〜31〜胎内巡り
「学生さん?胎内巡りやっていかないかい?」
清水寺に入ってわりとすぐのことだった。三重塔を横目に散策している俺たちにかかる声。
しかし、誰も視界に入ってこない。
あたりを見回していると、視界の端に人の手が見えた。
よく見ると、背景と同化していたおばちゃんが、笑顔で手を振っている。
「タイナイ巡り?」
なんだ、それ?
「母親の体の中にいた時を体験できるよ」
記憶もないそれを体験して楽しいのか?
俺はそう思ったが、
「凄いですね」
と、興味ありそうな先輩の声。
『随求堂胎内めぐり』の説明板が斜め横にあった。
どうやら手探りで真っ暗闇を進むらしい。
え、なんだかニヤけるシチュエーションかも?
楽しそうじゃん!
「安いし、やってみます?」
そう聞くと、満面の笑みが返ってきた。
「うん、おもしろそうだよね!」
おっと、やっぱり興味ありのよう。怖くないのかな?
少し残念な表情を隠して、代金を払う。
案内されるまま中に進むと、本当に暗闇だった。先輩どころか、自分の手も見えない。
「先輩、大丈夫ですか?」
声をかけて先輩の位置を把握しようとしたが、返事がない。
「先輩?」
「光くん?どこ……?」
か細い声が左の方から聞こえて来た。
「ここです、見えないでしょうけど。たぶん声の位置からして、先輩の右にいます」
そう言ってしばらくすると、腕に何かが触れた。
「あ、光くん?」
「よかった、先輩」
そう言って腕に触れた、先輩の手であろう触感のモノを握った。
一方的に掴んでいるつもりだったのか、俺の手が触れると、ぴくりと跳ねる気配があった。
表情どころか、握っている手も見えない。振り解かないということは、このまま握っていていいんだろうか。
「本当に何も見えないんだね」
不安げな声が耳に届く。安心させようと、ぎゅっと先輩の手を握り返した。
「はぐれないように行きましょう」
「う、うん」
自分の足元も見えない暗闇なんて、今まで体験したことがない。
壁際にある、ボコボコしたものを頼りに足を進める。
「あ、なんかあそこ、ぼんやり明るい」
そう言った先輩から伝わってくる振動からして、指差しているのだろう。先輩の指は暗くて見えないが、指差したであろうそれは見えていた。
「灯りのところまで行けば、自分の手くらいは見えますかね?」
びゅううっと風の音が聞こえる。
「見えるとおも……」
先輩の言葉を最後まで聞けず、俺は背後から強く押されて足を滑らせた。
「光くん!」
灯りの近くに転がり落ちる。
暗さで誰かに押されたのか、何かにぶつかったのかさえも分からなかった。
衝撃で先輩の手を離してしまったが、繋いでいたら一緒に転んでいただろう。ま、結果よかったのかもしれない。
人の気配は先輩以外感じなかったが……
暗いなりに辺りを見回してみる。
遠く見えていた光は、こけた俺の直ぐ側にあった。
灯りの近くに台座があり、そこには文字が浮かび上がっている。
「梵字……?」
こういう所って、御神体とか、それを象徴するような物が設置されているのではなかろうか?
「なんて、禍々しいんだ……?」
読めないし、意味もわからないが、嫌な印象を受けた。
歪に溶け出した『さ』みたいな文字。ピリリと張り詰めた空気を感じた。
「光くん、大丈夫?怪我してない?」
ふいに先輩の顔が見えた。
「あ、先輩」
心配そうな顔は、俺の手を掴んで明かりに向けた。
「怪我してない?演奏できそう?」
そう言って念入りに手を調べる先輩の奥に、さっきの梵字が見える。
「あ?」
先ほどと、形が変わっている。
「どこか痛い?大丈夫?」
先輩の声で我にかえる。
「だ、大丈夫です。ちょっと肩を打ったくらいで、手はどこも痛くないです」
そう言いながら目を擦った。
もう一度よく見ようと、梵字に目を向ける。
そこには歪な『さ』はなく、軽快な『Y』の筆記体のような文字があった。
さっき感じていた、張り詰めたような空気も漂っていない。
念の為、先輩にも聞いてみる。
「先輩、これ、何に見えます?」
「梵字?筆記体のYみたいね。あ、これ入口に説明あったよ。えーと、確か『ハラ』って書いてたと思う。菩薩の梵字に出会うって、こういう事だったのね」
「ハラ……」
あれはハラではない。
確信があった。根拠はないが、もっと禍々しいものだ。
「あ、なんか書いてある」
淡い光の中に見える説明を読みながら、先輩は俺に教えてくれる。
「この石を撫でながら、お祈りをすると願い事が叶うんだって」
そう言うと、先輩は石を撫で始めた。
「光くんに隠れた怪我がなく、明日の演奏を無事に終えることができますように」
「先輩……」
先輩、俺の事願ってくれるの?
