〜3〜帝からの呼び出し
「勅使?」
それって何?
「帝から使者でございます。いよいよ誤魔化しがつかなくなって参りました。とにかく顔だけでも見せるようにと。ご心配なのでしょう」
「心配って言われてもな……。ところで、物忌ってのは聞いたけど、具体的にはなんて言ってあるの?」
単に物忌です、で通じるものなのか疑問に思って聞いた。
惟光の説明によると、今回の物忌は俺が物の怪に襲われ、その時受けた穢れから奇病にかかり、治療と穢れを祓うために、精進潔斎している事になっているのだそうな。
精進潔斎の意味はわからないが。
「そ、そうか。なかなか壮大な言い訳だな」
物の怪に襲われましたが、言い訳になるのか。
すげえな……。
それが原因の奇病とか、自分の子がそんな目にあったらどうだろう。
「帝って言っても、父親なんだもんな……」
自分の子が得体の知れない奇病とやらで、長期間仕事を休んでいたら、そりゃあ心配もするか。
「だけど、どうしよう。仕事の内容なんて、なんにも分からないぞ。惟光は付いて……」
「いける訳ないでしょう……」
がっくりと肩を落として溜息をついた。
「だよな…………」
「とにかく、病み上がりなんですから、色々と無理なことはおっしゃらないでしょう。内裏にも御座所はあるのですから、そちらでしばしごゆっくりなさってください」
「おましどころ?」
まだ所々分からない言葉があるため、頭の中でうまく変換できなかった。聞き返すと、母が昔住んでいた、現在俺が拠点にしている場所だと教えられた。
惟光が言うには、今いるこの場所も母の実家なのだそうだ。
「荒れ果てたお屋敷でしたのに、宣旨がありスリシキやタクミリョウのおかげで、こんなに立派なお屋敷に改められて」
擦り式?匠の量?
感慨深く言う惟光に、スリシキ、タクミリョウについて聞いた。
スリシキは修理職と書いて、大工のような仕事だった。
タクミリョウが内匠寮だから、内装屋って事かな?
それをつまり、リフォームしてねって帝の名前で依頼してくれたって事?
めちゃくちゃ愛されてんじゃん。
俺が?母が?
どっちにしろ、ありがたい話だ。
しかし問題は明日からの事だ。こんな風に言葉のすり合わせも出来なくなるんじゃ、迂闊に会話もできない。
単語がわからなければ意図を読み取るなんて不可能だ。
「顔見せしたら、なるべく早くこの家に帰ってくるよ」
そう惟光に言ったのだが、それはならないと止められた。
「淑景舎にお顔をだされて、しばらくあちらでもお過ごしになられますよう」
シゲイシャ?ってなんだと首を傾げる。
「先ほどの御座所のことで、内裏での若様のお住まいですよ。ここと同じく、お母上存命のころのお住まいです」
説明するのがすっかり当たり前になってしまった惟光。首を傾げただけでも説明してくれる事がある。今のように。
住まいがあるとなると、すぐに惟光のところに帰ってくるわけにもいかないらしい。
「なんだってあちこちに家があるんだ……」
最近よく出るようになった深いため息。
「女房たちのためだったのでしょう?若様からそう伺っておりますよ」
「え?俺から?」
はい、と言って惟光は説明してくれた。
なんでも母が早くに亡くなったため、淑景舎に仕えていた女房達は集団リストラの危機だったらしい。
そこで俺が父帝に頼んで部屋を貰い、従業員をそのまま使っているとのこと。
育ててくれた人達を、助けたかったのかな?
もう、ここまでくると絶対に自分の事じゃない確信があった。
そんなトコまで頭まわんねぇよ、絶対。
あぁ、帰りたい。
「…………………………」
でも、自分の世界がどこか分からない以上、ここでなんとか生きていくしかない。
……腹をくくって参内してみるか。
そう思ったが、ダメ元で惟光に聞いてみた。
「そこに、惟光くらいにきちんと教えてくれる人いない?」
いませんよ、そう言われるのを覚悟していた俺は、お任せくださいと言われて驚いた。
「若様は物の怪に取り憑かれ、こちらの屋敷でご祈祷され、ようやく快癒されました。しかしながら、後遺症のようなものがおありで、記憶が曖昧であると、淑景舎の女房に陰陽師経由でお文を渡してあります」
な、なんと!
なんて素晴らしい出来る男なんだ!
