〜48〜光の実家にて
「は〜い」
チャイムが鳴ったので反射的に返事をした主婦、”光屋 薫”は洗い物の手を止めて急いでインターフォンに出る。
「瓊樹学院の……」
耳馴染みのない言葉に、瓊樹学院の後が聞き取れなかった。
理事がなんとかって聞こえたが、気のせいだろうか。
家庭訪問?いや、それなら予告なく来ない。
まさか、光に何かあったのだろうか。
「瓊樹学院高等学校、理事長の”たまき わかつき”と申します」
軽くお辞儀をした高身長のスーツ姿。さらりと揺れる金の髪と柔らかな笑顔で薫を見る。そのグレーの瞳の中に映る自分は、ぽかんと情けない表情をしているに違いない。整った顔立ちの理事長は、その背後に秘書のような女性を伴っていた。こちらもスーツで、まとめ髪に眼鏡がいかにも有能そうに見えた。
「あの、光に何かあったのでしょうか」
部活で大阪に向かったのは2日前。普段から細かく連絡を入れたりはしないが、全く連絡がないのも少し不安だったのだ。
「いいえ、光くんは元気ですよ。どうぞ、ご心配なさらず。本日は光くんの部活動のことで少々相談がありまして」
ホッと息をついた薫は、玄関を大きく開けて二人を中に入れた。
応接間に通して紅茶を入れる。
聞き間違いでなければ、今座っている若い男は理事長と名乗っていた。
食器棚を開け、真っ白なカップとソーサーに手をかけた。
出しかけたが、考え直して横に避ける。
奥に入っているブランド食器の2セットに切り替えた。
「どうぞ」
お気に入りのダージリンを入れて、2人に出す。
「改めて自己紹介させてください」
男性はそう言って、名刺をテーブルに置いた。
女性もそれに倣うようにして名刺を置く。
名刺には、確かに理事長と書いてある。
タマキと名乗っていたが、その漢字は高校と同じだった。
【瓊樹 若月】
女性の方は秘書の【万騎原 南】と書いてある。
「実は光くんの所属している雅楽研究部なんですが、大阪でとある企業の依頼でレコーディングする事になりました。顧問も一緒に残りますので、学校の出席日数や勉強の遅れなどは、こちらで完璧にフォローいたします。直接、息子さんから説明があったかもしれませんが、大阪でプロデューサーがつきまして、トントン拍子に……」
理事長が若くて驚いていたが、面と向かって話す男の相貌が眩しすぎて、話が半分も入ってこない。
「それにしても、お母様が”薫”さんだったなんて。源氏物語のようですね。光くんのお名前は、お母様が?」
いつの間にか光の話になっていた。慌てて現実に戻って答える。
「いえ、父親がつけました。私もあの子の父親も漢字一文字なので」
「そうですか。一文字の名前は憧れます」
にこりと笑った理事長が、優雅な所作で紅茶を一口飲んだ。
その顔が少し寂しく見えたが、気のせいだろうか。
「ああ、香り高くて美味しいですね。紅茶の淹れ方、習っておられたのですか?」
「え……あ、はい。趣味で少々……」
「光くんと同じで、探究心がお強いのですね」
「いえ、そんな……」
笑顔が眩してくドギマギしてしまう。
「茶葉はダージリンですか?」
「あ、はい。お嫌いでなければ良いのですが」
「セカンドフラッシュでしょうか」
「まあ、よくお分かりになりますね!その通りです」
薫がそう言うと、理事長はこの世のものとは思えないほど魅惑的な笑みを向ける。
「お、お好きな茶葉はありますか?」
そう問うと、理事長は笑んだまま優雅に答えた。
「ウバが好きです」
「あ、それなら、美味しいウバがありますよ。お時間がまだ大丈夫なら、是非味わってください」
趣味の紅茶話ができて、少し興奮気味に言ってしまったが、迷惑だっただろうか。
そう思ったが、輝くような笑顔が返ってきた。
「恐れ入ります。それではご相伴にあずかります」
理事長はそう言って丁寧に頭まで下げてくれた。
***
光の母は嬉しそうに席を立って新しい紅茶を入れに行き、2人の前から姿を消す。
息子の話をするのはリスクが高い。細かい事を聞かれれば、どこかでボロがでるかもしれない。
だから、彼女の関心が向く話題にさり気なく誘導しているのだろう。
