〜42〜安全圏の情報と修業その1
「ちなみに助けに行ったこっちの人間……光の先輩とかだな。怨霊でないと確実に分かっている人物とでもやるのは気をつけろよ。ま、安全圏でならいいが」
言われた事がいまいち分からなくて、捻りかけていた首をきちんと捻って師匠を見る。すると、目を少し見開いた師匠が冷や汗をかきそうな顔で俺を見ていた。
「え、まじか」
何がまじ?
俺はさらにじぃっと師匠を見つめる。
「いや、意味がわからないのは予測していたはずなんだが、実際そんな目で見られるとなんとも……。ま、いいか。分かりやすく言ってやろう」
師匠は後頭部をガリッと掻きながら盛大なため息をつくと、長い足を組んでその上に腕を乗せる。ぐっと前倒しになると、真剣な顔を作って俺を見た。
その所作と相貌に、ドキッと心臓が跳ねる。
何か怖い事を言われそうに思ったのか、ふいに美貌が眩しく思ったのかは分からなかったが、とにかく緊張しながら師匠の言葉を待つ。
「簡単に言うと、貞操を守れって事だ。体内への侵入とは体の繋がりの事だ。口腔内に相手の舌が入っただけでも、保護が破られる可能性がある。特に性的に興奮している時は保護が緩みやすい。怨霊に拐かされて体を許すと、乗っ取りや魂の汚れを誘発する恐れがあり、2度とこちらに戻って来れなくなる」
俺は上を見ながら絵の中を思い出す。俺に悪戯してくる女房達や、襲ってきた愛人達。すべてが怨霊とは限らないが、怨霊だった場合……あれってそのためなんだろうか。
「相手が怨霊であると分かっていれば、不用意に近づく事すらしないだろう。だが、誰が怨霊で誰が助けるべき人なのか、光にはまだ分からないだろう?」
師匠の言葉に素直に頷く。
「挨拶程度のキスは許可する。だが、安全圏に連れ込むか、こっちに帰ってくるまで深いキスは禁止。もちろん体を繋げる事も禁止だ」
キスする時はライトにって事?
舌入れ禁止?
「おい、なんて顔してる」
どんな顔してたんだろ。
俺は自分の両頬を、両手で引っ張りながら上を向いた。
「だから、どうしてもやりたくなったら安全圏にいけって」
「や、やりっ……!」
あまりの言葉に頬から手を離して顔を向ける。
「さっきもそう言っただろ?」
眉根を寄せる師匠の顔を見て、すぐ疑問に行き当たる。
安全圏ってどこ?
「光、もしかして安全圏分かってない?」
すごい、うちの師匠は弟子の心を読める!
「いや、全部顔に出てる。誰でも分かるだろ、そんな顔してりゃ」
鏡見せてほしい、どんな顔してんのか。
……そして今のも分かったなんて驚き。
怖い人だ。
「守られた結界領域がないか?若月が必ず1個所は用意しているはずだぞ」
俺は絵の中を思い出そうとして視線を上に向ける。
結界って、どんなモノをさすのかな?
そう思った直後、寝所の狛犬を思い出す。
「あ、もしかして……」
俺は目線を下ろして師匠を見る。
「結界って、出るときにピリッときたりします?」
ん、と師匠は頷く。
「感覚は人それぞれだが、そんな風に感じることは多いようだな」
「師匠はピリッと来ないとか?」
また頷く師匠。
「オレは気が付かなくて、無意識に人の結界を壊してしまう事がある。意識すれば見えるが、気を抜いているとダメだな。ま、得手不得手ってのは誰にもあるだろう?」
うっかり結界を壊すなんて迷惑なのではと思ったが、声に出さず、代わりに卵を口に入れた。
「静電気だと思ってました。だけどすっごく落ち着くんですよ」
「それなら間違いないだろうな」
寝室が実は結界だったのかと、あの場所を思い出しながら思う。
「ま、次にあっち行って覚えてたら、逃げ込む場所は確保だな」
にっと笑った師匠は、カップを持ち上げてコーヒーを飲み干した。
「さて、そろそろ店に戻るか。午前中の修行は座学だし、気負わなくても大丈夫だぞ」
「はい!よろしくお願いします」
安全圏の情報に加え午前は座学だと聞いた俺は、浮き立つような感覚で席を立ち上がる。長く濃い1日になるとは考えもせず、冬香さんの待つ店に上機嫌で帰って行くのだった。
店に戻るとそこには誰もいなかった。
「あれ?冬香さんもいないんですね」
きょろきょろ見回してみたが、やっぱり人の気配がない。
「あの封印が不安定だから、危なくて営業できないんだろ。封印して店の用事すませたら、一度帰るって言ってたからな」
なんだか少し残念な気分になる。
「念の為、封印の部屋から離れてやるか」
「そ、そうですね」
足から引き摺り入れられた事を思い出し、何度も頷いた。
キッチンに近い方の部屋は、柔らかそうな低めのソファーに、ローテーブルが用意されている。
そのテーブルにはゴーグルのような物とカードケースが置かれていた。師匠によると、これは若月さんが開発した凄い道具なんだとか。
「ゴーグル持ってソファーに座りな。仮眠用に使うやつもいるくらいだから、座り心地は抜群だぞ」
「ここで座学って事ですか?」
ふかふかのソファーに身を沈めながら、師匠を見上げて問うとシンプルな頷きが返ってくる。
「まずは、これかな」
ケースのような箱から一枚取り出した師匠。白地のカードに『初級』と書いてある。
「それは?」
「他人の体験を己の経験のように体感できる」
えっと……?
