかに鳴いている。
御息所の近くには明かりがあるため、御簾の外からでも中の様子が分かった。
顔の輪郭は綺麗で美しい。
怪我をしているようでもないし、もしかしたらこの前の事は俺の記憶違いだろうか。
少し怒っているようにも見えるが、じっとして黙り込んでいる。
「…………」
「………………」
お互い言葉がない。
どうしようかと思っていると、御簾の奥で動く気配。御息所は立ち上がると、すっと奥に引っ込んでしまった。
すこし身構えてしまったが、その体制を戻して首を傾げる。
寝所のほうかな?
「助かっ……」
そう言いかけたところで、この屋敷の女房が現れた。さすがに失礼な物言いだったかと慌てて口を閉じる。
女房は明かりを持って俺の近くまでくると、誘導するように立ち上がる。
着いて行きたくないけど……。
断ることもできずに連行される。
しっかり覆面を下ろし、懐に入れた和紙のマスクを取り出して次に備えた。
息苦しいかもしれないが、装着しておこう。
連れてこられた場所は、思った通り寝所だった。
そこに片膝を立てて座っている女性は、頬に一筋の髪を垂らして巻物に目を落としていた。
赤い袴に白い小袖。仄かな明かりに頬の影が揺れて、妖艶な微笑みをこちらに向ける。
怨霊かもしれないけど、美しいと思った。
何も言えずに立ちすくんでいると、紙を巻いた御息所。それをすっと床に滑らせて、こちらに差し出す。
警戒しつつも屈み、その巻物を指で捉え、こちらへ引き寄せた。
俺が巻物を持ち上げたのを確認すると、御息所はこちらから視線を逸らした。
悩ましげに小さく息を吐き出すと、横を向いてしまった。
どうしようかとしばし悩んだが、他に選択肢もなく巻物に目を落とす。
その場で膝をつき、何が書いてあるのだろうと思いつつ紙を開く。
紙を半分くらい開いたところだった。
「いっ……」
パリッと指先に刺激が走ると同時に、ビリッと紙が破れる音。
装着していた和紙のマスクが裂けて、片耳から垂れ下がっている。
これ、確か呪い用って言ってなかったか?
紙に込められた呪いって確か……
「紙呪?」
忘れていた記憶が蘇る。師匠でも一瞬混乱していたあの映像を、少しだけ思い出した。
「あら、ご存じなのですね」
ふふッと口元を隠して笑う御息所。もはや妖艶というよりは怪しいに尽きる。
逃げなければと思い、足に力を入れた時だった。
「あれ」
力が入らない。立ち上がれず、その場から動くことが出来ない。
「ふふふ」
笑い声が少し大きくなり、俺の代わりに立ち上がる御息所。
真っ直ぐ俺に向かってくる。
紙呪まで思い出したんなら、他の事もついでに出てこないかな。修行とかもしたような気がするが、今役に立つ何かを思い出したい。
一歩、こちらに近寄ってきた。
「……」
何も思い出せない。
さらに一歩。
「……〜っ」
まだ、何も思い出せない。
「……〜……っつ!」
だめだ、何も思い出さない!
あとは、惟光の用意してくれた覆面だのみ。
すうっと白い手がこちらに伸ばされたが、それが俺に到達する直前。
御息所はその手を引っ込め、元の場所に戻って同じ体勢に戻り、か細い息を吐き出した。
「近寄っても覆面すら取ってくださらない」
白い手が袖に隠れ、それを目に持っていき顔を隠した。
泣いているような仕草だったが、同情しようがない。だって俺は、呪いか何かのせいで動くことが出来ない。
人を呪っておいて泣くとは、どんな心境なんだ?
覆面に触れられていないから怨霊かどうかは未定だが、味方ではないだろう。
だが、この場で気を緩めたら襲われる気がしてならない。
腹だ、腹に力を感じろ。
「うむむ……」
修行の成果なのか、これかなという曖昧な感覚がある。
確証がないのが俺の悲しいところだが。
でも、じわりとした力の収束を感じる。
「くぅ……」
なんとかそれを絞り出すイメージを膨らませていると、ふわりと何かに包まれたような気がした。この守られているような感じは、修行でやった保護っぽいものだ。しかし気を抜くと消えてしまうかもしれない。
集中したまま怨霊を睨み続ける。
ここでもう1つ蘇る記憶。
『朝まで睨み合ってたっす』
古杣と睨み合ってたと座学で言っていた。あれは……武さんだ。
映像で、しかも言葉でそう言っていただけで、その場面を見ていない。こんな状態で朝までどうやって持ち堪えたっていうんだ?
武さんは確かキングだと師匠が教えてくれた。当時はクイーンだったとか?
俺とはかけ離れた実力の差がある事は確かだが、それがどれほどかは分からない。誰か時間に換算してくれないかな。キングかクイーンが朝まで睨み合っていて、あれほど……いや、あれくらいの消耗。
ジャックなら何時間もつ?
さらにその下なら?
その前に俺ってどれほどの実力?
いかん、弱気になったら保護も上手くいかないような気がする。
じりじりと消耗しているが、今、どれくらいの時間が経ったのだろう。
惟光、早く迎えに来てくれー!




