〜32〜邂逅
結局、俺たちは清水寺の散策を、ほとんど手繋ぎ状態で終えた。
日が傾き暗くなり始めた頃、俺たちは清水寺の敷地を出て、周りをゆっくり散策する。
人気のない坂道をのんびりと下っていた。
平日だからか、前にも後ろにも人がいない。
「あ、あそこのカフェ素敵だね」
先輩の声に指差す方向を見ると、大正時代の雰囲気が漂う古風なカフェがあった。
「少し、休憩していきますか?」
そう聞くと、先輩はう〜んと考える仕草をする。
「とっても興味あるんだけど……やっぱり、本番前だから宿泊先に帰らない?晩御飯は大阪でって思ってたから、少しホテルの周辺調べたてきたんだよね」
「わかりました。じゃあ駅に向かいましょうか」
「うん。確か、坂の下にバス停あったよね」
来た時の風景を思い出しながら、先輩の問いに頷く。
ほとんど閉まっている土産物屋を横目に、坂道をゆっくり歩く。
しばらく歩くと店は減り、住宅地のような場所が出てきた。
「あれ?」
先輩がそう呟いて立ち止まった。
「どうしたんですか?」
「何か、あそこに……」
目を凝らすように前屈みになる先輩。
その目線の先を追って見る。
暗くなり始めた街の中、一際暗い部分があった。
擦り始めの墨を吐き出したような薄っぺらい暗闇。そんな印象だ。
ちょっと嫌な感じ。
「ねえ、あれ、人じゃない?蹲ってるの。体調悪いのかな?」
人?
俺には人らしきものは確認できなかった。
そんなに目は悪くないんだけどな。
そう思って隣を見る。
先輩はハッキリ見えている様子だ。
念の為、目を擦って暗がりを見つめる。
しかし、俺には暗い夜の塊が落ちているようにしか見えない。
「あの、大丈夫ですか?救急車呼びましょうか?」
迷いなく暗がりに進む先輩。
俺も後を追うが、まだ何も見えていない。
先輩の錯覚か、俺の角度からは見えない所に蹲っているのか。
足を止めた先輩はそのまま屈むようにして、何もない空間に手をかざした。
「あのー、聞こえてますか?大丈夫ですか?」
「え、先輩。その人どこにいるんですか?」
美里先輩は上体を起こして、驚いたような顔をこちらに向けた。
「光くん、目、悪かったっけ?暗くて見えないのかな」
そう言われて2〜3回瞬きをした。暗い部分がさっきより広がっているように見えた。
「え?」
目を擦ってもう一度みる。
黒い塊のようなものが見える、ような気がした。
「先輩には、何が見えてるんですか?」
「着物の女の人。苦しそうだよね」
着物の女の人?
「もしかしたら着物レンタルした外国の人かな?着慣れなくて苦しくなっちゃったとか」
「外国のかた、なんですか?」
「ウィッグだからそうかなって。言葉も通じていないのかも」
ウイッグ……?目を凝らしたら見えるのか?
先輩と同じように屈もうとしたその時だった。
「そこから離れろ!」
警告めいた声。
反射的に上体を逸らした俺の目の前に降り立つ誰か。
何事かと思って見ていたが、降ってきた人物に胸を押されて尻餅をつく。
「くそっ」
そう言ったのは、降ってきた人物。
暗くてよく見えない。いや、暗闇が先輩を覆い隠してしまった。
目前にある長い足を下から見上げ、巻毛の後頭部を見て呟く。
「だ、誰……?」
呟きはその耳に届かなかったのか、男の手元が徐々に青く眩しくなり、俺は目を開けていられなくなる。
ほんの僅かな間だけ目を閉じて開いたが、その時にはすでに消えていた。
広がっていた光も、暗闇も、先輩も。
あまりの事に、思考が追いつかない。
「先輩……」
自らの口からこぼれた言葉を、耳がキャッチして思考が動き出すまでしばらく時間がかかった。
「せ、先輩!先輩は!?」
暗闇が広がっているように見えた場所には、電柱とコンクリートの地面が、オレンジの街灯に照らされてはっきり見えていた。
地に手をついたまま巻毛の男を見上げる。
昼間の駅で遠目に見た男かもとは思ったが、それを確認する前に先輩だ。
俺はキョロキョロと辺りを見回し、先輩を探した。
どこにもいない。隠れるような場所もない。
何だこれ。
アスファルトに手をついて、先輩を最後に見た高さで見渡してみた。
それでも何も見つけることができずにいると、目の前に手が差し出される。
おずおずとその手を取った。
その瞬間。
「っ!」
ビリっとした電撃が全身を駆け巡る。
「いた!」
俺の言葉に、不思議そうな男の顔。
静電気?