ごく自然にそれをやってのける若月に、南は熱い眼差しを送っていた。
一言も発言せず、ただただ空気のように若月の少し後ろにいる。
横並びに座っているのに、わざと少し下がっているのだ。
紅茶を飲む姿は雅やかで、少し伏せられた目元には金のまつ毛。その透ける様な色彩に釘付けだった。
華やかな柄のカップに負けず劣らずの容貌は、人妻でさえ虜にしてしまったようだ。
(あぁ、この人の子がほしい)
思いが通じない事など、痛いほど分かっている。
だから余計に強く思うのだ。
情けをたった一度でいいからと。
「南、呆けていないで今のうちにセッティングなさい」
注意されて慌てた南は無言のまま頷き、自分の鞄から菫色の紙を取り出した。ざっと部屋の中を見回して場所を選ぶ。
習慣的に目をやる場所がいいが、今はまだ注目されたくない。隠さず置けて、尚且つ目立たない。そんな場所を探す。
「窓際のプランター横にします」
「いいわね」
若月の同意を得て、南はすっと立ち上がり移動する。窓際には3つのプランターが並んでおり、青紫、薄いピンク、オレンジの花が見事に咲いている。
南は青紫の花の横に移動し、カードを2つに折ってからそっと置いた。
「青紫の花の横で目立たないと思います」
戻って来て席に座りながら報告する南に、若月は静かに頷き答える。
「そうね。戻ってきた時に目に入らなければ良いわ。あの辺りには1日に1度は行くでしょう。良い場所を選んだわね」
褒められた気がして、南は小躍りしたいほど嬉しかったが、なんとか地味に頷くに留めた。
「お母様が戻られたら、頼んだわよ」
「はい」
短く答えて背筋を伸ばす。
しばらくすると、光の母”薫”は新しいティーポットを手に戻ってきた。
若月も南も中身を飲み干し、新しいウバティーを入れてもらった。
「ありがとうございます」
若月はそう言って、南の憧れてやまない、長い指をカップに絡ませて一口飲んだ。
「あぁ、いい香りですね」
「よかったです」
「南も戴きなさい」
普段の口調とは違って、柔らかな中にも感じる、男性的な外向きの声。
「はい」
若月に言われて一口飲んでみた。
香りがいいの意味が分からなかったが、美味しいですと答えておいた。
「南、分かっていないでしょう」
見抜かれていたことに驚いたが、眉を少し動かしただけで表情に出す事を堪えた。
「飲んだ後、鼻からゆっくり息を出すと分かりますよ。鼻腔に残る香りを楽しむようにね」
言われるままに一口飲んで、鼻から息を吐く。
鼻腔を撫でるように抜けていく香りに気がついた。
はっと目を見開き、若月を見た。
「良いウバを出して頂いて、感謝ですね」
はい!と大きな声で答えたいのを我慢し、ゆっくりと頷いた。
「お口にあったようで、よかったです」
薫の嬉しそうな顔。
「ところでお母様。紅茶のお教室ではどのような事を習うのでしょうか?以前、友人に勧められて検討した事がありますので、もしよろしければ、先生の名前など教えて頂けたらと思うのですが」
そう言うと、若月はそっとカップをソーサーに戻した。事前に打合せていた合図だ。
薫の意識が南から完全に外れ、若月に向かっている事を示している。
南は薫に集中し、その霊体を感じ取ろうとした。
若月に同行してきたのは、南が特殊な能力の使い手だからだ。南は相手の霊体と同調し、記憶にイメージを植え付ける事ができる。
今回でいえば花の世話をする時に、近くにある菫色のカードを開くというものだ。
カードには光の不在を疑問に思わないような紙呪が施されている。持ち込まれたシランスをカシェットに変換した日、長期戦に突入するであろうと予測した若月が迅速に用意したものだ。
光の能力が両親のどちらに由来するのか、もしくは光だけが持っている力なのかは分からない。
神宝関係ではなさそうだが、知識があれば紙呪など簡単に破かれてしまう。
だからこそ、それらしい理由も用意してきた。
紙呪や南の能力が効かなくても、多少の時間は稼げる。
それでも、ベストは南の暗示と紙呪で、光の事を考えないようにさせ、光があのカシェットを解決するまで、なんとか長期不在を隠しておきたい。
そのために、ここへやってきたのだから。




