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花散里と出会うまで  作者: 堀戸 江西
18/77

〜18〜先輩と葵

数時間後、俺は従者に起こされて紀伊守邸(きのかみてい)を後にしていた。

東の空ですら暗い時間帯である。

まだ夜中じゃねえかと愚痴ったが、従者は朝だと言い張って出立になったのだ。

暗いうちにそそくさと帰っていくこの感じ。なんだが様々なことに失敗したようでヤダ。

チキショ〜

とにかく帰って惟光(これみつ)に報告だ。






そう思ったのに、惟光は実家から戻ってなかった。

実母の見舞いだし文句も言えない。

ましてや大病を患ってるとなれば、俺の残念な報告など(ちり)に等しい。

「う〜むむむ」

どかっと座り込んで今後の事を考える。

俺は腹の後ろに感じている、引っ張られるような感覚に意識を向けた。

「この感じだと、本当にそろそろだな。今晩か、明日の朝には……」

自分の意思で戻れないのだから、この機会を逃すと面倒だ。先輩かどうか、なんとしても確認しないと。

惟光がいなくても、なんとかしなければ。

胡座(あぐら)に頬杖の体制でじっと考えてる。不動の彫刻のように固まっていたのがいけなかったのか、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。




***




「あのー、聞こえてますか?大丈夫ですか?」

学生服の男女がいた。女子学生が電柱に声をかけ、男子学生は不思議そうな顔をしてそれを見ている。

「え、先輩。その人どこにいるんですか?」

不思議そうな顔をした男子学生をどこかで見たことがある。

えっと、どこだっけ。

俺が頭を捻って考えていると、女子学生が男子学生を振り返って言う。

「光くん、目、悪かったっけ?暗くて見えないのかな」

あ、そうか。

あれ、俺だ。

格好が違うだけで気がつかないなんて、我事ながら恐ろしい。

ん?

って事は、この人が探している先輩?