「映像を見るだけだ。光、知識ゼロだろ?」
あ、はい、お恥ずかしながら。
なんだか気まずい気がして、鼻の頭を掻いた。
「京都で光が見たものがなんだったのか、まずは学習してもらう。次にオレ達の世界の常識を、最後に本格的に修行できたら上出来かな」
「座学っていうから、師匠か冬香さんが講義をしてくれるのだと思ってました。映像で説明ですか……それって、複雑すぎて簡単には説明できないって事ですか?」
そう問うと、師匠は静かに首を振る。
「説明するのは簡単だが、記憶がない状態であのカシェットに送り込まなければならないからな。時間もないし、体感して少しでも体に刻みつける。恐怖を覚えて、警戒心を体に叩き込むのが目的だと思っていい。無意識でも反応できるようにな」
なるほど、とは思ったが、あまりよく分かっていない。
「まぁ、まずはゴーグル装着してだな」
「あ、はい」
言われるまま、ゴーグルを装着する。
半透明の世界に覆われた視界の向こうで、師匠がカードを掲げた。
そのカードが宙に浮く。
目の錯覚かとも思ったが、浮いたままくるりと回転したので間違いない。どうなっているのだろうと考えていると、そのカードは分解され細かくなり、ゴーグルに吸い込まれるように流れてきた。
「11年前の静岡だそうだ」
師匠の声と共にサッカーボールが見える。それと同時に、それを自分の足が蹴っている錯覚。意識が深く沈むような、その景色に馴染むような感覚になり、物語の中へと旅立っていった。
***
〜朧〜
将生と大倭の物語。
小学5年生から中学生の頃の話だ。
突然幽霊が見えるようになった将生。それを誰にも相談できないまま、同級生の大倭に誘われたギター同好会で音叉に出会う。
楽器をチューニングするように、霊体を見るための練習方法に音叉が使われると大倭に教わった将生は、白い霊体がただの錯覚ではないと気が付く。
自分達の身を守る術を学ぶため、大倭の親戚である日下部家の当主と面会した将生と大倭は、そこに同席していた若月と、一瞬だけ顔を見せた礼と対面する。
翌週の放課後、2人は恐ろしい存在に絡まれていたところを、若月に助けられた。
ちょっとした危機を乗り越えて、成長した2人の友情物語が幕を閉じる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「終わったようだな。光、感想は?」
ゴーグルを外した俺は、目前にいる師匠に興奮した声で感想を告げた。
「す、凄いです!師匠、若月さんは天才ですね。11年も前の事を、まるで本人が見てきた様に体験できるなんて。大倭君と将生君、いいコンビでしたね!」
本当に凄かった。自分の過去みたいな感覚がある。
2人の友情物語と、”朧”と呼ばれる白い霊体についてだった。得体の知れないやつもいたけど、このまま知識を深めていてば分かるんじゃないかという気がする。
俺は将生君に寄り添って一部始終を見ている感覚だったが、彼の恐怖心なんかも伝わってきて、ドキドキした。そして将生君はいい奴だったな。そこまで考えて、俺はふと疑問に思う。
「あれ?でも11年前に中学生ってことは年上だから大倭さんと将生さん?」
俺は首を傾げて聞き、師匠は顎を摘んで考え込む。
「大倭と将生……そうか、吉佐将生と外間大倭。冬香に音叉をせがむ2人組か」
「え、師匠の知り合いですか?」
「若月の手下。この辺りをよく巡回しているよ。ま、ともかくこれで、京都の坂で見た白いやつの正体は分かったな」
「はい!必要以上にビビらなくてもよかったんですね。それじゃあ後ろの黒いのも……」
いいやと師匠は小さな頷きと共に、次のカードを引いて言った。
「このカードは黒いヤツが題材だと思うけど、続けて見るか?」
俺はやる気満々で頷き、ゴーグルを装着した。
「はい。今のが初級なら、次は中級ですか?」
「いや、初級2」
師匠の手からカードが離れて宙に浮く。カードは霧散する様に分解され、ゴーグルに吸い込まれて消えた。




