〜23〜幼馴染の実家
俺が対応に困って固まっていると、背後で惟光の兄弟姉妹が、恥ずかしいとか、出家したのにとか、未練タラタラじゃないかと囁いている。しかし俺としては、こんなに感動してくれる様子を見て、ここへ来てよかったと思った。この人の記憶がない事が悔やまれる。
惟光や帝から聞いた幼少期の話を思い出しながら口を開く。
「幼い頃、教育してくれた人は大勢いましたが、あなたほど親身に世話してくれたものはおりませんでした」
「ええ、母上。若様も成人されてからは、そう簡単には会えないものですから、とても寂しがっておられましたよ」
惟光から良い感じの補足が入る。
「まあ、なんて恐れ多い事」
「しばらくお会いしていないので、心細く思われたのですね」
「そうそう。昨日も若様はさらぬ別れはなくもがなとおっしゃって……」
惟光が勝手にそう言うと、背後からおぉっと、どよめきのような声が上がる。
「さらぬ別れはなくもがなとは、伊勢物語ですね。さすが慰めのお言葉にも教養が溢れておられますなぁ」
いや、俺、何も言ってないけど……
背後から聞こえてきた好都合な勘違いに、ちょっともらい泣きしそうだった涙が引っ込んでしまった。
涙を拭うふりでもしておこう。
袖を目元にそっとあてる仕草をすると、ふわりと衣に付けてある香の匂いが鼻腔をくすぐる。
これ、香水ならぬ、香木なんだよな。貴人が着る物ってみんなこんな風にしているのかな。女房達がカゴみたいなものに衣を被せているのを見て、最初は洗濯物を乾かしているのかと思ったけど、良く見ると中で香を焚いていた。その時は燻製かよって思ってしまったものだが、こんな風にいい匂いをつける為だってそのうち分かった。
さっきの扇子もこうやって付けた匂いなのかな。そう思った直後、阿闍梨の声が背後から囁く。
「なんと良い香りが」
それに釣られるように他の兄弟姉妹の声。
「このような立派な方のお世話を、我が母が仰せつかっていたのだと思うと光栄なことですね」
「なんとも有難い」
感極まって啜り泣くような音が複数。
み、みんなもらい泣き?
これは嘘泣きがバレたら気まずいぞ。
どうしようかと思いつつ、鼻をすんと鳴らして顔をあげ、誤魔化すように兄の阿闍梨を見た。
僧侶の姿に、ふと加持祈祷を思いつく。
そうか、ここの人達は信心深いし、加持祈祷とかやったら気休めになるかもね。
俺はそう思って、惟光を呼んで声を小さくして聞く。
「加持祈祷したら少しは……」
言い終わらない内に、惟光が俺の手を握って大きく頷く。
「ありがとうございます!」
よく見ると、惟光も目にうっすら涙が浮かんでいた。よほど心配だったんだな。
「手配は任せるよ。お兄さんが嫌でなければ、陰陽師とか寄坐なんかも呼んでいいから、遠慮せずに一番良いやつで頼む」
「はい!」
病気で体力のない人をこれ以上興奮させては体に悪い。そう思って、帰ろうとした。
ふと、先ほどの扇に目が止まる。
改めて花を見ると、よく知る朝顔とは形が違う。遠目に見えていた通り、花弁が丸くて大きい。朝顔みたいに尻窄みでもないし、平たく大きい。
どちらかというと、カボチャの花とかゴーヤの花に似ているかも。
扇に乗ったその花を観察していると、その下に文字がある事に気がついた。
しかし薄暗い部屋の中では読めない。俺はすでに廊下に出ていたが、振り返って惟光を探す。
「あ、惟光。灯りある?」
「では、紙燭をお持ちいたします」
手早く何か作業をした惟光は、手で持てるくらいの紙で巻いた燭台のような灯りを持ってきてくれた。
「心あてに?」
隠れている文字を見るため花と蔦を、扇を傾けて移動させた。少し動かすだけでいい匂いがする。
……おしゃれだな。
「心あてにそれかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花」
文字を追うために顔を近づけたためか、またしても良い香りが扇からほんのり漂ってきて鼻腔をくすぐる。
この香り、好きだな。
ふと、光の文字に目が止まる。
心あてにって推し量るって意味だっけ。光に添えた夕顔の花?夕顔の花についた白露の光?
もしくは、”光”ではないかと、遠回しに聞いているのでは?
それだったらと、ドキッとした。
もしや先輩ではと思考が傾く。
表に出て西側にある先ほどの家を確認する。
しっかり香を炊いて匂いをつけた扇に、さりげなく走り書かれた和歌。
こんなおしゃれな事をする人が住んでいるような家には、とてもじゃないけど見えなかった。
こう言っては悪いが、ちょっとみすぼらしい造作だ。それとも、これが味とか?
