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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
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21/81

〜21〜脱出の失敗

(れい)、残り1分よ」

了解、と軽い口調の師匠が、冬香(とうか)さんの肩に手を置いてひとつ撫で、絵の前に立つ。すぐに取り込みが始まり、吸い込まれるように消えていった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「師匠、大丈夫でしょうか」

「心配しなくて大丈夫よ。だって彼は……!」

冬香が(ひかる)に説明しようとしている途中だった。絵の前の虚空(こくう)が黒く(ゆが)み、バチンッと弾けるような大きな音。

「きゃ!」

絵の真横にいた冬香は、絵から吐き出された礼と共に壁に飛ばされる。撮影小物の花瓶が大きな音を立てて割れた。礼と壁に挟まれた冬香は、しばし息もできずに痛みに震える。

「え?師匠!」

空間の歪みは消える事なく、歪な形に変化する。にゅっと伸びて呆気にとられている光を掴んだ。

「うお!おぉおおお!」

足から引きこまれていく光。

「え!まじ……?えぇえ〜」

その光景を見た礼から気の抜けた声。しばし呆気(あっけ)にとられていたが、ややして冬香を抱えるようにして上体を起こす。

「いたた……どうなった、の?」

額に手をあて、絵の方を見た冬香。目が彷徨(さまよ)い焦点が合っていないところを見ると、頭を強く打ちつけているようだ。

その背中を優しく撫でながら、礼は大きなため息をついた。

「よっぽど気に入ったって事かな?光、惚れられたな」

宙を見てしばし考えた礼は、冬香の顔を覗き込む。

その瞳をじっと見つめ、目の焦点が自分に定まるのを確認すると口を開いた。

「大丈夫か」

少し反応が遅いが、静かに頷くのを見て安堵の息を漏らす。

再び壁を見る礼。

しばらくして、ぽつりと呟いた。

「オレ、フラれたって事?男前度たりない?」

「……そういうの気になるんだ」

気になる訳じゃないけど、とブツブツ言いながら()ねた表情を作る礼。背中にあった癒しの手が後頭部に移動する。

冬香は小さく笑うと、礼の頬を撫でた。

「世界一素敵な人よ。ありがとう、もう痛くないわ」

礼に微笑むとその手を離れて、割れた花瓶の破片を一つ拾う。

割れた花瓶は、次の瞬間には元の状態に戻っていた。

「駅で見た時から違和感はあったし、やっぱりあれはマーキングだったんだな」

そう呟く礼の膝に、雀が飛び乗ってくる。

「お前は助け出されてよかったな」

ふと、顔を上げた礼。店の入り口のほうをじっと見つめる。ややして冬香に顔を向けて問う。

「猫は雀食べる?」

ビクッとした雀が慌てて冬香の手に逃げ込む。

「マイカはそんな事しないわ。大丈夫よ、小さな付喪神(つくもがみ)さん」

付喪神に見せる冬香の表情は格別に美しい。礼は何も言わずにその顔を見つめていた。

「あなたにも名前が必要ね。どうしようかしら」

冬香の人差し指に飛び乗って、(くちばし)を擦り付けるようにする雀。

「そうだわ。タルクにしましょう」

嬉しそうに言う冬香。

それを微笑ましく見守っていた礼は、思い出したように壁の絵を眺めて軽く息を漏らす。

タルクに頬を寄せていた冬香も、それに気がついて口を開く。

「こうなったら、長期戦を覚悟するしかないのね。美里さんが無事戻ってこれるかどうかは、瓊樹(けいじゅ)の学生である事に賭けるしかないわ……」

「そうだな。ま、でも、さすがにそんな都合よくいかないか……。若月、なんかいいアイデアとか、いいアイテム作ってくんないかな」

「藤沢から帰ってきたら相談してみましょう……早々にとはいかないでしょうけど」

落とされた溜息を拾う者はおらず、2人はしばらく絵の前で思案に(ふけ)るのであった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





