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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
54/81

〜54〜不倫相手の夫

結局、会う事になってしまった。

身なりを整えて、心もなるべく整えて、伊予介(いよのすけ)との対面に望む。

「何か気をつける事ないかな」

零すように言った俺の言葉に、惟光はにこにこと答える。

「伊予の国は覚えておられますか?とは言っても、若様は行った事ないでしょうし、知識の記憶になると思いますが」

伊予、伊予。

うーん、伊予柑くらいしか思いつかない。

あ、そうか。

伊予の柑橘類だから伊予柑?

えっと伊予ってどこ?

「覚えてないみたいだ」

観念して惟光に言うと、分かったとでも言いたげな頷き。

「伊予は道後温泉で有名な場所です。国力もあり、(すけ)とはいえ、小国の受領よりは裕福ですね」

道後温泉って四国のほうだっけ?

あ、みかんと言えば愛媛?

これ以上擦り合わせようがないから、愛媛で納得することにした。

あともう1つ、介ってなんだと思った俺は、ちょっと考えてから問うた。

「介って?」

「役職です」

「……ちなみにその上は?」

(かみ)です。紀伊守(きのかみ)は紀伊国を収める方。補佐する方は紀伊介となります。守が設置されていない国は介が国主となります。これは若様ならその内思い出す事だと思います」

いや、それはない。

思い出さないわ、きっと。知らない知識だと思うから。

しかしなるほど。

長官が(かみ)で、次官が(すけ)ってことか。

惟光、今日もほんとにありがとう。

「温泉いいな」

「そうですね。お会いになった時、湯桁(ゆげた)の数など伺ってみてはいかがでしょう」

温泉の数って意味かな。浴槽の数?

なんにしても、どっぷり湯に浸かってみたい。

俺、ここでは貴族なのに、風呂にも入れないとわかった時は驚いたもんだ。

サウナならあるのに。

体を流すためのお湯は溜めてるし、もうちょっと広くしたら中に入れなくもないんだが、これを提案した時の惟光はなんとも言えない表情をしていた。

毎日体を洗う習慣がないうえに、色んな迷信のせいで、そのサウナにさえ避けないと周りが大騒ぎする日がいくつかある。5日以上も入れないなんてザラにあるし、そこまで臭いに敏感じゃないから慣れたといえば慣れたが。

でも、湯にどっぷり浸かるのは、最高に気持ち良いに決まってる。しかも温泉。

俺も任国へ連れて行ってくれないかな。

そんな事を考えていたら楽しくなってきて、意気揚々と伊予介を迎えた。









上京してすぐに俺に会いにきたと言う伊予介に、俺は伊予の国について聞いた。

伊予介は嬉しそうに任国の話をしていて、ここまで船旅だった事や、国の景観(主に海に浮かぶ数々の島について)などを語ってくれた。

船旅のせいか、普段から船によく乗っているせいなのか、内裏で見かけるような貴族とは大きく印象が違う。

快活で小柄な、しっかり日焼けしたおっちゃんだった。

肌のシミ、シワの深さ。

これは絶対年齢だけの影響じゃない。確実に紫外線のせいだ。

「紫外線って恐ろしいな」

「?」

俺の目の前で不思議そうにしている伊予介。

いつの間にか口に出していたらしい。紫外線が通じなくて良かったと安堵の息を漏らす。

「ところで、いつも小君がお世話になっています。本日はその事でお願いがあって参りました」

両サイドに腕を広げ、床に手の甲をつけ、すっと頭を下げる伊予介。急に貴族に見えてきた。

顔を上げると威厳のある佇まいに目がいく。入口のほうに目を向けると何やら合図をしているが、その所作も優美で美しいとされている動きだった。

何の合図なのかと思っていると、11〜12歳くらいの少年が入ってくる。目鼻立ちは整っているが、のっぺりしていて表情に乏しい。全てのパーツはやや小さめで、しゅっとした貴族の子どもだ。

「さ、お前もご挨拶して」

はい、と小さく言った少年は、伊予の介に習って手の甲を床に置き、俺に軽く頭を下げる。

「若君、いつもお引き立て頂きありがとうございます」

まだ幼く見えるのに、しっかりした子だな。俺よりよっぽど貴族らしい。

「この度、手頃な人物に娘を縁づけ、北の方を伴って伊予に引きこもろうかと思っております」

どきりとした。

娘。

ちょっと頭の片隅に避けていたが、あの怨霊だった西の姫だ。

そして北の方は太ももの人だよな。

いない娘を誰に縁づけるつもりなんだろ。それにあの人を連れて行っちゃう?

