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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
53/81

〜53〜二条邸再び

***


「あれ」

パチリと目を開けて目だけで四方を見る。

この垂れ下がってる布地は二条邸だ。

「俺、何してたんだっけ」

寝転んだまま額に腕を置き、ここ数日を振り返ろうとした。

出来事など何もない、平穏な日々の記憶がある。しかし、しばらく内裏にいたはずだ。

いつ、ここに帰ってきたのか不明である。

ふと何かの既視感。

「いや、二条邸(ここ)に帰ってきたんじゃない。こっちに来たんだ」

今回はどれくらい覚えている?

「師匠、冬香(とうか)さん、若月(わかつき)さん……白い霊体は……(おぼろ)?黒いのは(くわい)で、魂付きが怨霊……」

どこで得た知識かは不明だが、元から知っていたものではない気がした。

これはきっと、仕入れたばかりの知識だ。

師匠から聞いたのかな?

覚えてないけど、こっちに朧や傀はいない。

いや、厳密に言うと、区別がつかない。

朧も傀も怨霊も、さらには付喪神も全部人の形をとっている。

「巻き込まれた人や造られた虚像なんか……俺が見て分かるかな」

何かで知り得た知識だ。具体的なことは何一つ思い出せないけど、ここには俺や先輩のように巻き込まれた人間と、魂付きの霊体、魂なしの霊体、それに造られた実態のない人が存在しているはずだ。師匠なら区別できるんだろうけど、俺にはまだ無理だ。

「気をつけないと」

何をどう気をつけていいのかも分からないが、冬香さんの呪いもあるし、なんとかなると思うしかない。

「うん、意識して見てみよう」

こっちの記憶はどうだろう。

六条の屋敷が思い起こされる。

あの日、半裸で逃げ帰ってきた理由について、惟光には喧嘩したとだけ言って誤魔化している。

また行けと言われたらどうしよう。

「暑いな……」

汗を拭いながら体を起こす。

四方を囲む布のせいで熱気が篭っている。暑いが不快ではない。俺はこの寝室がわりと気に入っていた。

居心地が良いと言うか、なんか落ち着くんだよな。狭いからかも。

「ん〜」

大きく伸びをしてゆっくり立ち上がる。布を捲って外に出ようとした時だった。

びりっとした刺激が指先に触れ、それと同時に惟光の声。

「若様、若様!」

狛犬をサイドに見ながらそこから出て、惟光がやってくるであろう入り口に移動した。

寝巻きのまま惟光を出迎えた俺は、何ごとかと思いながら用意されていた畳に座る。

大弐(だいに)(あま)に何かあったのかもしれないと思い、少し緊張した面持ちで待つ。

「まずはお詫びを。母の病状が思わしくなく、なかなかこちらに来れませんでした」

そうだったのか。外の世界に戻っている間に、数日経ったという事だろうか。

カレンダーとかないし、暑いから夏だろう、くらいしか分からない。

「容体はどうなんだ?何かあったのか」

少し不安になってそう聞いた。

「弱ってはおりますが、相変わらずといったところです。今日は落ち着いていますので、こちらに来られました。それとこちらを」

短冊状の紙をたくさん渡される。なんだろうと見ると和歌が書いてあった。

「これは?」

「わたしが居る時は、若様に積極的に勉強して頂こうと思いご用意致しました。見て覚えておくと、どこかで何かの役に立つかもしれませんし」

「覚えられるかな……」

「言葉遊びだと思って眺めるだけでも良いかと。なにかと連想する言葉から歌につなげたりするものですから、わたしがいない時でも何かの役に立つかもしれません」

「そうか。ありがとう。これはじっくり見ておく」

そこまで考えてくれる従者は惟光だけだよ。

感謝の言葉を続けて言おうと思った俺は、ずいと近寄った惟光の動きによって引っ込む。

「ところで、隣家の事なのですが」

隣家というと、あの扇子に夕顔の?

とりあえず、大弐の尼の容体が悪化したのではないと分かって安堵した。

「何か分かったのか?」

「はい。家の従者等、方々(ほうぼう)に尋ねてみたのですが、あまり詳しい者はおりませんでした。ただ5月頃からひっそりと、どなたか来られているようなのです」

なんでひっそりなんだ?誰が滞在しているのだろう。

「わたしも気になってきましたので、看病の合間に中垣からなんとか覗けないものかと動きまして。幾度か観察しておりますと、(しびら)をつけた者を見かけました」

「しびら?」

「ほら、あれですよ。簡素な()です。略式とはいえ礼装に身を包む女房がいるという事は、仕える主人がいるのでしょう。家のなりからして、そこの主人というよりは、5月から滞在している人物に仕えているのだと思いますが」

なるほど。惟光の鋭い洞察力に感謝だ。俺は春からこっちの記憶があるから、一緒のタイミングで来たにしては時期がズレている。だが、どこかから逃げてきたのなら、先輩である可能性もまだあるって事だな。

同じ時期にこっちに来て、ツテを頼って惟光の実家の隣に逃げてきた。

うん、これだ。

俺が勝手に納得していると、惟光から報告の続きがある。

「それで、昨日の事なのですが、いつものように覗いていましたら……」

いつものようにって、惟光、もはや習慣化している?

