〜52〜蜘蛛の糸
「こんばんは〜」
その空気を破る女性の声。
師匠と同時に玄関の方へ顔を向ける。
「冬香に頼まれて、差し入れ持ってきましたよ〜」
明るく元気なその声に、聞き覚えがあった。
ひょこっと顔を出した女性を、少し前に見た記憶がある。
「あ」
俺は小さく声を出したが、師匠が被せるように言った。
「美卯」
そうだ!
箱根の美卯さんだ。
さっき見た少女が急に成長して目の前に現れる。なんだか不思議な感覚だった。
「あ、君が後輩くんかぁ。平美卯でーす。瓊樹の1期生だよ、よろしくね」
「よろしくお願いします!」
爽やかな笑顔が印象的だった。あの苦悩から解放されたからだろうか。
「え〜っと、これが礼さんの分で、こっちが後輩くんの分ね」
紙袋の中から、バゲットサンドとホットドリンクが出てきた。
手渡された俺はすぐに外装をとって食べ始める。噛みごたえのあるそれを頬張る俺に、美卯さんが紙袋の底から何かを取り出す。
「で、これが冬香がわざわざ採りに行った桃ね」
「桃?」
美卯さんは笑顔のまま頷くと、セラミックの果物ナイフで皮を剥き始めた。
「桃は魔除けで有名な果実でね、これを体の中に入れておくようにって……って食べるの早っ!」
バゲットサンドを食べ終わった俺は、美卯さんが剥いてくれた桃を次々と口に放り込む。
「甘くて美味しい!」
「それで冬香は?」
にこにこしながら俺の食べっぷりを見ていた美卯さんに、師匠から疑問の声。
「料理中?明日の朝までに作っておきたい何かがあるとかで、手が離せないみたい」
「なるほど」
そう頷いてバゲッドサンドを齧る師匠。
思い当たることでもあるのか、その言葉で納得したみたいだ。
すっかり食べ終わった俺は、食後の甘いカプチーノを飲んでぼんやりしていた。
2人は近況報告のような会話をしており、あの白に戻った霊体”菖蒲 むいか”の名前が出ていた。
そういえば師匠はずっと俺に付き合ってくれてるな。
今まで見た映像のおかげで、いかに凄い人なのかが分かった。
運良く弟子になれて良かったのかも。
「さっきの霊体の話だが、美卯のは見えるか」
言われた俺は美卯さんをじっと見つめる。俺にジロジロ見られているというのに、美卯さんはにっこり微笑むと、ふっと力を抜いた。
「わ!」
急に眩しく感じて目を閉じる。
「よしよし。ちゃんと見えてるな」
「へえ、凄いね。光くん、2以下だって聞いてたけど、この修行方法のおかげ?」
輝きが収束したのを感じて目を開ける。
「その輝き、コントロールできるんですか?」
「J以上はみんな出来るわよ」
「それって、魂の輝きをコントロールしてるって事ですよね?」
そう問うと、美卯さんは首を横に振って言う。
「冬香が言うには、魂の輝きはそれぞれ決まってるんだって。大きくしたり、小さくしたりできないから、私達がやっているのは、霊体のコントロールって事になるかな」
「霊体の、コントロール?」
美卯さんは頷いて続ける。
「わかりやすく言えば、霊体に色を付けて見えなくしているのよ。遮光カーテンみたいな感じかな。コントロールしなければ霊体は透明な状態だからね」
「なるほど」
だから魂の輝きが透けて見えるって事か。
ふぅんと言いながら、ずずっとカプチーノを飲み干した。それを察したのか、師匠の顔がこちらを向いた。
「さて、総括の前に着替えようか」
「え?」
「シャワー使っていいぞ。本来なら従業員専用だが、光は特別に許可するそうだ」
言われてみれば、ずっと風呂も入ってない。
「でも着替え……」
「若月から預かってる」
ええ!
どうして若月さんが俺の着替えを?
「実家から預かってきたんだろ」
俺の考えが分かったのか、師匠が補足してくれて納得した。
師匠に小さなリュックを渡され、浴室に移動した。
見覚えのあるそれは、まさしく実家からやってきたものだ。
「さっぱりです!」
着替えが入っていたリュックに、脱いだ服を入れて師匠に言う。
「顔色もよくなったな」
「懐かしの制服じゃなくなったか〜」
美卯さんが笑顔で言うのを見て、改めて聞いてみる。
「お兄さんは、今も箱根に住んでるんですか?」
「あ、私達の戦いの歴史を見たのね」
「はい!いろいろ勉強になりました」
少し興奮して言うと、美卯さんはさらに笑みを深めて教えてくれた。
「奉職して立派に神社を守ってるわ。まだ新米だけどね。ここへは一応登録しているけど、副業みたいなもので、実際は安堂寺の関係者になるかしら」
あの神社、師匠が買い取ったって言ってたもんな。
「それじゃ、総括といこうか」
俺の思考時間を遮るような師匠の声。
ゴーグルを受け取る。
「これで座学が終わり……」
俺はもうちょっと美卯さんと話していたい。
だが、断れるはずないので、惜しみつつゴーグルの中を覗き込む。
残念なような、やっと勉強から解放されるような、複雑な気分のまま装着した。
〜音とはなちるさとの物語〜
失恋の痛みを抱えた高校1年の”遠野 音”が店を訪れる。綺麗になりたいとやってきた彼女は、怨霊と融合していた。
無自覚な彼女に、若月は怨霊を撮影した写真を見せて自衛を促す。しかしタイミング悪く、怨霊を無理に引き剥がす事になってしまった。
霊体に損傷を与えてしまった事を、自分のせいだと言った冬香は、彼女に呪いと保護を同時にかけて、霊体が治るまで毎日会いに行くと言う。
翌日、学校で音は、失恋の原因に遭遇するが、その男もまた、自分と同じように取り憑かれていた。男に捕まりそうになったその瞬間、冬香に助けられ、男は礼によってシランスとなる。
その後、解呪のため店に来るように言われた音。
そこには不思議な絵があった。絵の中に吸い込まれていく人物を見送り、怨霊や呪いの話を聞きながら解呪を待つ。
やがて絵の中からは意外な人物が出てきて、音に衝撃を与えた。若月や礼のおかげで解決したものの、自分の未熟さに涙を止める事が出来ない。それを若月の言葉が包みこむ。
音は瓊樹への転校を決め、新しい生活を始めようとしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「せ、先輩!」
ガバッとゴーグルを外した俺は、師匠の顔を見てそう叫んだ。
「音はまだ通ってるからな。顔見知りでもおかしくないか」
「違います!そうじゃなくて」
ここにきて、間接的とは言え、先輩とこの店との細い接点を見つけた。
「転校先がうちの学校なのも驚きましたけど!最後、美里先輩が出てきたんです」
師匠も驚いたのか目を見開いている。
「音と接点があるのか」
「あのまま仲良くなってれば!」
「調べる。翡翠、あと頼んでいいか」
そう言って振り返った師匠。そこには美卯さんの代わりに青いショートヘアが待機していた。
師匠の代わりに俺の前に移動してきた翡翠さん。
「それではそのまま横になって」
体を包み込むようなハスキーヴォイス。俺の興奮はその声に吸い込まれるように消える。
言われるまま横になり、なんとなく目を閉じた。
どっと疲れを感じる。
「もっと強固に意識して自衛しないと、冬香さんの呪いと保護があっても危ないですよ」
声に出して返事したかったが、頷くのがやっとだ。
これが終わったら、先輩の事……聞かない……と……。
俺の意識は深く沈み込み、そのまま世界は暗転した。