伊予ってすぐに行けるところなのか?

いや、それよりも先に確認するべきか?

俺が心の中でパニックを起こしているとも知らず、伊予介はさらに続けて言った。

「そこで、この小君のことなのですが」

小君と言われて、俺の思考は停止する。

「北の方の弟ですので、我が一族で引き取っておりましたが、源氏様のお引き立てで内裏にも出入りしているとの事」

え?

小君?

俺はしげしげと少年を見る。惟光が言っていた通り12歳くらいの少年だ。

あの小さな子とはまったくの別人だった。

あれ?

とすると、西の姫もひょっとして……しれっと別人物が居座っているかもしれない。

伊予介に聞いてみようか迷ったが、いらぬポロリをしかねない。ここは我慢して何も言わないでおこう。

太ももの人は気になるが、他にも先輩かもしれない候補者はいる。会えないんじゃ確認する方法もないし、ここまで縁がないのなら違うのかもしれない。

「小君の事は、今後も面倒みましょう」

伊予介を安心させるためにそう言って小君を見た。

ほんの微かに微笑んだその顔は、やはり全く知らない人物である。

それでもあの小君のように使いをしてくれるのだろうか。

半ば諦めの境地だが、伊予にいくまでもう少し時間があるだろう。先輩でないと確証を得られるまでは頑張ってみるかと心の中で誓った。

それなのに……









「今日は涼しいな」

翌日、二条の家で目覚めた瞬間そう感じた。

大合唱していた蝉の声がまったく聞こえない。空蝉と例えられた先輩かもしれないあの人を、確認する好機を失ったように感じで不安になった。

上半身を起こし、懐に手を入れて肌を触ってみるが、まったく汗をかいていない。

「ま、過ごしやすくなるのはいい事だけど」

なのにこの不安はなんだろう。

帽子を被り、布団がわりの着物を捲って立ち上がる。垂れ下がった布を持ち上げて出ようとすると、ぴりっとした刺激。

「そうか……」

これ、結界だ。きっと若月さんが張った安全地帯がここなんだ。

とすると、内裏って危ないんじゃ……

「若様〜」

遠くから惟光の声。

狛犬を目下に確認しながら外に出た俺は、寝巻きのまま惟光の到着を待った。惟光は俺が起きて立っているのを見ると、テキパキと従者を呼び着替えさせてくれた。支度が整うと人祓いをして本題に入る。

「左大臣邸からも六条からもお文が届いております。内裏滞在中は引きこもっていたのですか?」

えっと、俺は昨日もここに居たのだけど。惟光の口調では内裏にいて、久しぶりにここに帰ってきたみたいだ。

「伊予介はどうなった」

唐突に思うだろうが、確認のためそう訪ねる。

「すでに任国ですよ。北の方はまだあのお屋敷におられるでしょうが、なかなかに連絡が返ってきません。それもこれも小君が不甲斐ないからです」

ぷんっと頬を膨らませた惟光。

昨日の今日で、何日か経過していると思ってよさそうだ。

「今って、もしかして秋?」

「そうですよ……若様、まさか」

こうなってくると笑うしかない。俺は困ったように笑って誤魔化した。

「とにかく、今日あたり六条へ行きませんと」

さっと血の気が引いた。

六条って、あの痛いって転げ回ってた怨霊のところだろう?

ヤダ……

怖いし、俺はまだ保護とか自衛とか、そんなスキルない。

「なんか、嫌そうですね」

「うん。嫌だから」

「冷めてしまったのですか?あんなに熱烈に口説き落としたお人ですのに……」

なんでそれを惟光が知っているのか。俺ですら知らない事なのに。

「魔除けの道具があるなら行ってもいい」

そう言うと惟光の首が傾ぐ。

「弓でも鳴らしましょうか?」

「演奏でもするのか?」

「狩でもするのか、の間違いですよ、若様」

あ、そっちの弓か。胡弓とかヴァイオリンとか、そんなのかと思った。

「弓矢の弓を弾くと魔除けになる?」

「はい。なります」

「じゃあ、会っている間ずっと鳴らしてもうらおうかな」

「そんな事したら会話できませんよ」

惟光の眉間に深い溝が出来る。

「じゃ、身につけられる魔除けの道具だな」

そんなものはないので、仕方ないですね。そう惟光が言うのを期待した。

「仕方ないですね」

そう言って踵を返す惟光。

俺は小さくガッツポーズを作った。


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