〜44〜冬香の体質
〜紙呪・続き〜
善意と悪意が交錯し、武は何が正しいのか分からないでいた。古杣に悩まされる新しく登場した女、それを渡した女とその同僚の男まで絡んでくる。やがて、同僚の男と”はなちるさと”関係者との繋がりが判明し、思わぬ犯人像が見えてきた。
礼や若月が所属する神宝十家門の話や、安堂寺家の内情を少し知ることができた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ほーっと大きな息を吐き出してゴーグルを外し、師匠を見ながら言った。
「呪いってバリエーションがあって、複雑なんですね。それに師匠の家庭事情が大変そうです。コメントは控えさせていただきますが」
「まあな。そこは忘れてくれるとありがたい」
師匠の苦笑に、俺は天井の方を見ながら指を折る。
「えっと、今回かなり情報多めでしたが、色々整理いいですか?まずは何年前なんでしょうか?」
「7〜8年くらい前じゃないか」
なるほど、と光は天井を見ながら指を折る。
「じゃあ次に人物の整理なんですが、佐間さんと都岡さんは部外者。小池先生は当然として、香奈さんと武さん、沙さんは関係者で間違いないですよね?」
「そうだ」
「主に武さん視点の時なんですが、感情が流れ込んできたのはどうしてですか?」
ああ、と言って師匠がこちらを見る。
「香奈から抽出できた情報から、感情まで再現出来なかったんだろう。若月は感情を漏らさないように制御していたからだな。武はその中間で、制御できないダダ漏れ状態だ」
つまり?と首を傾げた。
「能力の差ってことですか?」
師匠は頷きと共に説明してくれた。
「小池先生と香奈はJ、沙と武はKだな」
「クイーンはいないんですか?」
「今回はいないが、光の部活顧問がQだな」
「え?」
部活顧問?
俺の部活の顧問の先生?
「ええ!得満先生、ここの関係者なんですか」
驚きで一瞬思考が追いつかなかった。
「わりと古株だぞ」
予想外の回答に、他の質問がすべて飛んでしまった。
あんぐり口をあけたまま整った相貌を見ていると、ふいに師匠の背後から冬香さんの声がした。
「少し、休憩にしない?お茶とお茶菓子、いかが?」
師匠が振り返ったおかげで冬香さんが半分だけ見えた。紅茶とクッキーだ!
いつの間に来たんだろう?
「と、冬香。いつ、来たんだ?」
珍しく師匠が動揺している。過去に関係のあった女の情報は、やっぱ不味いよね。
「さっきよ。時間がないのは分かるし、知識を深めるのは大切だけど、頭がいっぱいになっちゃうわよ」
冬香さんは優しくそう言うと俺に歩み寄ってきて、華やかな微笑みと一緒にトレーを差し出す。
「ありがとうございます。遠慮なくいただきます!」
クッキーを1つ取るとパクッと頬張った。噛みながらカップも取って、すぐに口を付ける。
「幸せ。バターの香りと紅茶の香りが堪んないです」
「ふふ、よかった」
さりげなくゴーグルを背後に隠す師匠が視界の端で見える。まだ、都合悪いのが出てくるのかな?
それでも、そんな行動が人並みに見えて、少し親しみを覚えた。
ゴーグルを目で追うと、青空が見えている。若月さんも映っているように見えるが、詳細は分からない。
あれは師匠の巻毛かな?
そう思った瞬間、何故か鼓動が大きく跳ねた。
「え?」
俺は左手に持っていたクッキーを落としかけて、慌てて口に放り込む。そのまま胸に手を当てる。特に問題なく動いているので、気のせいだったのかも。
なんの動悸か分からない。師匠を見ると冬香さんからカップを受け取っていた。冬香さんはミルクや砂糖を乗せたトレーごとキッチンの方へ向かい消えた。
今のこれを報告するべきか否か、しばし考える。
「ところで光、体には叩き込めて……どうした、胸に手なんか当てて」
「あ、いや……お、覚えていられるかなぁって」
どう言えばいいのか分からず、思わずそう答えてしまった。
「カシェットの中でオレは記憶失わないからな、感覚がわからないんだが……」
俺は口に出してしまった内容に便乗する事にして、さっきの動悸は忘れることにした。
「師匠の事を思い出したいって思う事は多いんです。怨霊に襲われてる時とか特に」
「邪魔が入るそうだな」
「あ、やっぱりみんなそうなんですね」
う〜ん、と唸って考えながら、紅茶を飲み干した。
「なんて言うんですかね、感覚的には師匠より冬香さんの方が、先に思い出せそうだったんですよ。それに逆らって頑張って師匠を思い出してるって感じで。師匠との時間の方が長いじゃないですか。なのに冬香さんがふっと前に出ようとする。出来事っていうより、存在そのものが出てくるみたいな。それって呪いのせいですか?」
「まあ、そうだな。本能に働きかけるタイプの呪いだし」
「本能、ですか……?」
小さく首を捻って見上げると、ゆっくり頷く師匠。
「ま、そっちの方が思い出せそうなら、そこに集中すべきだな。連動してオレや祓い方を思い出すかもしれないし」
そっか。
感情に従ってよかったんだ。
でも邪魔が入るんだよな。この会話も忘れているだろうし、どうしたものか。
頭を捻っていると、師匠からふぅっとため息がこぼれた。
「教えるの嫌なんだが、仕方ない。冬香の『馥郁たる色香』ってやつを思い出すといい」
ふくいくたるいろか?