「うわ、若様!」
気がついたら、惟光に抱きついていた。
「ありがとう、惟光、ありがとう!」
不安がなくなったわけではなかったが、体調が悪いとかなんとか言って、そこに篭ってしまえばなんとかなるかも。
「ちなみに若様。淑景舎は麗景殿側の奥ですからね。くれぐれも弘徽殿へ行かないように」
まて、すぐに発見できない場所なのか。そんなところ、辿り着く自信ない。
不安げな表情に気がついたのか、惟光は困ったように眉尻を下げて言った。
「後で図を書いてお渡しします。後宮は広いですから」
え?
「後宮?俺の住まいは後宮?」
そうですと惟光は頷く。
ええ!
それって……。
「若様、お顔がゆるみきっています。その表情はここに置いて行ってくださいね」
呆れたように言う惟光の声に、伸びていた鼻の下を隠す。
でもゆるんだ顔が戻るわけもなく、明日が少し楽しみになってきた事を自覚した。
気分も上がってきたし、なんとかなるだろう!
「全力で顔色を伺う、空気を読む、それでダメなら物の怪とやらのせいにしてやる」
「そうです、その意気です」
惟光のファインプレーと応援、多少の開き直りと後宮への期待感のおかげか、その日はゆっくり眠る事ができた。
***
「はなちるさとを探しなさい」
「はな?な、に……?」
顔は分からないのに、口元はくっきりと見える。
「はなちるさとよ。きっと貴方の助けを待っているわ。彼女と合流して力を合わせて一緒に戻ってきなさい」
唇しか見えていないのではなく、俺が唇を夢中で見ていることに気がついた。
視界を引くと、黒い襟の合間に見える鎖骨。艶やかな黒髪に白い肌。だから、より鮮明に唇が赤くなまめかしい。
「頑張ってねー。失敗したら死ぬからねー」
その声でふと横をみると、巻毛のイケメンが俺に手を振っていた。
死ぬってなんだ?
焦りを感じるが、手を振るイケメンはどんどん遠くなる。
「ほー♪ほけきょ♪」
……
…………
……………………
「上手くなってやがる」
そう呟いた自分の声で目が覚める。
「今の夢、なんだっけ……誰、だ……?ええっと……」
考え始めたところで、惟光から声がかかる。起きている事を伝えると、身支度のため数人が塗籠と呼ばれる寝室に入ってきた。布の外で待機している気配を感じ、俺は布を捲り狛犬を左右に見て、今日は驚かなかったと安堵しつつ外へ踏み出す。
「っつ!」
また静電気。
ただでさえ不安なのに変な刺激で驚かせないでほしいよ、まったく。
俺は小さい溜め息を落として、着替えのために控えている従者の前に移動した。
全裸は落ち着かないので、最近では寝巻きのようなものを羽織って寝ている。
「……」
それすらも勝手に脱がされ、肌が外気に触れる。羞恥はまだあるが、早く慣れないとな。
「……」
それよりも今日は出勤だ。
帝かぁ、緊張するなぁ。
「……」
知ってる人、いないだろうし、不安だなぁ。
「……」
う〜ん。
「……」
やっぱ、やだな……。
「惟光」
「はい、若様」
「緊張してきた」
「はい、大丈夫です」
「やっぱり今日は……」
「はい、もうご用意できています」
なにが!?
惟光を見ると、ニコニコ笑っていた。だが、有無を言わせぬこの感じは、ちょっと怖い。
「不安」
泣き言が口をついて出る。
それでも惟光はただ笑っている。
「何か良い誤魔化し方ない?」
笑っていた惟光は思案顔になり、ややして口を開いた。
「それでは若様、扇を開いて顔をお隠しになり、適当に溜息をついていればなんとかなりますよ」
いや、それ感じ悪いだろ。
「お上の前ではできませんが、世話を焼いてくれる者や、雑談に来た者なら大丈夫です」
ホントかなあ?
「困ったらお試しくださいね」
「……わかった」
なされるがまま身を任せていると、いつの間にか身支度は終わっていた。
「それでは牛車を待たせてありますので」
惟光はそう言って先導する。
外に出ると牛が待機している。
「ぎっしゃって……牛?そうか、牛車ってそうか」
図柄で見た事あるが、車を思い出すばかりで、牛の印象がない。
でも名前からして牛が車を弾くのは当然だろう。
馬車も見た事がない自分が牛車に乗るのか。不思議な感じだ。
「不安だ、色々と」
しかし、今朝の夢……と言っても、すでにほとんど忘れてしまったけど、唯一覚えている事がある。
誰かを探す。
名前も顔も覚えていないけど、そのためにここにいる。
そんな気がしていた。
不安は無くならないけれど、目的のようなものが出来たのだし、頑張って行ってみよう。
気を引き締めた俺は、緊張した表情のまま牛車に乗り込んだ。