そんなところに先輩がいる?
なんだろ、勝手にもっとマシな場所にいるのだと思っていた。変な思い込みだったのか。
「どうされたのですか?」
様子を見にきた惟光が背後から声をかけてくる。
「この西側の家にはどんな人が住んでいるのかな」
ははーんみたいな顔をして、にやりと笑う惟光。
あ、これ、完全に誤解してるな。
先輩かもしれないから気になっているだけで、ナンパな気持ちじゃないからな。
俺はそう訴えたくて、扇を見せて説明しようかとも思ったが、先に惟光が口を開いたので動きを止めた。
「5日か6日ほどこちらにおりますが、看病に忙しくて隣の事は存じ上げませんね」
母の看病でそれどころではないって感じ?
あ、もしかして、自分の母親より、新しい彼女作りを疑って気分を害したのかも。
愛人とやらを差し置いてきたのに、酷い!
俺は先ほど止めた動きを再開すべく、惟光に扇を見せた。
「誤解しているだろう。これを見てくれ。この家に、こんな風流な歌を読める人がいるようには思えない。これは何か事情があるのかもしれないし、困っているなら助けてあげないと」
「ええ!あの小君のようにですか?若様、お人が良すぎます」
いい感じに変換してくれたみたいで良かった。
前から思っていた事だが、惟光は俺に関して素晴らしいフィルターを持っているな。色眼鏡ってこのことかも。
【俺=素晴らしい】
みたいな、都合のいいメガネをかけていらっしゃる。
ありがたや、ありがたや。
「それじゃあ、宿守を呼びましょうか」
「宿守?」
「屋敷を管理している者の事です。ここに常駐している者ですので、何か知っているかもしれません」
「なるほど」
「では呼んで参ります」
困った表情をしながらも、俺の意に沿って行動してくれる惟光に、感謝と賛辞を心の中で送りつつ、奥に向かう後ろ姿を見ていた。
隣の宿直人らしき人物がちらりと見え、惟光の声が遠くに聞こえる。
惟光はそう時間をかけずに戻ってきたが、誰も伴っていなかった。
「揚名介なる人の家だそうです。奥方がお若くて風流を好む方とのことです。なんでも宮仕えの姉妹がおられるのだとか。時々こちらに来られている様なので、扇に書かれた歌は、その姉妹かもしれませんね。ただ、それくらいしか知らないようでした」
「なるほど」
俺は顎を抱えてしばし考える。
簾や御簾やと中の様子はこちらからあまり見えないが、外の様子は明かりさえあれば見えているだろう。遠目とはいえ俺の雰囲気で、先輩が気がついた可能性がゼロではない気がした。
「こんな時はなんて返事したらいいんだろう」
「扇に書かれた歌ですから、懐紙に書いてお返事なさるのがよろしいかと」
そんなものかと思いつつ、頷いて懐紙を取り出した。
しかし、歌など思い浮かばない俺は、困り果てて惟光を見つめる。
「えっと……ごほん。では」
咳払いをした惟光はしばし宙を見つめ、ややして口を開いた。
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」
夕顔の花を近寄ってちゃんと見ろって事?
あ、いや、そうか!
相手が俺を光と思って歌を読んでいるのなら、本物かどうか確認しに来たらって誘ってる歌なんだ。
凄いな惟光。もしかして経験豊富?
懐紙に惟光が読んだ歌を書きつけて渡す。それを持って隣に行った惟光を待つ事しばし。
手ぶらで戻ってきた惟光は、ちょっと疲れて見えた。
「どうした?」
「いえ、なんか……なんて返事すればよいかと相談めいた声が、待っている場所まで聞こえておりまして、どうにもいたたまれなくなって戻って参りました」
苦笑しながら言う。それがなぜいたたまれないのか。ここの常識なのか、俺の経験不足なのか分からないが、それを確認するのはちょっと恥ずかしいってことだけは肌で感じ取った。
「ああ、若様。そろそろ六条へ向かわれてはどうですか?お待ちでしょうから」
え?今から向かうの?
そう思ったが、断りの使いを出した覚えもなく、無断欠席みたいな事はいけないかもと思い直し頷いた。
「わ、わかった……」
あまり乗り気じゃないんだけど。腹の下の方が後ろにひっぱられる感覚を僅かに覚えた俺は、帰還が近い事を悟る。
……上手くいけばピンチの時に外に出られるかも。
「お隣さんについては追々調査を頼む」
そう言うと、惟光は頷いて答えた。
「かしこまりました。六条へはお供いたしますよ」
にこやかに言う惟光の顔を見ていると、嫌だと言い辛く、俺はそのまま牛車に乗り込んだ。
どうか、恐ろしい事はおきませんように。
万が一おきても、素晴らしいタイミングに恵まれますように。




