〜27〜部活・雅楽部
まずは和琴を担当している、1年の”藤原 葵”。
弾くときに少し溜める癖があって、リズムが特徴的な演奏をする。まだ弾き慣れていないからなのか、個性なのか俺には分からないが、そのおかげで他の演奏者が弾く和琴とは違って葵の演奏はすぐに分かる。合わせる時にそこまで違和感がないのが不思議なくらいだ。
葵はお昼を買いに行ったのか、休憩に入ってから見かけていない。
この”藤原 葵”は名前だけで熱烈な勧誘に遭い、楽器経験もないのに入部してきたちょっと可哀想な子だ。
それもこれも俺が「光」なんて名前のせいで。
入部当初は3年からの付き合えコールがあったが、葵はみんなが思いもよらないほどドライな女の子だった。
光と葵で源氏物語で……なんて言われてもピンとこない俺を諦め、葵をイジり始めた2人は、
「男に興味ないんで」
と、冷え切った口調の一言で、俺達の名前を2度と茶化さなくなった。
後でこっそり聞くと、単純に面倒だったとの回答。
先輩の代わりに謝ると、全くなんとも思っていないと言われた。
その証拠に名前をいじられたのに、俺のことを「ひかる」と呼ぶし、自分のことは「あおい」で良いと言ってきた。
あまり表情の変わらない印象がある。
演奏しているその時だけは、ちょっと楽しそうな表情になるのが救いだ。
俺は自分の得意楽器である龍笛に、コーヒー牛乳が飛ばないように背を向けてストローを刺した。
そこへもう一人の弦楽器担当である、3年生の女子部員が声をかけてきた。
「ひっかりやくーん」
花散見 美里と言う風流な漢字の先輩だ。
演奏はこの部活で一番上手いと思う。変な癖もないが、あえて癖風に弾くこともできる器用なところもある。
弾く粒音の美しさは誰も勝てない。
楽琵琶担当だが、和琴も得意だしギターも弾くらしい。弾く系の弦楽器が好きなんだろうな。
俺も笛系 (フルートとかオカリナとか) の楽器好きだし、なんか分かるなあ。
先輩と結婚したら、家族で演奏会開けるな。
子供たちにヴァイオリンを習わせて、フルートとギターは教えて、日曜の昼下がりから家族演奏会……。
大人になったら雅楽なんかも教えて、演奏旅行とか!
ああ、いいなぁ。
そんな妄想を一瞬で巡らせた俺に、いつもよりワントーン高い声色の美里先輩。
これはあれだな、何か頼み事だな。
「俺は光屋、です。先輩わざと言ってるでしょ」
「光くんの達筆を見込んで、一つ仕事を頼みたいの」
猫撫で声は、苗字ではなく名を呼ぶ。
空いてる時でいいからさ、と両手を顔の前で合わせて、俺を拝みながら笑顔を向けてくる。
「文字で光くん以上の人、いないでしょ?」
実はこの達筆こそが、俺が勧誘された最大の理由だ。どこで知ったのか、俺が中学の時に書道コンクールで賞を取った事を聞きつけ、部長がわざわざ1年の教室に勧誘にきたのだ。何の部かも分からずに部室にひっぱって行かれたのだが、美里先輩がかわいく勧誘してくれたのでまんまと入部してしまった。
元々笛は得意だったので、雅楽がなんたるかは分からないなりに、楽しくやっている。
「いいですけど、先輩。俺の名前で遊ぶのやめてください」
先輩は可愛く笑って肩をすくめた。
「遊んでるんじゃないわ。これはあれよ。ちょっかいってやつ?光くん、私のお気に入りだし」
笑顔を咲かせた先輩は、白い花のイメージだ。いい匂いまでする。
「いや、それが遊んでるって言うんですよ」
お気に入りかあ。そう言われて悪い気はしない。いや、これは喜んでるんじゃないぞ。
ダメだ、本気にしないように気をつけないと。
「それで、仕事って何ですか」
「今度の演奏会で大阪に行くじゃない?」
次の演奏会は大阪に遠征だ。高校生の部活であるにも関わらず、きちんとギャラが出るらしい。
往復の交通費に滞在費を差し引いても、なかなか良い金額がもらえる。
雅楽に使うような楽器は高額なものが多いため、部費調達のチャンスだ。
今回の演奏会は、顧問の得満も大喜びで引き受けたと聞いている。今回のように身入りの良い時はリピートを期待するから、曲が決まらないと言うのもあるんだが。
それを思い出しながら、俺は黙ったまま頷いた。
「その時に使う、曲のタイトルを書いて欲しいの」
「いつも使ってる、めくり台のやつじゃダメなんですか?」
以前もそう言われて書いたことがある。
普段の演奏会や文化祭にはそれを使っているのだが、改めて頼んできた理由ってなんだろう?
