〜35〜弟子入り
「戻りました」
トイレから個室に戻った俺は、優雅にワインを飲んでいる安堂寺さんに、さっきの事を聞こうか、やめようか迷っていた。
「ん?」
そんな俺を安堂寺さんはまじまじと見て、ぽつりと呟くように聞いてくる。
「光、もしかして見てしまったのか?」
戻ってくる時、2人はまだ濃厚なシーンを継続していたが、白い手みたいな物は見えなかった。
だから、安堂寺さんの質問が、どっちの意味かわからない。
「キスしてました」
絶対に幻覚ではない方だけ、報告することにした。
「その顔……免疫ないんだな、本当に」
どんな顔をしてるってんだろ。
「くっ、そんなことは……」
平常心を保っているつもりの俺は、無意識で拳を握り込んでいた。
「そんなんじゃ、女にモテないぞ」
「好きな人に振り向いてもらえれば、別にモテなくてもいいです」
かっこよく決めたつもりだったが、安堂寺さんはその綺麗な顔を歪めて嘆く。
「うわ、モテないやつの言い訳でよく聞く、それ。モテないって事はさ、本命にも振り向いてもらえない確率が高いって事だぞ」
「え?」
ナンデスッテ……?
「そりゃそうだろう。魅力がないって事だし、恋人が誰からも相手されないヤツなんて、嫌じゃないか?」
それはそうだけど。
「モテないって事は、異性として意識した女の子とあまり話さないって事だし、リードもした事がないって事だろ?男がリードしないのって、ちょっと女の子は不安になるんじゃないか?」
う、た、確かに。
「それも一つの個性だけどな、やっぱり先に行動するのは男の方が喜ばれるもんだぞ」
それもそうですね!
「どうやったらモテますか!」
「う〜ん、わかりやすくてかわいいヤツ。よしよし、お兄さんが優しく伝授してあげよう」
絶対にモテそうな面構えと態度。この人になら色々教わりたい。さっきも弟子って言ってたし。
「よろしくお願いします、師匠!」
「うんうん。ところで……菟のキスシーンってさ、制服洗う前に見た?それとも後?」
「前も後も見ました。白い手、とかも見た気が……」
この人が今から俺の師匠になるんだと思うと、なんとなくさっきの事も聞いてもらえるかもしれないと思い、見たそのままを口に出した。
自信ないままだったが、言って良かったのかも。
なぜなら、ワイングラスを即座に置いた安堂寺さんは、真顔で立ち上り、素早く扉に向かったからだ。
も、も、もしかして、やばい状況?
俺は慌ててその後を追った。
安堂寺さんは走ってこそいないものの、かなりの早さで2人のところへ向かっている。足が長いからかな、俺よりずっと進むのが早い。
置いていかれないよう、ほとんど走るようにしてその後を追う。追いついた時、安堂寺さんは白い塊の頭上で何かを掴むようにしていた。
宙を掴んだ手が小刻みに震えている。何かを鷲掴みにしているような手だが、俺には何も見えない。
そしてその白い塊はさっきまで2人がキスしていた場所だ。2人分くらいの大きさだから、あの中にきっといる。うねうねと動く白い塊は、よく見ると無数の腕だった。
「海神よ……」
小さい安堂寺さんの呟きが聞こえてきた。ぶつぶつ言っているので言葉までは聞き取れない。
やがて声が途切れ、安堂寺さんがぐっと力を入れたように見えた。
「少し痛いぞ」
ばりっと音がしそうな動作だった。
といっても、俺には何も聞こえなかったが、空中で引き剥がしたような動作の後、白い無数の手が収束し、鷲木さんと未桜さんが床に崩れ落ちた。白い手は未桜さんの背中に引っ込んでいくように見えて、思わずぞくっとしてしまった。
「お前は未桜に甘すぎ」
嗜めるようにそう言った安堂寺さ……、いや、師匠は、今度は未桜さんに向かって警告する。
「制御できない様なら結婚なんて無理だぞ」
恍惚とした表情で座り込み、ダラリとしている鷲木さんと、青ざめて両手で自分を抱えている未桜さん。