「夕日が差し込んで、客人らしき女の顔がいつもよりはっきり見えました。文を書くため、机に向かっている様子でしたが、気品があってなかなか美しい方でしたよ」

そして、と惟光は続ける。

「どうにかして接点を作ろうと思いまして、あれこれ偶然を装ってあちらの女房に接触してみたんです」

え、行動派!

素敵、惟光。

「やるな」

「女房に文を送りましたら、素早く返事を寄越しましたよ」

返事が素早いって事は、接触しやすいのだろうか。

「なかなか品の良い女房が仕えていると予想致します。文の内容、返信の速さから推察したものですが」

珍しく興奮気味で話す惟光。もしやと片眉を上げた。

「もしかして、その女房といい感じ?」

「あ、文を出したのは1人ではありませんので、返事が素早かった者と今後やりとりして、深い探りを入れるためです。恋人にでもなれば上がり込むこともできましょうし、側近(そばちか)ければ内情もより正確に分かるかと思いまして」

や、や、や、やるな。言葉には辛うじて出さずにすんだが、1歩先を行かれた気分になって複雑だ。

「俺の調査は”ついで”でいいからさ、彼女作り応援してるよ」

そう言うと少し動揺をみせる惟光。

「あくまで、若様の依頼遂行のためです。そもそも若様は真面目すぎるんです。他の公達(きんだち)をご覧ください。せっかくあちらこちらで好意を寄せらているのですから、体を3つほど使って若さを謳歌するべきです」

いやそんな大袈裟な。

しかも、好意を寄せられてる自覚もない。

妻にすら姿を隠されているのに、モテてるなんて嘘に決まってる。

まぁ、強いて言うなら怨霊には好かれている気がするが。


……………………。


俺……餌としては美味しいのだろうか。


そう思った瞬間、ふと空蝉の人を思い出した。

あそこにいた怨霊は俺が外に連れて行って、師匠が祓ってくれた……ような気がする。モヤがかかった記憶だが、多分あってる。西の姫とやらが怨霊で、外に出ると本性が現れた。

いや、あのお店の特殊な結界の中だったからそうなったのかも。

いずれにしろ怨霊が消えたのなら、あの人はしばらく安全かな?

惟光の実家隣が先輩なら言うことなしだが、空蝉の人が先輩である可能性も、まだ潰えていない。いつか、何かのタイミングで、こっちも確認しないとな。

美卯(みう)さんの事は、覚えてるな……」

会っているからだろうか。差し入れをしてくれた大人になった美卯さんも、あの修行で見た中学生の美卯さんも覚えている。

その美卯さんがカシェットの中では、怨霊と虚像が入り混じっていると言っていたが、それがどのように見えているのかがよく分からない。

あの西の姫だって、怨霊になんて見えてなかった。

「俺の能力不足?」

…………否めない。

腕組みしながら悶々(もんもん)と考えていると、遠くから惟光を呼ぶ声。

少し失礼しますと言って、俺の側から離れた惟光を頷きだけで見送った俺は、さらに深く考え始めた。

しかしいくら考えても思い出せないし、理解も進まない。もう1度寝てやろうかと思ったところで、惟光が戻ってきた。

伊予介(いよのすけ)がご挨拶したいと、こちらの屋敷にやってきたようでございます。お会いになりますか?」

あの空蝉の人の旦那さんだ。

太ももの感触を思い出し、あれがバレたんじゃないかとヒヤッとする。

任国(にんごく)から戻って1番に若様に会いに来られたようです」

「な、なんの用事で?」

小君(こぎみ)の事ではないでしょうか?

え?

小君?

ちゅん、と鳴き声の幻聴が聞こえるようだ。

しかも伊予介といえば、あの怨霊の父親だ。乳を放り出して……いやいや、父を放り出して外へ行って、師匠に潰されてしまったあの姫の……父親。

まずい。非常にまずい。

あれこれまずい!

俺は泣きそうな顔で惟光を見て、会いたくないと言いかけた。しかし惟光はすでに踵を返して、その背中しか見えていない。俺はどうしようもできず、ただただ固まっていた。


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