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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
40/81

〜40〜白紙委任状

後ろ姿だったが、先輩だと分かった。ただし制服ではない。

着物のような服装だ。よく見ると、その手は真っ赤に染まっている。

なんで、赤いんだろう……。

不安を噛み殺していると、師匠から追加の説明があった。

「怨霊も、彼女もこの中にいる」

何となくそんな気はしていた。ごくりと喉を鳴らして、じっと絵を見つめる。嫌な気配を絵から感じ取った俺は、誤魔化すように笑みを作り、師匠に向き直って質問した。

「俺がこの中に入るとか、そんな感じですか?」

「よくわかったな」

え、マジか。

正解したくなかった!

絵の中って何?

手前の空気とか、(ねじ)れてて怖いんだけど。

ポカンと開いた俺の口を見て、師匠が不敵な笑みを漏らす。

「絵の中に入るって意味不明だよな。でも大丈夫。すぐに体験できるから」

絵に入るってことは、あの捻れに巻き込まれるんじゃ?

問題の絵をよく見ようと、体を乗り出したオレの肩を師匠が強めに掴んで、自分に引き寄せた。巻き込まれないように引き戻したって感じだ。

実際に目に見えてる捻れよりも、大きく空間が歪んでるって事なんだろうか。

「選ばれるわけだよ、光」

「え?」

「多重一致に加え、その容姿だ。選ばれたって言うより、魅入られた、が近いかな」

「何が一致……え?なんですか?魅入れられた?」

光源氏(ひかるげんじ)に選ばれたんだよ」

意味がわからず、首が直角に傾く。

「はい?」

「光、男前じゃん!色気ねぇけど」

「いや、褒めたら落とさないで」

色気の出し方なんて分からんし。

「名前も光だしな」

「あの、さっぱり話が見えないんですが……」

ぽんっと両肩に師匠の手が置かれる。真剣な眼差しが俺を見つめていて、男だとわかっているのにドキドキした。

「色気はさ、やっぱ経験ないと出ないだろ。実戦のチャンスだぞ」

真面目な顔でなんて事言うんだ。そんな俺の思いを置き去りに、師匠は言葉を続ける。

「これは白紙委任状(はくしいにんじょう)タイプだ。高度な解呪(かいじゅ)技法が必要になる。でも、解呪がなんたるかを説明している暇ないから……光のセンスで頑張れ」

放棄した!

師匠としてそれはどうかと思うぞ!

そう思って恨めしげに見上げていると、何かに気がついた様子で振り返る師匠。

俺の額に人差し指と中指を当て、丸を描く様に動かす。

ふわっと下から暖かい風が舞い上がる様な気がした。

「じゃ、冬香。よろしく」

師匠の手が額から離れたと思ったら、すぐに冬香さんの両手が肩に置かれる。

冬香さんはじっと顔を覗き込んでくる。やっぱり美人だなぁ。

師匠ほどじゃないけど。

でも、色気はぶっちぎりで冬香さんの圧勝だなぁ。

いい匂いするし。

……

…………

………………いや、近いって。

どんどん距離が縮まっていますけど!

昨日、なんかこんなシーン見たけど、まさか自分に?

近すぎて顔が熱くなってきた。迫られているような体勢がより体温を上げる。

ものすごい近距離で、冬香さんが口を開く。

「やっちゃダメよ。性的な行為は一切禁止。でもきっと襲われるだろうから、私があなたを優しく呪ってあげる」

少し傾げた首に下向き加減の瞳。長いまつ毛がその愛らしい瞳を半分ほど隠していた。

か、かわいい!

呪ってください、今すぐに!

……。

え?

呪うって何?

「え、っちょっと待っ……」

首の後ろに回された手に力が入った。顔がさらに近づいてくる。

伏目から見える瞳が、不思議な色に変わっているように見えた。ふっくらした唇が迫ってきて、目の色どころではなかったけど。

「!」

キスされるのかと思ったが、冬香さんの唇はオレの首に押し当てられた。

吸いつかれている?

そう思った直後、ゾクゾクしたなんとも言えぬ感覚が全身を襲った。

何、この感じ?

「はっ!」

舌が、舌が動いてるよ!

「痛!」

最後に噛まれた!

何これ?

何してくれてんの?

恥ずかしすぎる!

「喜びすぎ」

余韻に浸っていたのに、思いっきり後頭部を殴られた。舞い上がりすぎて痛みなど感じない俺を、あきれたような冬香さんの声が制す。

「遊んでないでこっちに来て」

冬香さんが呼んでいる。はい!すぐ行きます!

俺は浮き足立って、引き寄せられるように手招かれた。

「ここに立って」

言われたのは絵の前だった。空間の捩れはもうない。

「この絵はある一定の条件下で、76.9センチから81.4センチの虚空が揺らぎ扉が開くの。だからその辺りに立って」

揺らぎ?さっき見たやつかな。コクウってなんだ?

ふわふわする思考から言葉を絞り出す。

「条件……って?」

師匠が落ち着いた声で答えてくれる。

「北緯34度40分58秒、東経135度29分54秒、高度10メートル。午前8時7分から6分間。守られた清浄な空間。この条件で扉が開くんだよ」

「なんの扉……?」

冬香さんがオレの背中に手を置いて言う。

「真っ直ぐ向いて。明日の同じ時間に一度戻って来られるわ。ただし時間の流れが違うから、感覚で感じ取ってね」

時間の流れが違うってどういう事だ?

「違うって、どうやって感じ取れば……?」

「必要に応じて、怨霊は(はら)うのよ」

「お、怨霊を祓うって……方法が分かんないんですけど」

「絵に入ってしまうと、色んな記憶が失われるから頑張って覚えて」

冬香さんの顔が真横にあって頬が熱い。首がじんじんする。手を当ててみるとほのかに熱い。

そのままの体制で冬香さんをちらりと見て聞く。

「絵に……入る?……出るのはどうやって?」

目の前の絵が揺らいでいる。それと同時にオレの体も揺らいでいるような気がした。

「違和感を察知して本命を探しなさい」

「違和……感?」

今、すでに違和感ですけど。なんで体の揺れを止められなんだろう。

「ただし、自分の存在に違和感を感じないように。記憶が戻らない内に、絵の中で人格が崩壊したらお終いだからね。あなたが助けるべき人は、オーナーが死なせないように魂を保護して、この絵の中で生きられるように、何らかの役割を与えていると思うわ」

「やく……わり…………?」

ちゃんと話を聞きたいのに、意識が遠のきかけている。

「半分ってところかしら。やだ、意識も保っていられないみたいね」

半分って何が?

自分の体が半分絵に吸い込まれているなど、今の俺にわかるはずもなかった。

師匠の声が遠くから聞こえる。

花散見(かざみ) 美里(みさと)がはなちるさとの可能性が高い。そしてお前は光だ。魂に刻まれた名前が存在の違和感を遠ざけてくれるだろう」

師匠の声がさらに遠くなる。冬香さんの唇が動いている。あぁ、やっぱり魅力的だな。

「はなちるさとを探しなさい」

「はな?な、に……?」

冬香さんの声もかなり遠い。

「はなちるさとよ。きっと貴方の助けを待っているわ。彼女と合流して力を合わせて一緒に戻ってきなさい」

だから、どうやって戻るんだ?意識を失いかけの俺に、師匠から軽薄な声色の激励が飛ぶ。

「頑張れよー。失敗したら死ぬからなー」

「んあ?え!ちょっと待っ……」






◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






無機質に戻ったコンクリートの壁をそっと撫でた冬香は、大きなため息をついた。

「はぁ……心配だわ」

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