その後ろ姿は、髪が肩下まである。

もちろん顔は見えないから、確認しようがない。

目の前の学生服の俺は目を擦って、何かをよく見ようと電柱に向かう。

俺もつられるようにして見ていると、黒い塊があるのに気が付いた。

学生服の俺が言う。

「先輩には、何が見えてるんですか?」

「着物の女の人。苦しそうだよね」

俺が先輩に問いかけているのを、別人の視野のように見ている変な夢だった。

「もしかしたら着物レンタルした外国の人かな?着慣れなくて苦しくなっちゃったとか」

「外国のかた、なんですか?」

「ウィッグだからそうかなって。言葉も通じていないのかも」

その会話、どこかでしたような気がする。

どこだったか。

「そこから離れろ!」

突然あがった声に驚き、学生服の2人を見た。

女子学生が驚きの表情で、何かを防ごうと手を翳している。

しかし次の瞬間、女子学生の姿がどろりと溶けていく。

「何だ、これ」

見ている俺は女子学生に手を伸ばそうとしたが、足が縫い付けられたようにその場から動くことができない。

斜め前にいる俺は、訳がわかっていないのかぼんやりと突っ立っている。

どうする事もできないままその場面を見ていると、先輩らしき女子学生の姿が消え、同じ学生服が現れた。

でも、それは別人だ。

「え?葵?」

口から勝手に出た言葉。現れたのは葵だ。葵が誰かわからないけど、あれは先輩ではなく【葵】だ。

「葵、どうしてここにいるんだ。葵、葵!」

足以外は動くようで、俺はいつの間にか手を前に出しながら叫んでいた。

白み始めた景色。遠ざかっていく葵。

消えた先輩。

俺の意識は急激に浮上を始めた。

「……ま、若……ま。若様!」

「はい!」

はっと顔をあげると、心配そうな惟光の顔があった。

「あ……」

夢だ。でも、きっと一部は現実に起こったことだ。

「葵……」

「恋しいのですか?」

「え?あ、ああ。いや……葵って誰だっけ」

自問のつもりだったが、惟光から回答が来る。

「まさか、そこもお忘れだったのですね。北の御方ですよ」

「え?」

「ですから、左大臣家の姫の事でしょう?」

「ええ?」

「何を驚いて……って、若様。もしや記憶がさらに失われておられるのでは?昨日の事は覚えて……」

蒼白になった惟光の顔を見ながら、首を横に振った。

「それはさすがに大丈夫」

惟光は心配そうな顔をしていたが、自分の妻に未だ会えていないなんて、とても言えなかった。これ以上【葵】の話題は避けるべきだと判断して、他の話題に切り替える。

「ところで惟光、帚木(ははきぎ)って何」

「お渡しした歌の帚木ですか?」

頷きながら、持ってきた返歌を渡す。

カサカサと開き読んだ惟光。ははっと笑って紙を返してきた。

「謙遜を上手に使った断り文句ですね」

はは、じゃねぇ。

「帚木って何よ」

「近づくと見えなくなると言われている伝説の木です」

じゃあ、やっぱり渡した歌って、恨み言じゃねーか。

返歌もやっぱり想像通りだし。完全拒否の構えだ。

「でも、朗報ですよ」

惟光はずいっと近寄って声を落とす。悪巧みを話す時のトーンだ。

「小君からの知らせによりますと、紀伊守が今夜から任国へ下るそうです。しばらくあのお屋敷には戻らないとの事です」

「それを、あの子が伝えてきたのか?」

「はい。よほどお役に立ちたいのでしょうね。小君が自身の牛車で迎えに来るようですよ」

そこまでしてくれるのか。よほど落ち込んでいるように見えたのか、なんだか悪い気もするな。

「あんな小さい子がそんなことまで」

そう言うと惟光は首を少しだけ横に倒す。

「そうですか?若様が元服なさった頃は、もう少し、いや、かなりしっかりしてましたけどね」

え?

元服って成人式みたいなやつだよね?

んん?

「俺の元服って何歳?」

「12です」

「小君って……」

「それくらいのお歳でしょう?」

ええ!

やばい。5歳くらいに思ってた。

え?なんか俺の目にフィルターでもかかってる?

ま、まあそれでもまだ子供には違いないが。

「ですから若様、お召し物ももう少し軽装になさいませ」

そう言った惟光は狩衣(かりぎぬ)を手に持っていた。








陽がずいぶん傾いてから、迎えはやってきた。

手早く着替えされられた俺は、いつの間にか暮れた空を見ながら小君の牛車に乗り込む。

あまり遅くなっては、門に鍵がかかるのではないかと不安になってきたが、なんとか無事に辿り着いたようだ。

人目のない場所に牛車を止めたので、なるべく音を立てないように車から降りた。

陽が暮れてしまったので、屋敷の中にも薄墨のような闇が広がっている。

足音を立てぬよう着いて行くと、止まるような身振りで小君が振り向いた。

「やっぱり見えない……」

思わず呟いてしまう。

背も低いし、手はぷくぷくしてるし。

ま、確かに5歳にしてはしっかりしているが、12歳にはとても見えない。

張り切って先導している姿は微笑ましく、スパイごっこをしているみたいで、なんだかほっこりする。

そんな俺の心情など知らぬ小君は、小さく頷くと1人で先に進む。

先の方にほんのりと漏れた光。暗闇から様子を覗くと、宿直人(とのいびと)……守衛の夜番がいるようだった。

小君が通り過ぎると、興味を失ったように顔を背けた宿直人。声をかけられる事もないようだ。

やっぱり子供だからじゃないのかな?

家の子だからかも。どちらにせよ、好都合とばかりその場を通り過ぎる。

やがて立ち止まった小君は、両開きの扉を開けて目配せしてくる。

ここで待てという事だろうか。

小さい子が奔走する姿を見ているのは少し心苦しいが、俺にできる事は何もない。

今は小君を信じて待つより方法がないと諦め、気付かれぬようそっと息を漏らした。

空が見える。

軒先のような場所で闇に紛れて立つのも、なかなか大変だ。月明かりで姿が見えるんじゃないかとヒヤヒヤする。

月は中天に掛かろうとしている。今、夜の中では一番明るい。

月を左前に感じながら小君の様子を伺っていると、大きく迂回しているのが目に映った。

南の隅から格子戸を叩き、中に声をかけている。格子戸を引き上げた小君は、それを閉めずに中へ入っていく。

中からは丸見えだと避難めいた声が聞こえて来たが、小君は暑いと反論して、なぜ開けてはいけないのかと理由まで尋ねている。

「西の対の姫様がお見えで、姉上と碁を打っておられるのです」

「それで閉め切っていたんだね」

先輩かもしれない人と、もう一人女性がいるって事か。

ここから顔、見えるかな。確認できたらいいな。

そう思った俺は、月明かりに気をつけながら近寄って行く。

簾が下ろされているので、そっと隙間を見つけて体を滑り込ませる。

「屏風……」

一瞬、そのせいで中が見えないのではと思ったが、全くそんな事はなかった。

屏風のおかげで、こちらがうまい具合に隠されている。

その屏風は端が畳まれていた。小君が通った時に、ついでに畳んだのだろうか?

目隠しのための几帳も、暑さのせいか風通しをよくするため、端の方が捲り上げられていた。


パチリ


碁を打つ音が闇世に溶ける。

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