〜37〜京都の山奥
「ぎゃー!」
「大丈夫だって、まだ人間の形してんじゃん」
呑気な師匠の声は、無情の響きとなって心に刺さる。
俺は今、はっきり見える様になった視界を呪いたい気持ちでいっぱいだった。
5体の不気味な男が俺を取り囲むようにして見下ろしている。呻き声と虚な目……?
目が合っているわけではないが、顔は一様にこちらを向いているのだ。
山中の草地に尻餅をついたまま、師匠が張ってくれたドーム状の結界から一歩も出られない。
じーっと覗き込む男達の顔は青白く、ゆらゆらと黒い煙のようなものが頭上から立ち上っている。全身を黒い煙で包まれているようだ。目は落ち窪み黒くて瞳がない。空洞なのか暗闇が広がっているのか、恐ろしくて確認できないのだが。目のあるはずの部分から血を流しているが、その血の色が赤の個体と黒の個体に分かれており、時々、こちらに手を伸ばしてきては、結界に弾かれている。
「な、な、なんでそっちには行かないんですか!?」
「あ、気配消してるから」
「消し方教えてください!」
「そのうちな。とりあえず祓っちゃいな」
「どうやって!」
「京都でやってたじゃん」
「やってません!」
やれやれといった風に師匠は肩をすくめる。それでも先程のように助けてくれる事はない。
「光さ、今は何体見えてる?」
「ご、5体です」
「よし、ちゃんと見えてるな」
ちゃんと見えているから助けてください!
俺は心の中でそう叫んでいた。
「礼さん。そろそろ」
囲まれている男達の呻き声の合間に、鷲木さんの救いの声が聞こえる。
「仕方ない。じゃ、生徒の後始末って事で明日、秋寅にふっといて」
得満先生の名前が出たような気がしたが、師匠の声も鷲木さんの声も呻き声に埋もれて判然としない。それよりも一刻も早くここから逃げ出したかった。
「はい、どいてどいて」
虚ろな顔の合間から師匠の手が割り込んできて、2人の男がよろめいて尻餅をついていた。
「祓えなくても、見る方は安定したみたいだな」
満足げな顔を、何も言えずに見つめ返す。安定したかどうかもよく分からないので、答えようもない。答えに窮していると、師匠が手を差し伸べてくる。
俺は周りをびくつきながら見て、その手を取った。
グッと師匠の腕から力が伝わってきて引き起こされ、それと同時に周りの男達がバチッと音を立てて弾かれる。3メートルほど離れた所で、蠢いたり蹲ったりしていた。
「え!」
「触りたくないだろ?」
無言で2度頷いた。
「さ、目的地に向かうか」
明るい声に頼もしいやら腹立たしいやら、自分でもよく分からない感情で、すぐ隣に移動してきた師匠を見上げる。
「ん?」
見下ろす視線と同時に抱かれる肩。自分でも驚いたのだが、少しだけ震えていた様だ。肩を抱かれ、その震えが収まったせいで、何も文句を言うことができなかった。
「車に戻るか」
「あ……はい」
ぐったりして答えた俺の顔を、グッと覗き込んだ師匠。
夜の闇の中にあってもまぶしいほどの男前だ。なんだかそれにもイラっとする。
「うん、大丈夫。安心しな、食われてないから」
「食われる?」
「疲れているように見えたから心配したじゃん。さ、行くぞ」
そりゃあ、疲れますわな。長距離移動からの京都デート。そこからぶっ通しで意味不明な出来事が続いているし、本来なら寝ている時間だ。
「大阪まで寝てていいぞ。そうしたら美人との触れ合いがあるからな」
「ど、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だけど。ま、楽しみにしてな」
そんな言葉で釣ろうとしても、騙されないぞ。
「お、機嫌治ったねえ。よしよし」
柔らかく微笑んだ師匠が俺の頭を撫でる。子供扱いされているようでムッとしたが、やはり何も言い返すことができなかった。なんだかちょっとだけ嬉しかったからだ。
***
「今更なんですけど」
ソーセージをフォークに刺しながら問う俺に、師匠は緩く首を傾ける。
「演奏会はどうなったんですか?」
俺がカシェットに入った日は演奏の本番だったはずだ。龍笛なしで演奏したのだろうか。それとも空田先輩が打ち込みでなんとかしたのかな。
あれ?