えっと?
俺がさらに頭を捻っていると、師匠がベランダに出ようとした冬香さんに声をかける。
「冬香」
水差しを持って窓に手をかけた冬香さん。振り返る時の伏目からぱっちり瞳が開く様子は、まるでスローモーションのように見えた。
「なあに?」
そう言って笑みと共に首を少しだけ傾けたその瞬間、ふわりと芳醇な香りがあたりに立ち込めたような気がした。
やだ、かわいいのにセクシー。
「はあぁ……たまらん」
「声に出すな」
そう言って師匠は俺の後頭部を殴った。
「どうしたの?」
「あぁ、ごめんごめん。気のせいだった。なんでもない」
頭を押さえている俺を無視して、師匠は冬香さんに手を振った。
冬香さんから小さな笑みが漏れる。
「ふふ、植物たちにお水あげたら、二人にも摘みたてのハーブを使ったお茶を入れるわね。もう紅茶は飲んじゃったでしょう?」
「ふおぉお……」
ハーブと言うワードで、だろうか。また、強烈な香りにくらりと来た。
「だから、声に出すな」
溜息と共に言った師匠から、追加のゲンコツを後頭部に頂戴した。
でもふわふわした俺には痛みなどない。
「冬香に包まれたような気がしただろ?その香りに酔ったって感じで」
「はい…………夢見心地で……」
まだふわふわしている。
「光、チェリーちゃんだからな。効きが良すぎる」
な、なんてことを言うんですか、師匠!
ふわふわからの急降下に項垂れていると、師匠は少し真面目な顔で説明してくれた。
「あれはな、呪いなんだ。その身に封じ込めた呪いが漏れ出て、男を寄せ付ける香りになる。実際に嗅覚が働いてるんじゃなくて、錯覚のようなものなんだが」
さっきのが錯覚?
「香り程度で済んでるんだから、ラッキーだよ。7年前なら敏感な奴は日中の路上だろうが冬香を襲っていたからな。効果範囲も広かったし」
え、なにそのエグい話。めちゃくちゃ怖いじゃんか。
「7年前って冬香さんいくつですか?」
今の年齢も知らないけど。
「かなり若いですよね?」
「当時は14だったな。大人びて見えていたから、外見年齢は20歳前後に見えていたけど」
14……って事は今21か。
「男のほうにしたって突然道端でムラッときて、衝動的に女を襲うなんて洒落にならんだろ?」
「た、確かに」
襲われるほうも恐怖だが、それが自分で制御できないとなると襲うほうも恐怖だ。
でも、なんとなくだけど、感覚はわかる。
俺は『ほわん』となって幸せな気分になっただけだったけど、しばらく冬香さんから目を離せなかったし。
手に入れたいとか考え始めたら、実力行使にでるかもしれない。なんか、理性みたいなモノが飛びそうな感じだったから。
「光は一度絵の中に入って色々経験しただろう?怨霊を具現化した世界を体験した。その状態は呪われているのと大差ないからな」
だから多少の耐性が出来たと、師匠は教えてくれた。
「今の冬香さんの状態で、こちら側の耐性がないとどうなるんですか?」
師匠は嫌な事を思い出したような苦い顔をした。
「よくてただの一目惚れ。もうちょっといくと熱量高めのナンパ。悪ければストーカー程度だな」
「程度って、ストーカーですよ!犯罪ですよ?」
「昔と比べて可愛くなったよな」
よなと言われても俺は知らないし同感とも言えない!
「ストーカー行為がかわいいんですか?」
「だから、昔と比べればな。いきなり実力行使のやつもいたからな。すれ違うと思った男が突然襲おうとしたり、ナンパのように話しかけたと思ったら、路地に引き摺り込んで押し倒そうとしたりとか」
そんなの、見ただけでもきっと引くのに、体験している冬香さんはどれだけ傷ついてきたんだろう。
そう思うと同時に、湧き出る疑問。