まあ、先輩の頼みならなんだってやるんだが。
「曲によって色を変えたいのよ。今のは黒一色でしょ?調子によって色を変えたいの」
「渡物でもするんですか?」
渡物とは雅楽における移調の事である。
いや、先輩、雅楽の移調はちょっと特殊ですよ。そう思いながら先輩を見上げると、嬉しそうな笑顔が返ってきた。
「そう!そうなの」
いいアイデアだと思ったが、同時にマニアックだなとも思った。
転調や移調に詳しい、音楽をやっている人達へ向けてなら、興味津々で見てもらえて、聞いてもらえる可能性はある。
雅楽の渡物はクラシックやポップスと違って、メロディーそのものが変わる。
楽譜上同じ曲なのに、別の曲のように感じる。
問題はそこだった。
にこにこして俺の反応を待っている先輩に、心を鬼にして言う。
「原曲を知らない場合、移調って分かりますか?別の曲に聞こえません?」
人によっては、違う曲でも全部同じに聞こえると言う意見もあるし。
「…………」
笑顔はそのままだったが、ピクリとも動かない先輩。
「あ、で、でもお客さんに説明するのに、いいですね!」
「説明?」
そう言い繕ったのが合図となって、先輩の笑顔が消えた。
あからさまに、しゅんとなってしまう。背景に萎れた白い花が見えるようだ。
俺はちょっと焦って思いついた事を伝える。
「雅楽に興味を持ってもらうための工夫ですよね。まずは移調ってなに?から初めてみるのはどうですか?」
言い終わるとじっと先輩の顔を見つめる。
萎れていても、花の顔とは先輩の事だな、きっと。
「そんなのみんな知ってるでしょ?カラオケでキー変えて歌うもん。キーチェンジって言えば一発じゃない」
「でも雅楽の移調って、西洋音楽とは性質が違いますよね?」
「確かに、同じではないけど」
「でもそれを説明されても、きっと何のことやらってなりません?この部はマニアックで、我々はマニアだと思って活動しないと、見てる人は置いてけぼりですよ」
「う……で、でもだからこそ色を変えてみようって……」
ちょっと泣きそうな顔を見て、しまった、また言い過ぎたと思った。
「雅楽で移調すると、みんなが知ってる童謡がどう変わるのか、8小節くらいの曲で試すのはどうです?」
そのためには西洋理論から雅楽の理論に置き換える作業があるんだが、理論オタクの先輩方がいるから大丈夫だろう。
アレンジメントは部長に丸投げしよう。
「同じ曲で演奏して、どう印象が変わるか実演してから感想を聞いてみるとか。それなら現代音楽しか知らない人たちにも、多少は興味持ってもらえると思いませんか?」
「なるほど。それ、いいわね!」
前のめりになって、キラキラした瞳で俺の手を取る先輩。
ち、近い……。
もちろん、嫌じゃない。
むしろ、大歓迎。
「やってみよう!」
そう叫んだかと思うと、先輩は色々楽譜を持ってくると言いながら、走って教室を出て行った。
「う〜ん、かわいいなあ」
本人がいたら言えない台詞を小さく呟いて、頬杖をつきながらコーヒー牛乳を飲んだ。
***
かたり、と目の前に置かれたフレンチトースト。黄金に輝く食べ物だ。
卵の染み込んだパンの切れ込みを、とろりとバターが溶けながら流れている。
「それで大阪に来る事になったんですよね」
「演奏会に来てこっそりデートしてたのか」
「ち、違います!」
フォークとナイフを構えて否定したが、師匠はニヤニヤしながら俺を見ている。
「どんどん来るから早く食いな」
俺は気持ちを切り替えるように頷いて、フレンチトーストを口に運ぶ。
「うまい!」
幸せで溶けてしまいそうだった。じっくり味わいながら、演奏会前日を思い出していた。
***