ちょっと感動してしまった。
「じゃあ俺も」
さっきの空気感を覚えているため、少々ビビりながら石に触る。
先輩の優しさに応えるべく、俺も明日の演奏について願掛けすることにした。
「明日の演奏を成功させて、雅楽研究部を来年も存続する事ができますように」
欲張りすぎ?
こけた分の回収だと思って、最後まで言い切った。
「琥太郎たちがいなくなったら、存続は無理だろうと思ってたけど、光くんがいれば大丈夫だよね」
「先輩たちが作った部、俺の在学中は守ってみせますよ」
ちょっとカッコつけて言ってみたところで、咳払いが聞こえてきた。
同じように体内巡りをしている人が、俺たちに追いついて来てようだ。
俺と先輩は慌てて会釈し、ごく自然に手を繋いで後半の暗闇に進んだ。
「はぁ〜!面白かったね」
外に出た先輩は開口一番そう言った。
手を握ったままだなと思ったが、あえて気が付かないフリをしてそのまま歩き出した。
「ねえ、光くん」
手を離してって言われるのか?
「本当にどこも痛くない?」
そう言って、先輩は手を繋いだまま、俺の手を自分の目線に持っていく。
「大丈夫です。どこも痛くありません」
内心ドキッとしたが、顔に出さないよう注意してそう言った。
このまま行けるとこまで、手を繋いだままにしておくつもりで、足を進めた。
先輩と手を繋いだまましばらく順路を進むと、有名な本堂がようやく現れた。
写真で見た事があり、イメージで描く清水寺そのものだった。
「清水の舞台から飛び降りるって、言ったの誰なんでしょうね……」
死ぬな、こりゃ。
「実際、200人以上飛び降りてるらしいわよ」
「え?頭悪いんですか?」
素直な感想を述べたのだが、先輩はふふっと笑って言った。
「江戸時代の話だから、今とは価値観も違ったのかもね。もしかしたら、バンジーみたいな感覚だったのかもよ?」
そう言われると妙に納得できた。
「すごいですね」
「本当にね。命綱なしだもんね」
「あ、いえ、すごいのは先輩です」
「え?」
そんな風に考えられる先輩が、純粋にすごいなと思ったのだ。
「俺じゃ、どの時代だったからこうとか、考えつかないです。基準を自分にしてしまって、先輩みたいに状況とか、環境を考慮するって事、できてなかったです。それって、本当にすごい事ですよ!」
少し興奮気味に伝えると、先輩は赤面して答えた。
「調べた時にそんな事、書いてたんだよ、きっと」
ぎゅっと握った手に力が入り、照れながら顔を逸らす先輩が可愛い。
いや、ほんとマジ可愛い。
ああ、今……最高に幸せだ。
足取り軽く進む俺は、これから降りかかる災難を、予測する事ができなかった。
後にして思えば、胎内巡りから……あるいはもっと前から、その予兆はあったのに。
***
「ここまでが、俺の人生の絶頂期でした」
「大袈裟な……」
呆れ声の師匠。俺はふうっと大きな息を吐き出してから、卵サンドを頬張る。
「それにしても師匠、なんであそこにいたんですか。京都駅で見失ったんですよね?」
「誰に道を聞いたと思ってるんだ?」
あ、そうか。清水寺への道を教えてもらったって、先輩が言っていたような気がする。
行き先知ってたら見つけやすいものなのかも。
「そう言えばあの時、師匠は先輩と話しながら俺を見てませんでした?」
頷きと共に、師匠の巻き毛が眉間にかかる。それを鬱陶しそうに指で弾く姿がまた、色気があって惚れ惚れする所作だった。
なんで俺が光源氏なんだ。絶対師匠の方が適役なのに。
「光、ずっと前からマークされていただろう?駅で見た時、すでに纏わりつかれていたんだが、心当たりあるか?」
「へ?」
卵サンドのパンが開きかけ、俺は指でそれを押さえつつ師匠を見る。
「その顔はないな。ま、見えてなかったんだから当然か」
なんとなく頷いて、初めて幽霊みたいなものが見えた時の事を思い出した。