「暴走するなんて、どうして……?境界が、境界が消えてしまった。まるで訓練を受ける前に戻ったみたいに」
青い顔の未桜さんが、師匠にそう訴えている。
「きっかけはなかったのか」
未桜さんは自分を抱きしめたままぎゅっと小さくなり、首を左右に振った。
「分からない……突然暴走して……」
震えながらも、未桜さんはさっきの状態に至るまでを話してくれた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「このシランスには、少女が閉じ込められているようです。オーナーの元まで届ける役を、引き受けてくださいますか」
未桜は答えるまでに手をだして、青い小箱を受け取りながら言った。
「もちろんよ。でもいいの?」
下から見上げるようにして聞く未桜に、鷲木は小さく首を傾げた。
「はい。こちらは礼さんの補佐で動きます」
シランスを近くにある花瓶を置く台座に載せると、寂しげに溢す未桜。
「……そう、なら帰りは朝ね。明日も忙しいんでしょう?」
「1案件だけです。夕刻からなので、同じタイミングで眠れると思います」
ぱっと表情を明るくした未桜は、鷲木に顔を向けた。
「本当?」
「はい。だから”はなちるさと”で待っていてください」
「嬉しい!」
飛びつくように腕を回した未桜。抱き止めた鷲木も力を込めて、その体を包み込んだ。
「おや?」
訝しげな声に、未桜は鷲木の胸元で顔を上げる。
「どうしたの?」
「何か、不思議な気配が……」
少し体を離して未桜を見る鷲木。観察されている未桜はしばらくじっとしていたが、ややして焦れたように腕を伸ばす。鷲木の首に腕を絡めると、そっと唇を寄せていった。
気配を探っていた鷲木も拒否はせず、婚約者の口付けを受け入れる。
唇が重なったその瞬間、ぞわりと懐かしい感覚が2人を包んだ。
その出会いが、忌まわしい記憶が、瞬時に蘇った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「冬香さんがくれた、桜の祝福が消えたの」
目に涙を浮かべた未桜さんが、師匠へ必死の形相で訴えている。
「きっかけは?」
「分からない、分からないの」
取り乱した様子の未桜さんは、青い顔のまま涙を零す。
そんな未桜さんをそのままにして、師匠は鷲木さんの元へ移動した。
何がどうなっているんだ?
「おい、しっかりしろ」
鷲木さんは頬を強めに叩かれている。
「うっ」
ブルブルっと頭を振った鷲木さんは、未桜さんと師匠を交互に見る。
自分の置かれた状況がわかったのか、慌ててその場で正座をして頭を下げた。
「ご迷惑を」
「光が未桜の呪いを見てなかったら、オレも助けに来れなかった」
師匠がそう言って、後ろの俺を親指でさす。
それを見た鷲木さんは、俺にも頭を下げる。
「光さんにも、感謝を」
「えっと、あの……いや、俺は何もしてません。きっと、俺を向かわせたのも、師匠の采配なんだと思います」
俺はそう言って照れ隠しに横を向いた。
「師匠……?」
不思議そうな声で顔を戻したが、鷲木さんはすでに俺の方を見ていなかった。
「弟子を取られたのですね」
師匠にそう言っている。
「ま、かわいい弟子が欲しかったんだよ」
「それは……そうですか」
鷲木さんはそう呟くと、俺の方を向いて折り目正しく言う。
「おめでとうございます。正直、羨ましいです。光くんが」
え?なんで?
婚約者がいるなら、モテなくてもいいじゃん。
不思議そうにしているのが表情でわかったのか、鷲木さんは補足するように言ってくれた。
「誰が望んでも叶わなかった事ですから」
「え?じゃあ、俺が弟子の第一号ってことですか?」
嬉しいような、不安なような。
非常識な出来事が続いていたからか、この時の俺は発想も思考も、常識的な視点に頑張って戻ろうとしていた。
冷静に考えていれば、この後の恐ろしい体験を、避ける事が出来たかもしれないのに。