もしかして痛かったのは俺だけ?
「大丈夫か?」
そう言われて手に向けていた顔を男に向ける。
遠目にも思ったが、近くで見ても美形だ。
その美形が目を細めて俺を見ていた。眉間に落ちてきた巻毛を指で跳ね除けると、
「あれ、見えるか」
そう言ってただの暗闇を指差す。
俺は訳もわからず、首を横に振って答えた。
「そうか。おかしいな」
呟くように言った男は、俺に顔を近づけて目を覗き込んでくる。
巻毛が俺の鼻を掠めてドキッとした。
「じゃあ、ちょっと実験だな」
顔を離しながら言った巻毛の男は、胸元からチェーンを引っ張り出す。
見慣れたY字の金属『音叉』だった。
こんな時に演奏でもするのか?
チューニングされても困るんだけど。
「俺、先輩を探さないと」
「ああ、大丈夫。その先輩はここにいるから」
そう言って、いつの間に持っていたのか、小箱を突つく。
青い洋風のエレガントな小箱だった。
「はい?」
首を傾げる俺を無視して、巻毛の男は指で音叉を弾く。
キンと鳴る高い音に続いて、ポーンと響く丸い残響。
耳馴染みのある、あの音。
この状況にまだ思考が追いついていないし、何をしているのかは分からないままだが、大丈夫だと言われて落ち着いた自分がいる。
だから、だろうか。
音叉の残響に身を委ねるようにして、目を閉じた。
「よし……じゃあ、あそこ見てみな」
男の声に目を開く。
指差す方に目を向けてみた。
「うおっ!」
そこにはぼんやりと白く光る女が、俯いて立っていた。その頭上から白い煙が、ゆらりゆらりと上に伸びている。
なんだこれ?錯覚か?
目を見開いてしばし、これはオカシイと思い、目を擦って再度見た。
「消えない。何だ、あれ……?」
「見えるんだな。あれはまぁ、わかりやすい言葉で言うと、幽霊ってやつだ」
「はぁ?ゆうれい??」
化学の快進撃を知らないのか?
幽霊なんて、子供でも信じているか怪しい世の中だというのに。
「いつから見えるようになった?」
巻毛の男がそう聞いてくる。
「いや、たった今からです」
正直にそう答えると、巻毛の男は俺の背中をドンっと叩いた。
「へえ……いいな!」
親指を立てて、ウィンクまでしてきた。そして再び背中をドンっと叩かれる。
何がどういいのか分からないが、何となくその人の真似をして親指を立ててみた。
愛想笑いも忘れず。
そして再度、幽霊の方を見てみる。
「やっぱり見える」
「なんだ、まだ信じられないのか」
「どこかに何か仕込んであるんじゃ……」
「心ゆくまで探しな」
そう言われてしまうと探しにくい。この人が何かしている様子もないし、助けてくれたような雰囲気がある。
「あっちの方なんか怪しいんじゃないか」
「え?」
白い女のその先にある暗闇を指して言う男。その指を追ってみるが、暗いばかりで何も見えない。光源があるわけでもなく、機械のようなものもない。
ポーン……
また音叉を鳴らしたようだ。なんかの合図?
「ほら、その先だよ」
白い幽霊の後ろかな。
近づくのが怖かったので、その場で目を凝らす。音叉の残響が耳に燻っているのを感じる。
耳の奥に残響が吸い込まれていくような感じがした直後、視界の違和感に気がついた。
「んん?」