けたたましく鳴く蝉の声に、スッと目を開く。

汗ばんだ額に手を置いて、状況を確認すべく目を動かす。

そのまま手で汗を拭うと、体を起こして左右を見た。

俺、何してたんだっけ。

二条の屋敷に戻っている。

『光、弾け』

「あ……師匠」

うっすら覚えている。今回はどこまで記憶が残っているのだろう。

師匠は巻毛のイケメンで、俺には冬香さんの呪い?保護?がかかっている。

探さなきゃいけないのは先輩で……なんの先輩かは分からないが、同じ学校の人だと思う。

……学校ってなんだっけ。

あ、いかん、これ考え始めたら深みにハマる。

違う事考えよ。

ん〜、先輩ってどんな人だったのかな。

「先輩……先輩……笑顔が、白い花のイメージの人。可愛い人……女、だよな?」

たぶん。

それ以上は思い出せそうにない。

「俺、いつこっちに戻ったんだ?」

あ、そうだ。

小君と西の姫と外に出た。師匠に言われて怨霊を弾いて、その後怨霊はどうなった?

確か西の姫が怨霊だったな。先輩かもしれないと思っていた、囲碁を打っていたもう一人はまだ確認できていない。

う〜ん、と考えながら寝室を覆う布を捲ると、左右下方に何かの塊が見えて、心臓が跳ねる。

ビクッとした瞬間、布からビリッと刺激。

「静電気とのダブル……。やっぱ、これ心臓に悪い」

そうだった。両側に狛犬のような置物があるんだった。

胸に手をあて撫でる。

「若様」

惟光の声がしてその姿を見つけた。

「気落ちしないでくださいね」

そう言って手に持った衣を差し出してくる惟光。

これは何だと思いながら受け取った。

「この衣1枚残して逃げるなんて、よほど身持ちの固い方なのでしょうね」

ああ、あの先輩かもしれない人が残していったのか。こんな衣、あったかな?

「こちらの方で、さりげない様子で文は送っておきましたよ」

「なんて書いたんだ?」

「空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな、と懐紙に走り書きのように書きました」

「えっと……あぁ、この衣を蝉の抜け殻に例えたのか。上手いな」

「お返事はありませんけどね。あのお使いをしてくれた小君も見当たりませんで、届いたのかどうかも定かではありません。もう、難しいかもしれませんね、空蝉の人とは」

空蝉の人か、上手いことを言う。

「まぁ、時々は文を出して様子を伺いましょう。この件はお任せください」

先輩か否かだけでも確認しないといけないし、安易に諦めちゃダメだ。たとえ振られたとしても、恋人にしたいわけじゃないし関係ない。

傷つくけど……

「そうだな……。うん、頼んだ」

惟光の有能ぶりに感謝しつつ、ふと見舞いの件を思い出した。

「母君の様子はどうだ?」

「はい。出家してなんとか持ち直したようですが、まだ起き上がるほどには回復しておりません」

「そうか。今日にでも見舞おうか?」

そう問うと惟光は首を傾げる。

「出仕後は六条へお渡りでは?」

「え?六条って?」

なんか約束でもしてるのかな。

「若様、愛人もお忘れなんですね。でも母のことを覚えていてくれて嬉しいです」

惟光の感動も気付かぬほど、俺は今、驚いている。

あ、愛人?

妻もいて、愛人までいるのか。

その愛人が先輩だなんて事は……あるかなぁ……いや、さすがにないよなぁ……でも、あるといいなぁ。

俺の心が読めたのか、惟光がくすりと笑う。

「気が向いたらで結構でございますよ。今日はわたしも実家の方におりますし。近頃忙しくて、六条の方へもあまり渡っておられないでしょう?あちらでも気を揉んでいるかもしれませんから」

「そ、そうか?」

よからぬ妄想が脳内を駆け巡りそうだったが、首を軽く振って追い出す。

「あ、古今和歌集ちゃんと読んでおいてくださいね。六条へは手習いで通うのですから」

え、勉強が言い訳なの?それとも勉強から派生したのか?

それはちょっと面倒だな。

俺は惟光から古今和歌集を手渡されながら、勉強と聞いて行く気が萎えていくのを感じる。

今日、帰りに気分で決めてもいいかと、そう思った。


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