よく考えたら美里先輩もいないし、顧問がここの関係者だとしても、さすがに3人じゃなんともならないような気が……
「加賀美の術を使ってなんとかしたと聞いたが、詳細は若月に聞くといい」
師匠も詳しく知らないみたいだ。
何の術かは不明だが、なんとかしたと聞いて少しホッとしたと同時に、すっかり忘れていた事を反省する。
山奥に連れて行かれて、連続して続く恐怖体験。そこからの冬香さんのキスという落差に、それどころじゃなかったからさ。
***
すっかり夜が明けた頃、車は大阪市内の駐車場で止まった。
大きく伸びをして、鷲木さんの先導で移動する。
飲食店が片側に並び、おしゃれなビルが軒を連ねた一角。程なくして鷲木さんと師匠が、立ち止まり振り返った。
「ここが目的地だよ」
師匠がオートロックを鍵で開け、オブジェのあるロビーを抜けてエレベーターに乗り込む。
6階に上がると、一番奥だと説明しながら歩く師匠に、キョロキョロしながらついていった。
「隣のビル近いですね」
腕を伸ばせば届きそうだった。なんの会社かわからないが、パソコンが3台並んでおり、就業前なのか電気は消えている。密集したこの距離感が、なんだか都会だ……。
そう長くない廊下の一番奥まで進むと、師匠はベルも鳴らさずに扉を開けた。
「おはよ、朝早くに悪いね」
師匠が靴は脱ぐようにと言いながら、手慣れた感じでスリッパを出してきた。
鷲木さんもスリッパを履くと、すぐに店内へ入っていく。それと入れ違いのように人影が店内から現れた。
「いらっしゃい。いい朝ね」
そう言いながら、黒いシャツに黒いエプロンをした女性が顔を出した。襷掛けのチェーンに目が止まる。チェーンの先は腰のポケットの中で確認できないが、俺はなぜかその先が音叉だと思った。
「なぁお」
猫の鳴き声が聞こえ、襷掛けチェーンからさらに下に目を向けると、黒いエプロンの女性の足元に金色の猫がじゃれていた。
「ここ、お店ですか?」
玄関にはロッカーとシューズラック、鉄製のおしゃれなベンチがあった。俺の問いに師匠が答える。
「そ、写真館でね」
一段高い部屋の中から、スリッパで玄関に降りてきた女性。足元にじゃれついていた猫を抱き上げると、ふわりと微笑んだ。
「…………」
美人だ。
可憐で清純な感じに見えるが、同時に色っぽいと感じた。唇が艶やかで目が行ってしまうからだろうか。
美女との触れ合い……まさかこの人と?
いやいや、さすがにそれはないか。
「この子が昨日言ってた、すっごいルーキー?」
そう言いながら顔を覗き込んでくる。抱いている猫が鳴き声を一つあげた。大きく心臓が跳ねて、慌てて猫に目を向ける。
…………。
ぼんやりと光に包まれているように見えるんだが、気のせいだろうか。
「なるほど」
猫を抱いたまま、形のいい唇が突然近づいてきて笑みを浮かべる。
「へえ……」
品定めされているな、これ。
顔が近すぎて照れるんで、もうちょっと離れてくれないかなあ。
そう思った瞬間、さらに顔が近づいてきた。
「ひぁぉ」
情けない声が漏れてしまった。
彼女の唇から細い吐息が洩れ、俺の唇に当たったからだ。
なんか、いい匂いするし、ぼーっとなってきた。
「……ふうん、なるほど。少し礼に似ているわね」
すっと離れていく顔を、安堵の表情を作りつつ、全力で惜しんだ。
「剱 冬香よ。よろしくね」
冬香さんが微笑みと共に名乗ってくれた直後、なぁお、と猫が鳴く。
「なあに、マイカ」
冬香さんに抱かれたまま、こちらへ顔を伸ばす猫のマイカ。
俺の鼻や口のあたりをふんふんと嗅いでいる。
その嗅いでいるマイカに、師匠が手を伸ばして撫でようとする。
「ふーーーーー!」
引っ掻かれそうになって、急いで手を引っ込めた師匠。どうやら師匠はマイカにものすごく嫌われている。
***
サクッとした音をたてて割れるワッフルの間を、生クリームとチョコレートシロップがとろりと落ちていく。銀のナイフをそのままに、香りを小刻みに吸い込んでいると、マイカのようだと思った。それと同時に目前の人物に目を向けて質問する。
「師匠はなんであんなにマイカに嫌われているんですか?」




